第四百七十五話「真昼の星屑と、姫殿下の『見えないものの数え方』」
その日の午後、王城の庭園は、雲ひとつない青空の下で、眩しいほどの光に満ちていた。
第一王子アルベルトは、テラスで天体望遠鏡のレンズを磨いていた。夜の観測に備えての準備だ。
「今夜は晴れそうだ。良い星空が見られるだろう」
アルベルトがつぶやくと、足元でシャルロッテが、モフモフを抱きながら空を見上げて言った。
「兄様。今も、お星様はいっぱい出ているよ」
アルベルトは手を止めて、妹を見た。そして、青一色の空を指差した。
「シャル。今は昼だ。太陽が眩しすぎて、星は見えないよ。存在はしているが、観測は不可能なんだ」
それは、論理的に正しい答えだった。
しかし、シャルロッテは首を横に振った。彼女の翠緑の瞳は、青空の奥にある「何か」を確かに捉えているようだった。
「ううん。見えないけど、いるの。隠れんぼが上手なだけだよ」
シャルロッテは、庭園の芝生にしゃがみ込んだ。そこには、黄色いタンポポが咲いていた。
彼女は、その隣の、何もない土の地面を優しく撫でた。
「ここにもね、春を待っているお花の赤ちゃんがいるの。今は土のお布団をかぶっているけど、ちゃんとここにいるんだよ」
アルベルトは、妹の隣にしゃがんだ。
「種や根のことか。確かに、植物学的には地中に根系が存在するが……」
「違うよ、兄様。あるって信じることが、魔法なんだよ」
シャルロッテは、目を閉じた。
そして、アルベルトにも目を閉じるように促した。
「目を閉じて、耳を澄ませて。……ほら、風の通り道が見えるでしょう? 風は見えないけど、葉っぱさんが揺れているから、そこにいるってわかるよ」
アルベルトは目を閉じた。
視覚が遮断されると、普段は聞き流していた音が鮮明になった。
遠くの噴水の水音、鳥の羽ばたき、そして、頬を撫でていく風の感触。
見えないけれど、確かにそこにある無数の「気配」が、世界を埋め尽くしていた。
「……そうだな。見えているものだけが、世界ではないな」
シャルロッテは、目を開けて、アルベルトの胸に小さな手を当てた。
「それにね、ここにもあるよ」
「え?」
「兄様の優しい気持ち。形も色もないけど、シャルにはちゃんと見えてるよ。だって、触るとポカポカするもん」
アルベルトは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
彼の心の中にある妹への愛情や、国を想う気持ち。それらは、数値化も観測もできないけれど、彼の存在を構成する最も確かな「実在」だった。
「見えないもの……。そうか、私は『ある』と『見える』を混同していたのかもしれない」
アルベルトは空を見上げた。
さっきまでの青空が、違って見えた。
ただの青い背景ではなく、その向こう側に、数え切れないほどの星々が、太陽の光に隠れて、静かに、しかし確かに輝いている「深遠な宇宙」に見えたのだ。
昼の空は、空っぽなのではなく、光で見えなくなっているだけの「満員御礼の星空」だったのだ。
「兄様。世界はね、見えない宝物でぎゅうぎゅう詰めなんだよ」
シャルロッテは、何もない空中に向かって、楽しそうに手を振った。
まるで、そこにいる「見えない友達」や「昼間の星」に挨拶をするように。
モフモフも、何もない空間に向かって「ミィ」と鳴いた。彼にはきっと、風の精霊か何かが通ったのが見えたのだろう。
その日の午後、アルベルトは望遠鏡を覗くのをやめ、妹と一緒に芝生に寝転がって、青空の向こう側にある星々を想像して過ごした。
それは、どんな高倍率のレンズで見るよりも、世界の広さと豊かさを感じられる時間だった。
見えないけれど、確かにある。
それは王城の隅々に隠れている「優しさ」や「思い出」を、キラキラと輝かせたのだった。




