第四百三十話「魔性の暖卓と、王城の『堕落の連鎖』」
その日の午後、王城には木枯らしが吹き荒れ、石造りの壁からは冷気が染み出していました。
シャルロッテは、薔薇の塔の自室で、寒さに震えるモフモフを抱きながら、前世の冬の記憶を強烈に思い出していました。それは、一度入ったら二度と出られないと言われる、あの恐ろしくも甘美な「四角い魔空間」の記憶です。
「ねえ、モフモフ。この国にはね、足りないものがあるの」
「ミィ?」
「それはね、『コタツ』っていう、人間をダメにする、世界で一番可愛い罠だよ!」
シャルロッテは、王城の規律や寒さに対抗するため、その禁断の装置を再現することを決意しました。
彼女は、エマに頼んで、低い正方形のテーブルと、分厚い布団を用意させました。
そして、テーブルの裏側に、火属性と風属性の魔法を融合させた魔法陣を描き込みました。その魔法は、「熱くも寒くもない、猫のお腹のような最適な温度」を永遠に循環させるという、高度な魔力制御を要するものでした。
最後に、テーブルの上に布団を掛け、その上に天板を置く。さらに、籠に盛ったオレンジ色の柑橘(ミカン代わり)を乗せれば、完成です。
「完成! 名付けて『絶対に出られない魔性の結界』!」
シャルロッテは、早速モフモフと共に、その結界の中に足を滑り込ませました。
瞬間、下半身を包み込む、抗いがたい温もりの重力。
シャルロッテの背骨から力が抜け、彼女はテーブルに上半身を預けて、液状化しました。
「ふにゃあ……。これは、魔法よりも強いよぉ……」
そこに、第一王子アルベルトが、書類の束を抱えて入ってきました。彼は、妹が床に突っ伏しているのを見て、眉をひそめました。
「シャル、行儀が悪いぞ。床で寝ていては風邪を引く。……ん? なんだその奇妙な家具は」
シャルロッテは、首だけを動かして兄を見ました。その目は、すでに現世の理から解き放たれた、虚ろで幸せな光を宿しています。
「兄様……ここに入るとね、世界の真理がわかるのよ……」
「真理だと? ふむ、新しい魔導具の実験か。ならば、私が安全性を確認しよう」
論理的なアルベルトは、警戒しつつも、その構造への知的好奇心から、足を踏み入れました。
ズブッ。
それは、沼に沈む音に似ていました。
アルベルトの顔から、知性的な緊張が一瞬で消え去りました。彼の手から、重要な政務の書類がバサバサと滑り落ちました。
「……暖かい。これは……計算された熱対流……いや、これは、母の胎内のような……」
アルベルトは、そのまま抵抗することなく、シャルロッテの隣に崩れ落ちました。
「シャル……私は……もう、働きたくない……動きたくない……」
次に現れたのは、第二王子フリードリヒでした。彼は、戻ってこない兄を心配してやってきたのです。
「兄上! シャル! 何をしているんだ! このような場所で油断しては、敵に隙を……む、これはなんだ?」
「フリードリヒ兄様……ここがね、一番安全な陣地だよ……」
「陣地だと? ふん、防御結界の一種か。騎士たるもの、その強度を確かめねばならん!」
フリードリヒは、勢いよくコタツに潜り込みました。
その刹那。
「うおお……なんだこれは……俺の筋肉が、武装解除されていく……。剣が……重い……」
最強の騎士は、鎧を脱ぎ捨て、アルベルトの反対側で、幸せそうな寝息を立て始めました。
事態は、さらに悪化しました。
マリアンネ王女が、「未知の魔力反応」を感知して飛び込んできましたが、「データの収集には内部観測が必要ね」と言って潜り込み、そのまま眼鏡を外して熟睡。
イザベラ王女は、「まあ、なんて野暮ったい布……でも、足元の冷えは美容の敵だから、少しだけ……」と言って入り込み、そのまま二度と出てきませんでした。
夕方、ルードヴィヒ国王が部屋を訪れた時、そこには地獄のような、いや、天国のような光景が広がっていました。
王国の頭脳、武力、叡智、美貌、そして未来が、一つの四角いテーブルを中心に、放射状に倒れ伏し、幸せそうに蜜柑を食べていたのです。
「な、なんだこの堕落した光景は! 王族としての矜持はどうした!」
国王は怒鳴りましたが、シャルロッテは、モフモフを抱いたまま、とろんとした目で手招きしました。
「パパ……。ここにはね、王様の仕事よりも、もっと大切な『ぬくぬく』があるよ……」
「ぬくぬくだと? ええい、どけ! 私がその魔導具を破壊して……」
国王が、布団の端を掴もうとした、その時でした。
内部から漏れ出した、濃厚な「温かい空気」が、国王の手を包み込みました。
国王の動きが止まりました。
彼は、無言で靴を脱ぎました。
そして、残っていた最後の一辺に、静かに体を滑り込ませました。
「……ふぅ。公務とは、なんと冷たいものだったのか。余は、ここを新しい玉座とする」
その日の王城は、完全に機能不全に陥りました。
しかし、薔薇の塔の小さな部屋だけは、世界で最も平和で、最も温かい、幸せな「ダメ人間たちの楽園」となっていました。
シャルロッテは、家族全員の足が触れ合う温もりを感じながら、蜜柑の皮を剥き、にっこり微笑みました。
「えへへ。やっぱり、難しい顔をして頑張るよりも、みんなでダメになっちゃうほうが、絶対可愛いもん!」
これぞ、シャルロッテが持ち込んだ、最強スローライフの極致だったのです。




