兄と妹
ピアは将軍の背中に向かって駆けた。
彼の背中が遠い。そして障壁に空いている穴が閉じようかとしている。慌ててそれをくぐり抜け、少し進んだところではっと振り返った。
完全に穴は塞がっており、己の部下たちは障壁の外だ。
「すぐ戻る!」
そう言い残してピアはさらに小さくなっている将軍の背中を追う。
宮殿に入ってすぐの所に将軍は立っていた。
彼はあきれ顔だ。
「そのように追ってくるのならば、最初から一緒に行くといえば良いだろう」
もはや彼はピアに対して敬語を使うのも止めたらしい。
ピアが何か言おうとするのを片手を上げて彼は押し留めた。
「先を急ぐ。行くぞ」
ピアの返事を待つことなく彼は歩き出す。諦めてその後に続いた。
「将軍」
「なにか?」
彼は振り返ることすらしない。
「あなたもオルクスに用が?」
「そうだ」
「将軍……あなたは何者だ?」
「私はレヴィ。私が何者かについては話が長くなる。あとで話そう……機会があれば、な」
将軍、いやレヴィは迷わず歩き続ける。おそらく玉座の間に向かうのだろう、とピアは思った。
宮殿内は全く人気がない。
オルクスのもつジャボン兵が少しはいるかと思ったが、それもなかった。
もしかしたら完全に撤収したのではなかろうかとも思える。
「誰もいない……」
「おそらくここに残っているのはオルクスとシュバルツの二人だけだ」
「は……あの二人だけ残って一体何を。もはや何をしたいかすら分からない」
「そうだな。まあ、あの二人にとってはこの帝国のことなどどうでもよいのだろう。こうして二人残ってることの方が不思議だ。引き継ぎが長引いているのかもな」
「引き継ぎ?」
ピアは教皇庁の自室で自分が考えていたことを思い出す。本当に集まってきた『優秀な民』とやらと話し合いでもしているのかもしれない。
「かきあつめて来た民たちをここへ入れていると?」
ピアの言葉にレヴィが肩をすくめた。
知らないのか、答える気がないのかその様子からは分からない。
※※※
「そういえばあの薬物が何か、あなたは知ってるのでは?」
「ああ」
あれは何か等々聞きたいことがあったが、まず先に聞くべきことがある。
「解毒方法は?」
「中毒初期ならば、使用をやめればいい。禁断症状さえ乗り越えれば問題ない。体が溶け始めたものに関しては……どれ位無事かによるな。いずれにせよ禁断症状を乗り越えられるかが重要だ」
「耐えて体から薬が抜けるのを待つ以外に方法はない、と?」
「あることはあるが。お前たちでは行えない」
もっと色々と聞き出したいことがあったが後にしよう、とピアは決める。
しばらく二人は黙って進んだ。
「やっぱりここにいるようだ」
レヴィは玉座の間の扉を見上げる。
「二人で突入するつもり?」
「君が来なければ私一人で行くだけの話だ」
「冗談じゃない。兄とは私が戦う。手を出すな」
「正気か?」
レヴィは扉からピアに視線を移し、呆れたように言った。
ピアは頷くと勢いよく扉を開け放つ。ずっと先にある玉座にはオルクスの姿。こちらを見据えている。
部屋に入ろうとしたピアの腕をレヴィが強く引いた。
「なにをする!」
「どうしても自分が戦うというならばもう私は止めない。だが、いいか。あのオルクスはお前が知ってるオルクスではない。真正面から全力でぶつかりあえば、お前は負ける」
何を、とピアは彼を見上げ反論しようとした。だが彼があまりに真剣な表情をしているので、言葉を継げない。
「くれぐれも馬鹿正直にぶつかりあおうとするな。なるべくオルクスには力を使わせ、お前は防御に徹しろ。そして戦闘を長引かせろ。そうすればお前にも勝機がある」
難しい注文をする、とピアはげんなりした。
防御、戦闘を長引かせる、いずれも苦手とするところだ。しかし、そうしないと負けるとまで断言されているとあっては無視できない。
わかったと頷いてピアはレヴィと共に部屋へ入った。深紅の絨毯のうえを一歩一歩、玉座へと向けて歩く。
その長い道の途中、シュバルツが立っていた。彼はレヴィを見ると目を剥いた。
「あなたは一体何をしていたのです!」
彼は突然いなくなって、と言葉を継ごうとしたが不可能だった。レヴィが何も言わずにシュバルツの傍を通り過ぎた瞬間、彼の身体は燃え上がってしまったからだ。あっという間にシュバルツは燃え尽きる。
離れたところから、オルクスの声が投げかけられた。
「まさかここに入ってくることができるとは。どうやって入ってきた? それに、お前が何故ピアと共にいる?」
その様子にピアは兄がレヴィの力についてよく知らないのだろう、と察しがついた。
「いえいえ。私はあなたに用があって。とはいえ、あなたと戦うのは彼女ですが」
「お兄様。いや、オルクス。わたくしはあなたを異端認定し、その即位を無効とした。だから貴方にはもう何の権限もない。それゆえ先ほど貴族たちの前で宣言したことも無効だ」
「それはわざわざご苦労なことだ。まずはレヴィ、お前の要件から聞こうか?」
「いいえ。後で結構」
そういうとレヴィは一歩下がった。
ピアは立ち上がったオルクスの前に進み出る。
「いくつか聞きたいことがあります。一体あなたは何が目当てでここに戻って来られたのです?」
自分がこの帝国を征服するためでもない。
皇太子の遺志を継ぐというには、兄と従兄である彼らの仲は希薄だ。兄が皇太子のために何かするなんて想像がつかない。
では何のために、という疑問が残る。
やはり復讐なのだろうか。帝国をめちゃくちゃにすることで復讐を果たしたつもりでいるのか。
「関係のないことだ、ピア」
「お前の大いなる目的に必要だったということかな、オルクス」
レヴィの指摘にオルクスは少しだけ笑った。だがそれ以上なにも答えない。
「そのうえ、あのような薬を帝国に蔓延させて……。選ばれし民というのは、あの薬が何か関係しているのでしょう?」
ピアの問いにオルクスはさすがだな、と答えた。
「あれは人を選ぶ」
「選ぶとはどういった基準です?」
『優秀な民』という言葉の意味もよく分からないピアの追及をオルクスは取り合わなかった。
言うつもりはない、ということだろうか。
「これ以上無駄話をするつもりはない」
オルクスから強い魔力を感じる。ピアはそれ以上何か聞き出すことを諦めた。
戦いの火蓋は落とされた。
※※※
ピアが創り出した猛火の中をオルクスは悠然と歩いてくる。防御魔法すら使わない。そこにはまるで何もないかのような扱いだ。
人間という生き物として色々と間違っているだろうとピアは毒づく。
不意にオルクスが立ち止まった。そしてピアを見てかすかに笑う。
嫌な予感がした。
オルクスの纏う魔力が膨れ上がる。それを感じたピアは総毛立った。
とっさに防御魔法を構築し、己の周りに張り巡らせる。オルクスから放たれた魔法がピアの防御壁にぶつかった。強い圧迫感におそわれたが、何とか耐えた。
じりじりとピアは後退する。兄は剣の腕もたつ。油断したら一瞬で切り捨てられるだろう。
レヴィの助言を思い出す。なるべく力を使わせ、そして戦闘を長引かせること。
ならば剣は使わせられない。距離を取り、隙があれば兄の武器も破壊するのだ。
ピアは光の槍をいくつも創り出し、兄へと向けて投げる。オルクスも同じようにピアへ攻撃を放ってくる。光の槍がピアの防御壁にぶつかり、甲高い音を立て床に落ち、そして消えていく。
その音を聞きながら、ピアは恐怖心が消えていくのを感じた。代わりに感情が高揚してきた。
これは数年前の三国連合との戦争の時に感じたものと同じだろう。あの時もこのような昂った気持ちで敵の軍船を一隻ずつ沈めていったのだから。
思えばこんなに思い切り力を使って戦い、命の危険さえ感じることは過去になかった。そしてこれからも無いであろう。
そう思うとピアはつい笑みを浮かべた。オルクスはピアの出方を伺っている。こちらから攻撃を仕掛けない限り、ほとんど何もしてこない。力弱き者を甚振る強者のつもりなのだろう。
それならば攻撃をしてくるよう仕向けるだけだ。そう考え、はたから見ると凶悪な笑みを浮かべたピアは兄への猛攻を開始した。
※※※
ピアは床に膝をついた。
その息は荒く、顔色は蒼白に近い。
我ながら無様だな、と場違いなことを思わず考える。
ゆっくりと兄が近づいてくる。もはやその姿を見る気力も体力も残っていない。そんなピアに接近を知らせるのは兄の足音。
レヴィの言った通りであった。兄は信じられないほど強かった。それだけでない。信じられないことに、受けた傷が瞬く間に修復され、もはや人間とは言えない。これはピアにとって想定外の出来事だった。
いまだかつて使ったことがないほどの力を使ったピアでも、倒せない。あれだけの力を使ったにも関わらず平然としている。
ピアは襲ってくる脱力感と眠気に耐えた。もう残された魔力は僅かだ。それも本来ならば魔法を使うためにある魔力でない。生命保持のためにある魔力だ。これを使えば、ピアも死ぬかそれに近い状態になる。
しかも、それを使ってすら兄を倒せるかわからないのだ。
ピアは外にいるものたちを思い出す。
いつも共に戦ってきたロンバートをはじめとする聖騎士たち。異端者を倒すため集ったイシュトヴァンをはじめとする異端審問官、国のためにその身を捧げる国軍の兵。ピアと聖術師団に属する妻を案じて武官でないにも関わらず駆けつけたクロイツ。自らの家が持つ私兵を連れて駆けつけたスヴェート。同じく駆けつけたハムの兄ユーリウスと父親のセルジュ。
教皇庁で他の聖職者たちとともに神に祈りを捧げてくれている枢機卿ハイリッヒ。侍女のルーシアも異母姉のメリュジーヌも戦場にくることは出来ないが同じように案じてくれているだろう。
そんな『猊下を信じている』と言ってくれた者たちを裏切れない。
楽園で見守ってくれているであろう先代帝をはじめとした皇族たち。その死を無駄にしてはならない。
そして、ハム。
彼は戦えもしないのに、父や兄とともに来ていた。猊下を見送るため、と言って。ピアの胸には先ほど彼からもらった赤い花がある。アムブロシア——勇者フィアの花。
ピアは全身に残る魔力をかき集めた。
もはや自分が生き残ることは考えまい。なんとしてもオルクスを倒す。
今あるだけの魔力をそのまま兄へぶつけるのだ。今この状況はピアにとって都合がよい。
オルクスは油断しきっている。遠くからピアにとどめも刺さず、無防備に近づいてきているのがその証拠だ。
この魔力を使えば全て終わる。ピアが戦闘不能になればレヴィがオルクスと対峙するだろう。
彼はピアに自分は敵でない、と言った。
今はその言葉を信じるしかない。果たして彼がオルクスに勝てるかはピアには分からない。
だが今は己の出来る限りのことをして、信じるしかない。
「ピア、お前はいつも光だった。私はその影だった。そんな私の唯一の存在がディラエだった」
ピアから少し離れたところで立ち止まったオルクスは突然話しはじめた。
「彼女は私の半身とも言えた。しかし私はそんな彼女を……殺してしまった」
思いがけない告白にピアは驚きながらも、今が好機でないかと兄の隙を伺う。
「だから、私は彼女を……!」
ピアが放った魔力がオルクスの肩から腕にかけてを抉った。彼は何が起こったか分からない、といった表情で己の傷口を見つめていた。
最後の魔力を使い果たし、ピアは完全にその場に倒れ伏す。先ほど感じた以上の脱力感と眠気。もう終わりだ。
「しょせん私とお前は相容れないのだな……」
ピアはゆっくりと目を閉じた。
おそらく兄の体の傷は先ほどまでと同様にあっという間に修復されるのだろう。
その時のことだ。
「な、なに?」
オルクスの戸惑った声が聞こえた。
ピアの目と鼻の先からぼたりぼたりと何かが落ちる音が聞こえる。
ピアは力を振り絞り、瞳を開いた。
目の前にどろどろした赤い水たまりのようなものが出来ている。
驚いて上を見れば、先ほどピアが与えた傷から少しずつオルクスの身体が崩壊していた。
ピアはレヴィの言葉を思い出した。
なるべく力を使わせ、なるべく戦闘を長引かせる。
おそらく自分は勝ったのだ、とピアは悟った。
兄の力は限界近くまで使われた。そして修復機能も働かなくなってきて、自滅しているのだろう。
オルクスはよろよろと後退する。
その間にも身体は溶け続け、やがて彼は己の血肉でできた水たまりに倒れ込んだ。
「ディラエ……」
その一言を最後に、兄オルクスは動かなくなった。
※※※
ピアは兄が力尽きるのをぼんやりと見つめていた。
確かに勝った。だが自分も兄と似たような状況である。
もはや動けない。
レヴィはどこに行ったのだろうか、と思ったが周囲を見渡すことすら難しかった。
その時ピアの耳に軽やかな笑い声と拍手の音が聞こえた。力を振り絞り顔を上げる。
玉座の影に人影があった。
人影が動き、その姿をあらわす。ピアは目を見開いた。
何故、彼が、ここに。
それを問おうにも唇が震え、声が出せない。
「久しぶりだ、ピア」
「……皇太子殿下!」
何度も試し、やっと出たピアの声は掠れていた。




