明かされた事実
タマーラ=ベーレイニガン。ベーレイニガン家当主セルジュの妻であり、ユーリウスとハムの母親である。
皇女時代から魔性の美しさと呼ばれていたそれは、二人の青年の母となった今も色あせていない。妖艶な美しい人妻として、いまだに絶大な人気を誇っている。
そんな彼女がなぜ己の次男をあんなにも太らせたのか、はピアとその周囲の者達の大きな謎である。
その日ピアは西部辺境から戻ってきたばかりであった。転移門のある地下から地上に出て、教皇執務室に戻る途中、ハムの兄であるユーリウスに遭遇した。
彼は礼拝のため、ここを訪れていたらしい。
立ち話も何なのでピアは彼を茶に誘う。折角なのでかねてからの謎を聞けばよい、と思ったのだ。
なかなかピアも忙しい。何故ハムを太らせたのか、などといった事を聞くためだけにベーレイニガン家を訪れ、タマーラに会う時間はない。
ベーレイニガン家次期当主でもあり、ハムの兄であるユーリウスならば何か知っているだろうと思ったのだ。この貴公子は優しく穏やかな笑みで如才なく立ち振る舞い、なおかつ悪意蔓延る貴族社会でうまく立ち回っている。そんな彼が己の家族の隠された事情を知らぬわけがないだろう。
「このように猊下にお招き頂くのは久しぶりですね。お忙しい中お時間を賜り、ありがとうございます」
「よい。あなたに聞きたい事があってね」
「わたしで分かることならば何なりと」
「あなたの弟君のことで」
ユーリウスが頷くのを確認し、ピアは言葉を続けた。
言いながら、しかし自分は一体何をしているのだろうかと少し呆れる。何故ハムが太っているかなど、瑣末なことでないか。
「以前ベーレイニガン家に賊が襲撃した時、弟君は食糧庫にいたであろう。それも非常時の抜け道を通って。そのようなことを教えたのはタマーラ……あなた方の母君と聞いてね。しかも彼をあのような体型にしたのも母君だとちらりと小耳に挟んだものだから。一体何故そんなことをと思ったのだよ。あなたならばその理由を知っているのでないかと」
さすがユーリウス、ピアの言葉に顔色ひとつ変えない。それどころか笑みを深めて彼は言った。
「猊下がローレンツのことをそのようにお気にかけてくださる日がくるとは、光栄至極にございます」
「まあ……あなた方一家を見たものは皆不思議に思うのでは?」
「さもありましょう。——母がローレンツを太らせはじめたのは、あれが三つか四つくらいの時からだったと記憶しております」
「ほう」
「私もまだ幼少の身であった為、当時の記憶は曖昧です。ですのでこれは両親から聞き及んだ話となりますが宜しいでしょうか?」
「構わぬ」
「これは多くの者がいうことですが、私は父親似です」
確かに、とピアは頷いた。
目の前のユーリウスと以前ベーレイニガン家を訪れた時見せてもらった肖像画の若きセルジュは似ている。
「母が申すには、ローレンツは自分にそっくりであると」
「……ほう」
その噂が大陸中に轟いた、妖艶なる魔性の美女とあのハムがどうにも重ならない。
無理である。ピアにとってはハムはハムなのだ。
「今となっては、私にも、父にも、そのような事を言い出した母にすらそれが真実であるか分かりません。あくまで先ほど申し上げた三つか四つの時の話ですので」
「それだけで、あのように太らせたりするものか?」
「それが……その三、四つの頃ローレンツは誘拐されてしまったことがございます」
「誘拐……」
「はい。父の話ではその時母は半狂乱になり、『ローレンツはわたくしに似ている。あの子も魔性の子だ』と……」
ユーリウスは言いづらそうだ。
「魔性の子……」
ふとピアは思い出した。
確かタマーラは少女の頃からその美しさと妖艶さで知られていた。だが彼女は少女と呼べる年の前からドロドロした逸話の多い『魔性の子』であったと。
それこそ五、六歳の頃から遊び友達に選ばれた貴族の子達が激しく奪い合いをして大怪我をしたり、幼女でありながら大人の男をも魅了し、その男たちが殺し合いをしたことすらあるという。あまりの醜聞ぶりに当時の帝室は噂を抑えるが大変であったそうだ。彼女を修道院に入れてはどうかという話すら出ていたと聞く。
「しかし……たまたまではないのか。身代金目当ての誘拐と考えるべきでなかったかと思うが」
「私もそう存じます」
しかし母親であるタマーラにとってはそうでなかったということだろう。かつての自分の数々の悪夢を思い出したのかもしれない。
それにしてはやり過ぎな気もするが。
「今となっては、彼がタマーラに似ていたかどうかも分からぬしな……」
「はい……」
ハムは痩せようと思えるほど、自分の見た目についてのこだわりもなさそうだ。それに夜中わざわざ抜け道を通ってまでつまみ食いするような青年に育ってしまったのである。
今更痩せることはないだろう。
痩せたところで脂肪が減っても皮が余って大変なことになりそうだ。
「母はローレンツが猊下の婿候補として残して頂けたことをとても喜んでおりました。『やはり女にとっての幸せは結婚。良い殿方に嫁げることになって良かった』と申して……」
「ちょっと待て。色々とおかしいぞ。タマーラは大丈夫か?」
「母の中ではローレンツは女……と申しますか、乙女と申しますか……。自身と重ねているところが多いのです」
ピアは思わず天井を仰いだ。
ハムがあんなに乙女な理由があまりにもあまりだったからである。
しかしタマーラは元皇族だ。あまりあれこれと言うと藪をつついて蛇を出すようなものであろう。
※※※
相変わらず各地を巡る日々を送っていたら、あっという間に皇帝会議の日がやってきた。
突然の招集に不安を覚えている貴族は多い。何と言っても何についての会議かすら知らされずに招集されたのだ。これは前例のないことである。
すでに貴族たちは席についている。あとはピアとオルクスの着席を待つばかりの状態だ。ピアは本会議場の入口脇に兄の側近たるシュバルツが立っいることに気づいた。
彼はピアに気づくと恭しく一礼する。
いつもは兄のそばにいるのに、今日はいなくても良いのかとピアは首を傾げた。もしかしたらここで兄が来るのを待っている可能性もなきにしもあらずではあるが。
「珍しいこと。今日は陛下のおそばにおらぬのだな」
そういえば、とピアは思い出したことをシュバルツに尋ねる。
「先のエルツでの調査のことで、将軍に話があるのだが。彼はどこにいる?」
一瞬シュバルツの顔に動揺の色が浮かんだのをピアは見逃さなかった。
「軍属の者に聞いても、いまだ返事はない。どうなっている?」
「それは……。お恥ずかしいことながら、猊下。あの者は突如いなくなったのです」
「いなくなった?」
「はい。行方もわかりません。我々も困っていたところなのです」
ピアはこれは兄の罠か、と思った。
行方をくらましたふりをして、密命を帯びどこかに行っている……そんな可能性はないだろうかと検討する。
だが、先ほどのシュバルツの動揺ぶりを考えるとその可能性は低いのでないか。密命でどこかに行っていたとして、将軍の地位ならばいくらでもそれをピアたちに誤魔化せる。なにも行方不明のふりをせずともよいはすだ。
「まったく、無責任なことで困ります」
「さもあろうな」
ピアはそういうと、シュバルツの脇を通り過ぎ会議場へと入る。迷いのない足取りで進み、己の席に腰掛けた。
貴族たちは緊張した面持ちで座っている。
程なくしてオルクスが入ってきた。貴族は全員起立をし迎える。
オルクスは皇帝の席に腰掛けると、ぐるりと部屋中を見渡した。最後にピアを見て、僅かに微笑む。
何か企んでいるのだろうか、とピアは嫌な気分になり、瞳を伏せた。
「早速ではあるが、本題に入ろう。本日集まってもらったのは、この国の今後に関わる重大な発表があったからだ」
ピアの目に怪訝そうな表情をしている宰相の姿がある。
彼はピアがオルクスに頼まれて推挙した中立派の貴族だ。
しかしあの表情はどうしたことだろう。もしかしたらオルクスは打ち合わせとは違うことを喋っているのかもしれない。
今日に至るまで、宰相はどんな貴族から尋ねられてもこの日の議題を明かさなかった。皇帝陛下に止められている、ただし悪い話ではないから安心されよ、と言って。
しかしピアはその言葉を信用できずに今日を迎えていた。ジャボン国王オルクスの話を聞いて以来、嫌な予感が捨てられなかったからだ。
その予感は目の前で的中しかけているようだ。
「今より遥か昔、原初の人の末裔である我が家に神より与えられた皇帝の座、これを神にお返ししようと思う」
ピアは目を見開いた。オルクスはティファレト皇家をなくす、と言っているに他ならない。
黙ってオルクスの話を聞いていた貴族たちがざわめき出す。構わずにオルクスは続けた。
「それとあわせて、貴族という身分もなくす」
それまでざわめいていた室内が静まり返る。
その場の貴族たちの顔には、まさかという表情。だが兄の顔を見る限り冗談ではあるまい。
これにはさすがのピアも驚いた。ティファレト皇家をなくし、他の貴族に帝位を譲り、皇統を移すかと思えば違う。貴族自体なくすというのだ。
あまりのことにとっさにピアは立ち上がった。
「皇帝陛下、発言の許可を頂けますでしょうか」
ピアの問いかけにオルクスは鷹揚に頷いた。
ピアはその場にいる全ての貴族たちの視線を受け、言葉を紡ぐ。
「陛下、陛下には陛下のお考えがおありでしょう。それは理解いたします。しかしながら、陛下のお話では皇帝家のみならず、全ての貴族をなくす、と。それではこの帝国はどうなります?」
はるか一万年近く前から広大なこの大陸を支配してきたティファレト皇帝家。もちろん広大な土地を治めるのは皇帝家だけでは無理だ。そのために多くの貴族たちの力を借りてきた。
この帝国を支えてきた全ての柱をなくし、一体どうするというのか。
「それについては問題ない。『準備』がやっと整った」
「準備?」
「選ばれし、優秀な民たちが、これからは国を治めていく。やっと、やっとだ。彼らの選定が終わるのを、ここへ集まってくるのを私は待っていたのだ」
「選定?」
それらしきことが各地で行われていたとは初耳である。むしろそんなことはやってないだろうと言えた。
ピアは今もなお、帝国中をまわり、異端者への警戒と神の愛を説いてまわっているのだ。皇帝側が各地で何かやっていれば、当然それを知ることの出来る立場である。
「陛下、その選定とやらはいつどこで行われたものなのです?」
「今もなお続いているよ。帝国中でね。帝国中からこの帝都に人が集まって来ているのを知っているだろう」
確かに最近移民が増えたのは知っている。ピアが頭を悩ませていた問題の一つだ。
彼らが兄の言うところの選ばれし者達だというのか。しかも一体どうやって選んだというのか——。
その時ピアの頭に思い出されたことがあった。エルツで聞いた薬物を利用しだしてから行方不明になった者が少なくない、というあの話。最初ピアは薬物を売りさばく組織にでも拉致され、強制労働かなにかさせられているかと思っていた。だが肝心のセイケ島にもそれらしき者はいなかった。調べても彼らの行方は分からずじまいだったのだ。
エルツだけでない。薬物被害に悩む街で同じように行方不明の者が多く出ていた。
まさか、と思う。
「陛下、まさか……——」
「話は以上だ」
「おまちください、陛下!」
次々と貴族が立ち上がり、口々に叫ぶ。それはそうだろう。納得も理解もできない話だ。
ベーレイニガン当主が立ち上がり、他の貴族達に落ち着くよう言い聞かせる。少しは静かになった。だが制止を聞かぬ者もまだいる。
そんな中、セルジュ=ベーレイニガンがオルクスに向けて話し始めた。
「陛下。いくらなんでも先ほど仰ったことは如何なものかと存じます。神から賜った帝位を返上なさる、と。そして政に無縁であった民達にそれを任せるとは……」
その時オルクスが片手を上げて、セルジュ=ベーレイニガンを制した。彼が黙るのを見届け、オルクスは口を開く。
「では、皆の者。こんな話はどうだ? 私が戻ってきた時、そなたらは色々と疑問に思うことが多かったであろう。まず連れているのは、一体どこで調達した兵なのか、と。そして世界最強と呼ばれる帝国軍はなぜ敗れたのか。帝国軍だけならまだしも、超人的な魔力を持つ皇族の面々が一人残らず処刑されたのは何故か、と」
場は静まり返っている。
オルクスが言うことが、まさに当たっていたからだ。それはオルクスが戻ってきた時からの彼ら、そしてピアにとっての疑問だった。
「まず、言っておこう。私はジャボン国王オルクス。あのとき率いていたのはジャボン国軍だ。選ばれし優秀な兵達は帝国軍などと比べ物にならない。そして何故戦があんなにも早く決着がつき、超人的な魔力をもつ皇族達を一人残さず殺すことが出来たか。それは内通者がいたからに他ならない」
そこまで言うとオルクスは意味ありげにピアを見た。
「内通者の名はレナトゥス=ティファレト。先代皇帝の嫡男にして皇太子」
ピアは想像もしなかった名前に血の気が引いた。
己の婚約者でもあった彼が何故。
「これで本当に話は終りだ。諸君らに用はない。出て行け」
オルクスが片手を掲げる。
ほんのわずかしか魔力を持たないはずの彼から、信じられない力を感じる。
転移門を使ったときのように、ピアの目の前が真っ白になった。




