猊下、心寄り添う意味を考える
将軍の案内で時折休憩しつつも進み、夕暮れ頃にやっとピアたちは人里に到着した。
ちなみにこの島には領主の別邸がある。こんな小さな島に、とピアは訝しんだ。
聞けば、先先代の当主がこの島でとれる魚と果実を好み、晩年隠居生活を送っていたらしい。
こじんまりとした村から少し離れたところに、その別邸はあった。すでにピアたちが乗っていた船の者たちが上陸しているのだろうか。
教皇旗、国軍の軍旗がはためいている。
「猊下、ご無事で!」
「神のご加護によって」
ピアは頷き返した。
まずは彼らから報告を聞きたい。しかし、それを押し留めたのは将軍だ。
「貴兄らの喜びは理解する。だが猊下はいま大変お疲れだ。まずはお部屋にご案内し、私の連れている軍医の診察を受けていただく事が先かと思う。猊下、よろしいでしょうか? 御身に関わることです。現状については私が先に報告を受けましょう」
大体のことは想像がつきますが、と将軍は言うとピアが何か言う前に屋敷の中に足を踏み入れた。
※※※
波の音を聞きながら、ピアはベッドに横たわっていた。
あの砂浜で目覚めた時、自分たちが遭難して丸一日がたっていたらしい。
ピアたち三人が波の中に消えた後、船は一旦エルツへと引き返した。あまりの悪天候に捜索すら行える状況でなかったからだ。
ピアたち三人の行方が分からないと聞き、領主は腰を抜かしたらしい。そして慌てて領主軍を動かした。その頃には天候は回復しつつあり、捜索が可能であると判断したのだ。
あの流れ着いた砂浜で見た多くの船はヴィルヘルムの持つ軍船で、ピアたちを探していたのかと納得した。
「神よ」
ピアは神に感謝の祈りを捧げた。
ピアとハムがバラバラに流されて行かぬよう縄で繋いでおいてくれたのは将軍だ。だがこのセイケ島へとたどり着かせてくれたのは神のご加護に他ならない。
勿論将軍にも心から感謝の言葉を伝えた。たとえ兄の配下であろうとも、彼がいなければピアはここにいない。
だがそこで気になったのはハムだ。
自分は何もできないと気に病んでいたハム。あれをどうしたものか、とピアは悩む。
彼は彼なりにピアに良くしてくれた。ピアのためにその身を海に投げ、果実を探してくれた。それだけでない。何かできることはないかと考えてくれていた。
ピアとしてはそれでじゅうぶんである。大切なのはその心だ。
しかしハムは己の不甲斐なさを嘆いている。
中途半端な慰めはきっとさらに傷つけることだろう、とピアは思った。
※※※
気づけば、目の前に婚約者であった皇太子が立っていた。
そんな馬鹿な、と一瞬思ったピアは思い直す。ここは夢だろう。あまりに疲れていたから考え事をしながら眠ってしまったに違いない。
その証拠にさっきまであれだけ聞こえていた波の音が聞こえない。
「殿下……」
何を言って良いか分からないが、黙っていると気まずい。ピアはひとまず彼に呼びかけてみた。
「やあ、ピア。久しぶりだね」
「ええ」
「遭難しかかったみたいだけど、無事で何より」
つい、殿下もお元気そうでと言いかけて口をつぐむ。どう考えても死者に対してかける言葉ではない。
「ありがとうございます。神のご加護をもちまして」
「神のご加護、か。それよりも前に助けてくれた、助けようとしてくれた人間に感謝したら?」
「もちろん感謝しております」
「本当かなぁ」
皇太子は面白そうに笑った。
ピアはなんとも言えない嫌な気分になる。事実感謝している。そしてその気持ちは伝えた。
助けてくれた者、助けようとしてくれた者、心配をかけた者たち全てに対して。
自分はそんな恩知らずでないし、神のご加護だけで生きていけていると思い込むほど愚か者でもないつもりだ。
「ふぅーん。ま……いいか。それにしてもピア、新しい婚約者(仮)は良い青年だね」
「ありがとうございます」
「でも気の毒だ」
「……何がでしょう?」
「君のような人間の夫となることがだよ」
いつものようにからかっているのか、と言い返そうとしてピアは凍りついた。
皇太子は笑ってなかった。いつも誰に対しても浮かべている穏やかな笑みはその顔にない。時折ピアに見せていたからかうような笑みもなかった。
あるのは無表情。美しいその顔には冷たさすら漂っている。
「つらいだろうね。彼は。教皇としての皇女としての君の夫としか、君からは見てもらえないんだから。ピア=セレネス=ティファレトの夫ではない。ただの都合の良い、教皇の夫、皇女の夫としての扱いだ。私と同じように、一人のただの人間に戻る瞬間は与えられない」
「そんなことは……」
「ないとは言わせないよ。事実、君はずっとそうだった。たとえ生まれながらに決められた婚約で、恋愛からのものでなかった婚約だとしても私は君と心通わせたかった。しかし君は違った。私のことを何も知ろうとせず、レナトゥス=ティファレトという一人の人間としてでなく、ティファレト帝国の皇太子としてしか私を見なかった。たしかに私はティファレト帝国の皇太子だった。だがそれは私という人間の一面でしかない。君はその私の一面以外の部分を全て切り捨てた」
ふとピアはかつて皇太子が夜会帰りに一度だけ打ち明けたことがある、彼の思想を思い出した。
もはや我々ティファレト帝家は役割を終えた。貴族も皇族も不要であり、民衆は己の知識と力を使い歩いていくべきだと。
ピアにとってはあまりに信じ難く、また受け入れ難い話であったため適当にながしてしまったあれ。もしかしたら皇太子が言っているのは、そのことかもしれない。
「殿下、もしかして以前に仰っていたあのお考え——我々が既にこの大陸にとって不要であるということについて仰っているのですか。私があなたの初めて打ち明けた思いを取り合わなかったことを……」
「君は人の心を理解できないんだな」
何か言おうと思うが言葉が出せない。
そうしている内にどんどん皇太子の姿が薄れていく。
「君は役割にしか生きていない」
「それだけならまだ良い、君の人生だから」
「しかし、君はそれを己の伴侶にも強要する」
「心殺して生きることを強いられる者の気持ちを少しは考えたほうが良い」
目の前が真っ白になる。
「神よ!」
思わず叫び、ピアは飛び起きた。
荒い息で周囲を見渡す。さっきまで考え事をしていた領主別邸の部屋だ。
窓の外はすっかり星空である。
ピアは頭を抱え項垂れた。
「猊下、何かございましたか?」
ピアの先ほどの叫びが聞こえたのだろう。将軍の声が聞こえた。
今ピアの部屋を守っているのは国軍の者たちだ。聖騎士の一人がピアを海へ放り込んだという一件もあり、取り調べがすむまで警護は国軍が行うと聞いたのは先ほどだ。
不本意ながらピアはそれに同意するほかなかった。
あの時は信じきっていた聖騎士にあんなことをされると思わず、反撃すらできなかった。だが最初から相手を信じられないのならば話は早い。もし警護をしているものが己に牙を剥けば、反撃するのみ。
最強の魔力の持ち主と呼ばれる自分である。真正面からピアと戦い勝てるものはまずいないだろう。
ピアは将軍の声を無視して、頭を抱えた。先ほどの皇太子の声が蘇る。
彼はずっとあんな風にピアのことを思っていたのだろうか。恨んでいたのだろうか。
そしてハムもいつか彼と同じような想いをピアに抱くようになるのだろうか。
ピアはもう一度、今度は小声で呟いた。
「神よ……」
「呼んだ?」
自分以外誰もいないはずの部屋、聞き覚えのある声がしてピアは弾かれたように顔を上げる。
夜目にも眩い金髪、真紅の瞳、美しい顔。
そこにいたのは今まさにピアが呼んだ神であった。
思わずピアの顔が引きつる。
確かに自分は神を呼んだ。だが何気ない一言である。ここには供物もなにもない。
なぜ神はここに現れてしまったのか。
「猊下、失礼いたします!」
「な……! す、少し待……」
返事をしなかったピアに焦れたのだろう。将軍が問答無用で入ってきた。ピアが制止しようとするも間に合わない。
踏み込んできた彼は神の姿を見て、目を見開いている。
それはそうだろう。誰かいるとも思えなかっただろうし、もしいたとしたら窓から侵入してきた賊である。だがここにいたのは賊でも何でもない。
神々しいばかりに美しい女である。
「あー、こ、こちらのお方はわたくしの……」
客人だ、と苦しげな言い訳を続けようとしたピアを神の白い手が制する。なんだろう、と思う間も無く神の手はピアの額に当てられた。
みるみるうちにピアの意識が遠のく。ピアはベッドに倒れ伏した。
将軍と神が何か話しているのを聞きながら、ピアの意識は途切れた。
※※※
はっとピアは目を覚ました。
どうやら先ほどのように悪夢を見ることはなかったらしい。傍らに将軍の姿があることに気づき、ピアは起き上がる。
そういえば神はどうしたのだろうか。なにか将軍と話していたような気がするが、まったく聞き取れなかったし、覚えてもいない。
「あの先ほどのお客様は?」
「え? あー、お帰りになりました」
「そうか……。そういえばあなたと何か話していたようだが、一体なにを話していた?」
「えっ? ああ、その……。そうだ、伝言を頼まれまして」
「伝言?」
思わぬ言葉にピアは身を乗り出す。
もしかしたら神は重大な用事があったのかもしれない。
自分を眠らせたことは腑に落ちないが、神の行動だ。なにか深いわけがあるのだろう。
「あのお方は何と?」
「はい。重大なことだから確実に頼む、と」
ピアは重々しく頷いた。
そんなピアとは対照的になんとも言えない表情を将軍は浮かべている。だが仕方ない。彼はあれが神だと知らぬのだから。
「ヤキソバの肉を増やすよう、仰っていました」
「は……? や、ヤキソバ?」
「はい。間も無く復活祭だから、と」
「た、確かにそうだが……。ヤキソバの肉……」
ピアはがくりと項垂れる。
復活祭では聖なる食べ物ヤキソバが神殿から民衆へと振舞われる。屋外で聖職者たちが調理したそれを求めて、民衆が列をなすのだ。
貴族たちは流石に列には並ばない。だがその日の晩餐はヤキソバを食べる。
身分の如何を問わず、信徒皆がヤキソバを食べ、神の復活を祝うのが復活祭なのだ。
項垂れていたピアはしかしと思い直す。せっかく神がお言葉を下さったのだ。今年は肉を増やし、喜んでもらおう。
復活祭までに兄との問題に片がつくと良いがと物思いに耽るピアに、将軍が静かに問いかけた。
「猊下、先ほどの叫んでおられたので外の者が心配をして私を呼びに参りました。あの女性のこと以外でなにかございましたか?」
何もない、と言いかけてピアは止めた。
いたずら心が湧き上がったのだ。
「皇太子殿下が夢にでてきた」
「皇太子殿下……」
そうだ、とピアは頷き先ほどの夢のことを語って聞かせた。
果たして兄の配下であるこの男はどんな反応をしめすだろうと思ったのだ。
将軍は難しい顔をしてピアの話を聞いていた。流石に帝室を否定する皇太子の思想まで話せないので、それについては伏せて一通り話を終える。
最後まで口を挟むことなく黙って聞いていた男が徐に口を開いた。
「猊下ご自身はどうお考えなのですか?」
「どうとは? 皇太子殿下の仰っていた言葉に対して?」
「はい」
「私は……。わたくしと皇太子殿下の間には燃え上がるような恋愛感情はありませんでした。ですが親愛の情はあった、と思っていました」
だからこそ、皇太子の言葉が衝撃であったのだ。
「猊下、愛にはいくつもの形があります。男女の愛、家族の愛……その愛の形も様々でしょう。猊下のおっしゃる親愛の情も一つの愛。ただ一つ言えることがあります。愛はあっても目には見えません。その想いを持ってるだけでは不十分なのです。相手にはっきりと分かるように伝えなけばなりません」
「なるほど……私の親愛の想いは皇太子殿下に伝わっていなかった、と」
「猊下、あくまでも夢のお話です。現実の皇太子殿下には別の想いがお有りだったとお考えになり、あまりお気に病みませぬよう」
「わかっている……」
ふとピアはハムのことを思い出した。
何の役にもたててないと気落ちしていたハム。
ピアの気持ちははっきりと上手く彼に伝わっていないのかもしれない。ハムは今回将軍と自分を比べ落ち込んでいたが、将軍が果たした役割は本来ハムがやる必要もない役割なのだ。しかし彼はそう思えないのだろう。
ピアは思わずため息をついた。
「男女……それも夫婦というのは難しいのだな」
「おっしゃる通りです、猊下。そもそも愛そのものが面倒臭いものです。夫婦はもっと面倒臭く、難しい。その分頑張りがいはありますが」
「ずいぶんと知ったような口をきくな、将軍」
「ええ。私は既婚者なので」
「はっ?」
思わぬ言葉にピアは驚きの声を上げる。
いま、この男は何と言った。既婚と言ったのか。
「嫁とはずいぶん長い間会ってませんが既婚ですよ」
あまりのことに言葉が出ない。
ピアはこの男も兄の勧める『婿候補の配下』の一人だと思い込んでいたのだ。
今更ながら自分の思い込みが恥ずかしい。こんなことならば、戴冠式の後、婿候補とやらを全員紹介してもらっておけばよかったと後悔する。
それと同時に少し腹が立ってきた。紛らわしい言動をとるなと言いたい。
いや、既婚者は全員リリスの輪をつけていれば良いのだと思う。
リリスの輪とは、妻が夫のために手ずから作った指輪のことだ。この男は私のものだと周囲に知らせるためにある指輪で、夫はそれを左手の薬指にはめる。原初の時から語り継がれ、存在する代物だ。
「それはそれは……」
「猊下もお心が落ち着きなさったようですので、私はここで失礼いたします」
「わかった」
「どうぞゆっくりお休みください」
将軍が静かに出て行くのを見送り、ピアは窓越しに夜空を見上げる。
今となっては皇太子が生前ピアのことをどう思っていたか分からない。もしかしたら夢で浴びせられた言葉のようなことを思われていたのかもしれないし、違うのかもしれない。
もはやそれを知る術はピアにはない。
ピアは遅くまで空を見上げ、心寄り添うことの意味を考え続けていた。




