猊下、島へ行く
ピアは自分に引き続き到着した将軍と共にイシュトヴァンの報告を聞いた。
どうやら聖騎士達は捕らえた売人から彼らの根城をなんとか聞き出したらしい。
「セイケ島?」
将軍は背後に立つ己の部下に命じて地図を広げさせる。
「セイケ島、セイケ島……。あ、こちらの島ですね」
将軍の指差すそこには、一つの島が描かれている。エルツからさほど離れていないところにあるそれはとても小さな島だ。
ピアは視線を地図からイシュトヴァンへ移す。この教区の支配者とも言える司教の彼ならば知っているだろう。
「非常に住人の少ない島です。確か百人も島民はおりません。ほぼ自給自足の生活をしており、年々島民は減る一方だとか。なお島のほぼ全周が岩の絶壁となっており、上陸可能な部分はわずかであると聞き及んでおります」
「なるほど。猊下如何なさいますか? 連中の根城に踏み込むべきだと思いますが、まず船が要りますね」
将軍に問いかけられ、ピアは曖昧に頷いた。
敵の根城がわかったのは良い。だが、その背後にいるかもしれない兄、その配下であるこの男を同行するのは躊躇われる。
余計な横槍が入れられなければ良いが、と思いつつ船の調達について提案した。
「船については問題ない。ここの領主ヴィルヘルムが全面的な協力を約束している」
海の貴族とも謳われたヴィルヘルムの家ならば素晴らしい軍船をいくつも所有している。それで島へと行けば良い。
「猊下も同行なさるのですか?」
「そのつもりだが、何か?」
ピアは鋭い視線で将軍を見据えた。
「いえ。先ほどイシュトヴァン司教がおっしゃっておりましたが、島のほぼ全周が岩の絶壁で上陸可能な場所は少ない、と。捕らえた者から聞き出した情報では奴らの根城は島中央部、この島唯一の村のほど近くにあるようです。唯一といえる港から距離があるのです。もちろん馬は連れて行きますが、道が悪く使えない可能性は否定できません」
「なるほど、歩きになるかもしれないということか」
思わずピアはため息をつく。
「おっしゃる通りです」
ピアは将軍の顔を見、そして己の背後に控える聖騎士ロンバートの顔を見た。
「お任せください」
ピアが何か言う前にロンバートは恭しく一礼する。ピアは満足気に頷いた。
これで良い。いざという時は彼がピアを背負って行くだろう。
魔力が最強と呼ばれる自分は賊との戦闘については不安はないが、島歩きするには体力に不安が残る。一応これでも由緒正しい姫君なのである。
かといってついて行かないという選択肢はない。目の前の男——将軍が何か怪しい行動を取った時、一番的確な対処を取れるのは自分だ。
そのような事を考えていたら、部屋の扉が叩かれた。イシュトヴァンがピアを見る。ピアが彼に頷き返す。
イシュトヴァンは扉の外にいる者に入室の許可を出した。
侍従が客人の到着を告げる。
「ベーレイニガン家、トラヴァル様、ローレンツ様ご到着でございます」
「お通ししなさい」
「かしこまりました」
今回謎の薬物ということで同行を依頼していた、帝国きっての薬学者トラヴァル=ベーレイニガンが甥のハムとともに入ってきた。トラヴァルはベーレイニガン家当主セルジュの異母弟である。
ハムも同行させたのは他でもない。彼の持つ植物学の知識が役に立つからかもしれないのと、ピアの目の届かない帝都に置いておくのが危ぶまれたからである。
細っそりとしたトラヴァルの後ろに丸々としたハムが続く。やはりおかしい。どう考えてもベーレイニガン家に肥満の要素はないのでないかとピアは疑問に思う。
これはどう考えてもハムの母親、かつての皇女であるベーレイニガン夫人のせいに他ならない。一度何故そんなに息子を太らせたのか聞くべきかと首をかしげた。
トラヴァルとハムは上流階級に相応しい美しい礼をすると、ピアに勧められた椅子にこしかけた。
当然と言うべきか、ピアにとってはやむを得ないというべきか、今回の捜査を指揮することになった将軍が後から来た二人にセイケ島への上陸作戦を説明している。ベーレイニガン家の彼ら二人の出番は根城にあるかもしれないその原料を手に入れてからが本番だ。勿論押収された薬物はすでにここにあるので、ピアたちが島に上陸している時にでも調べてもらう予定だ。
将軍の説明が一通り終わり、会議もお開きにしようかと思ったその時。思わぬ人物が発言を願い出た。
ハムである。
「ハ……、どうなさいました?」
「おそれながら、猊下。私もセイケ島へ同行させて頂けませんでしょうか?」
思いがけない言葉にピアは一瞬言葉を失う。
他の者も同意見だったのであろう。皆黙りこんでいる。
「厳しい環境の島だとは存じております。ですが私は領地では植物採集のため山歩きをすることもしばしばで、こう見えても体力には自信がございます。決して足手まといにはなりません」
「しかし、敵の根城へと向かうのです。危険があるかもしれません。何かあった時にベーレイニガン家当主にわたくしは説明が出来ませんよ」
「おそれながら、猊下」
「何か? 将軍」
「ローレンツ殿の身は我々国軍がお守りします。それにもしも、薬物の原料が島特有の植物であったならば、ローレンツ殿にご同行頂けたほうが、この問題の解決も早くなりましょう」
薬物の問題は犯人たちを捕まえて終わりではない。
中毒患者をなんとかしなければならないのだ。一人でも多くの中毒患者を救うことも課題である。
ピアに報告されている中毒症状は恐ろしいものだ。中毒が進めば進むほど体がどろどろと溶け崩壊していく、という。
ふと視線を感じ顔をあげれば、ハムがじっとピアを見つめていた。その瞳には断固たる決意が読み取れる。
これは断ることは無理だろう。
「わかりました。同行をゆるしましょう」
「ありがとうございます! 必ずお役に立ちます、猊下!」
子どものように顔を綻ばせ喜ぶハムを見ながらピアは思った。
万が一ハムが歩けないと言っても背負える騎士はいないだろう、と。だが折角だ。己の発言の責任は己でとってもらうべく、将軍にハムを背負わせるのも有りかもしれない。
※※※
領主ヴィルヘルムが瞬く間に軍船の準備をしてくれたお陰で、翌日にはセイケ島へと行けることになった。
しかし、当日。
「いやー、大荒れですねえ」
港で海を眺めながら将軍は苦笑いだ。ピアも同じように笑う他ない。
今日は朝から悪天候であった。当然海は大荒れだ。もちろん最新鋭の軍船であるから、この程度ものともしないだろう。
だが問題は乗る側にある。随伴の大半の者が内陸出身で、この荒れる海に漕ぎ出した船の揺れに耐えられるだろうか、と。
仕方なくピアはヴィルヘルムから兵を少し借りることにした。有事の際、船酔いで己と将軍が連れている者たちが武力としてものの役にもたたなかったら危ない。
ピアと幾人かの聖騎士は数年前、北大陸の三国連合軍と海上戦を繰り広げたこともあり、多少は揺れる船に免疫があった。ピアはそういえば三国連合の一つ、セフィーロ王国の現国王は元気だろうかと思った。
数年前のその戦争は当然ながら帝国の勝利で終わった。終戦後、戦勝国の使者としてかの国を訪れたピアは当時王太子であった現国王と親しくなった。一時期はよく手紙のやり取りをしていたくらいだ。
ふとピアは東大陸について何か情報を持ってないか彼に手紙をかこうと思いついた。セフィーロ王国の方が東大陸に距離的にも近い。北大陸では中堅といった規模の国だが、だからこそ情報を尋ねやすくもある。
「猊下、船へどうぞ」
聖騎士ロンバートに声をかけられピアは頷いた。
ピアに続く数人の聖騎士たちの背後にはハムの姿がある。
あいつは船酔いは大丈夫だろうか、と思いつつピアは船へと乗り込んだ。
※※※
一応乗船前に全員、セイレーン印の吐き気止めは飲んだ。だがこれはひどい。酷すぎる。
ピアは船室でぐったりと横になりながら思った。
最新鋭のこの軍船ならば間も無くセイケ島へ辿り着く。だがその僅かな時間すら辛い。
しかし皇女でもあり教皇でもある己だ。他の者の前で見苦しい姿は見せられない。
この悪天候の中、それでも出発すると決めたのは他ならぬピア本人だ。
たしかに安全性という点でも、今日の出発は問題があったかもしれない。だが一刻を争うのだ。
ピアが忙しい身というのもあったが、捕らえられた者が根城を吐いたと敵に知られれば、撤収されてしまう可能性があった。
兄の配下たる将軍がピアと同行している時点で、そういった考えさえ無駄かもしれない。だがまだ何も判明していないのだ。万が一にも、今回の一件が本当に兄とは無関係である可能性も考慮して行動しなくてはならない。
そういえば、とピアは船に乗る前、領主ヴィルヘルムから聞いたことを思い出した。不思議なことにこの薬を始めた途端、行方不明になった者も少なくないという。これについては謎だが、彼らは組織に連れ去られ、薬を与えられると引き換えに何か強制労働でもさせられている可能性がある。そういった者たちがセイケ島にいるのではないだろうか。
いろいろ考えているとまた吐き気がこみ上げてきた。気を紛らわせるため、ピアは水を呷った。清涼感のあるハーブが入った冷たい水だ。ほんの僅かだが、酔いが楽になった気がする。
その時、船室の扉が叩かれた。
誰かと問えば聖騎士の一人であった。報告があると言い、彼は言葉を続ける。
「おそれながら、猊下。海上に不審物を発見いたしましたので、ご報告にあがりました!」
不審物の一言にピアは飛び起きる。
ヴィルヘルムから借りた者を除けば、乗船した者の多くが船酔に苦しむ中だ。異常事態ならばなるべく早く片付けねばならない。
ピアは鏡を見て、髪を手早く整える。多少顔は青いが見苦しいほどではないだろう。
扉を開けば、扉の左右に控える騎士とは別の聖騎士が待っている。報告に来た騎士だ。
さほど長くはないが、仕えて短くもない中堅どころの騎士である。船酔に強いのか、顔色も悪くない。
「将軍には報告しましたか?」
「これから伺います」
「では、そちらのあなたは彼の言っていたことを将軍に伝言なさい。あなたは私とともに甲板へ来るように」
時間が惜しいので別の騎士に将軍への伝言を頼み、ピアは報告に来た者を連れて甲板へ向かう。甲板へ出る直前、ロンバートが背後から駆けてきた。
不審物の報告が行き届いたのだろう、船全体がバタバタと慌ただしくなっている。
波に揺れる中、転ばぬように騎士に支えられながら一歩一歩ピアは進んだ。
「猊下!」
呼びかけに振り向けば将軍だ。さらにその後ろにはハムの姿がある。
何故ハムまでここに来たのだろうとピアは少し腹が立った。丸々とした彼は少しの揺れで海に転げ落ちるかもしれないでないか。
やはり危機管理が足りない。
だが今はそんなことを言っている場合でない。
「不審物とは?」
「そうですね。あ、あちらに!」
呼びに来た聖騎士がピアを支えているのと逆側の手で、船の進行方向を指差す。
皆がその方向を見た、その僅かな瞬間のことだった。
突如ピアを浮遊感が襲った。
誰かに抱え上げられていると気づいたのは次の瞬間だ。慌てて己を抱え上げている者の顔を見れば、先ほどまでピアを支えていた聖騎士。
「猊下!」
「貴様、何をしている!」
おろせ、と言うよりも前にピアは荒れ狂う海へと投げ込まれていた。
溺れてしまう。こう見えてもピアは泳げない。泳いだことすらないのだ。
まさか自分の騎士がと悔しさに唇を噛みしめる。甲板の様子は分からないが既にあの騎士は捕縛されているだろう。いや、自ら命を絶っている可能性の方が高い。
一体いつから敵の手が伸びていたのか。今回の随行にはかなり気を配ったはずだ。あの男もあの男の家族も敬虔な信徒であったのに、これはどういったことだろう。
その時、顔が水につかぬよう必死にもがくピアの耳にハムの声が飛び込んできた。
「猊下ー!」
ピアのすぐ近くで盛大な水しぶきが上がる。驚いてそちらを見ればハムだ。
声だけでなく本人まで飛び込んで来たらしい。
もしかしてピアの懸念通り転がり落ちたのだろうか。だがハムは必死に叫ぶ。
「猊下、どうぞ私の身体を浮輪代わりにお使いください! 私の身体は脂身のかたまりにございます! どうか浮輪代わりに!」
お前何を言っていると言いかけてやめた。あまりにハムが必死の形相だからだ。
ピアは黙って彼の身体、本人いうところの浮輪代わりのそれに掴まる。だがこれも長くはもたぬだろう。
「猊下! ローレンツ様! おつかまりください!」
遥か上から二人を呼ぶ声が聞こえる。縄ばしごだろう、甲板から投げ込まれたがピアたちから遠くつかまれない。
船が遠い。自分たちは流されている。
「猊下、ローレンツ殿!」
二人を呼ぶ声の一瞬後に水しぶきがあがった。その方向を見る。飛び込んできたのは将軍だ。
彼は甲板から垂らされた縄を片手にピアたちへ近づいてくる。だが、それよりも早い速度でピアとハムは流されていた。どんどん船が遠ざかる。
その時、既に散々海水を飲み、冷たい水に体力を奪われていたピアと浮輪代わりのハムをひときわ大きな波が飲み込んだ。
冷たい水に沈みながらピアは意識を手放した。
※※※
暑い。背中が暑い。
ピアは思わず飛び起きた。次の瞬間、額を衝撃が襲う。
「な、いたっ」
思わず額を手で押さえ俯いた。
一体何があったのか分からない。
「も、申し訳ございません!」
ハムの声である。ピアは慌てて顔を上げた。見ればハムの額も赤い。
どうやらピアは寝ていて、ハムはそれをのぞきこんでいたらしい。そこで急にピアが飛び起きたものだから、額と額が激突したという訳だ。
「なぜ? ここは?」
私たちは波にのまれたはず、と言いながらピアは周囲を見渡す。こじんまりとした砂浜だ。目の前は青い海。遠くにいくつもの船が見えた。
「ここは……閣下が仰るには、我々が目指していたセイケ島だろう、と。かの島には僅かですが砂浜があるそうで、ここはその一つに違いないと」
閣下とは将軍のことだ。
「ここへは?」
「閣下が猊下と私が流されぬよう縄で繋ぎ止めていたら、いつの間にやらここに流れ着いたと仰っていましたが……。申し訳ございません。私も先ほど目覚め、閣下からお話を聞いたばかりなのです」
ピアは思わず空を仰いだ。
あの荒れ狂った天候が嘘のような晴れた空だ。濡れていたであろう服もすっかり乾いている。
まさか兄の配下に命を救われるとは思わなかった為、少し混乱している。
だがその肝心の将軍がその場にいないことに気づき、何故か項垂れているハムに問いかけた。
「ところで、その将軍は?」
「ここから島の中央部へ向かう道がないか見てくると仰って、あちらに。しばらくしたら戻るといっておられました」
ハムが指差した方をみれば砂浜の奥に狭く急な上り坂があった。
「猊下、喉が渇いていらっしゃいませんか?」
「そういえば……」
散々海水を飲んだせいだからだろう。喉はカラカラだ。
ハムは一つ頷くと、手に持っていた果実を差し出してきた。
「先ほど見つけました。これは食べられる実です。果樹園で作られたものではございませんので、甘みは少ないかと存じますが……」
「構わない。もらいましょう。ありがとう。喉が渇いていたから良かった」
さすが植物に詳しいだけある。ピアが目覚める前に食べられる物を探しておいてくれたらしい。
ピアは一瞬躊躇ったが、果実に齧り付く。剥いてもない、食べやすく切られてもない果実を食べるのは生まれて初めての経験だ。
だが飲み水が見つかるかも分からないこの場所で果物はありがたい。
ハムは小さく首を横に振った。やはり何か様子がおかしい。
元気がない、というべきだろうか。
「どうかしましたか?」
「いえ……。私は猊下のなんのお役にもたてず……。ただただ我が身を恥じ入るばかりです」
思いがけない言葉にピアは果実を食べるのを止め、ハムの顔を見た。彼は俯いており、ピアの顔を見ようともしない。
「猊下をお助けしようと海に飛び込んだものの、結局なんのお役もたてず……。それどころか閣下にご迷惑をおかけ致しました。そして今も、閣下は猊下が他の方々に合流できるよう動いていらっしゃるのに、私はここでじっとしている。その上猊下に果実を切って差し上げることすら出来ません」
「あなたはこの果実を探し出し、わたくしにくださった。それだけでじゅうぶんです」
その言葉にハムは益々小さくなった。一体なんだと言うのか。
「……この果実をとるのにも閣下のお手をお借りしています。その、あの、私ではあの木に登れませんので……」
ハムが指差した木を見る。確かに実がなっているのは低くはない場所だ。
ハムは深々とため息をついていた。
ピアが彼を慰める言葉を言おうとしたその時、背後から将軍の呼びかけが聞こえた。少し遠い。
振り返れば坂の上から将軍がおりてきている。どうやら見回りは済んで戻ってきたらしい。
坂を下り、砂浜を横切り、あっという間にピアたちの目の前に彼が戻ってくる。とてもあの冷たい海に浸かり、高波に流されたとは思えないしっかりとした足取りだ。やはり軍人だけあって体力が違うのだろう。
「猊下、お目覚めになられたのですね。お加減は如何ですか?」
「問題ない」
全身が痛く、かなり怠かったがそう答える。
将軍が軽く頷いた。
「島民に遭遇しました。あの坂をのぼり、ずっと歩いて行くと人里に通じるそうです」
「それは良かった」
「早速で申し訳ないのですが、出発いたしませんか?」
将軍の提案に頷きかけ、ピアは躊躇する。
本来ならばすぐさま出発すべきだ。海に落ちてどれ位の時がたったか分からないが、急ぐべきなのは確かなのだ。ピアたちの無事もしらせねばならない。賊の根城に踏み込むのも後回しにできない。
だが、この身体で歩いて人里まで辿り着けるかの不安があった。
すると逡巡するピアの前に将軍が跪いた。それも背中を向けて、だ。
「猊下、どうぞお乗りください。この先は急な坂がある上、道もあまり良くありません」
ピアは一瞬躊躇ったが、彼に背負われることを選んだ。
時間がもったいない。体力が回復するのを待つ余裕はなかった。
将軍はピアを背負い立ち上がる。そしてよろめくことすらなく、いつも通りの足取りで歩き始めた。その後ろをハムがついてくる気配がする。
大丈夫だろうか、と思ったが口に出すのはやめた。それを口にすればハムはきっともっと落ち込むことだろう。




