↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/51

第6話 切り捨てない獣医

ヴァルガルが、前に出た。


その歩みに、迷いはない。トキシードの前に立つ。


「首輪をつける」


「……自分から鎖に繋がれるとはな」


トキシードの視線が、足元の黒い首輪に落ちた。


ヴァルガルは、何も言わずにそれを拾い上げる。黒い金属。刻まれた魔法文字が、鈍く光っていた。


一瞬だけ、その爪が止まった。

だが、そのまま自らの首にはめた。


黒い魔力が弾け、一瞬でヴァルガルの体を覆い尽くす。


ヴァルガルの前脚が、石床へ沈んだ。

あの巨体が、首輪ひとつで押さえ込まれている。


「……実に理性的だ」


トキシードが、満足そうに言った。


「では約束通り、この女は解放してやろう」


指が鳴った。


台に刻まれた術式が、ひとつずつ光を失っていく。鎖の留め具が外れ、乾いた音を立てて床に落ちた。


リュシアが、台から降りる。


足元がわずかにふらついた。それでも、自分の足で立っていた。


……本当に、解いた。


拍子抜けするほど、あっさりと。


リュシアが、一歩ずつ確かめるようにこちらへ歩いてくる。ヴァルガルの前で足を止めると、首輪に押さえつけられた巨体を黙って見下ろした。


「……どうして、私なんかのために」


声が、少しだけ揺れていた。


「王が、自分から首輪をつけるなんて」


ヴァルガルは答えない。


リュシアが、小さく息を吐いた。


「……馬鹿ね」


「無事ならば、それでよい」


低く、穏やかな声だった。


リュシアが唇を噛み、目を伏せる。


俺は前へ出た。


「まず診せてくれ」


「……ええ」


リュシアが、こちらへ向き直った。


その間も、トキシードは動かなかった。


……おかしい。


リュシアは、あいつにとって貴重な研究材料のはずだ。ヴァルガルを首輪に繋いでまで手放したのに、止めようともしない。


追わない。口も挟まない。

ただ、見ている。


視線を向けると、トキシードは、わずかに口元を上げていた。

魔導レンズの奥の目が追っているのは、ヴァルガルでも俺でもない。


リュシアの足運び。呼吸。指先。


あれは、経過観察の目だ。

投薬したあと、反応が出るのを待つときの。


「……リュシア?」


足が、止まった。


肩が浅く上下している。呼吸が速い。指先も、小刻みに震え始めていた。


次の瞬間、膝が折れた。


「リュシア!」


駆け寄り、倒れかけた体を支える。


肌が冷たい。脈は速いのに弱く、乱れている。

瞳孔が開き、唇から血の色が抜けていく。


疲労じゃない。

出血でもない。


この症状は――。


「……毒だ」


顔を上げた。


「お前、いつ仕込んだ!? 約束が違うだろ!」


トキシードは、首を傾げた。


「約束?」


魔導レンズを指で押し上げる。


「私は彼女を解放したぞ」


「ふざけるな!」


「投与したのは、君たちが来る前だ。拘束術式が、薬剤の活性を抑えていただけでね」


「……何だと」


「術式を解除すれば、当然、毒性は戻る」


トキシードの視線は、まだリュシアから外れない。


「拘束術式下では、本来の薬効が正確に取れなくてね」


リュシアの呼吸を見ながら、静かに続けた。


「解除後、どの程度の速度で全身へ作用するのか。確認しておきたかった」


……こいつ。

リュシアを返したんじゃない。実験を再開しただけだ。


「私は何もしていない。君たちが、解放を選んだ結果だ」


「――貴様ァ……!」


ヴァルガルが、吠えた。

首輪が軋み、黒い魔力が食い込む。石が砕けた。


それでも、動けない。


「無駄だよ」


リュシアを観察しながら、トキシードが言う。


「首輪は、魔力を逆用して締まる構造だ」


「……ぁ……っ……!」


リュシアが小刻みに震え、絞り出すように息をしている。


迷っている時間はない。


「くーちゃん、いくぞ!」


「キャン!」


「……何をする気だ」


トキシードが、魔導レンズ越しに俺を見た。


「まさか、治すつもりか?」


口元が、ゆっくりと歪む。


「獣医風情が、私の毒をどうにかできるとでも?」


リュシアの呼吸が、さらに細くなる。床を掴む指が、白くなっていた。


「黙ってろ」


さっきのリュシアの声が、頭をよぎった。


――私を切り捨てて。


そんなこと、言うな。


「目の前の命を、切り捨てられるわけないだろ」


ポケットからボーロを出した。

くーちゃんがぱくりと食べる。


光った。


白い光が広がって、俺の全身を包んだ。

いつもより強い。胸の奥まで届くような、温かい光だった。


頭の奥に鋭い痺れが走り、視界が切り替わる。


黒い鎖が、見えた。


蛇のようにうねり、リュシアに噛みついている。

何本も、何重にも絡みつき、毒で歪んだ命を縛りつけている。


診るべき場所は、決まった。


「今、助けてやるからな」


最初の一本を、両手で掴む。


「処置する」


引きちぎる。


鎖が逃げようとした。

逃がさない。次。

牙を剥こうとした。構わない。


掴み、断ち切る。

一本ずつ、確実に。


「……は……っ……」


残り一本は太かった。

根が深く、命の中枢まで食い込んでいる。


これを外せば、戻る。


「これで、終わりだ!」


掴み、ねじ切った。


鎖が砕ける。

黒い破片が散り、光の粒子に変わって消えた。


静けさが、降りてきた。


リュシアの震えが止まり、呼吸がゆっくり戻っていく。


目が、開いた。

紅い瞳に、光が戻った。

それから、こちらを見た。


「……命が、戻ってきた」


リュシアの声は、掠れていた。

紅い瞳が、俺を見る。


「……馬鹿なの?」


低い声だった。


「あそこで私を捨てるのが、一番簡単だったでしょう」


「悪いが、そういう計算はしない」


リュシアは、何か言いかけて、口を閉じた。


「……あり得ない!」


トキシードの声が割り込んだ。


「私の毒が……消えた?」


一歩、後ずさる。


「患者を治した。それだけだ」


俺はリュシアを背にかばい、立ち上がった。


「命を素材にするお前の研究は、ここで終わりだ」


背後で、ヴァルガルの首輪が軋んだ。


トキシードの顔から、初めて笑みが消えていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


次回、毒の研究者をきちんと処置します。


続きも気になると思ってもらえたら、

★やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


くーちゃん「……次は、あの白衣を処置するワン」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。