第5話 切り捨てるダークエルフ
騒ぎで目が覚めた。
まだ暗い。夜明け前だ。
人狼たちがざわついている。戦闘の気配じゃない。それでも、空気は張りつめていた。
ヴァルガルの後を追うと、崩れた玉座のある広間に出た。爪痕の残る壁、焼け跡。かつてここが王の間だったことを、残骸だけが伝えている。
中央に、書き置きと魔導ディスクが置かれていた。
「入口の見張りが拾ったものだ」
ヴァルガルが低く言った。
『この女を助けたければ研究施設へ来い』
……嫌な予感しかしない。
ヴァルガルがディスクに触れると、映像が浮かんだ。
最初に目に入ったのは、拘束された手足だった。
両手首と足首。注入針。血の跡。
その中心に、女がいた。
黒い髪。褐色の肌。長い耳。目は閉じられている。
綺麗だった。
だからこそ、ひどかった。
映像の端から、トキシードが現れた。
「まだ壊してはいない。希少だからね」
女の方を見もせず、装置を確認している。
「ダークエルフの生体反応は珍しい。どこまで耐えるか、興味がある」
……ふざけやがって。
「助けたければ、日没までに来たまえ」
そこで、映像が途切れた。
「リュシア様を助けねば!」
ロッカが、縫ったばかりの後ろ足で立ち上がろうとする。
「立つな。傷が開く」
「でも、先生。俺は、あの方に逃がされたんです」
ロッカの爪が、石床を掴んだ。
「王が捕らわれた時、リュシア様は幻影で追手を引きつけ、足をやられた俺まで逃がしてくれた」
別の魔狼が、低く続ける。
「我々が生きているのは、あの方が代わりに捕らわれたからです」
ヴァルガルの爪が、石床へ深く食い込んだ。
「……我が不在の間、群れを繋いでくれていたか」
ゆっくりと顔を上げる。
「ならば、見捨てられぬ」
誰も異を唱えなかった。
罠だと分かっている。
残された時間も、半日もない。
それでも、群れを逃がすために捕まった者を、こちらが見捨てる理由にはならない。
「行こう。患者が待ってる」
「きゅーん」
くーちゃんが、不安そうに俺を見上げた。
しゃがんで、頭を一度だけ撫でる。
問題は、ボーロだった。
さっきの治療で最後の一粒を使った。
傷口なら縫える。だが、命を歪める黒い鎖は、くーちゃんの光がなければ見えない。
もしリュシアの命まで歪められていたら、今の俺には助けられない。
***
研究施設へ向かう通路で、ヴァルガルに聞いた。
「リュシアって、どんなやつなんだ?」
「……生き残りだ。絶滅寸前の、ダークエルフのな」
「ダークエルフ、か」
もう少しロマンのある種族じゃなかったか。
森とか、精霊とか、そういうやつ。
……現実は、実験施設送りか。
「人間に紛れて暮らし、我らに情報と物資を融通していた」
ヴァルガルの目が、わずかに細くなる。
「変装して配信者をしていた。本人は金のためだと言っていたが、稼ぎはほとんど薬と食料に消えていた」
……は?
絶滅寸前のダークエルフが、正体を隠して、人間の前で笑っていたのか。
不意に、くーちゃんが足を止めた。
通路の壁を嗅ぎ、石の隙間を前足でちょんちょんする。
「きゃん!」
隙間に手を入れると、小さな木箱に指先が触れた。
中には保存食と水袋。それから、小さな袋が一つ。
開けた瞬間、くーちゃんの耳がぴくりと動く。
……ボーロだ。
「リュシアの隠し物資だ」
ヴァルガルが言った。
「追われる者が、この通路を通った時に使えるよう置いていた」
袋を、そっと握る。
助けられる側になっても、誰かを助ける支度を残している。
「きゅーん」
くーちゃんが、得意げに尻尾を振った。
「見つけたのは偉い。でも、これは大事に使うやつだ」
使いどころを誤れば、それで終わりだ。
***
トキシードの研究施設が見えてきた。
警備の姿はない。
静かすぎる。
……罠の教科書に載ってそうなやつだ。
ヴァルガルは群れを振り返り、一体ずつ見渡した。
「ここから先は、我に任せよ」
真っ先に前へ出たのは、ロッカだった。
縫ったばかりの後ろ足を引きずり、まともに体重をかけられていない。
「俺もお供します、王!」
「リュシア様は、俺たちの恩人です!」
その声に続くように、傷ついた魔狼たちが一歩ずつ前へ出た。
ヴァルガルは、すぐには答えなかった。
命じて退かせることはできる。
だが、忠義を踏みにじれず、ヴァルガルは黙っていた。
なら、俺が言うしかない。
「ヴァルガルに任せよう」
ロッカたちの視線が集まる。
「弱いからじゃない。全員で罠にかかれば、リュシアを助ける手がなくなる」
一拍置く。
「……生きて待つのも、役目だ」
ロッカが、悔しそうに奥歯を噛んだ。魔狼たちも、口を閉ざす。
ヴァルガルが、静かに告げた。
「先生の判断に従え」
その一言で、群れは下がった。
「先生、群れを頼む」
ヴァルガルは施設へ向き直る。
「道は、我が開く」
その巨体が、施設へ踏み込んだ。
一拍遅れて、床の刻印が光った。遠くで魔法陣が起動する。
爆音。
炎と毒霧と電撃が、廊下を埋めた。
「ヴァルガル!」
返事の代わりに、咆哮が響いた。
「ガァァアアアアアッ!!」
炎が揺れ、毒霧が裂け、電撃が歪む。
その中心で、ヴァルガルの金色の瞳だけが、揺らがずに光っていた。
歩みは、止まらない。
……王すぎる。
「きゅーん!」
腕の中で、くーちゃんが鳴いた。
魔狼たちは息を詰めていた。爆音のたびに、体が揺れる。
限界が来たように、ロッカが叫んだ。
「ヴァルガル様!!」
全員が、それに続く。
「ヴァルガル様!!」「ヴァルガル様!!」
群れの声が響く。気持ちは分かる。俺も叫びたい。
やがて、静寂が戻った。
「突破した。先生、来い」
進んでいくと、廊下に罠の残骸が散らばっていた。焼け焦げた魔法陣。壁を走る爪痕。
腕の中で、くーちゃんが胸を張った。
「お前じゃない」
「きゅーん」
なぜか、得意げだった。
咆哮の余熱を背に感じながら、奥へ進む。
奥の部屋に、女がいた。
黒い髪が、床に流れている。長い耳。褐色の肌が光を吸っている。
あの映像のダークエルフ。
リュシアだ。
鎖で固定されていた。
その瞬間、目が開いた。
紅い瞳が、まっすぐこちらを射抜いた。
「遅い!」
「三時間待ったわ」
……この状況でそれを言えるのか。
ヴァルガルが、低く笑った。
「まあそう言うな。こちらも改造されていてな」
「……そう」
リュシアは目を細め、ヴァルガルを上から下まで眺める。
「無事そうね」
「……先生のおかげだ」
短いやり取りだ。それでも、この二人が長い時間をかけて積み上げたものが、なんとなく分かった。
リュシアの視線が、こちらへ向く。
一瞬だけ、目が合った。
鎖に繋がれたまま、ふっと、口元が緩む。
何か言いかけたその時、奥から声がした。
「来てくれたかね。我が研究所へ」
トキシードが、リュシアの前に割り込むように歩み出た。
白衣は新しい。昨日のことなど、記録から削除されたかのような顔。
「昨日の失態は、自分一人で処理しろと命じられていてね」
「……それで、こんな真似をしたのか」
「こんな真似?」
トキシードは本気で分からないように首を傾げた。
「昨日は面白いデータが取れた。検証実験をしなくてはいけないからね」
トキシードの指が、リュシアの肩に軽く触れた。
「まだ壊してはいない。素材は丁寧に扱う主義だ」
ヴァルガルが、低く唸り一歩踏み出す。
トキシードが手を上げた。
リュシアの腕に、細い注射器が当てられていた。中身は、黒紫の液体だ。
「動かない方がいい。これは魔力汚染型の強化版だ。注入すれば、魔力回路が焼き切れる」
「では、選べ」
「この女を解放するために、王がその首輪をつけるか」
注射器の先が、リュシアの肌に触れた。
「……それとも、女を見捨てて私を殺すか」
リュシアの目が、すっと冷えた。一瞬だけ、何かを手放したような表情がよぎる。
「……ここは切り捨てる判断が正解よ」
温度のない声だった。
「私一人のために王が首輪をつける合理性はない。助けに来てくれた、それで十分。私を切り捨てて」
こいつ、本気で言ってる。
泣いてもない。震えてもない。
自分の命を、駒として計算してる。
こんな状況で、そんな顔ができるのか。
「黙っていろ」
ヴァルガルが、静かに言い切った。
リュシアが、口を閉じた。何か言いかけて、止めた。
あの首輪には、何か仕掛けがある。従えば、取り返しがつかない。
ヴァルガルが、一歩前に出た。
「……首輪をつけよう」
その選択に、誰もが息を飲んだ。
トキシードの口元が、ゆっくりと歪む。
ポケットの中のボーロを、静かに握り締めた。




