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第37話 その余計な一粒が、未来になった

王蜜補助機・試作版は、失敗した。


俺たちは一度、ボーロ工房横の休憩スペースに戻った。

花洞窟の重い空気を引きずったまま、誰もすぐには口を開かなかった。


トキシードは、壊れた補助機を机に置き、ずっと睨んでいる。

いつもの嫌味もない。それが、かえって不気味だった。


「負荷が逃げていない」


ようやく、トキシードが言った。


「流れが尖って、女王の蜜脈へ跳ね返る。あれでは補助ではない。傷口を増やすだけだ」


「何が足りない?」


「緩衝材だ。負荷を受けて、暴れず、流れを丸めるものがいる」


「何かアテはあるのか?」


「あるなら、とっくに試している」


トキシードの声に、いつもの余裕はなかった。


カゲツが手帳をめくる。


「緩衝材……鉱石、薬草、魔獣素材。思いつく限りでは、硬すぎるか、流れを止める」


リュシアも資料を見ていた。


「掲示板にも前例はないわ。王蜜補助機なんてもの自体、誰も作っていないもの」


「あの……」


ミルナが、小さな盆を持ってきた。


月灯草茶。

それから、焼きたての神獣ボーロ。


「少し、休まれた方が……」


「今は、のんびり茶を飲んでいる場合ではない」


「でも、焦げた匂いがします」


トキシードが、ぴたりと止まった。


「……補助機の話か?」


「いえ。頭の方です」


カゲツが笑いを噛み殺した。


「……頭脳に刺激を入れるだけだ」


トキシードは、渋々カップを取った。


その時だった。


「この選ばれし水守り(みずにえらばれてない)、清泉村より参上した!」


休憩スペースの入口に、泥を落としきれていない男が立っていた。


「……今度は何だ」


カゲツが頭を押さえた。


「正式な書状を届けに来たのである! あと、清泉水の追加分と、ニナ殿から神獣様への礼状もある!」


バルグレイの視線が、机の上の神獣ボーロに止まった。


「ところで、その神獣菓子(たぶんうまい)は食べぬのか?」


「今はそれどころじゃない」


「ならば、我が身をもって味見役(ただのつまみ食い)を務めよう」


「食べるな」


「遠慮は無用である」


「こっちが止めてるんだよ」


バルグレイが神獣ボーロに手を伸ばした、その時。


くーちゃんが、机の下から顔を出して鋭く鳴いた。


「きゃん!」


「あ、いえ、神獣様。これは献上前の確認でして——」


バルグレイが姿勢を崩した。

その拍子に、肘がカップに当たった。


「ぬおっ、我が水流操作(ただの肘)が!」


カップが傾く。

皿のボーロが跳ねる。


白い粒が、壊れた王蜜補助機の器へ落ちた。


「何をしている!」


トキシードが怒鳴りかけて、止まった。


壊れた補助機の器。

そこに落ちた神獣ボーロが、清泉水を吸って、淡く白くほどけていた。


金色の残光が、暴れずに丸く沈んでいる。


「……待て」


トキシードの声が変わった。


「王蜜の流れが、尖っていない」


壊れた補助機を掴む。

その指が、かすかに震えていた。


「……は」


笑った。


「はは……ははは」


低い笑いだった。

嬉しそうというより、答えを見つけてしまった人間の笑いだった。


カゲツが、一歩引いた。


「先生。あれ、壊れたか?」


「補助機は壊れてるな」


「いや、本人の方だ」


「元からだろ」


「聞こえているぞ、君たち」


トキシードは、目だけを補助機から離さなかった。


「緩衝材だ。神獣ボーロが、尖った王蜜の負荷を受け止めている」


***


アウレリアの巣房に戻った。


羽音は前より少なく、蜜の香りも薄い。

巣房全体が、息を潜めているようだった。


女王アウレリアは、白く透けた翅を伏せて横たわっていた。


フィーネが、そっと声をかける。


「女王様……先生方が戻られました」


少し遅れて、アウレリアのまぶたが震えた。


「……戻って、くださったのですね」


声は穏やかだった。


「待たせた」


「いいえ。待つことには、慣れています」


アウレリアは、かすかに笑おうとした。


だが、トキシードが遮った。


「会話は後だ」


冷たい声だった。


でも、その手はもう作業台へ伸びていた。

作り直した王蜜補助機を取り、清泉水の量を確かめ、神獣ボーロの粉を器へ落とす。


「君が美しいことを言うたびに、時間が減る。黙って呼吸しろ」


アウレリアが、少しだけ目を細めた。


「……はい」


トキシードは答えなかった。

ただ、処置を始めた。


「今回は、神獣ボーロを安定材に使う。王蜜補助機は機能するはずだ」


「では、女王様は……」


「救えるとは言っていない。負荷を逃がせる可能性が出ただけだ」


フィーネが唇を噛む。

アウレリアは、静かに目を伏せていた。


トキシードが俺を見た。


「あの力を使え」


「くーちゃんの光か」


「そうだ。君は命の限界を見ろ。私は巣と補助機の流れを見る」


トキシードの指が、王蜜補助機に触れた。


「失敗は許されん。女王の負荷が跳ねた瞬間、君が止めろ」


「……分かった」


俺は、くーちゃんの前にボーロを差し出した。


「くーちゃん、いくぞ」


「きゃん!」


俺が差し出したボーロを、くーちゃんがぱくりと食べた。


白い光が広がる。


視界が切り替わった。


黒い鎖はない。

代わりに、女王の胸から巣全体へ伸びる、細い金色の糸が見えた。


王蜜を作るたびに削れていく、命の糸。


「黒い歪みはない。蜜脈が細い」


「予想通りだ」


トキシードが、王蜜補助機を手に取った。


「起動する」


細い管が、巣房の壁へ差し込まれる。


アウレリアが、小さく息を呑んだ。

フィーネが、祈るように両手を握る。


王蜜補助機が、ゆっくりと脈打ち始めた。


金色の糸が揺れる。


女王から巣へ、巣から補助機へ。

王蜜の流れが、細い光となって器へ入っていく。


前回は、ここで崩れた。


「負荷、上がってる」


「まだだ」


トキシードの声は低かった。


俺は管に手を添えた。

少しでも跳ねたら、すぐ抜く。


金色の流れが、器の中心で震えた。


まずい。

前と同じだ。


刺のように尖った光が、女王の蜜脈へ戻ろうとする。


「待て、戻るな……!」


トキシードの指が、補助機へ伸びる。


その瞬間。


「きゅーーーーん!」


くーちゃんが鳴いた。


いつもの鳴き声より、長く、強く。


白い光が、一気に広がった。


その光が、フィーネを包んだ。


「……女王様」


フィーネが、祈るように両手を握る。


胸元から、淡い金色の光がこぼれた。


魔力ではない。術式でもない。

ただ、女王に生きてほしいという願いだった。


その光が、王蜜補助機へ流れ込む。

器の中で、神獣ボーロの粉に触れた。


白い粉が、淡くほどける。


フィーネの祈りを受け止めるように、金色の流れを包み込んだ。


刺のように尖っていた光が、少しずつ丸くなる。

女王へ戻ろうとしていた負荷が、白い光の中でほどけていく。


「……奇跡だ」


トキシードの声が、かすかに震えた。


「いや、違う。今のは撤回する。奇跡ではない。現象だ」


「だが……受け止めている」


神獣ボーロの粉末が、王蜜の流れに溶け込んでいく。

女王の蜜脈の震えが落ち着いていく。


最初に変わったのは、香りだった。

薄かった蜜の匂いが、少しだけ戻った。


次に、翅。

透けるように白かったアウレリアの翅に、淡い琥珀色が差した。


フィーネが気づいた。


「女王様……色が……」


声が震えていた。


アウレリアが、ゆっくりと目を開ける。

さっきより、瞳の色が濃かった。


「……息が、できます」


その一言で、フィーネの目に涙が浮かんだ。


「女王様……!」


「泣くな。まだ早い」


トキシードが、低く遮った。


「死期が少し遠のいただけだ。次代女王が育つまで持つ可能性が出た。それだけだ」


冷たい言い方だった。


けれど、トキシードの視線はアウレリアの翅と呼吸から離れない。

指先はまだ、王蜜補助機の脈を確かめている。


……言い方は最悪だ。

でも、誰よりもちゃんと見ていた。


アウレリアは、静かに笑った。


「それでも、私は次の花を見られそうです」


「……花を見るための装置ではない」


「トキシード様!」


フィーネが飛びついた。


「なっ——」


トキシードの声が裏返った。


「離れろ。私は毒の研究者だぞ!」


「知っています! でも、女王様を助けてくださいました!」


「助けたのではない。延命だ」


「それでも、女王様は息が楽になりました!」


トキシードは、何も言えなかった。


「きゅーん」


くーちゃんが、小さく鳴いた。


その声で、フィーネの涙がこぼれた。

トキシードは目をそらしたまま、白衣を掴む小さな手を振りほどかなかった。


***


戻った羽音を聞きながら、俺たちは巣房を出ようとした。


その時、アウレリアが小さな蜜蝋の器を差し出した。

中に、金色の雫が一滴だけあった。


「これは、命を削った蜜ではありません」


アウレリアが言った。


「今日、少しだけ余った未来です」


くーちゃんが、小さく尻尾を振った。


「きゅーん」


その一滴は、甘い香りがした。


命を削った蜜ではない。

次へつながった、未来の匂いだった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


王蜜補助機、ひとまず成功です。

女王アウレリアに、少しだけ未来が戻りました。


命を削った蜜ではなく、今日、少しだけ余った未来。

この一滴を受け取れたことが、今回の救いでした。


次回は、その一滴の蜜を使って、

神獣ボーロを一つ星の先へ進めます。


命を削らない。

誰かの未来を、少しだけ次へつなぐ。

そんなもふもふ領地を、これからも見守ってもらえたら嬉しいです。


くーちゃん「……未来のボーロ、作るワン」

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