第23話 神獣様、畑で寝たら芽が出た
ボーロ工房の壁に、いつの間にか小さな木板が掛けられていた。
『もふもふボード』
ミルナの丸い字で、そう書かれている。
その下には、今日必要なもの。
【不足】
・小麦粉
・蜂蜜
・清い水
・神獣様用ボーロ たくさん
「最後だけ雑だな」
「きゅーん」
「くーちゃんが要求したのか?」
ミルナが、申し訳なさそうに耳を伏せた。
「神獣様が、じっと見ておられたので……」
領地運営に、おやつ要求を混ぜるな。
その木板の前には、朝から自然と誰かが集まっていた。
ミルナは粉袋を抱え、ガルド爺は残った蜂蜜の壺を睨んでいる。ヴァルフェリアは試食待ち。くーちゃんは専用席で、当然のように尻尾を振っていた。
そこへ、カゲツが手帳を持って入ってくる。
「……盛況だな」
「領地の中心が犬のおやつ工房になりつつある」
「悪くない。人が集まる場所は、商売の始まりだ」
続いて、リュシアが配信端末を片手に入ってきた。
「物語の始まりでもあるわね」
「配信するなよ?」
「まだ何も言ってないわ」
「顔が言ってる」
そんなふうに、ボーロ工房は少しずつ、この領地の心臓みたいになり始めていた。
ただし、心臓を動かすにも材料がいる。
作業台に並ぶのは、昨日より明らかに減った小麦粉の袋。蜂蜜の壺は、底が見え始めている。
ガルド爺が袋を持ち上げ、渋い顔をした。
「……全部足りん」
カゲツが手帳を開いた。
「今の消費ペースで試作を続けるなら、小麦は三日、蜂蜜は十日で尽きる」
「減りが早すぎる」
「試食係が二名いるからな」
カゲツの視線が、ヴァルフェリアとくーちゃんへ向いた。
「品質確認は必要でしょう」
「きゃん」
「胃袋で確認するな。二名とも」
俺は残った小麦粉の袋を見た。
「足りないなら、またカゲツに頼んで買えばいいんじゃないか?」
言った瞬間、カゲツが手帳を閉じた。
「先生。買えば済むと思ってるなら、甘いぞ」
「え、買えないのか?」
「アイズが本気で動けば、外の流通は止まる。危険な魔物領地に物資を売った商人は、王国に睨まれる。そういう空気を作られたら終わりだ」
リュシアが配信端末を見ながら言った。
「少しずつ噂は流れているわ。もふもふ領地は、魔物を集めて兵糧を蓄えている、って」
「畑もないのに兵糧扱いか」
俺は工房の外を見た。
焼け跡。汚染された土。かつて魔狼たちの領地だった場所が、黒く沈んでいた。
……なら、作るしかない。
くーちゃんを見た。
「次は、畑だ」
***
外へ出た。
拠点の外側にある平地を、畑の候補地にした。
話を聞きつけた魔狼たちが、さっそく張り切っている。
若い一体が爪で地面を掘る。一撃で土がえぐれる。別の一体が岩を砕く。
ヴァルフェリアが腕まくりをした。
「私がやれば早い」
「待て!」
「満腹ではないから、山までは抜けない」
……山? どういうことだ?
「畑を作るんだ。クレーターを作るんじゃない」
ガルド爺が鼻を鳴らした。
「若いのは力で何でも済ませようとする」
「爺さんも魔狼だろ」
「年を取ると、爪より火加減を信じるようになる」
俺はしゃがんで、土を手に取った。
土が、死にかけている。
黒く固まっている。一部は乾きすぎ、一部はぬかるんでいる。種をまいても根が張れそうにない。
「これは無理だ」
「育ちませんか?」
ミルナが不安そうに聞いた。
「このままならな。根を張る前に、種の方が負ける」
その時、くーちゃんが一角に歩いていった。
鼻をひくひく。
前脚で、黒く固まった土をちょんちょんと叩く。
「きゅ……」
土の下で、何かが小さく震えた。
俺が手で掘り返すと、黒く濁ったスライムが出てきた。
ぷるんとしない。べたっとして、動けない。
ミルナが息を呑んだ。
「土壌スライムです。本来は、土を食べて綺麗にしてくれる子たちです。でもこんな色は、見たことありません」
俺は、動けないスライムを見た。
黒く濁った体。薬品の臭い。核が、細かく震えていた。
「……患者か」
「やるぞ、くーちゃん」
昨日焼いた、改良版ボーロの欠片を差し出した。
くーちゃんがぱくりと食べる。
白い光が広がった。
視界が切り替わる。
スライムの核に、黒い鎖が絡みついていた。土の汚れを食べすぎて、自分の中に溜め込んでいる。
土を綺麗にするはずの命が、先に壊れている。
――診断完了。
「処置する」
黒い鎖を掴んだ。
引き千切る。
一匹目が、黒から土色に戻った。ぷるん、と震える。
続けて二匹、三匹。
「先生、顔色が悪いわ」
リュシアが止めた。
「あと少しだけ」
くーちゃんも光り続けている。耳が少し下がってきた。
最後の鎖を断った。
治療されたスライムたちが、一斉に動き出す。ぷるん。ぷるぷる。
土を食べ始める。
黒い汚染を吸い、柔らかい茶色の土を出していく。
湿った土の匂いが戻ってくる。
ガルド爺が土を手に取った。
匂いを嗅いで、指で崩す。
「悪くない」
「分かるのか?」
「保存食も畑も、まず土と火だ」
カゲツが影を広げて、種袋を取り出した。
「試しに使えるものはある。早生小麦だ。早く育つが、味は悪い」
「カゲツ、売れ残りを持ってきたな」
「現実的な物資調達と言ってくれ」
「まずは、ここだけ試してみよう」
種まきが始まった。
戦闘組は雑だった。
爪が強すぎて穴が深すぎる。
「踏むな! そこは種をまいた場所だ!」
ガルド爺が怒った。
一方でミルナたち非戦闘員は丁寧だった。種を一定間隔で置く。土を薄くかぶせる。水を少しだけやる。
戦場では後ろにいた者たちが、畑では前にいた。
「こういうことなら、私にもできます」
ミルナが小さく言った。
「ああ。助かる」
ミルナの尻尾が、少しだけ揺れた。
種まきが終わる頃には、俺の足も少しふらついていた。
土壌スライムを何匹も診たせいだろう。くーちゃんも、さっきから耳が少し下がっている。
「……今日は、ここまでだな」
そう言ったつもりだった。
でも、次の瞬間には、畑の端に座り込んでいた。
「少しだけ……休む」
くーちゃんが、てちてちと近づいてきた。
俺の隣にぺたんと伏せる。体を寄せてくる。
「……お前も、疲れたよな」
「きゅ……」
そのまま、二人とも眠ってしまった。
***
翌朝。
最初に感じたのは、土の匂いだった。
それから、くーちゃんの温かさ。
目を開けた。
緑、があった。
周囲に、小麦の芽が出ていた。
特に、俺とくーちゃんが眠っていた周辺だけ、明らかに成長が早い。
「……農業って、こういうものだったか」
「先生と神獣様が、畑を温めてくださったんです」
ミルナが、目を輝かせて言った。
俺、肥料じゃないんだが。
くーちゃんは麦の芽に囲まれて、なぜか満足そうにしていた。
畑の主みたいな顔だった。
「きゅーん」
ヴァルフェリアが真顔で言った。
「豊作の神獣」
勝手に称号を増やすな。
魔狼たちが、芽吹いた畑を見つめていた。
昨日まで黒く沈んでいた土に、緑が出ている。たったそれだけのことなのに、誰もすぐには喋らなかった。
ガルド爺が、土を手に取った。
匂いを嗅ぎ、指で崩す。
「……悪くない」
ミルナの尻尾が、ふわりと揺れた。
「育ったんですね」
「ああ」
俺は、芽吹いた小麦を見た。
まだ、小さな試験区画だ。領地全員を食わせるには足りない。畑と呼ぶにも、たぶん早い。
でも、死んでいた土から、緑が出た。
それだけで、十分だった。
くーちゃんが、麦の芽の間をてちてち歩く。
小さな前足が、柔らかい土に跡を残した。
この領地に、最初の畑ができた。
俺は、少しだけ笑った。
「……まずは、一歩だな」
「きゅーん」
豊作の神獣は、満足そうに尻尾を振った。
次回。
ボーロ作りに必要な、清い水を求めて清泉村へ向かいます。
ただし、道中にはブラックドラゴン。
そして、こちらには腹ペコ姫ヴァルフェリア。
神獣ボーロを一口食べた姫様が、
とんでもない必殺技を出します。
くーちゃん「……ボーロ、すごいワン」




