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第16話 最高傑作、解体される

蝶番が弾け飛んだ。


巨大な前脚に続き、残りの体が扉の奥から引きずり出されてくる。


前脚は、狼だった。

翼は、何かの鳥だった。

胴体は、分からなかった。分類のしようがなかった。


いくつもの命を、部品のように一つへ縫い合わせている。


「……なんだ、あれは」


魔狼の一体が、低く唸った。声に、怯えが滲んでいる。


くーちゃんが、俺の腕の中で震えていた。

カゲツは無言で、胃のあたりを押さえた。

リュシアも石柱に手をつき、紅い瞳を揺らしていた。


「……聞いたことがあるわ。ヴィタリス家の合成魔獣研究」


声が、そこで途切れた。


バルコニーから、サディウスの声が降ってくる。


「連鎖融合体(チェイン・キメラ)」


「私の最高傑作だ」


キメラが、咆哮した。


空気が歪み、石畳にひびが走る。

魔狼たちが、揃って身を低くした。


古参の魔狼――ロウガが、顔を上げる。


「……ヴァルフェリア様は、逃げ延びられたか」


「ああ」


「ならば」


ロウガが立ち上がる。

足が、震えていた。それでも、前を向く。


「時間を稼ぐ。それだけでいい」


隣の魔狼と、視線が交わる。


「姫のために」


二体が左右に分かれ、駆け出す。


爪がキメラの前脚を裂き、牙が腐った肉に食い込んだ。だが、裂けた肉の端から、別の肉が盛り上がって傷を埋めていく。


……効いていない。

いや、効いた端から繋ぎ直されている。


俺は、くーちゃんを石舞台へ下ろした。

ボーロを差し出す。


「頼む」


くーちゃんが食べた。


光った。


視界が変わる。

鎖が見えた。


一本じゃない。

何十本もの黒い鎖が、継ぎ合わされた肉の間に張り巡らされている。


縦に。

横に。

斜めに。

網のように絡み合っていた。


一本を掴み、引き千切る。

また一本。


いける。そう思った。


だが、崩れた肉が持ち上がる。

別の場所から、繋がっていく。


再生が速すぎる。


「その光は、魔狼王の時に見た。歪めた命を戻す力だろう」


サディウスが、薄く笑う。


「だから、対策した」


キメラの肉が、どくん、と脈打った。


「さあ、治してみろ。治せば治すほど、この子は完成する!」


キメラの側面から、太い触手が伸びた。


「散れ!」


カゲツが叫ぶ。


魔狼たちが左右に跳ぶ。

だが、ロウガだけが遅れた。


「ロウガ!」


魔狼の一体が叫ぶ。


触手が、ロウガの胴を巻き取る。

そのまま石壁に叩きつけた。鈍い音が響く。


「ぐ、あ……!」


それだけでは終わらなかった。


触手の表面が裂けた。

中から細い肉の糸が伸び、ロウガの胸へ食い込んでいく。


……取り込む気だ。


観客席から悲鳴が上がった。


別の触手が、逃げ遅れた貴族を引きずっていく。

石舞台の影に、その体が飲み込まれた。


その瞬間、キメラの肉が膨れた。

触手が増え、再生の速度が跳ね上がる。


サディウスが、楽しそうに手を叩く。


「素晴らしい。もっと取り込むのだ!」


ロウガの体が、ずるりと触手に沈みかけた。


「姫を逃がした忠臣か。いい素材になるだろう」


ロウガが、血を吐きながら牙を剥く。


「先生……構うな」


震える声だった。


「我はいい。姫を……」


「よくない!」


俺は叫んでいた。


「ここで誰かを切り捨てるなら、俺が来た意味がない!」


カゲツと目が合う。


「先生、まずい」


さっきまでの軽さはなかった。


「切るそばから縫い直されてる。ロウガまで取り込まれたら、もう間に合わねえ」


「どうすればいい」


「俺に聞くな。命の専門家は先生だろ」


カゲツの視線が、キメラから俺へ移った。


「時間は俺が作る。答えはそっちで見つけろ」


足元の影が、ざわりと広がる。


「……親父ほど長くはもたねえ」


カゲツが、口元をわずかに上げた。


「だが、先生が答えを出すまでなら――持たせてみせる」


「《影そよぎ・乱舞》」


影が、石畳の上を走った。

黒い線が蜘蛛の巣のように枝分かれし、伸びてくる触手の影へ次々と絡みつく。


俺に向かっていた触手の軌道が、ほんの数センチずれた。

触手が、頬をかすめて通り過ぎる。


「今だ、先生!」


俺は、キメラに向かって走り出す。


背後から、リュシアの声が飛んだ。


「余計なものは、私が隠す。悲鳴も、観客も」


観客席を覆っていた黒い蝶が舞い上がり、俺の周囲へ集まった。


「先生は、あれだけを見て」


闇が視界を塗り替えた。

悲鳴も、観客も、割れた石柱も沈んでいく。


闇の中で、キメラだけが浮かび上がる。


鎖は、全部見えていた。


だが、多すぎる。

どれを切っても、別の鎖が伸びる。

外側を断っても、奥から縫い直される。


切るほど、絡み合う。

切るほど、キメラは歪んでいく。


「さあ、どうした」


サディウスの声が、闇の外から落ちてきた。


「いくら切っても、別の肉がすぐに繋ぎ直す。その再生より速く、すべてを切れるか?」


指先が、止まりかけた。


くーちゃんが、俺の腕を前足で叩いた。


「きゅっ」


くーちゃんの鼻先は、ロウガへ伸びた肉の糸を越え、その奥を向いていた。


違う。


速さじゃない。


肉の奥。


何本もの鎖が交差する場所。

その中で一本だけ、鼓動みたいに震えている。


……そこか。


再接続の起点。


震えている一本だけを狙う。


「処置する」


掴んだ。

断ち切った。


「ァ、ガ……ア……ッ!」


キメラの喉から、潰れた声が漏れる。


ロウガを飲み込みかけていた触手が、びくんと跳ねる。

胸へ食い込んでいた肉の糸が、一本外れた。


くーちゃんが、俺の腕を叩いた。


「きゅっ……!」


左下。

細い鎖が三本重なり、その奥で一本だけ黒く脈打っている。


掴む。

断つ。


「グ、ギィ……ッ!」


翼が裂けるように落ちた。羽根だったものが、石畳にぼろぼろと散る。

それでも再生しない。縫い直されない。


ロウガを締めていた触手が、わずかに緩んだ。


「先生、止まるな!」


カゲツの声が飛ぶ。


リュシアの闇が、キメラの複数の目を覆った。


「先生、今!」


腹の奥が、見えた。

まだ生きている命に絡んだ、細い鎖。その根元で、一つだけ黒い結び目が震えている。


掴む。


「ギャ、ァ……!」


断つ。


キメラの胴が大きく傾いた。肉が剥がれ、縫い目が裂ける。


右上。

左奥。

背骨の影。


くーちゃんが示すたび、俺は断った。鳴き声より先に、手が動いていた。


次の鎖が見えるより先に、手が動いた。


どこを断てば再生が止まるのか、もう分かる。


もっと速く。

もっと正確に。


気持ちよかった。


――違う。


これは、気持ちよさを覚えていいものじゃない。


分かっているのに、手が止まらなかった。


キメラが崩れていく。


肉が剥がれ、触手が萎える。

ロウガを縛っていた触手が、ついに千切れた。

魔狼が走り込み、ロウガの体を引きずり出す。


魔狼が叫んだ。


「先生、生きてる!」


だが俺の手は、もう次の鎖へ伸びていた。


黒い網の中心に、大きな鎖が一本あった。


コアだ。


全部の鎖の根っこ。命そのものを、無理やり束ねている鎖。


それを掴んだ。


鎖も、その奥にあるものも、まとめて引き千切ろうとした。


「キャン!」


今までで一番強い声だった。


視界が、揺れた。


白く開ききっていた世界に、音が戻ってくる。


肉の崩れる音。

石畳を踏む自分の足音。

くーちゃんの震える息。


腕の中で、くーちゃんが震えていた。耳を伏せて、必死に俺を見つめている。


キメラは、もう原形を留めていなかった。


……俺が、ここまでやったのか。


鎖の奥に、何かがいた。


小さな生き物だった。


何重にも肉を縫い足され、元の形はほとんど残っていない。

それでも、小さな胸がかすかに動いていた。


……生きてる。


膝をついた。


「……痛かったよな。ごめんな」


コアの太い鎖を、両手で掴む。


壊すんじゃない。

この命を縛っているものだけを、断つ。


「もう大丈夫だ」


力を込めた。


「処置する」


断ち切った。


鎖が、弾けた。

黒い粒子が、霧のように散る。

縫い足されていた肉が、力を失って崩れていく。


その中心に、小さな生き物だけが残った。


俺は、くーちゃんを地面に下ろした。


くーちゃんが、その小さな胸へ鼻先を寄せる。


「きゅ」


胸が、かすかに上下した。


……生きてる。


ロウガも、仲間に支えられながら顔を上げていた。まだ立てない。それでも、生きていた。


バルコニーで、音がした。


サディウスが、後ずさる。手すりに、指をかけた。


「……馬鹿な」


声が震えていた。


「連鎖融合体が……解体された? 命が戻っただと?」


膝が折れた。


「私の……最高傑作が……」


その最高傑作は、もうどこにもなかった。


地面に横たわっているのは、切り刻まれた素材ではない。

縫い合わされた兵器でもない。


ただ、息をしている命だった。

次回、サディウスにさらに追い討ちをかけます。


最高傑作は、解体された。

けれど、その中にいた命は生きていました。


そして、サディウスの地獄はまだ終わりません。


リュシアとカゲツが動きます。


くーちゃん「……おしおき、つづくワン」

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