第14話 俺が薬草を干した中庭が、処刑劇場だった
出発から、二日。
処刑まで、あと一日。
俺たちは、ヴィタリス家の研究拠点の外れにいた。
ダンジョン深層を抜け、さらに一日ほど移動した先。
久しぶりに吸う外の空気は冷たかった。見上げれば、星も見える。
感動している場合じゃない。
先頭を歩くのは、カゲツだった。
眠そうな目のまま、足音だけがない。影に溶けるように進んでいく。
その後ろに魔狼三体が続き、リュシアが俺の隣を歩いていた。
リュシアは、出発前の診察では縫合に問題はなく、毒の後遺症も見られなかった。
全力での戦闘は禁止したが、魔法なら使えると譲らなかった。
くーちゃんは俺の腕の中で、鼻をひくひくさせている。
「この先だ」
木々の奥を指した。
「昔、薬草を運ぶのに使っていた裏道がある。研究棟を通らず、中庭の近くまで抜けられるはずだ」
古い石壁に埋め込まれた、小さな搬入口。
記憶の中では、錆びた鉄扉だった。
だが、今は違っていた。
昔は、薬草を抱えて通った場所だ。それが今は、白い認証板で塞がれている。
認証板に触れた。冷たい魔力が、指先を弾く。
駄目だ。
「入れないの?」
リュシアが囁いた。
「研究者用の認証札がいる。無理に壊せば警報が鳴り、施設全体に伝わる」
カゲツが、横から認証板を覗き込む。
「面倒だな」
「……でも、完全に閉じてるわけじゃない」
扉の下を見た。
土が削れている。靴底の跡が残っていた。
重装兵らしい深い足跡と、軽い革靴の跡が入り混じっている。
「ここ、最近使われてる。研究者が出入りしている証拠だ」
カゲツの目が、わずかに細くなる。
「先生、意外と見てるな」
「獣医だからな。足跡と歩幅くらいは見る」
くーちゃんが、鼻をひくひくさせた。くんくんと嗅いで、小さく首を傾げる。
「きゅ?」
「くーちゃんも、何か残ってるって顔してる」
カゲツが、低く笑う。
「なら、俺の出番だな」
地面に片膝をつき、指先を土に押し当てる。
「俺には、人が残した残滓が見える」
「残滓?」
「影でも、匂いでもない。そこにいた奴の“気配の形”だ」
カゲツの視線が、森の奥へ流れる。
「重歩兵が二。研究者が一。ここから外へ出て、北側の調査路に向かってる」
立ち上がりながら続けた。
「認証札を持ってる可能性は高い」
「研究者を捕まえて、札を奪うのね」
リュシアの声が、わずかに低くなる。
「ああ。俺が囮になる。護衛を誘い出すから、お前は視界を奪え」
「分かったわ」
***
カゲツが残滓を追ってから、数分が過ぎた。
遠くで、足音がした。重い金属の音だ。
「おっと、こんなところに人がいる」
カゲツの声が、木々の間から聞こえた。わざとらしいくらい大きい。
「止まれ。何者だ」
低い声が、二つ重なった。
重歩兵が二体。継ぎ目のない、有機的な鎧をまとっている。表面が、かすかに脈打っていた。
……これも、命を素材にした装備か。
その後ろに、白衣の研究者が一人。メモを取りながら、品定めするような目をしていた。
「あー、悪い。道に迷った商人なんだが」
カゲツが、両手を上げる。
笑顔まで、わざとらしい。
「……捕まえてみるか?」
「捕らえろ!」
二体が、同時に動いた。
先頭の一体が、カゲツへ剣を振り下ろす。
カゲツの足元で、影が揺れた。
刃先がわずかに逸れる。
――ガギンッ。
横から迫っていた、もう一体の鎧を打った。
重歩兵たちの動きが崩れる。
「仲が良いな。そのまま二人で踊ってろ」
影そよぎ。
この前より、ずっと鋭い。
カゲツは二体の攻撃を逸らしながら、森の奥へ引き込んでいく。
「リュシア、来たぞ!」
「ええ」
紅い瞳が、濡れたような光を宿す。
周囲の音が、すっと消えた。
リュシアの背後で、闇が巨大な蝶の羽を形作る。
輪郭だけが、淡く紫に光っていた。
闇猫ちゃん。
そんな呼び名が、頭から消えた。
そこにいたのは、敵の視界を悪夢で塗り潰す、ダークエルフの魔術師だった。
リュシアが囁く。
「光に疲れた者たちへ。目蓋の裏に、枯れない悪夢を」
黒い羽が開いた。
「《黒蝶夢幻》」
リュシアが、微笑む。
「……もう、何も見なくていいわ」
重歩兵たちの視界を、闇が塗り替えた。
敵も味方も見失い、互いへ剣を振るう。
「どこだ!」
「見えない……!」
その様子を見て、カゲツが一瞬だけ振り返る。
「……趣味の悪い魔法だ。心臓が凍るぜ」
くーちゃんが、俺の腕の中で胸を張った。
「きゅーん」
たぶん、蝶のつもりだ。
勝負は、その一瞬で決まった。
魔狼二体が動き、混乱した重歩兵を一撃ずつ沈める。逃げようとした研究者も、残りの魔狼が三秒で捕らえた。
俺は、くーちゃんを抱えたまま息を吐いた。
……何だこのチーム。
「先生、見学?」
リュシアが、こちらを向いた。
「応援してた」
「へぇ。なら、後でちゃんと褒めてあげる」
カゲツが、倒れた重歩兵を手際よく縛り上げながら口を挟んだ。
「褒めるのは後だ。研究者から話を聞く」
***
研究者は、地面に座らされていた。小刻みに震えている。
「さ、話してもらおうか」
カゲツが、淡々と切り出す。
研究者は、唇を固く結んだ。
「いいね。そういう客は、だいたい懐に答えを入れてる」
カゲツが、研究者の腰から白い札を抜き取った。
「認証札、確保」
「返せ……!」
研究者の顔色が変わった。
カゲツが、白札を俺に投げる。
「先生、使えそうか?」
白札を受け取った。
表には、ヴィタリス家の紋章。裏には、研究棟の魔導印が刻まれている。
……本物だ。
認証札を指でなぞる。だが、札の中央に細い黒線が走っていた。
封印だ。
「……ロックがかかってる」
研究者が、震えながらも笑みを浮かべた。
「無駄だ。認証札は奪っただけでは使えない。本人認証がいる」
「尋問しても無駄だ。私は話さない。処刑の場所も、内部の配置も、お前たちには分からない」
カゲツが、舌打ちした。
「……ここまで来て、本人認証かよ」
俺は認証札を睨んだ。
壊せば使えない。無理にこじ開ければ、警報が鳴る。
処刑まで、あと一日しかない。
「くそ……」
その時、リュシアが静かに前へ出た。
「そう。なら、話さなくていいわ」
研究者が、顔を上げる。
「……何?」
「あなたが、開ければいいだけだから」
リュシアが、研究者の前にしゃがんだ。
顎に指を添え、顔を上げさせる。
視線が絡む。
紅い瞳が、また濡れたような光を帯びた。
さっきの戦場を塗り潰した悪夢が、今度は一人の記憶の奥へ、静かに沈んでいく。
「ねえ」
声が、やわらかく沈んだ。
「少しだけ、思い出してくれない?」
「や、やめろ……!」
研究者が、顔を背けようとした。
だが、リュシアの背後に闇が広がる。
小さな黒い蝶が、研究者の頬にそっと止まる。
「ヴァルフェリア様の処刑場所。日時。そこへ入るための通行目的」
「やめろ……頭の中を……」
「大丈夫」
リュシアは、俺の手から認証札を取った。
白札の上に、小さな黒い蝶が止まる。
「悪夢を見るだけよ」
研究者の瞳が、焦点を失ったように揺れた。
「思い出して。いつもの通用門。白い認証板。あなたの手。いつもの手順」
「……第二研究棟、上層」
研究者の指が、白札に触れる。
「通行目的、処刑補助」
白札の黒線が、わずかに薄くなった。
「中庭処刑劇場。明日、正午」
「……認証、解除」
白札の黒線が、すっと消えた。
《中庭処刑劇場/明日正午/第二研究棟上層》
カゲツが、低く口笛を吹く。
「……そんな奥の手まであったのか」
「ええ。ちゃんと思い出してくれたわ」
リュシアが、研究者へ微笑みかける。
「素直に話してくれれば、もう少し優しい夢で済んだのに」
研究者の体が、力を失って崩れた。
白札に浮かぶ文字を見て、俺は息を止めた。
中庭。
昔は、薬草を干していた場所だ。
怪我をした家畜に使う軟膏の材料を、そこで何度も乾かした。
命を治すための場所だった。
それを、サディウスは処刑劇場にした。
「……サディウス」
胸の奥が、冷たくなった。
くーちゃんが、俺の腕の中で小さく鳴く。
「きゅ……」
俺は、認証札を握りしめた。
「行こう。その舞台を、壊しに行く」
リュシアが、ゆっくりと立ち上がる。
「ええ。舞台ごと壊しましょう」
紅い瞳が、静かに燃えていた。
次回、中庭処刑劇場。
処刑まで、あと一日。
トーマたちは、ヴァルフェリアを救いに向かいます。
くーちゃん「……お姫様、助けるワン」




