表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
番外編 受け継がれる黒鋼の短剣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/108

番外編-19  わがまま



 レヴィンは、自室で外套を羽織っていた。


 窓の外には、満月がある。

 夜はもう深い。


 外縁区の廃教会へ向かうなら、今しかない。


 机の上には、古い地図が広げられていた。

 外縁区の宗教区画。

 元クロノス神教会の廃教会に、赤い印がつけられている。


 レヴィンはそれを一度だけ見て、懐に小さな包みを入れた。


 傷薬。

 止血布。

 短い縄。


 どれも十分とは言えない。

 それでも、持てるものは限られていた。


 これは黒牙の仕事ではない。

 黒牙第八席として兵を率いるわけでもない。

 兄が許可したわけでもない。


 ただ、レヴィンが勝手に行く。


 それだけだった。


 レヴィンは腰に一本の短刀を差す。


 黒鋼(くろがね)の短刀。


 光を吸うような黒い刃が、月明かりの中で鈍く沈んだ。


「レヴィン様……」


 扉の方から、声がした。


 振り向くと、例の噂を報告してきた黒牙の構成員が立っていた。


 数日前、ミア・クロウの受け渡しがあるという妙な噂を持ってきた男だ。


 顔色は悪い。

 それは、あの時もそうだった。


 だが今は、それだけではなかった。


 目が泳いでいる。

 唇が乾いている。

 指先が、わずかに震えている。


 怯えている。


 レヴィンは、それを見てしまった。


「行かれるのですね」


「うん」


 レヴィンは答えた。


「どうしても、ですか?」


「……なんで?」


 レヴィンは、短刀の位置を確かめながら聞いた。


 構成員は喉を鳴らす。


「やめていただくことは、できませんか?」


 レヴィンは少しだけ黙った。


 その言葉が、ただの忠告ではないことくらい、分かっていた。

 怯え方が違う。

 止めたいのではなく、止めなければならない者の顔だった。


 それでも、レヴィンは困ったように笑った。


「ごめんね。迷惑をかけると思うけど」


「……」


「でも、行くよ」


 構成員は俯いた。


 その沈黙が、妙に長かった。


 レヴィンは外套の留め具を締める。


 そこで、ふと思い出したように言った。


「そういえば」


 構成員の肩が跳ねた。


「君はさ、あの噂を誰から聞いたの?」


 部屋の中が、静かになった。


 窓の外で、風が鳴る。

 遠くで犬が吠える。

 館の下の階から、誰かの足音が微かに聞こえた。


 構成員は、顔を上げなかった。


「……すみません」


 声が震えていた。


「私にも、家族がいるんです」


 その瞬間、レヴィンは動いた。


 黒煙が足元から噴き上がる。

 外套を包み、腕を覆い、壁のように広がる。


 構成員の身体に、青い光が走った。


 皮膚の下。

 血管の奥。

 骨の隙間。


 何かが刻まれていた。


「ごめんなさい、レヴィン様」


 その声は、青い爆発に呑まれた。


 構成員の身体が爆ぜた。


 青い光が部屋を食い破る。


 机が砕ける。

 地図が光の中で千切れる。

 窓が外へ吹き飛ぶ。

 壁が裂け、天井が崩れ、二階の半分が夜空へ削り取られた。


 黒煙が、レヴィンの前で必死に膨らむ。


 衝撃を呑む。

 青い光を散らす。

 飛んできた木片を受け止める。


 それでも、すべては止めきれなかった。


 レヴィンの身体が廊下まで吹き飛ばされる。


 背中が壁に叩きつけられ、息が詰まった。


「っ……!」


 耳が鳴る。

 視界が揺れる。

 焦げた匂いと、血の匂いが混ざる。


 レヴィンは床に手をついた。


 部屋だった場所は、もう部屋ではなかった。


 夜空が見えている。

 満月が、壊れた二階を白く照らしていた。


 黒煙が床を這い、残った青い火花を覆う。

 廊下の向こうで、部下たちの怒号が聞こえた。


「レヴィン様!!」

「敵襲か!?」

「水を持ってこい!!」

「誰か治療師を呼べ!!」


 レヴィンは、ゆっくり立ち上がる。


 胸が痛い。

 腕に裂傷。

 額から血が流れている。


 だが、動ける。


 構成員だったものは、残っていなかった。


 床に落ちていたのは、焦げた黒牙の腕章だけだった。


 レヴィンは、それを拾おうとして、指を止めた。


 拾えば、行けなくなる気がした。


 誰を責めればいいのか、分からない。


 神教会か。

 家族を盾にされた彼か。

 気づけなかった自分か。


 どれも正しくて、どれも違った。


「レヴィン様……!」


 廊下の奥から、別の構成員が駆け寄ってくる。


 爆発の衝撃で顔に煤を浴び、袖も裂けていた。

 それでも、レヴィンを見るなり、彼は息を呑んだ。


「大丈夫ですか!?」


「大丈夫だよ」


「大丈夫じゃありません!」


 構成員は声を荒げた。


「腕の裂傷と、頭から血も……! すぐ治療師を呼びます!」


「行かないと」


 レヴィンは、壊れた部屋の向こうに見える満月へ視線を向ける。


「エイベルのところに」


「レヴィン様!!」


 その声が、壊れた二階に響いた。


 レヴィンは足を止める。


 構成員は、震える拳を握っていた。


「あなたはいつも、他人のことばかり気にして……!」


 声には怒りがあった。

 恐怖もあった。

 泣きそうなほどの必死さもあった。


「ゼギル様や、私たちの気持ちを考えたことはありますか!?」


 レヴィンは、少しだけ目を伏せた。


「……あるよ」


「ええ。あるのでしょう」


 構成員は歯を食いしばる。


「ですが、誰かに耳を傾ける時、あなたはそのほかの者の声を蔑ろにする節があります」


「……」


「それではいけません。あなたは黒牙の幹部なんですよ!!」


 夜風が、壊れた壁の間を抜けた。


 瓦礫の上で、黒煙が静かに揺れている。


 レヴィンは、少しだけ困ったように笑った。


 叱られている。

 心配されている。

 怒られている。


 それは全部、ありがたいことだった。


 けれど、今だけは。


「じゃあさ」


「はい」


「誰も救ってくれない人を、誰が救うんだい」


 構成員の表情が止まった。


「……え」


「世界から見放された」


 レヴィンは、遠くを見るように言った。


「そう思ってる人はさ、多分、無理やり救うしかないよ」


 その声は、いつもより少しだけ幼かった。


「だって、壊れそうな希望なんて、誰も手に取りたくないんだ」


 構成員は何も言えなかった。


「希望を持って、そして絶望に落ちるくらいなら、初めから底にいた方がいくらかマシだろ」


「そんな……ことは……」


「俺なら、そう思う」


 レヴィンは言った。


「だから、そうはさせない」


 それは、エイベルの話だった。


 けれど、レヴィン自身の話でもあった。


 手を伸ばされることが怖い人間がいる。

 助けられることを信じられない人間がいる。

 救われたいと願うことすら、罪のように感じる人間がいる。


 そういう人間は、差し出された手を払いのける。


 だから、無理やりでも掴むしかない。


 レヴィンは、そう思っていた。


「あなたが、しないといけないのですか?」


「そういう訳じゃないさ」


 レヴィンは首を横に振る。


「ただ、これは俺が動くべきだと思ってる」


 黒煙が、足元に集まる。


「だから行く」


 少しだけ笑う。


「俺、わがままだからさ」


 構成員は、俯いた。


 肩が震えている。


 怒りか。

 恐怖か。

 それとも、どうしようもない悔しさか。


 やがて、彼は顔を上げた。


「せめて……」


 声は掠れていた。


「せめて、腕だけでも治療させてください」


「ダメだ。間に合わなくなる」


「なら」


 構成員は、レヴィンの前に立ちはだかった。


「私を殺してから言ってください」


 レヴィンの目が、わずかに見開かれる。


「……え?」


「これが、私の些細なわがままです」


 構成員は震えていた。


 だが、退かなかった。


「あなたの意見は聞きました。なら、私の治療くらいは受けてもらわなければ困ります」


「……」


「私も、命を張ります」


 レヴィンは、その言葉を聞いて、しばらく黙った。


 瓦礫の向こうで、満月が白く光っている。


 時間はない。


 エイベルは、もう廃教会に向かっている。

 神教会が待っている。

 火刑のアレンがいる。


 それでも。


 目の前の男もまた、命を張っていた。


 誰かを蔑ろにしている。


 そう言われたばかりだった。


 ここでこの声を無視すれば、きっと本当にそうなる。


 レヴィンは、小さく息を吐く。


「……分かった」


 構成員の顔が、少しだけ緩む。


「早めに頼むよ。時間がないんだ」


「承知しております」


 構成員はすぐに動いた。


 止血布を取り出し、裂けた腕へ巻きつける。

 簡易の治療魔法が、淡い光を帯びる。


 痛みが、少しだけ遠のく。


 完全に治ったわけではない。

 血はまだ滲む。

 頭も痛む。

 呼吸のたびに胸が軋む。


 だが、動ける。


 レヴィンは、壊れた二階から見える満月を見上げた。


 今日の深夜。

 外縁区。

 元クロノス神教会の廃教会。


 エイベルは、必ずそこにいる。


 そして、神教会も。


 黒煙が、足元で静かに揺れた。


「待ってて、エイベル」


 月明かりの下、レヴィンは瓦礫を踏み越えた。


「今度は、間に合わせる」


 満月だけが、やけに白く王都の外縁を照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ