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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
番外編 受け継がれる黒鋼の短剣

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番外編-17 死ぬな



 風は、夜の路地を撫でるように流れていた。


 音を運ぶ。

 匂いを運ぶ。

 人の息遣いを運ぶ。


 エイベル・クロウは、屋根の上に立っていた。


 眼下には、外縁区の外れにある古い商会の建物がある。

 表向きは古物商。

 だが、裏では人を運び、名を消し、売れる場所へ流す。


 そういう店だった。


 窓の隙間から漏れる明かりは少ない。

 それでも、中に人の気配はあった。


 四人。

 いや、奥にもう一人。


 エイベルは目を閉じた。


 風が、建物の外壁をなぞる。

 古い木枠。

 緩んだ窓。

 石壁の継ぎ目。

 換気口。

 酒と埃と汗の匂い。

 紙をめくる音。

 硬貨が袋の中で擦れる音。


 そして、怯えた男の息遣い。


 エイベルは目を開いた。


「……開けます」


 誰に言うでもなく、そう呟いた。


 屋根から身を落とす。

 足元で風が弾けた。

 衝撃は消え、エイベルの靴音は夜に溶ける。


 窓の前に立つ。


 鍵はかかっている。

 厚い木の板も打たれている。


 だからどうした、というだけの話だった。


 きん、と空間が鳴る。


 窓枠ごと、内側へ切れた。


 木片が床へ落ちるより早く、エイベルは室内へ入っていた。


「なっ……」


 中にいた男が振り向く。


 その首が、遅れて床に落ちた。


 悲鳴が上がる前に、二人目の腕が落ちる。

 三人目が剣を抜こうとして、指ごと柄を失う。

 四人目が奥へ逃げようとして、膝から下を置いていく。


 血が床を叩いた。


 エイベルは、血を避けるように一歩進む。


 白い手袋には、一滴もついていない。

 外套にも、頬にも、髪にも。


 人が死んでいる場所で、エイベルだけが講義室へ向かう教授のようだった。


「いくつか、質問があります」


 声は穏やかだった。


 倒れた男が、血に濡れた口を開く。


「ひっ……風読み……」


「神教会と接触はありますか」


「し、知らねぇ……!」


「そうですか」


 きん、と鳴る。


 男の肩から胸までが、斜めに裂けた。


 別の男が泣き声を上げる。


「待て! 待ってくれ! 俺はただの帳簿係だ!」


「六歳前後の少女を扱いましたか」


「知らない! 俺は金の計算しか……!」


「淡い金髪。淡い茶色の目」


 エイベルの声が、ほんの少しだけ細くなった。


「名前は、ミア・クロウ」


 男の顔が固まった。


 エイベルは、その一瞬を見逃さなかった。


「知っていますね」


「し、知ら……」


 エイベルの指が動く。


 男の耳が落ちた。


「ぎゃああああああ!!」


「知っていますね」


「知ってる! 知ってる!! ミア・クロウなら知ってる!!」


 エイベルの呼吸が止まった。


 部屋の空気が、ひどく遠くなる。


「……生きているのですね」


 声は震えていた。


 自分でも分かるほど、震えていた。


 男はそれを助かる隙だと思ったのか、必死に頷いた。


「あ、ああ! 生きてる! 生きてるはずだ! 普通の荷とは違うって聞いた! 潜在魔力が凄いらしくて、特別な扱いを受けるらしい!」


「どこに」


「二日後だ!」


 男は叫ぶ。


「二日後の満月の夜! 深夜ちょうど! 大陸西の神教会へ輸送するために、外縁区の廃教会で受け渡される!」


「廃教会」


「元クロノス神教会の廃教会だ! 今は誰も使ってねぇ! そこで引き渡される! 本当だ! 本当にそれだけしか知らねぇ!」


 エイベルの手が、胸元へ伸びた。


 外套の内側。

 そこにある狼のお守りへ、指先が触れる。


 ミア。


 淡い金髪。

 淡い茶色の目。

 小さな手。

 くまにしか見えない猫の折り紙。

 笑った顔。

 玄関で見送る声。


 生きている。


 その言葉だけが、頭の中で何度も鳴った。


 男は、エイベルの表情を見て、さらに喋った。


「な? 言っただろ? だから助けてくれ。俺は運んでない。聞いただけだ。場所を知ってただけで……」


 エイベルは、ゆっくりと頷いた。


「ありがとうございました」


「あ、あぁ……」


 男の顔に安堵が浮かぶ。


 次の瞬間、空間が細く鳴った。


 男の体が、ばらばらに崩れた。


 床に、血が広がる。


 エイベルは、それを見下ろしもしなかった。


 ただ、静かに息を吸う。


「全員殺します」


 声は、もう整っていた。


「ミア。待っていてください」


 夜風が、血の匂いを窓の外へ運んでいった。


     ◆


 黒煙の館に、灯りがともっていた。


 黒牙第八席。

 黒煙(こくえん)のレヴィンの館。


 外から見れば、幹部の屋敷にしては飾り気が少ない。

 門も高すぎず、壁も威圧的ではない。

 だが、周囲の路地には人の気配がある。


 見張り。

 使い。

 黒牙の者たち。

 誰も大きな声は出さない。


 レヴィンは執務室で報告書を読んでいた。


 机の上には、いくつもの紙が広がっている。


 風読みが襲った組織。

 銀匙亭の放火に関わった者。

 雷鶏の焼け跡。

 神教会の噂。

 外縁区の古い地図。


 そのどれもが、ひとつの場所へ向かっている気がした。


 けれど、まだ線にならない。


「レヴィン様」


 扉の向こうから声がした。


「入って」


 黒牙の男が一人、部屋へ入る。

 顔色はあまり良くない。


「妙な噂が流れています」


「妙な噂?」


「はい。風読みが追っている件に関係しそうな話です」


 レヴィンは紙から顔を上げた。


 男は、言葉を選ぶように続ける。


「ミア・クロウという少女が、二日後の満月の夜、深夜ちょうどに輸送されるそうです」

「大陸西の神教会へ送るため、外縁区の元クロノス神教会の廃教会で受け渡しがある、と」


 レヴィンは黙った。


 部屋の空気が、少し冷えた。


「その噂、どこから?」


「分かりません」


「分からない?」


「はい。だから、おかしいと思いまして」


 男は眉を寄せる。


「流れ方が綺麗すぎます。風読みの耳へ入るように置かれている。誰が流したのかも分からない。ですが、内容は妙に具体的です」


「二日後。満月。深夜ちょうど。外縁区の廃教会」


 レヴィンは一つずつ言った。


「場所も、時間も、餌も揃っている」


「やはり、罠でしょうか」


「神教会……の可能性があるね」


 男の顔が強張る。


「では、狙いは」


「エイベル・クロウをおびき出す」


 レヴィンは立ち上がった。


 椅子が小さく鳴る。


「すぐ人を出して。銀匙亭周辺、大学周辺、倉庫街、外縁区、水路沿い。風読みが出そうな場所は全部」


「はい」


「でも、見つけても捕まえようとしないで」


 男が目を瞬かせる。


「よろしいのですか?」


「無理だよ」


 レヴィンは短く言った。


「死ぬだけだ」


 男は息を呑み、頭を下げて部屋を出て行った。


 扉が閉まる。


 レヴィンは、机の上の地図へ目を落とした。


 外縁区の端。

 古い宗教区画。

 かつてクロノス神教会と呼ばれた場所の廃教会。


 今は誰も使っていない。

 表向きは。


 レヴィンは唇を噛んだ。


「気づけよ……エイベル」


 小さく呟く。


「君は賢い男なんだろ……」


 だが、すぐに分かった。


 賢いからこそ、行く。


 ミアの名が出たなら。

 生きていると言われたなら。

 父親であるなら。


 罠だと分かっていても、踏み込む。


     ◆


 人を出した。


 銀匙亭の焼け跡。

 大学の研究棟。

 裏倉庫。

 古い水路。

 外縁区の酒場。

 人買いの出入りする路地。


 けれど、エイベルは見つからなかった。


 見つからないまま、日が沈んだ。


 当日の夕方。


 レヴィンは館の裏庭に立っていた。


 空には、満月が昇り始めている。

 まだ白く、薄い。

 だが夜が深くなれば、あれは廃教会の屋根を照らすだろう。


 レヴィンは、途方に暮れていた。


 黒牙の幹部としてなら、やれることはある。

 人を動かす。

 情報を買う。

 下部組織を締め上げる。

 道を塞ぐ。

 待ち伏せる。


 だが、神教会が相手なら話が違う。


 黒牙には掟がある。


 神教会には関わらない。

 手を出さない。


 それは、正義感からでも、信仰からでもない。


 神教会は巨大なカルト組織だ。

 表の教会からも危険視される過激派でありながら、国や貴族の中にも根を張っていると言われている。


 どこまでが神教会の手なのか。

 誰が神教会に金を流しているのか。

 誰が神教会の名を聞いただけで口を閉ざすのか。


 分からない。


 そして、分からないものに不用意に触れれば、こちらの指も腕も持っていかれる。


 まして相手には、刻神の秒針(クロノスタシス)がいる。


 あれは、黒牙の下部組織や裏商会とは棲む世界が違う。


 それを分かっていて、それでもレヴィンは、廃教会へ向かう準備をしていた。


「レヴィン」


 背後から声がした。


 レヴィンは振り返る。


「兄さん……」


 そこに、ゼギルが立っていた。


 黒牙の団長。

 レヴィンの兄。


 鋭い目。

 荒い口調。

 王のような威圧感。

 けれど、レヴィンはその奥にあるものを知っていた。


 ゼギルは庭へ入り、面倒くさそうに息を吐いた。


「諦めろ」


 最初の一言が、それだった。


 レヴィンは苦笑する。


「話、聞いてた?」


「聞かなくても分かる」


「でも」


「でもじゃねぇ」


 ゼギルの声が硬くなる。


「相手は誰だ?」


 レヴィンは少し黙った。


「……神教会」


「掟は?」


「神教会には関わらない。手を出さない」


「なら諦めろ」


 ゼギルは、レヴィンの前に立つ。


「神教会に手を出せば、俺はもうお前を守れねぇ」


「守ってもらう必要はないよ」


「あぁ。今回は守る気はない」


 レヴィンが顔を上げる。


 ゼギルは、まっすぐに言った。


「だから死ぬ」


「……え?」


「火刑のアレンだ」


 その名が出た瞬間、空気が変わった。


「神教会の大神官。刻神の秒針(クロノスタシス)のひとり。SS級重要指名手配犯にされてる」


「兄さんと同じ……」


「ばーか」


 ゼギルは鼻で笑った。


「俺はSSSだ」


「ないよ、そんなの」


「今作った」


「兄さん」


「とにかく、手を出すな」


 ゼギルは言う。


「お前はせいぜいSくらいだろ。弱ぇんだから」


「兄さんが強すぎるだけだろ……」


「あ?」


「いや……なんでもない」


「けど?」


 レヴィンは満月を見上げた。


 白い月だった。


 遠くにあるのに、どうしてか手が届きそうに見える。

 でも、実際には届かない。


 エイベルも、そうだった。


 食堂で向かい合って座っていた。

 声も届いた。

 手を伸ばせば触れられる距離だった。


 なのに、届かなかった。


「俺は、エイベルを止めたいんだ」


 ゼギルは黙った。


 風が庭を抜ける。


「お前の頑固は、誰に似たんだよ」


「さぁね」


 レヴィンは少し笑った。


「でも、俺が一番尊敬する人がそうなんだよ」


「そいつはろくでもねぇ人間だな。やめとけ」


「……約束、忘れたの?」


 ゼギルの表情が、わずかに変わった。


 遠い日の約束。


 王城の庭。

 夕暮れの石畳。

 まだ黒牙など背負っていなかった三人が、世界の広さも、救うことの重さも知らないまま交わした約束。


 ゼギル。

 レヴィン。

 ヴァイス。


 世界を救う。


 子供の夢みたいな言葉だった。

 それでも、三人は本気だった。


「……覚えてる」


 ゼギルは低く言った。


「全部な」


「これは俺の道なんだ」


 レヴィンは言う。


「エイベルの理由を聞いた。銀匙亭を見た。大学も見た。あの人は、もう一人じゃ戻れない」


「だからって、お前が死ぬ理由にはならねぇ」


「死なないよ」


「お前が決めることじゃねぇ」


「でも、行くかどうかは俺が決める」


 ゼギルの眉が寄った。


 レヴィンは続けた。


「兄さんは兄さんの道で世界を救う」

「俺は俺の道で救う」

「違った?」


 ゼギルは何も言わなかった。


 何も言わない時間が、答えだった。


 やがて、ゼギルは舌打ちした。


「……俺は手を貸さない。本当にだ」


「貸してもらう必要はない」


「部下も出さねぇ」


「分かってる」


「黒牙としても動かねぇ」


「うん」


「お前が勝手に行く。それだけだ」


「うん」


 ゼギルは空を見上げた。


 満月が、少しずつ白さを増している。


「手のかかる弟を持っちまった」


「かかんないだろ」


「だからだ」


「意味わかんないよ」


「分かんなくていい」


 ゼギルは背を向けた。


 数歩歩く。


 そして、立ち止まった。


「好きにしろ」


「ありがとう、兄さん」


「礼を言うな。俺は許可してねぇ」


 レヴィンは少しだけ笑った。


 ゼギルは背を向けたまま、手を振る。


「ただ」


 レヴィンが顔を上げる。


「死ぬな」


 その声は、命令ではなかった。


 兄の声だった。


 レヴィンは、ゆっくり頷く。


「分かってる」


 ゼギルは振り返らずに歩いていく。


 その背中が庭の闇へ消えてから、レヴィンは満月を見上げた。


 今日の深夜。

 外縁区。

 元クロノス神教会の廃教会。


 エイベルは、必ず行く。


 なら、やることは一つしかない。


 レヴィンの足元で、黒煙が静かに揺れた。


「待ってて、エイベル」


 月明かりの下、黒い煙が外套の裾に絡みつく。


「今度は、間に合わせる」

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