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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
番外編 受け継がれる黒鋼の短剣

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番外編-14 大学と黒煙



 その日、第八席陣営館は朝から妙にざわついていた。


 理由は、黒煙のレヴィンが眼鏡をかけていたからである。


 黒牙(こくが)第八席。

 黒煙(こくえん)のレヴィン。


 その名を聞けば、たいていの下部組織は背筋を伸ばす。

 煤のような黒煙を操り、魔法を呑み、敵を拘束し、必要なら一瞬で黙らせる黒牙幹部。


 その男が今、白いワイシャツに細い黒のネクタイを締め、古びた眼鏡をかけて、玄関前に立っていた。


「ど、どうしたんですか? レヴィン様」


 構成員の一人が、恐る恐る声をかける。


「眼鏡なんかして……それに、その服……」


 レヴィンは、自分の胸元を見下ろした。


 白いシャツ。

 黒いネクタイ。

 黒牙の外套ではなく、どこかの学生か、若い研究者のような格好。


「え? 変かな?」


 館の空気が、さらにざわついた。


「変というか……」

「誰ですか、それ」

「学生?」

「いや、先生か?」

「黒煙様だぞ」

「黒煙様、何してんだ……?」


 小声が飛び交う中、レヴィンはいつもの調子で笑った。


「大学に行ってくる」


 その場にいた全員の目が丸くなった。


「大学?」


「うん」


 レヴィンは、何でもないことのように頷く。


「ちょっと、話を聞きたい人がいてね」


「それなら俺たちが連れてきますけど……」


「ううん。たぶん、僕が行った方がいい」


 そう言って、レヴィンは扉へ向かう。


 構成員たちは慌てて道を開けた。

 黒牙の幹部が大学へ行く。

 それだけでも意味が分からないのに、その格好で行くというのが、なおさら意味が分からなかった。


「じゃあ、今日もみんな頑張っといて」


「ちょっと! レヴィン様!」

「護衛は!?」

「その格好で黒牙の幹部ってバレたら逆に変ですよ!」


 背中に飛ぶ声を受けながら、レヴィンは軽く手を振る。


「大丈夫だよ」


 そう言って、黒煙のレヴィンは第八席陣営館を出ていった。


 王立ルヴェリア魔導大学院の食堂は、昼前にもかかわらず人で溢れていた。


 高い天井。

 磨かれた床。

 壁に並ぶ古い肖像画。

 食堂の奥では、白衣を着た学生たちが議論し、別の席では本を開いたままスープを飲んでいる者もいる。


 レヴィンは食堂の端の席で、木の皿に盛られた煮込みとパンを前に、少し古くなった新聞を広げていた。


「うんうん。美味しいな」


 匙で煮込みをすくいながら、レヴィンは満足そうに頷く。


「この値段で食べられるなんて……満足感あるな」


 黒牙の陣営館で出される食事に不満があるわけではない。

 だが、大学の食堂という場所で、学生たちに混じって安い煮込みを食べていると、それだけで少し遠くへ来た気がした。


 レヴィンは新聞へ視線を戻す。


 紙面には、若き教授エイベル・クロウの記事が載っていた。


 魔力流体学。

 学会で披露された新技術。

 小さな魔力で大きな結果を生む、新時代の魔法理論。

 誰もが英雄になれる時代へ。


 そんな見出しが、少し黄ばんだ紙の上に並んでいる。


 写真には、穏やかに笑うエイベル・クロウが写っていた。

 その横には、二人の女子学生。

 一人は、少し緊張した顔で背筋を伸ばしている。

 もう一人は、その隣で笑っている。


「この二人……今日いるといいけど」


 レヴィンはパンをちぎり、煮込みにつけた。


 新聞の中のエイベルは、穏やかだった。

 品があり、清潔で、目の奥に疲れも濁りもない。

 今、裏社会で風読み(かぜよみ)と呼ばれている男とは、何一つ結びつかない。


 魔力流体学の若き教授。

 学会の期待。

 新技術。

 人々を救う可能性。


 どれを取っても、今のエイベル・クロウには繋がらない。


 だからこそ、何かが抜け落ちている。


 レヴィンが新聞から顔を上げると、食堂のあちこちで女子学生たちが小さくざわめいた。


「誰だろ?」

「可愛い」

「かっこいいでしょ」

「え、嘘。どこの科?」

「先生? 学生?」

「きゃっ、こっち見た!」


 レヴィンは少し首を傾げてから、近くの女子学生へ笑いかけた。


「ねぇ、君。ちょっと聞きたいんだけど、いい?」


「きゃーーーーー!!」


 突然、甲高い悲鳴が上がった。


「聞いて聞いて!」

「何でも聞いて!」

「え、私? 私に聞いてる?」

「ちょっと、落ち着きなよ!」


 周囲の女子学生たちが一気に集まってくる。


 レヴィンは一瞬だけ目を瞬いたが、すぐに新聞を広げ、写真の端を指さした。


「この子、知ってる?」


 女子学生たちは、写真を覗き込んだ。


「ああ、リディア先輩?」

「知ってる知ってる」

「魔力流体学の人だよね」

「最近あんまり食堂には来ないけど……」

「たぶん研究棟じゃない?」

「クロウ教授の研究室の方かも」


「ありがとう」


 レヴィンが笑うと、また小さな悲鳴が上がった。


 研究棟は、食堂の喧騒から離れた場所にあった。


 廊下には、インクと古い紙と薬品の匂いが薄く混じっている。

 壁には研究室ごとの木札が並び、ところどころに難しい図表が貼られていた。


「魔力流体学……ここかな?」


 レヴィンは一つの扉の前で足を止めた。


 木札には、何かが外された跡があった。

 かつて名前が掛かっていたのだろう。

 そこだけ木の色がわずかに違っている。


 レヴィンは扉に手をかける。


 ガラガラ、と音を立てて扉が開いた。


「……誰もいないや」


 部屋は綺麗だった。


 机には埃がない。

 床も拭かれている。

 棚の器具は真っ直ぐ並べられ、古い資料も崩れないように整えられている。


 だが、使われている部屋ではなかった。


 誰かが毎日ここを掃除している。

 けれど、誰もここで研究していない。


 そんな研究室だった。


「真っ二つの鉱石……これが例のやつか。凄いな」


 レヴィンは棚の上に置かれた鉱石を覗き込んだ。


 鉱石は、まるで刃物で切ったように綺麗に割れていた。

 断面は滑らかで、無理に砕かれた痕跡がない。

 魔法で何かをした結果なのだろうが、レヴィンにはその理屈までは分からない。


 次に、壁際の大きな黒板を見る。


「黒板は……なんだこれ。さっぱり分かんないや」


 二枚合わせの黒板には、びっしりと文字と数式が書き込まれていた。


 魔力。

 圧力。

 流速。

 干渉。

 損失。

 変換率。


 読める単語はいくつかあったが、意味はほとんど分からない。


 けれど、左下の隅にだけ、レヴィンにも分かる文字があった。


 クロウ教授が戻ってきますように。


 とても小さな文字だった。

 けれど、とても丁寧な字だった。


 目立たない場所に、祈りを隠すように書かれている。


「そっか」


 レヴィンは、少しだけ目を細めた。


「ここにもいたんだ。見てくれる人」


 その時だった。


「エイベル・クロウ教授!!」


 レヴィンの肩が跳ねた。


「ち、違いますけど」


 入口に立っていた女子学生が、目を見開いたまま固まっていた。


 新聞に写っていた一人だ。

 緊張した顔で背筋を伸ばしていた女子学生。

 リディア。


「あ、あ、じゃないですね!! ごめんなさい!! 扉が開いていたので……!」


 リディアは慌てて頭を下げる。


 それから、レヴィンの顔を見て、服を見て、眼鏡を見て、さらに慌てた。


「えっと、その……学生さん、ですか?」


「たぶん、今日はそうかも」


「今日は……?」


 リディアは困惑した顔をした。


 レヴィンは黒板の左下を指さす。


「あ、じゃあ、この文字、君の?」


 リディアの顔が、みるみる赤くなった。


「み、み、見られた……」


 次の瞬間、リディアの体がぐらりと傾いた。


「ちょっ、リディア!!」


 遅れて研究室に入ってきた友人が、すかさずその体を受け止めた。


「え、倒れるほど!?」


 レヴィンが慌てて近づく。


「だ、大丈夫なのこの子!?」


「大丈夫です。いつものことなので」


「いつものことなんだ……」


 友人はリディアを椅子へ座らせると、じとっとした目でレヴィンを見た。


「それで、あなたは誰ですか? クロウ教授じゃないですよね」


「うん。違うよ」


「勝手に研究室に入っていましたけど」


「扉が開いたから」


「普通は開いても入りません」


「そっか。ごめん」


 レヴィンは素直に頭を下げた。


 その様子に、友人は少し調子を崩されたように眉を寄せる。


 リディアが椅子の上で両手を握りしめた。


「あの……クロウ教授のことを調べているんですか」


「うん」


 レヴィンは頷く。


「何があったか、教えてくれる?」


 研究室に、しばらく沈黙が落ちた。


 リディアは俯き、友人はその横顔を見た。

 言うべきか迷っている顔だった。


 それでも、リディアは小さく息を吸う。


「神教会から、脅迫状が来たんです」


 声は震えていた。


「先生の研究は神の領域に踏み込むものだって。魔法を扱えない者に魔法を与えるなんて、神の選別への冒涜だって」


 レヴィンは黙って聞いた。


「その少し前、先生は私たちに正式な助手の話をしてくれていました。でも、脅迫状が来た後、急に取り消したんです。危ないからって。私たちを巻き込めないって」


 リディアの指が、膝の上で強く握られる。


「その後です。先生の家が燃えたのは」


 友人が目を伏せた。


「奥様は亡くなりました。娘さんは……見つかっていません」


「娘さん」


「ミアちゃんです。先生、よく話してくれました。折り紙が好きで、猫を折っても熊に見えるって笑っていて……」


 言葉の途中で、リディアの声が詰まった。


「研究資料も、なくなっていました。燃えたんじゃありません。金庫から、持ち出されていたって……先生は言っていました」


 レヴィンは、黒板を見る。


 びっしり書かれた数式。

 真っ二つの鉱石。

 隅に小さく書かれた祈り。


「先生は、色んなところに相談したみたいです。大学にも、騎士団にも、新聞にも、冒険者ギルドにも。奥様のご実家にも」


「でも?」


 リディアは首を横に振った。


「全部、駄目だったみたいです」


 その声は、悔しさで震えていた。


「誰も、先生の話を最後まで聞いてくれなかった」


 友人が、リディアの肩に手を置く。


「次に会った時、先生は金髪になっていました」


「金髪?」


「はい。最初は、少し元気そうに見えたんです。服も綺麗で、ちゃんと笑っていて、いつもの先生みたいで」


 リディアは唇を噛む。


「でも、違いました」


 レヴィンは静かに目を細めた。


「壊れそうに見えた?」


 リディアが小さく頷く。


「はい。今にも、全部ひび割れてしまいそうで……でも、誰も気づいていませんでした。友達も、元気そうだねって言っていて」


 友人が気まずそうに視線を逸らす。


「私は……気づけませんでした」


「よく見てるんだね」


 レヴィンが言うと、リディアは慌てて首を振った。


「い、いえ……そんなことは」


「この子、好きだったんです。クロウ教授のこと」


「ちょっと!!」


 リディアの顔が、さっきよりも真っ赤になった。


「尊敬です! 尊敬! そういう意味じゃなくて!」


「はいはい」


 友人は軽く流してから、レヴィンを見た。


「でも、あなたになら話してもいい気がします」


「僕に?」


「はい。なんとなく、信用できそうなので」


 レヴィンは、少しだけ笑った。


「信用かぁ。嬉しいけどさ」


 レヴィンは眼鏡を外した。


 それから、ほんの少しだけ顔を近づける。


「危ないよ? 外見だけで人を信用するとさ」


 柔らかい声だった。

 けれど、その目の奥に、一瞬だけ煤のような闇が這った。


 友人の顔が、みるみる赤くなる。


「……っ」


「え?」


 次の瞬間、友人はその場に崩れた。


「ちょっと!? あんたも!? なんで!?」


 リディアが慌てて友人を支える。


「だ、大丈夫なのこの子!?」


 レヴィンは本気で心配した。


「大丈夫です、大丈夫です。ちょっと威力が凄かっただけなので」


「威力?」


「はい。たぶん」


「そっか……? よかった。大丈夫みたいで」


 レヴィンはほっと息を吐いた。


 それから、眼鏡をかけ直す。


「それで、エイベルが行きそうなところって分かるかな?」


「行きそうなところ……」


 リディアは少し考える。


「図書館か、古書店か……。あとは、静かな場所でしょうか。先生、人の多いところは得意ではなかったので」


「うん」


「それと……家庭料理が好きだって言っていました」


「家庭料理?」


「はい。奥様の料理が一番だって、よく……」


 そこで、リディアの言葉が止まった。


 研究室の空気が、少しだけ冷える。


「……広いね」


 レヴィンは困ったように笑った。


「分かった。探してみるよ」


 倒れている友人を横目に、レヴィンは立ち上がる。


「あ、あの!」


 リディアが声を上げた。


「どうしたの?」


 レヴィンが振り返る。


 リディアは、両手を胸の前で握りしめていた。

 もう、顔は赤くなかった。

 その目には、何かを察した人間の不安があった。


「先生のこと……よろしくお願いします」


 レヴィンは少しだけ黙った。


 助ける、と言えば簡単だった。

 救う、と言えば綺麗だった。


 けれど、新聞の中で笑っていた教授と、裏社会で風読みと呼ばれている男は、もう同じ場所には立っていない。


 だから、レヴィンは言った。


「うん」


 静かに。


「必ず、止めるよ」


 リディアは唇を噛み、それでも深く頭を下げた。


 レヴィンは研究室を出る前に、もう一度だけ黒板の左下を見た。


 クロウ教授が戻ってきますように。


 その小さな文字を見て、レヴィンは呟く。


「そっか」


 誰も聞いてくれなかった。

 誰も最後まで見なかった。


 なら。


「じゃあ、僕が聞くよ」


 黒煙のレヴィンは、静かな研究室を後にした。

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