第14話 回炎と剣客
「揚陸艇、滞りなく出撃しております」
甲板の上で、兵の声が響いた。
南諸島連合カラント軍港総督、ドミニク・ラゼル。
栗色のくるくる髪。
白手袋。
無駄に大きな指輪。
鼻につくほど整った軍服。
そして、鼻につくほど高い声。
本人はそれを、威厳だと思っている。
「よろしい。揚陸艇が戻り次第、第二波を出す」
ドミニクは、甲板の上からルヴェリアの港を見ていた。
燃える倉庫。
逃げ惑う荷役人。
港へ殺到する揚陸艇。
作戦は、滞りなく進んでいる。
南諸島連合の軍艦三隻。
魔道兵。
揚陸艇。
そして、王都ルヴェリアへの奇襲。
これほどの兵力を動かす以上、ただの奪還では済まない。
だが、それでいい。
「元帥もお喜びになられるであろう」
ドミニクは白手袋の指先で、くるりと巻いた髪を整えた。
その時だった。
「総督!」
見張りの兵が叫ぶ。
「海上に不穏な影! 急速接近する小舟があります!」
「小舟?」
ドミニクは眉を寄せた。
「はい! 木製の小舟です!」
「何を馬鹿なことを」
ドミニクは望遠鏡を奪い取るようにして覗き込んだ。
そして、見た。
波を割って爆速で迫る、小さな木製の舟。
その先端に、仁王立ちする男がいた。
青い外套。
風に揺れる髪。
眠そうなのに、やたら目だけがぎらついている男。
その後ろで、女が必死に舟へしがみついていた。
「……あれは」
ドミニクの顔が引きつる。
「まさか」
「大海のナザルかと思われます!!」
「ほ、砲撃準備!」
「砲撃準備!! 砲撃準備!!」
甲板に怒号が走る。
「砲撃準備よし!!」
「う、撃てぇ!!」
戦艦砲が、次々と火を噴いた。
砲弾が海面に着弾する。
巨大な水柱が立ち上がる。
波が砕け、白い飛沫が空を覆う。
だが、小舟は止まらない。
爆風の合間を抜け、砲弾の水柱をかいくぐり、一直線に艦隊へ迫ってくる。
小舟の上で、ナザルが叫んだ。
「大海魔法!」
海が、盛り上がる。
船首よりも。
帆柱よりも。
軍艦よりも高く。
「海坊主!!」
巨大な海の怪物が、海面から立ち上がった。
その頭頂部だけが薄く凍り、足場になっている。
そこに、ナザルとスイレンが立っていた。
スイレンは真顔で、濡れた髪を押さえている。
「ナザル様、次からはもう少し穏やかな移動方法を希望します」
「贅沢言うな。寝てない時点で全部一緒だ」
「だいぶ違います」
ドミニクが甲板から怒鳴る。
「また貴様か!! ナザル!!」
ナザルが見下ろして笑った。
「また会ったな! クルクル髪!」
「ドミニク・ラゼルだ!!」
「名前知らねぇんだよ!」
「今名乗っただろうが!!」
ナザルが拳を握る。
海坊主も、同じように巨大な拳を握った。
「大海巨拳!!」
海の拳が、軍艦の横腹を殴りつける。
轟音。
船体がへこみ、甲板が大きく傾いた。
兵士たちが悲鳴を上げ、何人も海へ落ちる。
「いくぞ、海坊主!」
ナザルが腕を振る。
海坊主の腕が、隣の軍艦の甲板へ伸びた。
ただ殴るだけではない。
水流が甲板を舐めるように走り、兵士たちの足をさらう。
武装兵が次々と転び、手すりを越えて海へ落ちていった。
「魔力障壁機構、起動!!」
ドミニクが叫ぶ。
次の瞬間、軍艦を覆うように半透明の球体結界が展開された。
青白い魔力の膜。
船体を丸ごと包む、防衛システム。
ナザルは舌打ちした。
「しゃらくせぇ!!」
海坊主が再び拳を振り上げる。
「大海巨拳!!」
巨大な拳が、シールドへ叩き込まれた。
轟音。
だが、今度はびくともしない。
球体結界が波紋を広げただけで、軍艦本体には届かない。
ドミニクが勝ち誇ったように叫ぶ。
「今度はこちらの番だ!」
全戦艦の砲門が、海坊主へ向く。
「一斉射撃!!」
砲撃。
砲撃。
砲撃。
戦艦三隻から放たれる魔力砲が、海坊主の体に次々と穴を穿つ。
水でできた巨体は戻ろうとする。
だが、戻るより早く撃ち抜かれる。
腕が裂ける。
胴が欠ける。
頭部の海水が、霧のように弾ける。
ナザルの足元が揺れた。
「スイレンさん!? そろそろいいんじゃねーの!?」
海坊主の頭頂部で、スイレンは静かに息を吐いた。
「そうですね。残業代分は働きましょう」
スイレンの足元から、白い冷気が走る。
海が凍る。
いや、海坊主の表面を、氷が彫っていく。
肩。
胸。
背骨。
腕。
指。
ただ凍らせるのではない。
形を与える。
水の巨体に、氷の骨格を刻む。
「いくぞ、スイレン! 合わせろ!!」
「ナザル様が合わせるべきです」
「こういう時くらい乗れよ!」
「乗っております。だから合わせてください」
ナザルが笑った。
「言うようになったじゃねぇか、相棒!」
スイレンの両手が、海へ向く。
「大氷河魔法」
海坊主の周囲に、凍気が爆ぜた。
「大太法師!!」
海坊主が、変わる。
水の怪物ではない。
氷の鎧を纏った、巨大な人型。
さっきまでよりも、さらに高い。
外殻を得たことで、崩れず、縦へ伸びた。
海水の筋肉。
氷の骨格。
氷河の鎧。
巨大な氷海の巨人が、三隻の軍艦を見下ろした。
「ば、馬鹿な……!」
ドミニク・ラゼルが甲板で声を裏返す。
「海坊主が、形を……!?」
ナザルが拳を握った。
大太法師も、同じように拳を握る。
「拳だ!!」
「分かっています」
スイレンの声は冷静だった。
だが、その額には汗が浮かんでいる。
普段なら、こんな規模の氷は作れない。
これは海水があるからできる荒業。
ナザルの大海魔法があって、初めて成立する氷河の造形。
二人でなければ、届かない魔法。
大太法師の拳が、ゆっくりと引かれる。
軍艦を覆う魔力障壁機構が、青白く輝いた。
「全艦、防御最大!!」
ドミニクが叫ぶ。
結界が厚くなる。
青い球体が、軍艦を包む。
ナザルは笑った。
「いくぞ、ドミニク」
スイレンが片目を細める。
「氷河巨拳!!」
氷海の拳が、振り下ろされた。
衝突。
海が沈んだ。
軍艦を包む球体結界が、拳を受け止める。
一秒。
二秒。
三秒。
青白い結界が軋む。
亀裂が走る。
「耐えろ! 耐えろおおおおお!!」
ドミニクの叫びも虚しく、結界が砕けた。
氷河の拳が、軍艦の横腹へめり込む。
轟音。
船体が大きく歪む。
さらに、拳の表面から巨大な氷柱が一気に伸びた。
海へ。
甲板へ。
空へ。
船の横腹から、空に向かって氷の槍が何本も咲き上がる。
軍艦が悲鳴のような軋みを上げた。
「ば、化け物か!? ナザル!!」
ドミニク・ラゼルが、青ざめた顔で叫ぶ。
大太法師の頭頂部で、ナザルは濡れた髪をかき上げた。
その隣で、スイレンが静かに息を整えている。
「悪いな、ドミニク」
ナザルは、海を背負って笑った。
「今度は逃げねぇ」
大太法師が、もう一度拳を握る。
「とことんやろうぜ」
◇
魔道狗が数匹、路地を駆けた。
金属の牙。
赤く光る眼。
人を探すように、低く唸りながら石畳を蹴る。
だが、イグニスの前に出た瞬間。
火柱が走った。
悲鳴すらなかった。
魔道狗は、影だけを残して消し炭になった。
「ラインハルト。あんた、見送りに来ないと思ったら、こんなところにいたんだ」
イグニスは、赤い髪を揺らして振り返る。
「うむ。弟子の門出だ。万が一の敵に備えていた」
ラインハルトは静かに答えた。
周囲には、南諸島連合の兵士たちが倒れていた。
倒れている、というより、切り分けられていた。
鎧ごと。
武器ごと。
全て、真っ二つ。
「そんなこと言って、別れが悲しかったんだろ」
「否定はせん」
ラインハルトは、淡々と答えた。
「愛弟子だ」
「早いな、認定」
「弟子は弟子だ。守るのが師匠だろう」
イグニスは少しだけ笑った。
「気持ちは分かるよ。私も、妹が欲しかったんだ」
イグニスの足元で、赤い火が揺れる。
「エルナのためなら、鬼にでもなるさ」
「回炎のイグニスとお見受けした」
路地の奥から、男が現れた。
両腕が、すでに人のものではない。
赤い魔導回路が走る、二本の魔道義肢。
続いて、さらに大柄な男が前へ出る。
「剣客ラインハルト殿」
大男の両腕もまた、巨大な魔道義肢だった。
「そなたの剣は、どれほどだ?」
イグニスが肩を回す。
「あんたら、こんなことして黒牙どころか、ルヴェリアが黙ってると思ってんの?」
「我々は任務に従うだけだ。そこに思考はいらない」
「兵器と変わらないね」
「その通りだ」
大男は、ラインハルトを見た。
「しかし、戦いの中に意味を見出すことはできる」
大男の両腕が、低く唸る。
「我々は強き者との戦いを求める」
「へぇ」
イグニスが笑った。
「あんたらで相手になんの?」
魔道義肢は、本来ひとつでも適応できればSランクに届くと言われる。
肉体が拒絶する。
魔力が乱れる。
神経が焼ける。
まして、二つ。
両腕を捨て、二本の魔道義肢を接続するなど、普通なら命が先に尽きる。
「我々は、超えたのだ」
「御託はいいから、来なよ」
イグニスの瞳に、赤い光が宿る。
「私らの大切なモノを奪うってんなら、容赦しないから」
「くく、面白い女だ。では、行かせてもらおう」
男の両腕が変わっていく。
二本の槍。
ただの槍ではない。
戦艦を貫くための、巨槍。
「双弩級槍!!」
槍が、イグニスの胸を貫く。
そう見えた。
「炎獄回」
次の瞬間、イグニスの体が燃え尽きた。
肉が焼けたのではない。
骨が焦げたのでもない。
まるで、最初から炎そのものだったかのように。
「なに!?」
双槍の男が目を見開く。
イグニスの炎は、槍を伝った。
腕へ。
肩へ。
胴へ。
まとわりつく。
赤い炎が、男の全身を包む。
そして、火柱になった。
とてつもない火柱が、空へ昇る。
終わりが見えなかった。
港の黒煙すら、そこだけ赤く染まる。
昼の空に、一本の太陽の柱が立った。
男は、悲鳴を上げる暇もなく燃え尽きた。
火柱が細くなる。
赤い火の中から、イグニスの体が戻っていく。
肩。
腕。
髪。
肌。
炎が、人の形を取り戻した。
「着ておけ」
ラインハルトが、黒牙の外套を放る。
イグニスはそれを受け取り、肩に羽織った。
「気が利くね」
「当然だ」
「ば、馬鹿な……!」
大男の両腕が、巨大な盾へと変形する。
分厚い装甲が展開し、赤い魔導回路が走った。
盾というより、城門だった。
両腕に、要塞の壁を押し込めたような異様な質量。
「南諸島の魔道技術は世界一だ! 生身の人間が踏破できるようなものではない!」
「安心しろ」
ラインハルトは、静かに剣へ手をかけた。
「俺は魔法は使わん。この剣一本だ」
「剣一本だと!?」
大男の顔が怒りに歪む。
「この盾はアダマンタイト級の硬度を誇る! 未だかつて破られたことはない! そんなもので何ができる!!」
ラインハルトは答えない。
ただ、一歩踏み出した。
空気が変わった。
火柱の熱も。
港の砲声も。
逃げ惑う声も。
その一瞬だけ、遠くなる。
ラインハルトの前にあるのは、ただ一人の敵。
そして、自分の剣だけだった。
「人を人と思わぬ者たちよ」
ラインハルトの声は、静かだった。
「親に貰った体を捨てるに飽き足らず、年端もいかぬ少女を人体実験にかけると聞いている」
鞘が、わずかに鳴る。
「解せぬ」
「く、来るな!」
大男の両腕に、さらに赤い魔力が立ち上がる。
「要塞壁、最大出力!!」
赤い魔力の壁が、盾の前へ重なる。
ただの盾ではない。
要塞。
城壁。
軍艦の装甲。
それを人の両腕へ押し込め、さらに魔力障壁で覆ったような、異常な防御だった。
「無駄なことよ」
ラインハルトは、一歩踏み出す。
「どれだけ取り繕おうと、信念なき刃は必ず折れる」
剣に、薄桃色の闘気が揺れた。
春の霞のように。
けれど、触れれば全てを裂く刃のように。
「黎桜一刀流」
ラインハルトの姿が、消える。
「天割桜」
桃色の光が、縦に走った。
一拍。
遅れて、空気が割れる。
切られた線に沿って、薄桃色の闘気が立ち上がった。
まるで、一本の桜の幹。
敵の頭上から、桜の花びらのような闘気が舞う。
ひらり。
ひらり。
小さな桃色の光が、風に溶けて消えていく。
そして。
要塞壁ごと、男の体が綺麗に真っ二つになった。
「さすがだね」
イグニスが、黒牙の外套を肩にかけながら笑った。
「剣技だけならSS級に届くって言われる男は、格が違う」
「私のユニーク、千鍛万錬のおかげだ」
「それ、ほとんど恩恵ない特殊なユニークだろ?」
「うむ」
ラインハルトは、剣を鞘へ戻した。
「一度、剣を振る。その動きに、目に見えぬほど小さな雫が一滴、上乗せされる」
ひらり、と薄桃色の闘気が消える。
「一度では何も変わらん。百でも、千でも足りぬ」
ラインハルトは、真っ二つになった要塞壁を見下ろした。
「だが、何千、何万と繰り返せば、技は研ぎ澄まされる」
鞘が、静かに鳴った。
「やがてそれは、奥義となる」
遠くで、時計塔の鐘が微かに揺れた。
イグニスはそちらを見た。
エルナがいる。
ハルトが向かっている。
今すぐ駆け出したい気持ちはあった。
けれど、イグニスは足を止めたまま、燃え残った兵士たちを見下ろす。
「エルナは、きっとハルトが守る」
赤い炎が、イグニスの足元で静かに揺れた。
「私たちは、兵を止めるよ」
ラインハルトは、剣の柄に手を添えたまま頷いた。
「うむ」
短い返事だった。
だが、それで十分だった。
守るべきものは、一つではない。
時計塔へ向かう白煙。
港を押し返す大海。
街を覆う平和の壁。
そして、ここで敵兵を止める炎と剣。
王都ルヴェリアのあちこちで、黒牙の牙が食いしばられていた。
イグニスは黒牙の外套を肩にかけ直す。
ラインハルトは、静かに一歩前へ出る。
まだ、敵は残っている。
ならば。
「行くよ、剣客」
「承知した、回炎」
二人の前で、南諸島連合の兵たちが息を呑んだ。
炎が揺れる。
刃が鳴る。
エルナを追う白煙の背を守るように、回炎と剣客は、迫る兵の群れへ歩き出した。
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、王都各地で戦う黒牙幹部たちの回でした。
前半はナザルとスイレン。
ナザルの大海魔法と、スイレンの氷彫刻が合わさることで、ただの海坊主ではなく、氷の鎧をまとった巨大な人型へと変わりました。
大太法師、そして氷河巨拳。
ナザル一人では水の巨人。
スイレン一人では届かない規模の氷。
二人だからこそ成立する大魔法です。
後半はイグニスとラインハルト。
イグニスにとってエルナは、自分の過去と重なる妹のような存在です。
ラインハルトにとっても、エルナは短い時間でも弟子として見た少女でした。
だから二人は、ハルトがエルナを守ると信じて、自分たちは迫る兵を止める。
黒牙は悪党ですが、それぞれの守り方があります。
そしてラインハルトのユニークスキル、千鍛万錬も少しだけ明かしました。
一度剣を振るたびに、目に見えないほど小さな恩恵が積み重なる。
それを何千、何万と重ねて、奥義に至る。
魔道義肢で肉体を捨てて強くなる南諸島連合とは、真逆の強さです。
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