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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第六章 白煙と魂晶の少女

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第9話 白煙の星空



 海岸へ着く頃には、空は夕方の色に変わっていた。


 それでも太陽はまだ大きかった。

 地平線に触れる少し手前で、赤く膨らんだ光が海を染めている。


 潮風が吹く。

 草の匂いと、海の匂いが混ざる。


 エルナは崖の上から海を見下ろし、それからハルトを見た。


「ここは?」


 少し迷ってから、問い直す。


「思い出の場所なの?」


 ハルトは、夕陽の方を見たまま答えた。


「そーだな」


 風が、黒い髪を揺らす。


「思い出の場所……友達を殺した場所だ」


 エルナは黙った。


 何も言わない。

 けれど、その沈黙は拒絶ではなかった。


 ハルトは短く息を吐く。


「見てな」


 右目の奥で、黒い何かが脈打つ。


 深淵鼓動(アビスハート)


 ただし、いつものように全開にはしない。

 漏れ出す恐怖を、極限まで絞る。

 そのうえで、ハルトは足元へ風を流した。


 空纏衝(エアバースト)


 白い風が、足元から舞い上がった。


 冷たい。

 ただの風ではない。

 白い煙のような冷気が、ハルトの周囲をゆっくりと回り始める。


「この力で、仲間を凍らせて粛清した」


 ハルトは言った。


「裏切り者だった」


 白煙が、地を這う。

 崖の草が白く染まる。


「そして、ここで」


 ハルトは、夕陽に染まる海を見た。


「俺を裏切った友達を凍らせて、粉々に砕いた」


 エルナの指が、スカートの裾を握る。


 怖い。

 白煙そのものが、怖いのではない。

 そこに混じる理由のない恐怖が、胸の奥を冷たく撫でる。


「この白煙が、俺を半年間生き残らせてくれた」


 ハルトは振り返る。


 白煙の中で、黒い瞳がエルナを見る。


「怖いよな」


 エルナは答えられなかった。


「でも、これも俺だ」


 ハルトは逃げなかった。


「白煙で人を凍らせて、殺す。黒牙(こくが)第六席、白煙のハルトだ」


 白い煙が、二人の間を流れていく。


 エルナは、スカートの裾を握ったまま、ゆっくりと口を開いた。


「私も」


 声は少し震えていた。


「この魂晶核(コア)が怖い」


 胸元に手を置く。


「憎いよ。これがあったから、売られて、運ばれて、荷物みたいに扱われた」


 それでも、エルナは目を逸らさなかった。


「でも、これも私だと思ったの」


 ハルトは黙って聞いていた。


「これがなければ、皆と出会えなかったから」


 翡翠の瞳が、白煙の向こうで揺れる。


「どんなに辛くても、きつくても、諦めても」


 エルナは一歩だけ前へ出る。


「でも、皆と会えたから」


 声が、少し強くなった。


「この思い出作りは、無駄じゃなかった」


 胸元の手に、少しだけ力が入る。


「今は、そう思える」


 白煙が足元を撫でる。

 恐怖はまだある。

 冷たい。

 怖い。

 けれど、エルナは逃げなかった。


「だから、逃げない」


 ハルトを見る。


「白煙からも、この怖さからも」


 ハルトは、少しだけ笑った。


「じゃあ、目を逸らすなよ」


「うん」


 次の瞬間、世界が白く染まった。


 氷煙陣(ホワイトアウト)


 真っ白な煙が、崖の上を覆う。

 冷気が肌を刺す。

 視界が消え、音が遠くなり、世界から輪郭が抜け落ちる。


 エルナは息を呑んだ。


 怖い。


 でも、目は閉じなかった。


 次の瞬間、海へ向かって突風が抜けた。


 白煙が裂ける。

 視界が広がる。

 煙は夕陽へ向かって集まっていくように流れ、赤い光の中で、白く渦を巻いた。


 ハルトが、静かに呟く。


氷冷爆発(ダイヤモンドダスト)


 白が弾けた。


 爆発というには、あまりにも静かだった。

 けれど確かに、冷気が空へ散った。


 無数の氷の粒が、夕陽を受けて煌めく。


 赤。

 金。

 白。


 そのすべてが海風の中で乱反射し、空から星が降りてきたようだった。


 エルナは、ただ見上げていた。


「……きれい」


 声が、こぼれた。


 白煙。

 人を凍らせる力。

 殺す力。

 恐怖を連れてくる力。


 それが今、夕陽の中で光になっている。


 ハルトは、空を見上げたまま言った。


「どんな力も、使い方次第だって」


 少しだけ、声が柔らかくなる。


「エイベルに教わったんだ」


 エルナはハルトを見る。


「エルナの力も、きっと誰かを守れるよ」


「……私も?」


「ああ」


 ハルトは頷いた。


「エルナも」


 白い粒が、二人の間に降る。


「だから、その力から逃げんなよ」


 エルナは胸元に手を置いた。

 魂晶核(コア)は、まだ怖い。

 今でも憎い。

 好きにはなれない。


 それでも。


「うん」


 エルナは、夕陽の中で頷いた。


「もう、逃げない」


 帰り道、二人は並んで歩いた。


 夕陽はもう、海の端へ沈みかけている。

 さっきまで空に散っていた白い光は、少しずつ消えていた。

 代わりに、街の灯りが一つ、また一つと水路に映り始める。


 明日のことは、どちらも言わなかった。


 言えば、形になってしまう。

 形になれば、逃げられなくなる。


 だから、ハルトは別の話をした。


「そういえば、お前、シャノンの飯の食い方見たか?」


「見た」


「どう思った?」


「猫じゃなかった」


「だろ。猫じゃねぇんだよ、あれは」


「何?」


「飢えた魔獣」


 エルナは少し笑った。


「でも、魚を食べてる時は幸せそうだった」


「あいつ、肉でも魚でも幸せそうだぞ」


「ハルトは?」


「俺?」


「何を食べてる時、幸せそう?」


 ハルトは少し考える。


「……まともな飯」


「範囲が広い」


「仕方ねぇだろ。灰鼠(はいそ)の頃はまともな飯が貴重だったんだよ」


「じゃあ、エイベルさんの料理は?」


「かなりうまかった」


 答えてから、ハルトは少しだけ目を細めた。


「腹立つくらいな。几帳面なやつは料理もうめぇ」


「セリカさんは?」


「あいつは普通にうまい。けど、たまに健康に寄せすぎる」


「健康」


「味より体にいい方を取る時がある。魔法治療師かよってなる」


「クロードさんみたい」


「あいつは飯にも説教しそうだな」


 エルナが小さく笑う。


 水路沿いの道を歩く。

 夜市の準備をする店があり、ランタンが吊られ、焼き菓子の匂いが漂っている。

 人の声が遠く近く、街の呼吸のように響いていた。


 ハルトは、わざと足を遅くした。

 エルナも、それに合わせるように歩いた。


「ナザルさんは、いつ寝てるの?」


「あいつの話に戻るのかよ」


「気になる」


「俺も気になる」


「スイレンさんは?」


「あいつは寝たいってずっと言ってる」


「寝てるの?」


「寝てねぇんじゃねぇかな」


「二人とも?」


「港湾って怖ぇな」


 エルナは真面目な顔で頷いた。


黒牙(こくが)は、怖いところだね」


「今さらかよ」


「でも、思ってた怖さと違う」


 ハルトは横を見る。


「どう違うんだ?」


「もっと、全部が冷たいと思ってた」


 エルナは水路に映る灯りを見た。


「でも、うるさい。変な人が多い。怒る人もいるし、笑う人もいるし、勝手にご飯を食べさせる人もいる」


「盗賊団の評価としてはどうなんだ、それ」


「変」


「だろうな」


「でも、嫌じゃない」


 その言葉は、夜に沈んでいく水の上を、静かに渡っていった。


 ハルトは返事をしなかった。

 返事をすると、明日の話に繋がりそうだった。


 だから、別の話を探す。


「そういや、ラインハルトに師匠って言った時の顔、見たか?」


「見た」


「嬉しそうだったよな」


「うん」


「めちゃくちゃ嬉しそうだったよな」


「うん」


「なのに否定するんだよ、あいつ」


「照れてたの?」


黒牙(こくが)第五席が照れるな」


「ハルトも照れる」


「照れてねぇ」


「今日、目を逸らした」


「それは違う」


「二回」


「数えるな」


 エルナは、また笑った。


 その笑い声が、水路の灯りに混ざる。


 ハルトは思う。

 この一週間で、エルナはよく笑うようになった。


 最初は、聞かれたことにだけ答えていた。

 自分を荷物みたいに扱っていた。

 食事をしても、景色を見ても、どこか遠くにいた。


 今は違う。


 ここにいる。


 それが、どうしようもなく重かった。


 明日には、この街を出る。

 エルナは西へ行く。

 ハルトは残る。


 分かっている。


 だから、口にはしなかった。


「ハルト」


「なんだ」


「今日の白煙、覚えてていい?」


「別に、許可取るようなもんじゃねぇだろ」


「うん。でも、聞きたかった」


「覚えてろよ」


 ハルトは前を向いたまま言った。


「怖かったことも、綺麗だったことも。どっちもな」


「うん」


 エルナは髪飾りに触れた。


「覚えてる」


 それから二人は、またくだらない話をした。


 シャノンが魚を何匹食べられるか。

 ルーカスが本気で迷子になるのは方向音痴なのか、何も考えていないからなのか。

 ベルノは怒ると眼鏡を押し上げる回数が増えるのか。

 イグニスは本当にエイベルが泣いて喜ぶと思っているのか。


 どれも、明日には関係のない話だった。


 だから、二人は話し続けた。


 明日という言葉を、夜の水路の底へ沈めるように。

 沈めても沈めても浮かんでくるそれを、少しでも見ないで済むように。


 第六席館の灯りが見えても、二人はすぐには足を速めなかった。


 ただ、並んで歩いた。


 今日が終わるまで。

 もう少しだけ、今日でいられるように。


 その様子を、遠くから見ている影があった。


 水路の反対側。

 夜市の灯りが届かない、細い路地の奥。


 黒い外套を着た男が、手のひらほどの小さな魔道具へ口を寄せる。


「対象の荷物。発見しました」


 魔道具の向こうで、わずかな雑音が鳴る。


『状態は』


「生存。護衛一名。黒牙(こくが)第六席、白煙のハルトと思われます」


『接触するな』


「了解」


 男は目だけを動かし、遠ざかっていく二人の背中を見る。


『明日、回収する』


 通信はそこで切れた。


 夜市の灯りが、水路に揺れている。

 笑い声も、焼き菓子の匂いも、何も変わらない。


 ただ、夜の底で。

 明日だけが、静かに近づいていた。

あとがき


ここまで読んでいただきありがとうございます。


今回は、第8話から続くエルナとの最後の一日、その後半でした。


ハルトにとって白煙は、ただ強くなった証ではなく、仲間を凍らせ、友達を砕いた力でもあります。

だからこそ今回は、綺麗な力としてだけではなく、怖い力としてエルナに見せる形になりました。


エルナもまた、魂晶核コアを怖がり、憎みながら、それでも「これも私だ」と向き合うことを選びました。

この一週間の思い出が、彼女にとって少しでも自分を取り戻す時間になっていたら嬉しいです。


そして最後、不穏な影も動き始めました。


次回、いよいよ引き渡しの日。

エルナの一週間は、静かには終わりません。


少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

執筆の大きな励みになります。

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