第8話 異世界から来た盗賊
王都ルヴェリアの朝は、場所によって音が違う。
港には怒号がある。
荷役人の声、荷車の軋み、船の鐘、水路を叩く櫂の音。
南側の倉庫港など、朝日より先に金と汗の匂いが立つ。
だが、王城は静かだった。
高台に築かれた白い城は、港の喧騒を遠く見下ろしている。
空が近い。
朝方には低い層雲が尖塔にかかることもあるが、その日はよく晴れていた。
磨かれた石床に、靴音だけが響く。
ここで働く者たちは、荷を担がない。
剣も振らない。
言葉と頭で国を動かす。
その静けさを、一人の若い官僚が破った。
「外務卿。失礼いたします」
整えられた声だった。
だが、呼吸が乱れている。
外務卿バルトラム・クレインは、書類から顔を上げた。
正式には、ルヴェリア王国外務大臣。
だが王城では、外務卿と呼ばれる男だった。
四十五ほど。
薄く整えられた口髭。皺一つない上質な上着。爪先まで手入れの行き届いた靴。
剣を抜く者ではない。
言葉を抜く者だった。
「騒がしいな」
「申し訳ございません。南諸島連合の連合艦隊より、入港申請が入っております」
バルトラムの眉が、わずかに動いた。
「連合艦隊だと?」
「はい」
「予定日は」
「明日です」
「理由は」
「補給、とのことです」
バルトラムは、手にしていた羽ペンを机に置いた。
「指定港はどこだ」
「南側、倉庫街寄りの港区画です」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
窓際に座っていた男が、静かに顔を上げる。
王国騎士団総務長、クラウス・ロムウェル。
王城では、王騎卿と呼ばれる男だった。
年の頃は五十ほど。
肩にかかるグレーの長髪。穏やかだが、若い騎士なら自然と背筋を伸ばすような威厳がある。
首には、聖教会の金の輪があった。
神への忠誠を示す聖環。
クラウス・ロムウェルは、王城内でもよく知られた敬虔な聖教徒だった。
「論外だな」
クラウスが、低く言った。
バルトラムも頷く。
「却下だ」
若い官僚は、思わず目を見開いた。
「ですが、申請自体は正式な形式で……」
「形式が整っていれば、軍艦をどこにでも寄せていいわけではない」
バルトラムは机上の港湾図を引き寄せ、指で中央港を叩いた。
「補給なら中央港へ回せ。水、食料、動力用魔石、船体整備。必要な設備はすべて中央港にある。要人、大型商船、軍艦、中規模以上の認可商会。正式な船を迎える港はここだ」
「南側港区画にも、港湾機能はありますが……」
「ある。だが、あそこは軍艦を腹いっぱいにする場所ではない」
バルトラムの指が、港湾図の南側へ滑った。
「南側の倉庫港は、内陸輸送船、小規模商人、荷舟、平底船、荷役人、商会の下働きで常に混み合っている。倉庫街と大運河の積み替え口に近く、人も荷も多すぎる」
クラウスが続けた。
「軍艦が入れば、荷は止まる。荷が止まれば、倉庫街が濁る。倉庫街が濁れば、余計な連中まで動く」
若い官僚は、そこでようやく意味を察したように喉を鳴らした。
「黒牙、ですか」
バルトラムは否定しなかった。
「あそこは黒牙の匂いが濃い。倉庫、荷役、水路、裏商会。小舟一隻、木箱一つ、荷役人一人を紛れ込ませるには都合がいい」
「では、補給ではなく……」
「接近か、挑発か、あるいは何かを取り戻したいのか」
バルトラムは静かに言った。
「いずれにせよ、補給という言葉で通す話ではない」
若い官僚は、顔色を悪くした。
「ですが、南諸島連合は海では強国です。あまり刺激してよろしいのでしょうか」
「海ではな」
クラウスが答えた。
「だが、総合軍事力で我が国が劣るわけではない。王牙騎士団、魔法兵站、物量、資金。正面から国力をぶつければ、ルヴェリアが勝つ」
「ならば、なぜ南諸島連合を……」
「潰さないのか、と言いたいのか?」
「いえ、その……」
バルトラムは薄く笑った。
「構わん。疑問としては正しい」
それから、港湾図へ目を落とす。
「海で泥沼にされれば、商船が止まる。港が鈍る。金の流れが濁る。南諸島連合は潰せない相手ではない。だが、潰すより金で繋ぎ、海を任せる方が安い」
クラウスが静かに言う。
「軍艦を造らせ、魔装義肢を磨かせ、南方航路を守らせる。そういう関係だ」
「……では、なおさら」
「だからこそだ」
バルトラムの声が冷える。
「金で繋いだ鎖を、向こうから鳴らしてきた。こちらが聞こえないふりをする理由はない」
若い官僚は、深く頭を下げた。
「南諸島連合へは、中央港への変更を通達いたします」
「それだけでは足りん」
バルトラムは指を立てた。
「艦隊規模、航路、目的、滞在時間、積載物。そのすべてを明記させろ。明かせないなら入港は認めない」
「かしこまりました」
クラウスが口を開く。
「中央港の騎士団詰所には通常警戒を出せ。北側軍港にも目を増やしておく。ただし、南側倉庫港に余計な兵は出すな」
「よろしいのですか」
「騒がせるな、という意味だ」
クラウスは港湾図を見たまま言った。
「あそこを騒がせれば、黒牙も動く」
若い官僚は、また黙った。
沈黙の中で、バルトラムが小さく息を吐く。
「まだ政府で止める段階だ」
クラウスが静かに問う。
「黒牙へ通しますか」
バルトラムは、港湾図から目を離さなかった。
「まだだ。政府で止められる段階で、あの方を動かす必要はない」
若い官僚は、その呼び方に一瞬だけ目を瞬かせた。
あの方。
だが、外務卿も王騎卿も、それ以上は何も説明しなかった。
「下がれ」
「はっ」
若い官僚が退出すると、部屋には再び静けさが戻った。
よく晴れた王城の朝。
白い石壁に、穏やかな光が差している。
だが、港の方角には、まだ見えない波が近づいていた。
その日、第六席館には、珍しく指令が届かなかった。
黒牙の仕事に、昼も夜もない。
シマを跨いだ揉め事。倉庫街の荷抜き。外縁区の小競り合い。平和税の刻印を巡る相談。他陣営との調整。
普段なら、何かしらの火種が第六席館へ転がり込んでくる。
だが、その日は静かだった。
イグニスは来なかった。
ナザルも顔を出さなかった。
リスティアも、ふらりと覗きに来なかった。
ラインハルトからの呼び出しもない。
誰も口にはしない。
だが、誰もが分かっていた。
エルナがこの館にいる時間は、もう長くない。
「ハルト様」
朝の執務室で、セリカが静かに言った。
「今日は、休暇を取られてはいかがですか」
「……なんだよ、こえーな。俺、なんかやったか?」
「いいえ。そういうわけではありません」
「じゃあ、なんで急に休めなんて言うんだよ」
「今日は、暇になる予定ですので」
「予定ってなんだよ」
ハルトは、机の上の書類へ視線を落とした。
「こういう家業だぞ。昼も夜も関係なく問題は起きる。シマを跨げば陣営同士の話し合いも必要になる。俺は王牙六領だ。休むわけにはいかねぇだろ」
「いいんです」
セリカは、いつも通りの顔で言った。
「今日は、暇になると言っているんです」
ハルトは少し黙った。
それから、短く息を吐く。
「……そうか。分かった」
その日、ハルトの一日が空いた。
「おはよう、ハルト」
廊下で顔を合わせたエルナは、銀と翡翠の髪飾りを前髪につけたままだった。
指先が、何度もそこへ触れている。
「おう」
「空いたって?」
「仕事がなくなったって意味らしい」
「らしい?」
「暇になる予定なんだとさ。意味わかんねぇよな」
「……そう、だね」
エルナは少しだけ笑った。
ハルトは頭を掻く。
言うべきことは決まっているのに、喉の奥で引っかかった。
「だから、街に出ないか」
「街?」
「ああ。今日が……」
今日が、実質の最終日。
明日には、引き渡し。
もう決まっている。
けれど、その先を言葉にすることはできなかった。
エルナも、分かっているようだった。
少しだけ髪飾りに触れ、それから頷く。
「うん。行きたい」
「じゃあ、着替えたら教えてくれ」
「うん。分かった」
エルナが部屋へ戻る。
その背中を見送ったハルトは、短く息を吐いた。
少し離れた廊下の角から、三つの顔が覗いていた。
「ハルト様、いいなぁ」
ルーカスが、ぼんやりと呟く。
「俺も行きたいな」
シャノンが、じとっとした目でルーカスを見た。
「ルカは分かってないにゃ」
「何を?」
「今日は最終日だよ?」
「だからじゃん」
「はぁ。まだまだお子ちゃまだにゃ」
「どういうことなの?」
ルーカスが本気で首を傾げる。
ベルノは眼鏡を押し上げ、深く溜息を吐いた。
「ルカ。女の子と付き合ったことはあるか?」
「つ、つつ、付き合ったことないよ! 大学も年上ばっかりだったし!」
「天才ゆえの弊害が出てるにゃ」
「俺も学校には行ってねぇが、それじゃ行ってないのと同じだな」
「なんでだよ! 勉強するところだろ!」
シャノンはルーカスの背中を押した。
「ほら、飯行くにゃ。奢ってやるにゃ」
「シャノンが奢る!? 嘘でしょ!?」
「失礼なやつにゃ」
ベルノがルーカスの襟首を掴む。
「俺が連れて行ってやる。何が食いたい?」
「二人とはいつも一緒に食べてるじゃん!」
「うるせぇ。行くぞ」
「え、なんで!? 俺、何か間違えた!?」
「全部にゃ」
三人は、やかましく廊下の向こうへ消えていった。
ハルトはそれを見て、少しだけ口元を緩める。
「何してんだ、あいつら」
仲がいいな、と。
そう思った。
街へ出たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
その日のルヴェリアは、平和そのものだった。
空はよく晴れている。
湿った風もなく、強すぎる日差しもない。
水路には細かな光が揺れ、街路樹では鳥が鳴いていた。
まるで、この世に争いなどないとでも言うような日だった。
ハルトとエルナは、自然と横に並んで歩いた。
「道場、どうだった」
「少し疲れた。でも、嫌じゃなかった」
「ラインハルトは変だろ」
「うん」
「即答かよ」
「でも、悪い人じゃない」
「まあな。弟子って言われると面倒くせぇけど」
「師匠、嬉しそうだった」
「めちゃくちゃ嬉しそうだったな」
エルナが少し笑う。
「イグニスさんも優しい」
「そうか?」
「うん」
「俺からしたら、いつもいじってくるうるせぇ長女みたいなもんだけどな」
「長女?」
「なんかいるだろ。やたら面倒見がよくて、距離感近くて、余計なこと言ってくるやつ」
「……うん。いる」
「誰だよ」
「イグニスさん」
「だろ」
今度は、二人で少し笑った。
「ナザルさんは?」
「あいつは……いつ寝てんだろうな」
「寝てないの?」
「多分ちょいちょい死んでる」
「死んでるの?」
「仕事でな」
「それは死んでるの?」
「ほぼ死んでる」
エルナは真面目に考え込んだ。
「でも、海ではすごかった」
「ああ。あいつ、海だと別人みたいに強ぇからな」
「海坊主」
「でかかったろ」
「うん。怖かったけど、少し……綺麗だった」
「水の化け物見て綺麗って言えるなら、だいぶ黒牙に染まってきてるぞ」
「そうなの?」
「多分な」
そう言いながら、ハルトは通りの屋台を見た。
「何が食いたい?」
「えっと」
「なんでもいいぞ」
エルナは少し迷ってから、一つの屋台を指差した。
「じゃあ……あれ」
串焼きの屋台だった。
初日の夜、ハルトが連れて行った店。
「屋台でいいのか?」
「うん」
エルナは髪飾りに触れる。
「もう一度、食べておきたくて」
「……そっか」
ハルトは串焼きを数本と、甘い焼き菓子を買った。
二人は水路沿いのベンチに座る。
最初の日と同じ匂い。
焼けた肉の香ばしさ。
甘い菓子の焦げた砂糖の匂い。
水路を渡る風。
エルナは串焼きを一口食べた。
「……あの時より、美味しい」
「まじか。味は変わってねぇぞ」
「変わったんだ。何故か」
「本当かよ」
ハルトは少しだけ笑った。
「でも、よかったよ。きっと、いい変わり方だろ」
「そう思う」
エルナは串を見つめたまま言った。
「ハルトがいてくれたからね」
ハルトは目を丸くした。
「いや、俺はなんもしてねぇよ」
そう言って、思わず目を逸らす。
「あ、目を逸らした」
「逸らしてねぇし」
「逸らした」
「逸らしてねぇ。ほら、見れる」
ハルトは、勢いでエルナの方を向いた。
「ほんと?」
翡翠の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
長い睫毛が、その色を静かに覆っている。
風に流れる絹のような金髪。
太陽が透けるような、白い肌。
前髪には、銀と翡翠の髪飾り。
こうして見つめろと言われる方が、無理だった。
ハルトは、また目を逸らした。
「あ、逸らしてるじゃん」
「……焼き菓子」
「もう」
エルナは頬を膨らませる。
「これも美味くなってるなら、超美味いんじゃねぇか? 食えよ」
「何焦ってるの?」
「焦ってねぇよ」
エルナが、ころころと笑った。
その笑い方が、あまりにも普通の女の子だったから。
ハルトは何も言えなくなる。
「何か、欲しいものとかないか?」
「欲しいもの?」
「なんでも……とは言えねぇけど。大体なら」
エルナは少し考える。
それから、髪につけた飾りへ指を伸ばした。
「もう、いらないかな」
「……え?」
「私には、これがあるから」
銀と翡翠が、日の光を受けて小さく光った。
「そうか」
ハルトは、少しだけ視線を落とす。
「喜んでもらえてるなら……じゃあ、もっといい飯とか?」
「そういうのじゃなくて」
エルナは、ハルトを見る。
「ハルトのこと、教えてよ」
「俺のこと?」
「うん」
「俺のことなんて聞いてどうすんだよ」
「知りたいから」
あまりにも真っ直ぐだった。
「小さい頃とか、何してたの? ルヴェリア出身?」
ハルトは黙り込んだ。
しばらくして、短く答える。
「覚えてない」
「……嘘」
「え?」
「嘘ついてるの、分かるよ。何となく」
エルナは焼き菓子を膝の上で持ったまま、静かに言った。
「私もそうだったから。言いたくないこともあるよね」
「……そうじゃねぇ」
「違うの?」
「話していいのか、分かんなくて」
「どういう意味?」
ハルトは、水路の向こうを見た。
橋の上を人が歩いている。
笑い声が聞こえる。
この世界の街で、この世界の空気を吸って、自分は半年も生きている。
「笑うなよ」
「うん」
「俺、異世界から来たんだ」
エルナは瞬きをした。
「……異世界?」
「ああ」
「別の国じゃなくて?」
「多分、別の世界だ。日本って国だった」
「にほん」
「平和で、現代では戦争もほとんどなかった」
「戦争のない国?」
エルナは、信じられないものを見る目をした。
「すごいね。今のルヴェリアみたいに、世界一の軍事国だったの?」
「全然」
「違うの?」
「弱くはないと思うけど、争いが起きないくらい豊かだったんだ。この世界と比べてな」
エルナはハルトの横顔を見る。
その目は、いつものハルトではなかった。
黒牙第六席でも、白煙でも、盗賊でもない。
その世界にいた頃のハルトが、少しだけ顔を出しているように見えた。
「いつ来たの?」
「半年前くらいだな」
「は、半年!?」
エルナが珍しく大きな声を出した。
「それで幹部になったの?」
「いろいろあった」
「いろいろって……」
「いろいろだ」
ハルトは苦笑する。
エルナは少し黙ったあと、小さく聞いた。
「ハルトは戻りたい? 日本」
「ああ」
即答だった。
「戻りたいよ」
その目は、遠くを見ていた。
「学生だった。あっちでは、人を殺さなくていい。仕事もここほどブラックじゃねぇと思うし、理不尽に大きく変わることも強要されない。悪いことなんて一つもしなくていい。まっさらな自分でいられたからな」
「すごい世界なんだね」
「まあ、普通だったけどな」
「後悔してる?」
「してない」
また、即答だった。
だからエルナには分からなかった。
帰りたい。
やりたくないことをしてきた。
人を殺さなくてよかった世界に戻りたい。
それなのに、後悔はしていない。
「なんで?」
「皆と出会えたからな」
「皆?」
「ああ」
ハルトは指折り数えるように、ゆっくり言った。
「ニオに世界を見せてもらって、エイベルに文字と信頼を教わって、セリカに仕事を教わった」
エルナは黙って聞いていた。
「団長は、新しい世界を見せてくれるらしい。イグニスは、まあ……いじってくるうぜぇ長女みたいな感じだよな」
「さっきも言ってた」
「本当のことだからな。ナザルはなんというか、馬鹿やれる兄弟って感じだ。年上だけど」
「兄弟」
「ああ。補佐見習いたちは、ちゃんとやれそうで、まだ見てないと危なっかしいし」
ハルトはそこで少し止まる。
「それに……エルナとも会えたろ」
「私、と?」
「俺、迷ってたんだ。お前と会った時」
ハルトは、串の残りを見つめながら言った。
「なんて返せばいいか分からなかった。自分の価値を見てなくて、生きることに執着がなくて、自分の環境にも興味がなかった」
エルナの指が、少しだけ止まる。
「いや、無くなったんだろうな」
「……うん」
「初めてだったんだ。そんなやつと会ったの」
ハルトは小さく息を吐いた。
「だから、見捨てたくなかった。俺の勝手で連れ回して、俺の好きなものを食わせて、俺が見せたいものを見せた」
「……」
「知ってほしかったんだ」
ハルトは、水路に映る光を見る。
「この世界、まだまだ捨てたもんじゃないって」
「そうだったんだ」
「ごめんな。全部、俺のわがままで」
ハルトは少し笑う。
「俺、今は盗賊だから」
「いいよ」
エルナは、髪飾りに触れた。
「ハルトのわがままのおかげで」
少し間を置いて、続ける。
「今は、エルナになれた……気がするから」
ハルトは、何も言えなかった。
エルナは顔を上げる。
「ねえ、もっとハルトのこと聞かせてよ」
「俺、もう全部話したよ」
「話してないよ。異世界から来た学生さん。今は盗賊」
「その言い方やめろ」
「なんで白煙って呼ばれてるの?」
ハルトの顔が、少しだけ固まる。
「その話はしたくねぇ」
「したくないの?」
「したくない」
「してよ」
「嫌だ」
「私のわがままは、聞いてくれないんだ」
ハルトは黙った。
エルナは、翡翠の目でじっと見てくる。
責めているわけではない。
でも、逃がしてくれない。
「……じゃあ、見せる」
「見せる?」
「ああ」
ハルトは立ち上がった。
「行こう」
「どこへ?」
ハルトは、ほんの少しだけ黙った。
「海岸だ」
ニオと夕陽を見た場所。
そして、そのニオを凍らせ、砕いた場所。
白煙の名が生まれた場所ではない。
けれど、ハルトが白煙として、取り返しのつかないものを終わらせた場所だった。
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、エルナにとっての実質的な最後の一日と、ハルトの過去に少し踏み込む回でした。
ハルトが異世界から来たことを、作中人物にここまで話すのはかなり大きな場面です。
同時に、エルナが「ハルトのことを知りたい」と自分から踏み込めるようになった回でもあります。
そして王城側では、南諸島連合の不穏な動きも始まりました。
ルヴェリアという国が、ただ強いだけではなく、経済と港と運河で世界を握っている国だという部分も少し見えてきたと思います。
次回は「白煙の星空」。
ハルトがエルナを連れて行く場所は、彼にとって綺麗な思い出だけではない場所です。
エルナが何を見るのか。
そして白煙のハルトが、自分の力をどう見せるのか。
続きを楽しんでもらえたら嬉しいです。




