第7話 守るモノ
翌朝。
エルナは黒牙本部の一室で、椅子に座っていた。
目の前にはオルガン。
横にはリスティア。
壁際にはハルトとセリカ。
さらに少し離れたところに、イグニスとナザルの姿もある。
診察というより、会議に近い空気だった。
エルナは胸元に手を置く。
服の下には、魂晶核がある。
昨日、酒場で笑っていた時には、少しだけ忘れていた。
自分が何者なのか。
自分が何を持っているのか。
けれど朝になれば、それはまた胸の奥に戻ってくる。
「怖がらんでいい。痛いことはせん」
オルガンが言った。
大きな体。片眼鏡。深い皺。
その声は低く、厳しい。
だが、不思議と乱暴ではなかった。
「……はい」
「胸元の魂晶核に、触れてもよいか?」
エルナは少しだけハルトを見た。
ハルトは短く言う。
「嫌なら断れ」
その一言で、エルナの指が少しだけ緩んだ。
嫌なら断っていい。
たったそれだけのことが、今までのエルナにはなかった。
「……大丈夫」
エルナが小さく頷くと、オルガンは慎重に魔道具を取り出した。
古い金属枠に、薄い水晶板が嵌め込まれた道具だった。
魔力の濃淡や流れを、色の揺らぎとして映すものらしい。
オルガンが水晶板をエルナの胸元へ近づけると、板の中に淡い緑と白の光が細かく震え始めた。
「うーむ……」
オルガンが唸る。
ハルトが眉を寄せた。
「どうなんだよ」
「正直に言えば、未知数じゃ」
「未知数?」
「ワシも資料や魔道具越しの記録なら見たことはある。じゃが、本物の魂晶種をこの目で見るのは初めてじゃ」
オルガンは水晶板から顔を上げた。
「つまり、下手に断言はできん」
エルナは静かに俯いた。
未知数。
その言葉は、何度も聞いた言葉に似ていた。
価値がある。
危険だ。
貴重だ。
兵器になる。
誰かがそう言うたびに、エルナ自身はどこかへ追いやられていった。
「爆発するのか?」
ハルトが聞くと、リスティアが首を傾げた。
「分からない」
「分からない?」
「うん。爆発するかは、分からない。でも」
リスティアは、エルナの胸元をじっと見ていた。
胸元そのものではなく、その奥にある何かを見るような目だった。
「すごいエネルギー。ぎゅってしてる。小さいのに、深い」
「……深い?」
「うん。底が見えない」
ハルトは少しだけ眉を寄せる。
オルガンもまた、顎髭に触れながら水晶板を見た。
「危ないかどうかも、今は分からん。じゃが、分からんほどの力がある。故に危険じゃ」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
未知数。
危険。
その言葉が、エルナの肩をわずかに縮こまらせた。
ハルトは一歩、エルナの前に出た。
「だから俺がいる」
エルナが顔を上げる。
ハルトはオルガンを見ていた。
「分からねぇなら、分かるまで見ればいい。危ねぇなら、危なくならねぇようにする。何かあったら、俺が止める」
「ハルト様」
セリカが小さく呼ぶ。
「無茶を前提に話を進めないでください」
「無茶じゃねぇよ」
「無茶です」
「じゃあ、いつものことだ」
「開き直らないでください」
ナザルが椅子の背にもたれながら笑った。
「出たよ。白煙式安全管理」
「うるせぇ」
「何かあったら俺が止める、ねぇ。言うじゃん、ハルト」
イグニスが頬杖をつきながら、にやにや笑う。
「おねーさん、ちょっと感動しちゃった」
「茶化すな」
その時だった。
リスティアが、ふと動きを止めた。
いつもの眠そうな目が、ほんの少しだけ開く。
「……あ」
全員の視線がリスティアへ向いた。
ハルトが聞く。
「どうした?」
「感じた」
「何を?」
リスティアはハルトを見た。
それから、エルナを見た。
「ハルトは、エルナの……運命を大きく変えるよ」
部屋が静かになった。
エルナは息を止めたように固まる。
ハルトは眉を寄せた。
「それ、いい方か?」
リスティアは少し考えた。
「分かんない」
「分かんないの!?」
ハルトが思わず声を上げる。
ナザルがすかさず笑った。
「ぜってぇ泣かせる未来だな、ハルト」
「なんでそうなる」
イグニスも乗る。
「尻に敷かれる未来かもよ?」
「うるせぇ!」
ハルトの声が部屋に響く。
エルナは、まだ少し固まっていた。
運命。
その言葉は、重かった。
でも。
ハルトが自分の前に立ったこと。
分からないものを、分からないまま見捨てないと言ったこと。
その方が、もっと胸に残った。
「それと、ハルト」
空気が少し緩んだところで、オルガンが話題を変えた。
「例の平和税刻印じゃがな。少し形になってきた」
「刻印?」
「ああ。加入者の家や店に打った印を基点に、簡易的な防護魔法を張る仕組みじゃ」
オルガンは机の上に小さな板を置いた。
そこには、家の見取り図のような線と、小さな刻印が描かれていた。
「幹部の屋敷に張るような本格的な結界とは違う。強度も範囲も落ちる。じゃが、その分、生活の邪魔にならん。扉の出入り、窓の開閉、客の出入り。そういうものを極力阻害せず、外からの雑な侵入や流れ弾を弾く」
「家を、簡単なシェルターにするってことか」
「簡単に言えば、そうじゃな」
オルガンは頷いた。
「ただし、まだ実験段階じゃ。防護を強くすれば、魔晶石の消費が重くなる。弱くすれば、守れる範囲も落ちる。入ってくる平和税の税収と、消費する魔晶石の量。その釣り合いを見て、区画ごとに強度を調整する必要がある」
ハルトは見取り図を覗き込んだ。
「区画ごと?」
「そうじゃ。刻印を区画、家、店ごとに分ける。識別魔法と組み合わせれば、誰が納めているか、どの家が対象か、滞納しているかも整理しやすい。徴収も管理も随分楽になる」
セリカが静かに頷く。
「帳簿上もかなり整理しやすくなります。今までより、徴収漏れや二重取りも減らせます」
「二重取りはするなよ」
「当然です」
セリカは真顔だった。
「ただし、未加入者が加入者のふりをして保護を受けようとする場合は弾けます」
「それはいいな」
ハルトは椅子にもたれた。
平和税。
最初は、ただの思いつきに近かった。
薬を切る。
治安を売る。
力で縛るのではなく、守ることで金を取る。
黒牙のやり方としては甘いと言われても仕方がないものだった。
だが、今は少しずつ形になっている。
オルガンは淡々と続けた。
「もっとも、現状では常時発動させる必要は薄い」
「治安がいいからか?」
「うむ。最近は、刻印を舐めた銀翼残党が、ハルトに一人で全員凍らされ、砕かれ、死体も残らなかったという噂が広がっておる」
「待て。死体も残らなかったは盛りすぎだろ」
ハルトが眉をひそめる。
セリカが書類から目を離さずに言った。
「訂正しますか?」
「……いや、放っとけ」
「では放置します」
ナザルが肩を震わせて笑う。
「白煙の盗賊、怖ぇなぁ。死体も残さねぇらしいぜ?」
「お前が言うな」
イグニスも楽しそうに言う。
「でも効いてるんだろ?」
「効きすぎておる」
オルガンは顎髭に触れた。
「短絡的な強盗や酔っ払い同士の揉め事はある。じゃが、組織立った強盗、店への襲撃、刻印を軽んじる連中は激減した」
「そりゃいいことだろ」
「良いことじゃ。さらに薬を切ったことで、酒場周りに一般層が入りやすくなってきておる。前より客足が増え、真っ当な売り上げは上がっている」
セリカが補足する。
「薬関連の即金収入は減りましたが、酒場、食事処、宿、娯楽場の収益が伸びています。治安が安定したことで、商人や職人も戻り始めています」
「いいじゃねぇか」
「一方で、酒に溺れる者は増えています」
「そこは増えんのかよ」
ナザルが酒瓶を掲げる。
「酒は合法だからな!」
「お前が言うと説得力がないんだよ」
スイレンが小さく頷く。
「アルコール依存者への対策も、そのうち必要になるでしょう」
「黒牙が酒の飲み方まで面倒見るのか?」
ハルトが嫌そうな顔をする。
オルガンは鼻を鳴らした。
「街を守るとは、そういうことじゃ。薬を切れば酒へ流れる者が出る。酒を締めすぎれば別の逃げ道が生まれる。治安とは、ただ殴って終わるものではない」
「……面倒くせぇな」
「だから統治じゃ」
その言葉に、ハルトは少し黙った。
「お前がヘキサレインと呼ばれる意味も、そこにある」
「……第六席の称号だろ」
「ただの飾りではない。レインは支配、統治を意味する。奪った土地を治め、金を回し、人を守り、恐怖を使い、秩序を作る者の名じゃ」
オルガンは机の上の見取り図を指で叩いた。
「お前は今、それを始めておる」
「……名前だけ偉そうだと思ってた」
「名前だけで終わらせるな、ということじゃ」
「重ぇな」
「席とはそういうものじゃ」
統治。
戦って勝つこととは違う。
殺して終わることとも違う。
金を取り、守り、脅し、整え、時には面倒まで見る。
悪名を使って恐怖で縛る。
刻印を使って保護を見せる。
薬を切り、酒場を戻し、人の流れを変える。
平和税は、ただの名目ではなくなっていた。
少しずつ、形になっている。
自分が思い描いた支配が、街の中で動き始めている。
「それで、プロテクトは今すぐ使うのか?」
ハルトが聞くと、オルガンは首を振った。
「今は切っておいてよい。比較的安全じゃし、魔晶石を無駄に食う。南諸島の動き次第で、必要区画だけ段階的に起動するのが妥当じゃろう」
「非常時用か」
「そうじゃ。普段は刻印と識別で管理し、いざとなれば家や店を簡易シェルターにする」
セリカが書類に筆を走らせる。
「対象区画、魔晶石の必要量、税収との釣り合いをこちらで再計算します」
「頼む」
「はい」
ハルトは見取り図をもう一度見た。
小さな印。
それが、家を守る線になる。
街の人間にとっては、ただの盗賊の刻印かもしれない。
それでも。
そこに入っていれば、守られる。
少なくとも、そう思える。
ハルトは小さく息を吐いた。
「……形になってきたな」
セリカがその横顔を見る。
「はい」
オルガンも、わずかに頷いた。
「まだ未熟じゃ。だが、悪くない」
悪くない。
それは、オルガンにしては十分すぎる評価だった。
「エイベルが泣いて喜ぶね」
イグニスが、ふと柔らかい声で言った。
ハルトは少しだけ目を伏せる。
「エイベルは、そういうタイプではないだろ」
「そういうタイプだよ」
イグニスは迷わず言った。
ハルトは言い返そうとして、少しだけ黙る。
エイベル。
風読み。
預かった人間に手ぶらで帰れとは言わない男。
目的を忘れるなと言った男。
泥の中で、それでも誰かを見捨て切れなかった男。
ハルトは、机の上の見取り図を見た。
刻印。
識別。
平和税。
守るための仕組み。
「……でもまあ、喜んでくれるだろうな」
小さな声だった。
イグニスはそれ以上、何も言わなかった。
◇
午後は、自宅待機になった。
南諸島連合に動きがある。
ゼギルからは、七日目には西への道が整うから準備しておけ、ただし気を抜くな、と短く通達が来ていた。
だから今日は、無闇に外へは出ない。
ハルトの屋敷の裏庭で、ゆっくりと時間が流れていた。
春の日差しは柔らかく、風は心地よかった。
庭木の葉が揺れ、干した布がゆるくはためいている。
エルナは椅子に座り、両手でお茶の杯を持っていた。
今日は、イグニスからもらった赤いカーディガンを羽織っている。
白い服の上に赤が乗ると、少しだけ印象が変わった。
昨日までより、柔らかく見える。
ハルトはそれを見て、少し呆れたように言った。
「ほんとに妹だと思われてんな」
「……うん」
エルナは袖口を少し掴んだ。
嫌ではなかった。
誰かの妹のように扱われること。
心配されること。
服を渡されること。
そういうものが、まだ少し不思議だった。
セリカは静かにお茶を注ぎ足していた。
三人で、なんとなく他愛もない会話をした。
風が気持ちいいとか。
庭の花が咲き始めたとか。
ナザルは本当に寝ていないのかとか。
ラインハルトは弟子を増やしすぎではないかとか。
どれも、大事な話ではなかった。
けれど、エルナは何となく、その時間が嫌ではなかった。
「昼食作ってくる」
ハルトが急に立ち上がった。
エルナは少し目を瞬かせる。
「ハルトが?」
「何だよ」
「ご飯、作れるの?」
「作れるわ」
ハルトは少し不満そうに言い、屋敷の中へ入っていった。
その背中を見送りながら、エルナはセリカを見る。
「ハルトは、ご飯作れるの?」
「はい」
セリカは静かに頷いた。
「前任者が、そうでしたので。ハルト様にも思うところがあったのかもしれません」
「上手なの?」
「家庭料理ばかりですが、悪くないですね。勉強も料理も、ああ見えてそつなくこなすタイプです」
セリカは、少しだけ遠くを見るような目をした。
「まるで、元々盗賊とは縁がなかったような、繊細な一面や教養があります」
「ハルト……口悪いし、雑なのに?」
「……そうですね」
セリカは小さく笑った。
「でも、ハルト様はそうなるしかなかったんですよ。自分が壊れないために」
エルナは黙った。
自分の知らないハルト。
セリカの知っているハルト。
それは、胸の奥に小さな棘のように残った。
嫌ではない。
けれど、少しだけ苦しい。
セリカはお茶の杯を置き、エルナを見る。
「エルナさんは、ハルト様をどう思いますか?」
「え……」
核心に触れる問いだった。
セリカの目は優しかった。
けれど、芯があった。
逃がさないための目ではない。
ちゃんと向き合うための目だった。
「ハルト様は、全てを背負い込みます。あなたが助けを求めれば、命をかけると思います」
「……命」
重い言葉だった。
エルナは思わず視線を落とす。
「そんなの、望んでない」
少しだけ、責められているような気がした。
でも、セリカの声は変わらなかった。
「いいんですよ。ハルト様は、それを重荷と感じる人ではありません」
「……」
「ただ、私はあなたの気持ちを聞いています」
「……気持ち?」
「はい」
セリカは静かに頷いた。
「助けてほしいなら、自分の気持ちをちゃんと確かめる必要があります」
エルナは胸元に手を置いた。
魂晶核。
自分の価値。
自分ではないもの。
ずっと、そう思ってきたもの。
セリカは続ける。
「価値がないから助けなくていい。別に生きたいわけじゃない。そんな曖昧なまま、助けられてほしくはありません」
エルナは顔を上げる。
セリカの言葉は厳しかった。
けれど、冷たくはなかった。
「ハルト様の信念を、踏みにじってほしくないからです。私は、そう思います」
エルナはすぐに答えられなかった。
生きたいのか。
助けてほしいのか。
ハルトに何を望むのか。
今までは、考えないようにしていた。
考えたところで、どうにもならなかったから。
「……まだ、分からないけど」
「はい」
「ちゃんと、考えてみる」
セリカは少しだけ表情を和らげた。
「なら、大丈夫です。あなたは変われますよ」
「なんで、分かるの?」
「言葉にできるようになりましたね」
セリカは静かに言った。
「大事なことです」
エルナは、その言葉を聞いて、セリカを見た。
強い人だと思った。
戦う強さではない。
第六席補佐。
ルーカスたちから聞いてはいた。
三人の上司。
その器がある人。
ハルトに一番近い人。
そう思うと、胸の奥が少しだけもやっとした。
エルナは、その気持ちを頭から払う。
「私も、セリカさんみたいになりたい」
セリカが少しだけ目を瞬かせた。
「私ですか?」
「うん」
エルナは、言葉を探しながら続ける。
「強くて、かっこいい人。守られるだけじゃない人。上手く表せないけど……これから探してみる」
少しだけ、不安になった。
「ダメかな?」
セリカは首を振った。
「すごくいいと思います」
その声は、今までで一番柔らかかった。
その時、屋敷の方からハルトの声が飛んできた。
「おーい。できたぞー」
三人は席を立ち、屋敷の中へ向かった。
食卓には、簡単な料理が並んでいた。
焼いた肉。
野菜のスープ。
黒パン。
少しだけ香草の入った魚。
どれも特別な料理ではない。
家庭料理。
けれど、湯気が立っていて、温かかった。
「悪くないだろ? 最近練習してるんだ」
ハルトが少し照れくさそうに言った。
エルナはスープを一口飲む。
野菜の甘さと、少し強めの塩気。
それから魚を食べる。
昨日食べた店の料理ほど綺麗ではない。
でも、温かい。
「……うん。美味しい」
「え?」
ハルトが目を丸くした。
エルナは、はっとして顔を赤くする。
「あ……」
何かを言おうとして、言葉が詰まる。
ハルトは少しだけ黙ってから、ふっと息を吐いた。
「いや……そうか。ありがとう」
その声は、思ったより静かだった。
横でセリカが匙を置く。
「塩を少し振りすぎですね。男の料理です」
「お前は美味いって言えよ。部下だろ、気を使え」
「事実です」
「というか、お前の粥、最悪だったからな」
「あれは効能を重視しています! 味は度外視です!」
「見た目も酷かったから!」
「見た目もです!」
「効能しかないじゃん……せめて愛情は入れてくれよ」
「それもです」
「それも無いの!?」
ハルトの声が食堂に響く。
セリカは真顔だった。
エルナは二人を見て、思わず小さく笑った。
昨日よりも、少しだけ自然に。
胸の奥はまだ分からないことばかりだった。
けれど、温かい料理の味だけは、分かった。
美味しい。
そう思えた。
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回はエルナの身体調査と、平和税の仕組みが少し形になってきた回でした。
ハルトが始めた平和税は、ただの集金ではなく、刻印や識別、防護魔法と結びついて、少しずつ「守るための仕組み」になり始めています。
戦って勝つだけではなく、街を治める。
第六席、ヘキサレインとしてのハルトの役割も、少しずつ見えてきました。
そして後半は、エルナとセリカの会話です。
エルナはまだ、自分がどうしたいのかは分かっていません。
それでも「ちゃんと考えてみる」と言えるようになったことは、大きな変化だと思います。
少しでも面白い、続きが気になると思っていただけたら、評価・応援をしていただけるととても励みになります。
次回もよろしくお願いします。




