第15話 銀翼を終わらせてくる
ルーカスが、階段を上がってきた。
全身、血まみれだった。
服は裂け、胸も腕も腹も赤黒く汚れている。見ただけなら、今すぐ倒れてもおかしくない。
「ルーカス!」
セリカがすぐに近づいた。
「怪我は」
「多分、治ってます」
「多分で済ませないでください」
セリカはルーカスの胸元を見る。
裂かれたはずの傷は、確かに塞がっていた。
だが、左肩から右脇腹へ。
袈裟に走る大きな傷跡だけが、赤く残っている。
「……これは」
セリカの目が細くなる。
「残りますね」
「え?」
「あれだけの傷です。命が繋がっただけでも異常です。傷跡まで消えると思わないでください」
ルーカスは、自分の胸元を見る。
レイドに斬られた跡。
死を知った跡。
「……そうですか」
ルーカスは少しだけ笑った。
「じゃあ、忘れなくて済みますね」
その言葉に、セリカがわずかに眉を寄せた。
「あなたは本当に……」
「はいはい、そこまで」
横からイグニスが、ルーカスの頭をぐいっと抱き寄せた。
「いい顔して言うんじゃないよ、新人」
「イ、イグニス様……」
「忘れなくて済むのはいい。でもね」
イグニスは、ぽんぽんとルーカスの頭を撫でる。
「痛かったものは痛かったでいいし、死にかけたなら休めばいいんだよ」
ルーカスは少しだけ目を伏せた。
「……はい」
「よし。よくできました」
くしゃくしゃと髪を撫でられる。
周囲の黒牙構成員から、低い声が漏れた。
「ルカ……」
「てめぇ……」
「勝ったからって許されると思うなよ……」
別の男が、ぼそりと呟く。
「今、魔力すっからかんらしいなぁ」
「今ならルカやれるぜ、マジで……」
「お前、銀翼第四席倒したやつに喧嘩売るのか?」
「今なら倒せるだろ。多分」
「多分で命張るな」
セリカが振り返る。
「聞こえていますよ」
男たちは一斉に背筋を伸ばした。
「違います」
「そうですよ。イグニス様に近づく不届き者への、しゅくせ……祝福ですよ!」
「黒牙流の祝福です!」
「命懸けの敬意です!」
イグニスが、ルーカスの頭を抱えたまま笑った。
「だってさ。人気者だねぇ、ルカ」
「これ、人気なんですか……?」
ハルトが喉の奥で笑った。
「黒牙ではな」
ルーカスは魔力切れで抵抗する力もなく、目だけで助けを求めた。
セリカは小さく息を吐く。
「冗談を言っている場合ではありません。血も失っています。魔力もほとんど空です。座ってください」
「でも、ハルト様に……」
「座ってください」
「はい」
ルーカスは素直に座ろうとして、少しよろけた。
ベルノが慌てて支える。
「無理をしないでください。あれだけの戦いをしたんです」
担架の上で、シャノンが耳をぴくりと動かした。
「ルカ、お前、心臓止まってたにゃ」
「はい。止まってました」
「返事が軽いにゃ!?」
ベルノが眼鏡を押さえ、深く息を吐く。
「普通は、止まっていた心臓を会話の中で軽く扱いません」
「すみません。次から気をつけます」
「次があってたまるか」
セリカが額に手を当てる。
「本当に、白煙の周りには問題児しか集まりませんね」
ハルトがルーカスを見る。
「少しだけだ」
セリカが視線を向ける。
「ハルト様」
「話すことがあるんだろ」
ルーカスは、ふらつきながらハルトの前に立った。
血まみれで、魔力も空で、立っているだけで膝が笑いそうになっている。
それでも、その目だけは真っ直ぐだった。
ハルトは腕を組んだまま、ルーカスを見る。
「決めたな」
「はい」
ルーカスは頷いた。
「俺は盗賊です。でも、不殺を貫こうと思います。……それが、俺の盗賊としての生き方です」
「殺すより難しいぞ」
「はい」
「考えることも増える。守るもんも増える。恨みも買う。全部勝たなきゃ、ただの甘さになる」
「はい」
ルーカスは、血まみれのまま答えた。
「全員守って、全部勝って、それでも誰も死なせません」
「はは」
ハルトが笑う。
「強欲だな」
「はい」
ルーカスも、少しだけ笑った。
「俺、結構わがままなので……!」
ハルトは満足そうに息を吐いた。
「いいぜ」
そして、ルーカスの肩に手を置く。
「お前のわがままは、俺が許す」
ルーカスの目が揺れる。
「足りない分は、俺たちが埋める。俺たちが届かねぇ場所には、お前が届け」
「はい!」
「それが、役に立つってことだ」
ハルトはルーカスの肩から手を離した。
「じゃあ、俺も俺にしかできないことをやってくる」
ルーカスが顔を上げる。
「……それは」
ハルトは、大穴の底へ視線を向けた。
「銀翼を終わらせてくる」
ハルトが歩き出した。
それだけで、黒牙側の空気が変わった。
さっきまでルーカスを茶化していた構成員たちが、揃って背筋を伸ばす。
笑い声が消える。
視線が、大穴の底へ集まる。
白い息を吐きながら歩く少年の背中に、誰もが自然と道を開けた。
ルーカスは、その空気に少しだけ息を呑んだ。
「……ハルト様って、すごいですね」
隣にいたセリカが、静かに視線を向ける。
「急に、みんなの感じが変わりました。この感じってことは、相当強いんですね……」
「強い」
セリカは短く答えた。
「強いとは思います」
「……?」
「ですが、ハルト様は強さで王牙幹部に入ったわけではありません」
「え、どういうことですか?」
「それは、ハルト様本人に聞いてください」
セリカは大穴へ降りていくハルトの背を見た。
「ですが、純粋な戦闘力で言えば、恐らくA+というところでしょう」
「え……A+……?」
ルーカスは思わず声を漏らした。
さっきまで戦っていたレイドは、S級の領域にいた。
イグニスは、S級を超える怪物だった。
黒牙幹部とは、そういうものだと思っていた。
「もちろん、ユニークスキルによる急速な成長はあります。悪名による補正もあります。ですが、現時点で本当にSの器かと言えば、イグニス様たちにはまだ軍配が上がるでしょう」
「それじゃあ……」
ルーカスは、大穴の向こうを見る。
銀翼第一席。
銀弾のギリオ。
「銀弾のギリオに、負ける可能性も……」
「ありません」
セリカの声は、即答だった。
「え?」
「負ける可能性はありません」
「それは、どういう理屈なんですか?」
セリカは少しだけ黙った。
それから、いつもより低い声で言う。
「あの人は、常に逆境に立たされてきました」
ルーカスは黙って聞く。
「格上と戦ってきました。傷ついて、倒れて、死にかけて、それでも必ず立ち上がってきました」
セリカの視線が、ハルトの背中から離れない。
「私たちに、自分の生き方を見せてきたんです」
黒牙の構成員たちは、もう誰も笑っていなかった。
白煙の背中を見ている。
金剛を砕いた少年を。
白煙として立った第六席を。
「だから構成員は、ハルト様についてきています」
セリカは言った。
「もう、ぽっと出の第六席ではありません」
「常に……格上を相手にして、それで……」
ルーカスは、息を呑む。
「あの」
「そうです」
セリカは静かに頷いた。
「ハルト様は、SS級の金剛を砕いています」
ルーカスの目が、わずかに見開かれる。
「最強ではありません」
セリカの声には、確信があった。
「でも、必ず勝つ」
ハルトが、大穴の底へ降りていく。
その背中に、白い煙のような息が揺れた。
「それが、白煙のハルトです」
ハルトが大穴の底へ降りる。
その瞬間、銀翼側の空気も変わった。
沈んでいた視線が、ひとつの場所へ集まる。
銀翼第一席。
銀弾のギリオ。
カウボーイハットのつばを、指で軽く持ち上げる。
「こうも前座が盛り上がると、やりにくいよなぁ。本当に」
ハルトは白い息を吐いて笑った。
「場を温めてくれたんだ。最高じゃねぇか」
「そう言うと思ったぜ、白煙」
ギリオの口元が吊り上がる。
「お前には、ちっと思うところが多いが……」
ギリオの周囲に、銀の粒が浮かび始めた。
「今日のベストバウトにしようぜ」
空気が張る。
観客のざわめきが、遠くなる。
「最後に上がる花火は、一番大きな華を咲かせる」
ギリオは、胸元の銀翼バッジに指を当てた。
「そうだろ?」
ハルトは肩をすくめた。
「どうでもいいさ」
短く、しかし冷たくない声だった。
「俺は俺の生き方を貫くだけだ」
ハルトはギリオを見る。
「お前も、そうだったんだろ? 銀弾」
一瞬、ギリオの笑みが深くなる。
「最高だぜ」
銀の弾丸が、ひとつ、空中で回った。
「なら楽しもうぜ、白煙」
ハルトの足元を、白い煙が這う。
銀と白。
大穴の底で、二つの色が向かい合った。
あとがき
第15話「銀翼を終わらせてくる」でした。
今回は、ルーカス戦の余韻からハルト出陣までの回です。
ルーカスは勝ちましたが、血まみれで魔力はほぼ空っぽ。
さらにレイドから受けた大きな袈裟斬りの傷跡は残ることになりました。
命は繋がったけれど、何もなかったことにはならない。
ルーカスにとって、あの傷は不殺を選んだ日の証になると思います。
そして今回は、ハルトがルーカスの「不殺」というわがままを認める回でもありました。
殺すより難しい。
守るものも増える。
恨みも買う。
それでもやるなら、ハルトはそのわがままを許すし、足りない部分は仲間で埋める。
ここでようやく、ルーカスが白煙陣営の牙として立った感じがします。
後半では、セリカ視点でハルトの強さにも触れました。
ハルトは純粋な戦闘力だけなら、黒牙幹部の上位陣やイグニスのような怪物にはまだ及びません。
けれど、常に格上と戦い、傷つき、倒れ、死にかけ、それでも必ず立ち上がって勝ってきた。
最強ではない。
でも、必ず勝つ。
それが白煙のハルトです。
ここからはいよいよ、ハルト対ギリオ。
ルーカス戦がかなり盛り上がったぶん、最後は白煙と銀弾で一番大きな華を咲かせたいと思います。
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