第10話 死ねない理由
幼い時、イグニスは両親が大好きだった。
小さな村の、さらに外れ。
森と草原の境目に、小さな家があった。
贅沢はできなかった。
父は猟師で、母は村の仕事を手伝っていた。
肉が毎日食卓に並ぶわけでもない。
服だって、何度も繕った。
冬は寒く、雨の日は屋根から少し水が漏れた。
それでも、幸せだった。
父は大きな手で頭を撫でてくれた。
母は夕暮れのような赤い髪を梳きながら、よく歌を口ずさんだ。
イグニスは、そんな時間がずっと続くと思っていた。
その日は、父の誕生日だった。
母と一緒に、野原で花を摘んだ。
形の悪い花も混ざっていたけれど、母は笑ってくれた。
「きっと喜ぶわ」
豪華ではない。
けれど、温かい食事も作った。
煮込んだ野菜と、少しだけ残しておいた肉。
母は何度も鍋の蓋を開け、味を見ていた。
イグニスは花束を抱え、扉の方ばかり見ていた。
父は、なかなか帰ってこなかった。
日が暮れていく。
窓の外が橙から紫へ変わる。
鍋の湯気も、少しずつ弱くなっていく。
遅い。
そう思った時、玄関のドアノブが回った。
「お父さん!」
イグニスは花束を持って駆け出した。
だが、入ってきたのは知らない男たちだった。
「お、ここか……」
男の一人が家の中を見回す。
「あのバカ、最後まで話さねぇからよ。時間かかったぜ」
「まったく、手間かけさせやがる」
母の顔から、血の気が引いていく。
それでも母は、イグニスの前へ出た。
「あなたたち、誰なの!」
気丈な声だった。
けれど、震えていた。
イグニスには分かった。
母は怖がっている。
それでも、イグニスを後ろへ隠そうとしていた。
「悪く思うなよ」
男が笑った。
「この辺りの女の、夕陽みてぇな綺麗な赤髪は高い値がつくんだ。生きてるなら、なおさらな」
母が男へ掴みかかった。
逃げて。
そう言った気がする。
けれど、その場にいるのに、すべてが遠く感じた。
激しい物音。
怒声。
椅子が倒れる音。
母の声。
自分の泣き声。
全部、遠い。
遠く、遠く、布の向こう側で起きているようだった。
鉄の匂いがした。
「早く来い。クソガキ」
「はぁ……何やってんだよ。ガキ一人になっちまったろうが」
「いねぇよりマシだろうが! くそ!」
「てめぇの性格治せよな。村外れの家はここしかねぇんだぞ」
「ガキ、早く来い。くそ、分かんねぇなら!」
衝撃。
顔が跳ねた。
口の中に硬いものが転がる。
歯だった。
たちまち、鉄の匂いが強くなった。
ああ。
これ、血の匂いなんだ。
大好きな母の匂いと、鉄の匂いが混ざっている。
けれど、母はもう動かない。
イグニスは、ぼんやりと思った。
お父さんは、戻ってきてくれないの?
「おい、傷つけんなよ。商品に……ん?」
ぱち。
ぱちぱち。
小さな火が灯るような音がした。
暖かい熱を感じた。
口の中の痛みが消えていく。
折れたはずの歯が、戻っていた。
「こいつ……歯が治りやがった」
「それ、お前……」
「ああ」
男の声が、急に明るくなった。
「大当たりだぜ」
その日から、イグニスの世界は変わった。
気づいた時には、施設にいた。
白い壁。
鉄の寝台。
硬い革の拘束具。
臭い薬品。
冷たい器具。
大人たちは、イグニスを名前で呼ばなかった。
素材。
個体。
被験体。
奇跡。
宝。
そんな言葉ばかりだった。
何度も切り刻まれた。
臓器を抜かれた。
骨を折られた。
血を抜かれた。
火で焼かれた。
毒を入れられた。
それでも治った。
元に戻った。
「これは凄いものを買えた」
「再生ではないな」
「ああ。これは回帰だ」
「元の状態に必ず戻る」
「長年の夢だった不死の研究も、もう一段階進みますね」
大人たちは、意味の分からない単語をいつも話していた。
イグニスには、何も分からなかった。
知らない組織に売られていたこと。
自分が不死研究の材料にされていること。
父と母がもう戻らないこと。
分かるようになった時には、もう遅かった。
十年。
人の心を壊すには、十分すぎる時間だった。
イグニスは、もう抵抗しなかった。
叫ぶことも減った。
泣くことも減った。
痛みにも慣れた。
苦しみにも慣れた。
死ねないことに慣れた。
終わらないことに、慣れてしまった。
死ねたなら、どれだけ良かっただろう。
こんな力がなければ、早く父と母に会えたのに。
そう思いながら、鉄格子の外を見ていた。
空が少しだけ見えた。
その空を、大きな鷹が飛んでいた。
イグニスの空は、それだけだった。
それだけだった。
そんな地獄を、地獄とも思えなくなった頃。
イグニスの狭い世界は、急に壊れた。
爆音。
悲鳴。
怒号。
いつも通り研究台に寝かされていたイグニスを、研究員たちが放り出して逃げていく。
よほどのことに違いない。
今日は、枷を付け直す時間すら惜しかったらしい。
イグニスは、ゆっくりと体を起こした。
そして、外へ歩いた。
研究所内は、逃げ回る研究員と、それを追いかけ殺す外套の男たちで溢れていた。
みんな、あまりイグニスには興味がないらしい。
たまに流れた刃が、首や腕を裂いた。
けれど、イグニスは反応しなかった。
どうせ戻る。
どうせ終わらない。
外へ出る。
空があった。
広かった。
鉄格子越しに見ていた空とは、まるで違った。
あの時の鷹が、遠くで飛んでいる気がした。
その時、長い黒髪の男がイグニスへ近づいてきた。
「第六席! 危険です!」
誰かが叫んだ。
だが、男は止まらない。
「大丈夫だよ」
その声は、柔らかかった。
場違いなほどに。
男はイグニスの前で膝を折り、少し視線を合わせる。
「きみ、名前は?」
イグニスより少し年上くらいだろうか。
その男の目は、澄んでいた。
研究員の目とは違う。
値段を見る目ではない。
失敗を観察する目でもない。
どう扱うべきか、迷っている目だった。
「近寄るな」
イグニスはそう言った。
誰も信用できない、というわけじゃない。
ただ、どう接していいか知らなかった。
「キツかったよね」
男がそう言った瞬間、イグニスの体から炎が溢れた。
勝手に出た。
反射だった。
防衛反応だった。
炎が牙のように男へ向かう。
途端に、男の体が黒煙に包まれた。
黒煙が炎を掴み、握り潰す。
炎は、男ごと黒煙の中へ消えた。
そして、黒煙が晴れる。
男はまだそこにいた。
少し困った顔をしている。
「そうか」
男は、自分で腑に落ちたように呟いた。
「こんな言葉、失礼か」
そして、また歩いてきた。
「来るなって」
もう一度、火が飛ぶ。
止められなかった。
男は避けなかった。
炎が肩を焼いた。
腕を焼いた。
首元をかすめた。
男は何度か膝をつきそうになった。
痩せ我慢しているに決まっていた。
痛くないはずがない。
それでも、男はこちらへ来る。
「第六席!」
金髪の几帳面そうな男が声を上げた。
止めようとしたのだろう。
だが、黒髪の男は振り返らなかった。
「大丈夫。大丈夫だから、任せてよ、エイベル」
エイベルと呼ばれた男は、唇を結んだ。
そして、黙った。
黒髪の男の手が迫る。
殺されると思った。
でも、どうせ死なないか。
イグニスは、少し笑った。
男は、イグニスをそっと抱きしめた。
意味が分からなかった。
体から熱が出る。
男の服が焦げる。
肉の焼ける匂いがする。
それでも、男は離さなかった。
「どうしていいか、わかんないよね」
耳元で、男が言った。
「僕も、君に何をしていいかわからないんだ」
男の腕が、少しだけ震えていた。
それでも、離さない。
「教えてよ」
黒煙の匂いと、焼けた肉の匂いが混ざる。
「僕は、知りたいんだ。君のことを」
それが、レヴィンとの出会いだった。
黒牙に手を出した人さらい組織から、この研究所も粛清対象になったらしい。
そんな時にイグニスを見つけた。
それは、後に聞いた話だ。
帰りの馬車で、イグニスはレヴィンから目が離せなかった。
エイベルは、ずっとイグニスを警戒していた。
その反応にも慣れていた。
怖がられること。
警戒されること。
危険なものとして見られること。
それは別に、初めてではなかった。
だが、エイベルはイグニスを睨み続けているわけではなかった。
むしろ、レヴィンの傷を見て、ずっと怒っていた。
「これは後が残りますよ。特に首」
レヴィンは困ったように笑う。
「まあ、仕方ないよね。僕にできることなんて、あんまりないからさ」
「沢山ありますよ。あなたは強いんですから」
エイベルの声は硬い。
「こういうことはやめて頂きたい」
「エイベルは本当に真面目だよね」
レヴィンは笑った。
「好きだよ、そういう所」
「そうやってはぐらかさないでください」
「ははは」
レヴィンの首に、火傷の跡があった。
イグニスがつけたものだ。
一生、残る。
その重さは、少しだけ分かった気がした。
でも、それよりも。
今の自分の感情が、抑えられなかった。
イグニスは、レヴィンの袖をそっと引いた。
エイベルが動く。
レヴィンがすぐに手で制した。
「どうしたの、イグニス?」
名前。
その男は、イグニスを名前で呼んだ。
「……私」
声が震えた。
「あなたと一緒にいたい……です……」
レヴィンは、困った顔をした。
エイベルは、やれやれという顔で息を吐く。
「また、ですか……いい加減にしてください」
「いや、多分そういうのじゃないよ」
レヴィンは、少し真面目に返す。
「イグニスに失礼だ」
「はぁ。まあ……どうしますか?」
「どうって言っても」
レヴィンは少し考えた。
「でもそうだな……またこういう組織に攫われたら可哀想だし、多分、家族も居ないだろうね……」
「分かりましたよ」
「ん? まだ何も言ってないよ」
「帰ったら住居の手配をします。そういう顔です。レヴィン様」
レヴィンは、また笑った。
「はは。優しいな、エイベルは」
「私は現実的なだけです」
「うん。そこも好きだよ」
「またはぐらかす」
レヴィンはイグニスを見る。
その目は、やはり澄んでいた。
「イグニス、うちにおいで。一緒に住もう」
その言葉だけで、胸の奥が熱くなる。
けれど、レヴィンは続けた。
「でも、君も自分の力と向き合わないとダメだ。できるかい?」
「私の……力と?」
大嫌いな力。
人生を壊した力。
父と母のところへ行くことさえ許してくれなかった力。
切られても、裂かれても、臓器を抜かれても、イグニスを元に戻してしまう力。
この人と一緒にいるためには、その力と向き合わなければならないらしい。
なら、向き合う。
好きになれなくてもいい。
許せなくてもいい。
それでも、見ようと思った。
レヴィンと一緒にいるために。
中庭の訓練場。
最初に炎を出した時、エイベルは驚いていた。
「出そうと思って、出せたのですか」
「うん」
「それは、凄いことですよ」
調べてもらったユニークスキル。
不死鳥の灯火。
その力が関係しているらしい。
炎は、出そうと思えば出せた。
けれど。
「っ……」
吐いた。
体が勝手に拒絶する。
この力を使おうとするだけで、喉が締まり、胃がひっくり返る。
エイベルがすぐに近づいてきた。
「水を飲みますか? 大丈夫ですか」
「いい、いらない」
「ですが……」
「エイベル」
レヴィンが止めた。
声は優しい。
けれど、甘くはなかった。
「ダメだ」
「レヴィン様……」
「そのままじゃ、イグニスは無意識に他人を傷付ける」
レヴィンの目が、イグニスを見る。
「それじゃ、ここに置けない」
胸が、少し痛んだ。
でも、分かっていた。
レヴィンは、突き放しているのではない。
一緒にいるために、必要なことを言っている。
「イグニス」
レヴィンが問う。
「できるね?」
イグニスは、口元を拭った。
「……うん」
立ち上がる。
「できる。やる」
炎を木人に飛ばす。
木人だけを焼く。
余計な場所を焼かない。
無意識に炎を漏らさない。
弱った体を鍛えるため、筋トレもした。
吐いてもやった。
手が震えてもやった。
火を見るたびに、研究所の白い壁を思い出してもやった。
上手くなると、レヴィンもエイベルも自分のことのように喜んだ。
「今のは良かったよ、イグニス」
「魔力の出力が安定してきましたね」
褒められることに慣れていなかった。
だから最初は、どう反応していいか分からなかった。
でも、少しずつ分かった。
嬉しい時は、笑えばいい。
三人でよく食事をした。
エイベルが作ってくれる飯は、家庭料理ばかりだった。
焼いた肉。
野菜のスープ。
硬めのパン。
豆の煮込み。
豪華ではない。
けれど、イグニスはそれが大好きだった。
温かい食卓の匂いがしたからだ。
季節が、何度か変わった。
イグニスは炎を完璧に使いこなせるようになった。
同時に、黒牙での見られ方も変わってきた。
危険な女。
死なない女。
炎の女。
そのどれもが、少しずつ恐怖から評価へ変わっていった。
「イグニス、よくやったね」
その日は、レヴィンと二人きりで食事をしていた。
エイベルは珍しく席を外している。
イグニスは、皿の上の肉を切りながら肩をすくめた。
「ありがとう。レヴィンとエイベルがいてくれて、私、本当に良かった」
「それはエイベルがいる時に言ってやってよ」
レヴィンが笑う。
「多分、彼、泣くよ」
「泣かないでしょ。鉄人みたいなところあるし」
イグニスは口を尖らせる。
「最近はお母さんかってくらいうるさいんだよねぇ」
「はは。馴染んできたってことでしょ」
レヴィンは水を一口飲んだ。
「それより……あの話、どうするの?」
イグニスの手が止まる。
「……幹部昇格の話か」
「うん」
レヴィンは嬉しそうに言った。
「すごいじゃないか」
「すごい」
イグニスは頷く。
「すごいのは、そりゃあすごいと思う。流石、私って感じ」
けれど、少し心残りがあった。
幹部になれば、レヴィンと一緒には住めない。
シマが与えられ、そこを統治しなければならない。
それに。
レヴィンの兄、ゼギルと馬が合わなかった。
嫌いではない。
カリスマ性もある。
強さも、恐ろしさも、認めている。
けれど、レヴィンの優しさで黒牙に入ったイグニスからすると、恐怖と支配による政治はどうにも合わなかった。
だから、イグニスは武闘派閥に属するつもりでいた。
「レヴィンはどう思うのさ?」
「え? 俺?」
レヴィンは、少し黙った。
そして言う。
「俺は、イグニスに幸せになってほしいよ」
イグニスは半眼になった。
「……あんた、最低」
「え!? 最低!? なんでさ!」
「答えになってないし」
イグニスは食器を置いた。
「そもそも、私はレヴィンについてきたんだよ?」
言葉が少し詰まる。
「そうじゃなかったら、こんな力と……」
向き合うことだって。
最後まで言えなかった。
レヴィンは少し沈黙し、それから笑った。
「何笑ってんだよ!」
イグニスはレヴィンの肩を殴った。
「いたっ」
「いや違うんだよ」
体が跳ねたレヴィンの首元が見えた。
火傷の跡。
イグニスがつけた傷。
一生残る傷。
イグニスは黙った。
「いいかい、イグニス」
「……うん」
レヴィンの目が、真面目になる。
「僕は好きだよ」
そういうことを、真面目な目で言う。
意味が違うのは、この数年で分かっていた。
「何度でも言う。君の力、僕は好きだ」
「そりゃどーも」
イグニスは少し顔を逸らす。
「ユニークを持ってないやつは、何度でも言えるね」
「……あのさ」
レヴィンの声が、少し低くなった。
茶化せない音だった。
「俺はその力、呪いなんて思わない」
真剣な瞳が、イグニスを見る。
「何度か話してくれたよね」
レヴィンは続けた。
「この力は呪いだって。死にたくても死ねなかった。この赤い髪がなければ、両親は死ななかったって」
「……それが?」
「その力の本質はね、人を傷つけるための力じゃない」
レヴィンは、はっきりと言った。
「君を守るための、ご両親の愛だと思う」
言葉が、胸の奥に落ちた。
「君を守るための、優しい力だよ」
レヴィンは、火傷の残る首元に触れもせず、イグニスを見る。
「だから、僕はその力が好きだ」
その目は、まっすぐだった。
「優しくて、力強くて、綺麗なその炎が」
照れくさくて、何も言えなかった。
俯くしかなかった。
「……ありがとう」
声が小さくなる。
「そう思えるように……頑張る」
「それに、その赤い髪もだよ」
「え」
「僕は、そんな綺麗な赤髪を見たことがない。それに」
「あー! もう! いいよ! わかった!」
「えぇ? まだ言い終わってないのに」
「あんたの気持ちはわかったから!」
分かっていた。
レヴィンの気持ちは、恋ではない。
大事な家族へ向けるもの。
守りたい相手へ向けるもの。
レヴィンの優しさは平等だった。
自分を殺そうとする相手にすら、理由を聞こうとしてしまう人だ。
だから。
だからこそ。
イグニスが欲しかった言葉は、きっともらえない。
「私も幹部になる」
イグニスは言った。
「でもね、私は武闘派閥に属する」
「……そんな気はしてたよ」
「それだけ?」
「え?」
もっと違う言葉が欲しかった。
引き止めてほしかったわけではない。
でも、形にして欲しかった。
それでも。
レヴィンがそういう気持ちにならないことも、分かっていた。
レヴィンは少し困ったように笑い、それから言った。
「そうだね」
そして、ちゃんと目を見てくる。
「イグニス、おめでとう。第十席」
「そう!」
イグニスはわざと強く言った。
「それを言えよな! まったく……!」
でも、レヴィンの首の傷を見ると、それ以上は何も言えなかった。
私はレヴィンを愛していた。
その想いが報われたことは、多分、一度もない。
けれど、あの人は私の炎を好きだと言ってくれた。
このクソッタレな力を、綺麗だと言ってくれた。
生きたくなかったのに、生きてしまった世界。
生きたくなかったのに、生きる意味ができた世界。
生きる意味がなくなったのに、それでも生きたくなった世界。
私は、あなたの分まで生きる。
だから。
死なない。
炎が、戻る。
砕けた骨が、燃えながら組み上がっていく。
散った血が、赤い尾を引いて集まっていく。
吹き飛んだはずの首が、時を巻き戻すように形を取り戻す。
不死鳥の灯火。
それは再生ではない。
回帰。
イグニスという存在が、まだ終わっていない場所へ戻る力だった。
大穴の底で、赤い火が渦を巻く。
肉片が燃えながら集まり、骨を作り、血管を編み、皮膚を戻す。
消えたはずの頭が、そこに戻っていく。
ライザは、肩で息をしていた。
雷はもう消えている。
逆立っていた髪も落ち、白雷をまとっていた巨体は、元の姿へ戻っていた。
イグニスが、ゆっくり顔を上げる。
戻った唇が、赤い光の中で動いた。
「私は、あなたの分まで生きる」
炎が、彼女の頬を撫でる。
「だから……死なない」
ライザの口元が引きつる。
恐怖ではない。
笑いだった。
「あんたも、充分……化け物じゃねーか」
「そう?」
イグニスは夕暮れの太陽のように体を輝かせながら言った。
「私は大好きだよ。この力」
ライザは、声を出して笑った。
「はは……そうかよ」
もう雷は上がらない。
それでも、ライザは崩れなかった。
立っていた。
イグニスは右手を上げる。
今まで体に宿っていた熱が、一瞬で指先へ集まっていく。
不死鳥の灯火で回帰しながら、蓄積してきた熱。
ライザの拳。
雷撃。
青雷。
白雷。
すべて受け止め、戻り続けた中で生まれた熱が、小さな光へ圧縮されていく。
指先に灯ったのは、地平線に落ちる最後の夕陽のような赤だった。
イグニスは、それを空へ放つ。
赤い光が、尾を引いて上がっていく。
遥か上空へ。
高く、高く。
そして、一瞬だけ昼の光が戻った。
空に、二つ目の太陽ができていた。
赤い太陽。
眩い光。
その中心に、小さな黒い点がある。
燃え盛る光の中に、焦げ跡のような黒。
太陽に浮かぶ傷。
「黒点」
イグニスが言った。
ライザは空を見上げたまま、掠れた声で聞く。
「……なんだ、それ」
「太陽にある黒い点。知ってる?」
「いや、知らない」
「そう?」
イグニスは、空の赤い太陽を見上げる。
「私の好きだった人と、ちょっと響きが似てるんだよね」
黒煙。
黒鋼の短剣。
首に残った黒い火傷跡。
それらを思い出すように、イグニスは少しだけ目を細めた。
「それが、この技の名前」
ライザは少し黙り、聞いた。
「その人は?」
「もう死んでる」
「そうか」
それ以上、ライザは聞かなかった。
イグニスも、それ以上は話さなかった。
空に浮かぶ黒点は、まだ落ちてこない。
だが、誰もが分かった。
あれが落ちれば、どうなるか。
想像できない。
いや。
想像できてしまうから、怖かった。
「まだやる?」
イグニスが聞いた。
ライザは空を見上げた。
二つ目の太陽。
その中心に浮かぶ、小さな黒い点。
白雷のすべてをぶつけてもなお、戻ってきた女。
一度も反撃しないと言い、その約束通り、一度も反撃しなかった女。
そして今。
まだ、あれを撃てる女。
ライザは笑った。
「いや、充分だ」
拳を下ろす。
「差を知った。私の負けだ」
第十話「死ねない理由」でした。
今回は、イグニスの過去回です。
年齢の流れとしては、
幼少期、六歳頃に両親を失い、研究所へ。
そこから十年。
十六歳頃にレヴィンと出会います。
そして現在のイグニスは二十六歳頃です。
前回のラストで頭を吹き飛ばされてからの、幼少期、研究所、レヴィンとの出会い、そして現在への回帰。
タイトルの「死ねない理由」は、最初は単純に不死鳥の灯火のことに見えると思います。
でも、イグニスにとって本当の理由は、レヴィンに炎を肯定してもらったこと、そして今も「あなたの分まで生きる」と決めていることでした。
イグニスの力は、かつては呪いでした。
でも、レヴィンが「好きだ」と言ってくれたことで、完全には嫌いきれなくなった。
そんな炎で、今回は一度も反撃せずに勝ちました。
ライザも全力を出し切ったうえで、最後に差を認める形にしています。
個人的には、前回から続けてかなり気に入っているバトルになりました。
良ければ感想や反応をもらえると嬉しいです。




