第7話 一番近くで見る者
砂塵が、もう一度舞う。
白煙の鵺と、銀弾の砂塵。
第一戦は、ここからだった。
先に動いたのはロザックだった。
足元の砂が跳ねる。
砂は弾丸の形を取り、ベルノへ撃ち出された。
「砂弾」
前回、ベルノを吹き飛ばした砂の弾丸。
だが、今のベルノは倒れない。
左手に開いた小さな盾が、砂弾の軌道へ差し込まれる。
魔法小盾。
広くは守れない。
多くは受け止められない。
だが、今この一発を止めるには十分だった。
硬い音が鳴る。
砂弾が砕けた。
ロザックは砕けた砂の奥から踏み込む。
右手の剣が、ベルノの喉元へ走った。
ベルノは剣で受けない。
もう知っている。
打ち合えば、衝撃が腕の奥へ沈む。
だから、小盾で止める。
ロザックの剣が、小盾に触れた。
鈍い衝撃が走る。
だが、腕の奥までは沈まない。
ベルノの返しは遅れなかった。
腰の後ろから伸びた二本の鎖が、上から叩きつけるように走る。
ロザックの左側で砂が集まった。
「砂盾」
砂が盾の形を取る。
鎖が砂盾へ叩き込まれた。
砂盾は衝撃を吸い、崩れながら鎖を受け流す。
ロザックの体はわずかに沈んだが、倒れない。
「いい盾だ」
ロザックが静かに言った。
ベルノは血の混じった息で笑う。
「そっちもな」
普段のベルノなら、そんな返し方はしなかっただろう。
丁寧に礼を言う。
相手を立てる。
それがベルノだった。
だが、今のベルノは違う。
血に濡れ、赤い眼を揺らめかせ、左手に小盾、腰に鎖を揺らす鵺。
礼儀正しい補佐見習いの奥から、かつてヤマザルと呼ばれた少年が顔を出していた。
ベルノが低く踏み込む。
正面から来る。
そう見えた瞬間、体が沈んだ。
右へ行くように見せて、左下へ潜る。
砂利を蹴り、膝を折り、普通の剣士なら選ばない角度から剣が飛ぶ。
山猿のような足運び。
だが、剣筋は研ぎ澄まされている。
ロザックが砂を走らせた。
足を掴む砂。
前回、ベルノの避けを半歩遅らせた技。
だが、今度は掴めない。
ベルノの足は、正しい一歩を踏んでいなかった。
重心が低く、不規則で、どこへ体重が乗るのか読みにくい。
砂が、空を噛んだ。
ロザックの目がわずかに細くなる。
次に、砂塵の膜が張られた。
薄い砂の幕が、ベルノの視界を白く切る。
その奥から剣が来る。
前回と同じ。
ベルノは低く笑った。
「それは、もう見た」
小盾で突きを止める。
そのまま剣を返し、砂塵の膜を斬った。
当然、そこにロザックはいない。
背後。
さっきと同じ。
ベルノの腰から伸びた鎖が、背後へ走る。
ロザックの胸を貫いた。
だが、血は出ない。
貫かれたロザックの体が、砂へ崩れる。
「……分身」
ベルノの赤い眼が揺れる。
砂で形作られた、実体ある分身。
ただの幻ではない。
斬れる。
動ける。
攻撃もできる。
砂楼分身。
その一体を、ベルノの鎖が砕いたのだ。
だが、本物は別にいる。
上。
砂塵の膜を斬った瞬間に生まれた死角。
そこから本物のロザックが落ちてくる。
剣が、真上からベルノを裂こうとした。
ベルノは腰の鎖を地面へ突き立てる。
鎖が砂利を噛む。
その反動で、体を横へ弾いた。
ロザックの剣が、ベルノの肩をかすめて落ちる。
砂利が裂けた。
ベルノは転がるように距離を取り、すぐに立つ。
ロザックも静かに着地した。
「いい眼だね」
「わざと同じ技を見せて、裏の裏をかく」
ベルノは剣を構え直す。
「盗賊がやりそうなことだからな」
ロザックは少しだけ目を細めた。
「君も、盗賊らしくなってきた」
「褒め言葉として受け取るよ」
ベルノが踏み込む。
低く、速く、不規則に。
鎖が左右へ散る。
小盾が胸元に寄る。
剣は上から落ちた。
ロザックは砂盾を出す。
ベルノの剣が、砂盾へ触れる。
その瞬間、ベルノは剣筋を翻した。
上段からの斬撃が、胴へ変わる。
「……っ」
ロザックの脇腹を、刃がかすめた。
血が飛ぶ。
銀翼側がざわついた。
ベルノは止まらない。
右手の剣。
左手の小盾。
腰から伸びる二本の鎖。
不規則な足。
赤く揺れる慧眼。
全てが噛み合い、ロザックへ迫る。
綺麗ではない。
整ってもいない。
だが、迫ってくる。
赤い眼が、砂塵の奥で揺れる。
剣。
盾。
鎖。
足。
視線。
その全てが、逃げ道を一つずつ潰してくる。
ロザックは初めて、ベルノの中に鬼迫を見た。
砂盾で受ける。
鎖が盾の端を叩く。
砂塵で視界を切る。
慧眼が砂の流れを読む。
剣で受ければ衝撃を流せる。
だがベルノは小盾を差し込んでくる。
足を掴もうとしても、不規則な重心が砂を外す。
砂弾を放つ。
鎖が一発を叩き落とし、小盾が一発を受け、ベルノは三発目を肩で受けながら前へ出る。
ロザックの剣が走る。
ベルノは小盾で止め、盾ごと体当たりした。
魔法小盾による、短い盾打ち。
ロザックの体が揺れる。
ベルノの剣が、その隙へ滑り込んだ。
ロザックは身を捻る。
だが、完全には避けきれない。
刃が胸元を浅く裂いた。
ロザックの口元から、血がこぼれた。
採石場の縁が、ざわめいた。
「ロザックが……」
「押されてる?」
「不敗が……?」
銀翼側のざわめきが広がる。
だが、そのざわめきは一つの声で止まった。
「喚くな」
大穴の縁から、ギリオの声が落ちる。
深く被ったカウボーイハットの下で、ギリオは笑っていた。
「あいつは負けねぇ」
その声に、焦りはない。
怒りもない。
あるのは、信頼だけだった。
「俺の補佐の、もう一つの二つ名。知ってんだろ」
銀翼の誰かが、息を呑むように呟いた。
「不敗のロザック……」
ロザックは、剣を握り直した。
そうだ。
俺は、負けないと誓った。
あの日から。
三年前。
まだ銀翼が、今ほど大きな看板を背負っていなかった頃。
王都の裏側で、勢いを増し始めていた黎明期。
そこに、十五歳のロザックがいた。
ロザックは、勝っていた。
模擬戦でも、実戦でも。
そこらの構成員より、ずっと強かった。
だが、笑われていた。
「また砂かよ」
「目潰しして勝って嬉しいか?」
「剣士なら剣で勝てよ」
「子供の喧嘩だな」
笑われた。
下に見られた。
嫉妬も受けた。
十五の子供が、自分たちより強い。
だが、その戦い方を認めたくない。
だから笑う。
それでも、誰もロザックに勝負は挑んでこなかった。
挑めば負けると分かっていたからだ。
勝っても笑われる。
強くても認められない。
下に見られるのに、誰も前には立たない。
ロザックは、孤独だった。
話すのは得意ではない。
言い返せない。
言い訳もしない。
怒鳴り返すこともしない。
ただ、少しずつ冷めていった。
それでも、自分にあるのは戦いで勝てることだけだった。
ある日も、同じだった。
ロザックは模擬戦で相手を倒した。
砂塵で視界を切り、足を遅らせ、剣で喉元を取った。
勝った。
なのに、周囲は笑った。
「だからそれ、剣士の勝ち方じゃねぇだろ」
「砂遊びで勝った気になってんじゃねぇよ」
「勝ったって言っても、なんか地味なんだよなぁ」
ロザックは剣を下げた。
何も言わない。
言ったところで、伝わらないと思っていた。
その時だった。
「何がおかしい?」
声がした。
ロザックが顔を上げる。
そこに、ギリオが立っていた。
まだ今ほどの席次も、看板もない。
けれど、その目だけは妙にぎらついていた。
銀翼の者たちが、少しだけ口を閉じる。
ギリオはロザックを見て、それから周囲を見た。
「勝つために最大限、自分の力を使ってるじゃないか」
ギリオは笑わなかった。
「剣だけで勝たなきゃいけねぇなんて、誰が決めた」
周囲の笑い声が止まる。
「持ってるもん全部使って勝つ。それの何が悪い」
ロザックは、何も言えなかった。
初めてだった。
自分の戦い方を、言い訳ではなく力として見られたのは。
ギリオはロザックを見る。
「俺が幹部になったら、お前が補佐をやれ」
周囲が、また笑いかけた。
だが、ギリオは気にしない。
「それまでに強くなってろよ」
そして、言った。
「誰にも負けなければ、誰も笑わなくなる」
その日から、ロザックは磨いた。
土元素。
その中でも、自分に最も馴染んだ砂魔法。
砂塵で視界を切る精度。
足を掴む砂のタイミング。
剣戟に乗せる衝撃。
砂盾の密度。
砂弾の速度。
砂楼分身の形。
剣技も磨いた。
魔力の無駄を削った。
砂一粒まで、勝つための形に変えた。
誰にも負けなければ、誰も笑わなくなる。
その言葉だけを信じて。
ロザックは、一度も負けなかった。
幹部への誘いもあった。
だが、断った。
なりたいものは、別にあった。
ギリオが席を得た日。
ロザックは、誰より先にその前へ立った。
「お待ちしておりました。第八席」
ギリオは笑った。
「待たせたな」
ロザックが頭を下げる。
ギリオは帽子のつばを上げ、肩をすくめた。
「そう気を使うな」
「ですが」
「ギリオさんでいい。お前だけはな」
その日から、ロザックはギリオの補佐になった。
ギリオが一番になるところを、一番近くで見るために。
現在。
ロザックは、ベルノを見た。
血に濡れた鵺。
弱さも、憧れも、届かなかったものも、全部喰らうと言った男。
その男が、今、自分へ届きかけている。
ロザックの肩が上下する。
息は荒い。
脇腹には傷。
口元には血。
それでも、目は冷えていた。
「俺は、魔力が多い方じゃない」
ロザックは呟いた。
「だから、使わずに勝てるなら使わない」
砂が、足元で震える。
「でも、このままじゃ勝てない」
ロザックの目が、細くなった。
「出すよ」
土中から、砂が巻き上がる。
「本気」
次の瞬間、採石場の底が砂に呑まれた。
「砂嵐」
突風が走った。
底に敷かれていた砂利が跳ね、土の奥から細かな砂が噴き上がる。
ただの砂塵ではない。
量が違う。
密度が違う。
ロザックの周囲だけではなく、採石場の半分が砂の領域へ変わっていく。
ルーカスは、思わず腕で顔を庇った。
大穴の縁にいるのに、砂が頬を叩く。
下のベルノは、その中心にいる。
赤い慧眼が、砂の流れを追っていた。
見える。
だが、多すぎる。
砂の流れ。
剣筋。
魔力の揺れ。
足場の変化。
ロザックの呼吸。
全てが、一斉に動いていた。
砂嵐の中で、砂が固まる。
一つではない。
七つ。
ベルノは左手に魔法小盾を展開する。
一発目を止める。
二発目を剣で弾く。
三発目を鎖で叩き落とす。
四発目を肩で受ける。
五発目が脇腹に入る。
六発目が膝を打つ。
七発目を、歯を食いしばって盾で受けた。
凌いだ。
そう思った。
だが、それは最初の一列にすぎなかった。
ベルノの赤い眼が、次の砂弾を捉える。
十。
二十。
三十。
いや、数える意味がない。
砂嵐の奥で、砂が次々と弾丸の形を取っていく。
見える。
まだ見える。
だが、次の瞬間。
赤い視界が、砂弾の軌道で埋まった。
「砂驟弾」
二段目からは、もう追えなかった。
右から来る。
左からも来る。
上から降る。
足元から跳ねる。
背後で砂が鳴る。
見ようとした瞬間には、次の弾が視界を潰している。
盾は一つ。
剣は一本。
鎖は二本。
体は一つ。
ほぼ全方位からの暴力だった。
ベルノは叫ばなかった。
盾を動かす。
剣を振る。
鎖を走らせる。
足をずらす。
それでも足りない。
肩が跳ねる。
腹が潰れる。
背中が軋む。
太腿に砂弾がめり込む。
血が口からこぼれた。
それでも、ベルノは倒れない。
倒れないから、次が来る。
砂嵐の奥で、ロザックの剣が振られた。
砂が刃になる。
「砂斬」
砂の斬撃が、嵐の中を走る。
ベルノは小盾を動かす。
急所だけを守る。
心臓。
喉。
顔。
守れなかった場所が裂ける。
腕。
肩。
脇腹。
血が砂に散った。
ベルノは、まだ立っていた。
立っているだけで、奇跡に近かった。
砂嵐の奥で、ロザックの姿が揺れる。
一人。
二人。
三人。
四人。
ただの幻ではない。
砂で形作られた、実体ある分身。
「砂楼分身」
四人のロザックが、同時に動いた。
前。
右。
左。
背後。
全部が斬れる。
全部が重い。
全部が、砂でできた本物だった。
ベルノは小盾を上げようとした。
一つしか守れない。
鎖を走らせようとした。
二本では足りない。
剣を返そうとした。
腕が上がらない。
四つの斬撃が、ベルノを抜けた。
肩が裂ける。
背中が割れる。
脇腹が開く。
太腿から血が飛ぶ。
三つのロザックが、砂へ崩れた。
残った本物が、ベルノの前に立つ。
ベルノの膝が落ちた。
剣を地面に突き立てようとする。
だが、指に力が入らない。
二本の鎖が、砂利の上へ落ちる。
魔法小盾が、淡い光を失って消えた。
赤い慧眼の光も、揺れて、薄くなる。
ベルノは、もう立てなかった。
ロザックが、静かに剣先を下げた。
もう、喉元へ突きつける必要もなかった。
勝敗は明らかだった。
ベルノは、血の混じった息を吐く。
「……なんで」
声は掠れていた。
「なんで、その強さで……補佐なんですか」
ロザックは、砂の中で息を整える。
そして、静かに答えた。
「あの人を見るためだ」
「……」
「ギリオさんが一番になるところを、一番近くで見る」
ロザックは、剣を下ろした。
「そのために、俺は一度も負けなかった」
ベルノは目を伏せる。
悔しい。
苦しい。
届いたと思った。
届かなかった全部を喰らって、それでも届くと思った。
だが、不敗には届かなかった。
それでも。
ここで意地だけで死ぬのは、補佐ではない。
ベルノは血の混じった息を吐いた。
「……私の、負けです」
第一戦。
勝者、銀翼第一席補佐。
砂塵のロザック。
銀翼側が沸いた。
黒牙側は静まり返る。
ルーカスは、何も言えなかった。
ベルノは負けた。
負けたのに、弱くは見えなかった。
全部を出した。
ロザックに本気を出させた。
それでも、負けた。
それが、戦いなのだと思った。
セリカが、すぐに団員へ合図を出す。
ベルノを回収するため、黒牙の構成員が階段を降りていく。
ベルノは、黒牙の構成員に肩を借りて戻ってきた。
血に濡れ、足元もおぼつかない。
それでも、ハルトの前を通る時だけ、ベルノはわずかに背筋を伸ばした。
「……すみません」
掠れた声だった。
ハルトは、ベルノを見た。
責めるでもなく。
慰めるでもなく。
ただ、次の戦場を見るような目で。
「あぁ」
短く返す。
「次は負けるな」
次。
その言葉に、ベルノの喉が詰まった。
次がある。
まだ、見限られていない。
負けたのに。
届かなかったのに。
それでも、ハルトは次を渡してくれた。
悔しかった。
どうしようもなく、悔しかった。
なのに、胸の奥が熱くなる。
ベルノの目に、薄く涙が浮かんだ。
「……はい」
声は、ほとんど出なかった。
セリカがすぐに支える。
「返事は後です。今は座ってください」
ベルノはもう一度だけ頭を下げ、黒牙側の後方へ連れていかれた。
ルーカスは、その背中を見ていた。
胸の奥に、何か分からない感情が湧いた。
苦しい。
痛い。
でも、それだけではない。
悔しかった。
自分のことのように。
ベルノが負けたことが。
ベルノが泣きそうになりながら、それでも「はい」と答えたことが。
ハルトが「次」と言ったことが。
全部、ルーカスの胸の奥で熱になっていた。
負けたのはベルノだ。
なのに、ルーカスは黒鋼手甲を握りしめていた。
だが、次の戦いは待ってくれない。
銀翼側から、水色の髪の男が前へ出る。
指先でチャクラムを回しながら、掴めない笑みを浮かべていた。
幻惑のミゼル。
ハルトが、短く名を呼ぶ。
「シャノン」
黄色い瞳が、すっと細くなった。
あとがき
第一戦、決着です。
ベルノは負けました。
ただ、今回は「何もできずに負けた」のではなく、届かなかったものを全部喰らって、不敗のロザックに本気を出させるところまで行きました。
ロザックはロザックで、三年前からずっと「負けない」ことを積み上げてきた男です。
笑われても、認められなくても、孤独でも、戦いで勝つことだけは残っていた。
そしてギリオに認められてからは、その言葉を柱にして一度も負けなかった。
ベルノにとっても、ロザックにとっても、「補佐」は妥協ではありません。
誰かの隣に立つと決めた者。
一番近くで、その背中を見る者。
そんな二人の補佐の戦いでした。
次は第二戦。
砂塵の次は、幻惑。
シャノン対ミゼルです。




