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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第五章 銀翼と不殺の牙

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第6話 山猿と砂塵



「始めろ」


 ギリオの声が、採石場の底へ落ちた。


 その瞬間、空気が変わった。


 ベルノは剣を構える。


 向かい合うロザックも、静かに剣を上げた。


 距離は二十歩ほど。


 底に敷き詰められた砂利が、二人の足元でかすかに鳴る。


 ルーカスは、大穴の縁からそれを見下ろしていた。


 白煙の補佐見習い。


 銀弾の第一補佐。


 同じ補佐という言葉がついているのに、二人の空気はまるで違った。


 ベルノは硬い。


 いつも通り整っていて、隙がなく、真面目だ。


 でも今は、その真面目さの奥に緊張が見える。


 ロザックは静かだった。


 長めの黒髪が、冬の風にわずかに揺れる。


 表情はほとんど変わらない。


 ただ、足元の砂だけが、煙のように立ち上がり始めていた。


 先に動いたのはベルノだった。


 踏み込みは正確。


 剣筋はまっすぐ。


 無駄のない一撃が、ロザックの肩口へ走る。


 ロザックは、それを剣で受けた。


 鋼と鋼が鳴る。


 ベルノはすぐに切り返す。


 ロザックも返す。


 二度、三度。


 剣がぶつかる音が、岩壁に反響した。


 最初の数合は、互角に見えた。


 ベルノの剣は、ロザックの剣を受けていた。


 返していた。


 踏み込みも崩れていない。


 少なくとも、ルーカスにはそう見えた。


「ベルノさん、いける……?」


 思わず呟く。


 隣でシャノンの黄色い瞳が細くなった。


「いや」


「え?」


「なんか、変」


 シャノンの声は低かった。


 その直後、ルーカスにも違和感が見えた。


 ベルノの返しが、遅い。


 ほんの半拍。


 剣を受けた直後、次の動きに移るまでの間が、少しずつ伸びていく。


 最初は、気のせいかと思った。


 でも違う。


 受ける。


 返す。


 また受ける。


 そのたびに、ベルノの剣がわずかに遅れていく。


 ロザックの剣が、その半拍へ差し込まれた。


 ベルノの肩口が浅く裂ける。


「……っ」


 血が飛んだ。


 ベルノは下がらない。


 次を受ける。


 返す。


 また、遅れる。


 今度は左腕。


 さらに一合。


 脇腹。


 どれも浅い。


 致命傷ではない。


 だが、確実に血が出ている。


 採石場の縁がざわついた。


「押されてるのか?」


「いや、最初は打ち合えてたぞ」


「なんで急に遅れた?」


 ルーカスにも、分からなかった。


 ベルノは見えている。


 受けられている。


 なのに、受けた後だけが遅い。


 その理由は、ベルノ本人にしか分からなかった。


 重い。


 ベルノは、剣を受けながら奥歯を噛む。


 切られた場所が重いわけではない。


 肩の傷も、腕の傷も、脇腹の傷も、痛みはある。


 だが、動きを奪うほどではない。


 違う。


 斬られた後ではない。


 打ち合った瞬間だ。


 ロザックの剣を受けた瞬間、衝撃だけが腕の奥へ沈んでいる。


 体格は近い。


 ロザックの剣も、大振りではない。


 力任せに叩きつけているわけでもない。


 なのに、剣を受けた瞬間だけ、まるで大男の戦斧を受けたような衝撃が腕へ沈む。


 指が痺れる。


 握りが甘くなる。


 返しが半拍遅れる。


 その半拍に、ロザックが斬ってくる。


 ベルノは息を詰めた。


 打ち合うこと自体に、何かある。


 受け続ければ、腕が死ぬ。


 なら、避ける。


 ベルノは次の剣を受けず、足で外そうとした。


 だが、ロザックの足元から砂が走る。


 薄い砂塵が、膜のように張られた。


 ベルノの視界の一部だけが、白く濁る。


 煙ではない。


 線だ。


 砂の線が視界を横切り、ロザックの肩を隠す。


 剣先が消える。


 次の瞬間、その砂の膜の裏から剣が突き込まれた。


 一突き。


 二突き。


 三突き。


 ベルノは全部弾く。


 ぎりぎりだった。


 けれど、弾くたびに腕が沈む。


 衝撃が、また奥へ入る。


 指が痺れる。


 握りが遅れる。


 それでもベルノは耐えた。


 膜の向こうから来る連続突きを弾き切り、剣を返す。


 砂の膜ごと斬り払った。


 だが、そこにロザックはいない。


 膜を斬った瞬間には、もう消えている。


 背後。


 ベルノは振り返るより先に動いた。


 ロザックの剣が背後から走る。


 右へ避けようとする。


 その瞬間。


 足が止まった。


「っ……!」


 足首に、砂が絡んでいる。


 強い拘束ではない。


 足を強く振れば、それだけで霧散する程度のものだった。


 だが、遅い。


 今では遅い。


 ロザックの剣を避ける、その一瞬。


 体重が右足へ移り、次の半歩で間合いの外へ出るはずだった、その瞬間だけ砂が絡んだ。


 一歩ではなく、半歩。


 それだけで十分だった。


 剣先は、かろうじてかわした。


 だが、頬に細い血の線が走る。


 体勢が崩れた。


 ロザックの足元で、砂が三つ固まる。


砂弾(サンドショット)


 短い声。


 一発目が、腹に入った。


 ベルノの息が潰れる。


 二発目が、肩を打つ。


 剣を持つ腕が跳ねた。


 三発目が、胸を叩く。


 ベルノの体が、砂利の上を転がった。


「ベルノさん!」


 ルーカスは思わず身を乗り出した。


 セリカの視線が一瞬だけ鋭くなる。


 ハルトは動かない。


 じっと、採石場の底を見ていた。


 ベルノは砂利の上で膝をつく。


 血が口元から垂れた。


 それでも、剣は離していない。


 このままでは勝てない。


 正しい剣だけでは届かない。


 ベルノの肩が、ゆっくり上下する。


 砂利の上に片膝をついたまま、彼は自分の左手を見る。


 思い出せ。


 何ができる。


 必要のないプライドは捨てろ。


 形だけの強さは捨てろ。


 私は弱い。


 弱い。


 弱いから負けた。


 弱いから届かなかった。


 弱いから、ずっと誰かの背中を見ていた。


 だが、できることはある。


 ベルノは、牙狼院(がろういん)を思い出す。


 古い石造りの庭。


 朝露で濡れた訓練場。


 子供たちの声。


 木剣の音。


 魔法が壁に当たって弾ける音。


 そこには、いつも誰かの背中があった。


 リーネは、防衛魔法が得意だった。


 まだ子供だったのに、彼女の前には大人の拳も、木剣も、小さな火球も届かなかった。


 淡い光の盾が、彼女の前に広がる。


 広く、硬く、誰かを包むように守る盾。


 ベルノは何度も真似た。


 同じ形を作ろうとした。


 同じ広さを出そうとした。


 同じ硬さに届こうとした。


 だが、届かなかった。


 ベルノが出せたのは、小さな盾だけ。


 広くは守れない。


 多くは受け止められない。


 守れるのは、その盾が覆う一箇所だけ。


 そうして手に入れたのが、魔法小盾マジックライトシールドだった。


 リーネには、届かなかった。


 グレイスは、鎖を操った。


 あいつの鎖は、ただ人を縛るだけではなかった。


 相手の動きを縛る。


 武器を縛る。


 逃げ道を縛る。


 時には、場そのものを縛る。


 ベルノは、それも真似た。


 何本も出そうとした。


 自在に動かそうとした。


 同時に操ろうとした。


 だが、届かなかった。


 ベルノに扱える鎖は、二本だけ。


 グレイスほどの本数はない。


 グレイスほど自在でもない。


 それでも、死ぬ気で真似た二本だった。


 サージには、心理眼(しんりがん)があった。


 ユニークスキル。


 相手の心を読む目。


 嘘。


 迷い。


 恐怖。


 次に何をしようとしているのか。


 サージは、人の目を一度見ただけで、それを言い当てた。


 ベルノは憧れた。


 その目があれば、自分も誰かの先へ行けると思った。


 だが、ベルノには人の心など読めなかった。


 何度見ても分からない。


 何度真似ても届かない。


 だから、心以外の全部を見ることにした。


 重心。


 呼吸。


 視線。


 指先。


 剣筋。


 魔力の揺れ。


 砂の流れ。


 足裏の重さ。


 心が読めないなら、心以外の全部を読めばいい。


 そうして、死ぬ気で真似た末に手に入れたのが、慧眼(けいがん)だった。


 リーネには届かなかった。


 グレイスには届かなかった。


 サージには届かなかった。


 何一つ、一番にはなれなかった。


 けれど。


 届こうとした時間だけは、消えていない。


 あの時の努力は、まだ自分の中に残っている。


 ヤマザル。


 その名前を、ベルノは恥じていた。


 荒くて。


 汚くて。


 正しくなくて。


 みっともなくて。


 だが、あれも自分の一部だった。


 生きるために噛みついた自分。


 地べたを這って、それでも上を睨んでいた自分。


 ラインハルトは言った。


 弱さから逃げるな、と。


 ハルトは言った。


 完璧だから採ったわけじゃない、と。


 オルガンは、あの日、信じてくれた。


 なら。


 全部、二番煎じでもいいじゃないか。


 何かで一位じゃなくてもいい。


 ハルト様は、そんな私も受け入れてくださる。


 弱さごと。


 未完成ごと。


 届かなかったものごと。


 ベルノは立ち上がった。


 ロザックが、静かに剣を構え直す。


 ベルノは血の味を噛んで、低く笑った。


「ヤマザル……じゃねえな」


 普段の丁寧な声ではなかった。


 もっと粗く、もっと低い。


 昔、旧城下町の路地で喉を鳴らしていた少年の声。


「俺は、弱さも、憧れも、届かなかったものも、全部喰らう」


 左手に、小さな盾が開く。


 魔法小盾マジックライトシールド


 腰の後ろで、二本の鎖が揺れる。


 赤い光が、瞳の奥で揺らめいた。


 慧眼(けいがん)


 右手には剣。


 ラインハルトに認められた、正しい剣。


 そして足元には、ヤマザルだった頃の不規則な重心。


(ぬえ)だ」


 採石場の底で、空気が変わった。


 ベルノが動く。


 さっきまでの整った踏み込みではない。


 低い。


 不規則。


 砂利を蹴り、体を沈め、正面から来ると思わせて斜め下へ潜る。


 山猿のような足運び。


 だが、そこから飛んでくる剣筋は、研ぎ澄まされていた。


 ロザックの眉が、わずかに動く。


 砂塵の膜が張られる。


 その裏から、剣が突き込まれた。


 さっきと同じ。


 だが、今度は違う。


 ベルノは左手の小盾を、突きの軌道へ差し込む。


 硬い音が鳴った。


 衝撃が来る。


 しかし、剣で受けていない。


 振動は腕の奥まで沈まない。


 魔法小盾マジックライトシールドが、突きを止めた。


 ロザックの姿が、砂塵の膜の向こうへ消える。


 ベルノは膜を斬った。


 当然、そこにロザックはいない。


 背後。


 さっきと同じだ。


 だが、もう見えている。


 ベルノの腰から伸びた二本の鎖が、蛇のように跳ねた。


 背後へ回ったロザックへ、鎖の尾が襲いかかる。


「……!」


 ロザックの足元で砂が跳ねる。


砂盾(サンドシールド)


 砂の盾が立ち上がり、鎖を受ける。


 だが、受けきれない。


 砂盾は衝撃を吸い、崩れながら受け流した。


 それでも、ロザックの体が後方へ飛ぶ。


 砂利を削り、剣を地面に刺して、ようやく止まった。


 採石場の縁が、ざわついた。


 ロザックが下がった。


 銀翼第一席補佐、砂塵(さじん)のロザックが。


 初めて、明確に押し返された。


 ハルトが、口元だけで笑う。


「やっと殻を破りやがったな……」


 その声は小さかった。


 けれど、ルーカスには聞こえた。


「ベルノさん……!!」


 思わず、声が出た。


 採石場の底で、ベルノは立っていた。


 綺麗ではない。


 整ってもいない。


 けれど、あれは全部、ベルノだった。


 ロザックが、ゆっくりと剣を構え直した。


 左側で、砂が集まる。


 砂盾(サンドシールド)


 砂の盾が形を取り、その周囲を薄い砂塵が膜のように漂う。


 右手には剣。


 砂塵を纏う、銀翼第一席補佐。


 対するベルノは、血に濡れたまま剣を構える。


 腰の後ろでは二本の鎖が揺れ、瞳の奥では赤い光が揺らめいていた。


 砂塵(さじん)のロザック。


 (ぬえ)のベルノ。


 砂塵が、もう一度舞う。


 白煙の鵺と、銀弾の砂塵。


 第一戦は、ここからだった。

あとがき


第一戦、ベルノ対ロザックです。


今回はベルノが、自分の中にあった「届かなかったもの」を拾い直す回でした。


リーネの盾には届かなかった。

グレイスの鎖には届かなかった。

サージの心理眼にも届かなかった。


リーネ、グレイス、サージは、ベルノと同じ牙狼院で育った孤児たちです。

オルガンに拾われ、それぞれ才能を磨き、今もオルガン陣営の中で働いています。


ベルノにとって彼らは、仲間であり、憧れであり、ずっと届かなかった背中でもありました。


そしてベルノは、届かなかったものをどこかで恥じていました。


リーネほど守れない盾。

グレイスほど操れない鎖。

サージほど見通せない眼。

ヤマザルと呼ばれていた頃の、泥臭い動き。


それらを「一番になれなかった証」として、戦いの中で使うことを避けていたのかもしれません。


けれど、届こうとした時間だけは無駄じゃなかった。


何か一つで一番になれなくても、全部を喰らって戦う。


そんなベルノの形が、ようやく見え始めました。


次回は、銀翼第一席補佐。

砂塵のロザックがなぜ「不敗」と呼ばれるのか。


第一戦は、ここからです。

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