第5話 盗賊の柱
「……僕ですか?」
思わず、声が漏れた。
ルーカスは自分の胸を指差していた。
ハルトは、当然のように頷く。
「お前だ」
その一言だけで、逃げ道が一つ消えた気がした。
ルーカスの両手には、黒い手甲がある。
ハルトから渡された、黒鋼の手甲。
物としては重すぎるほどではない。
けれど、今はやけに重く感じた。
自分の手で、何かを止めるためのもの。
でもルーカスはまだ、その手で何かを止めきったことがない。
昨日もそうだった。
自分の甘さで、危ない場面を作った。
殺さなくてもいい。
できれば殺したくない。
そう思うのは簡単だった。
でも、その結果として誰かが傷つきそうになった時、自分は何も言えなかった。
だから、まさか自分が選ばれるとは思っていなかった。
五人目。
白煙側の代表。
普通に考えれば、セリカのはずだった。
セリカなら、銀糸で敵を絡め取れる。
罠も張れる。
奇襲も、不意打ちも、拘束もできる。
ルーカスより、ずっと戦い方を知っている。
だからルーカスは、思わずセリカを見た。
セリカは静かに立っていた。
姿勢はいつも通り綺麗で、表情も崩れていない。
だが、今日は少し違った。
背後に黒牙の構成員を数人連れている。
補佐というより、戦場の盤面を見る指揮官のようだった。
「セリカ様じゃ、ないんですか?」
「セリカは戦わせねぇ」
ハルトが言った。
「え……」
「あいつには別の仕事がある」
ハルトの声は冷静だった。
短い。
迷いがない。
もう決めたことを、ただ口にしているだけ。
それが、ルーカスには少し怖かった。
「銀翼が、大人しく五対五だけで終わらせるとは限りません」
セリカが言った。
声はいつも通り冷静だった。
「横槍、逃走、観客側での暴発、負傷者の回収、そして全面戦争への移行。すべて想定しておく必要があります」
「全面……戦争」
ルーカスは、思わず呟いた。
五対五。
そう聞けば、どこか決闘のように思える。
代表が戦い、勝ち負けを決める。
だが、違う。
ここにいるのは黒牙と銀翼だ。
どちらも盗賊組織。
どちらも、奪い、脅し、殺してきた。
形が崩れた瞬間、五対五はただの殺し合いに変わる。
セリカはそれを見ている。
ハルトも、それを分かっている。
だからセリカは戦わない。
戦わないのではなく、戦いが壊れた時のためにいる。
「セリカ」
「はい」
「団員たちは任せた。もしもに備えろ」
「承知しました。銀翼側が動いた場合は、こちらで止めます」
「ああ」
セリカは短く頷いた。
その声に、余計な感情はない。
だからこそ、ルーカスの胸の奥がざわついた。
これは、ただの戦いじゃない。
代表戦という形をした、戦争の手前だ。
ハルトが、ルーカスを見る。
「昨日のことを忘れろとは言わねぇ」
「……」
「後悔があるなら持っていけ。怖いなら怖いまま立て」
ルーカスは、黒鋼手甲を握る。
「ただ、一つだけ覚えとけ」
ハルトの声は冷たい。
けれど、突き放すだけの声ではなかった。
「役に立て」
その言葉に、セリカがほんの少しだけ目を伏せた。
ルーカスには、その意味が分からない。
ただ、ハルトの言葉だけが胸に残る。
「使えることを証明しろ」
ルーカスは答えられなかった。
殺したいわけじゃない。
できれば殺したくない。
でも、殺さないせいで誰かが死ぬなら。
その時、自分は何を選ぶのか。
分からない。
分からないまま、黒鋼手甲を握った。
翌日。
ルーカスたちは、外縁区のさらに外れへ向かった。
王都ルヴェリアの喧騒は、歩くたびに遠ざかっていく。
石畳が途切れ、土と砂利の道になる。
建物の影が減り、枯れ草と岩ばかりが増えていった。
冬の空気は乾いていて、吐く息が白い。
先頭を歩くのはハルト。
その隣にイグニス。
少し後ろに、ベルノ、シャノン、ルーカス。
さらに後方で、セリカが黒牙の構成員たちを連れている。
シャノンは、珍しく黙っていた。
手には干し肉を持っている。
けれど、食べていない。
黄色い猫目が、周囲を忙しなく見ていた。
「食べないんですか?」
ルーカスが聞くと、シャノンは干し肉を見下ろした。
「腹は減ってる」
「なら、食べれば」
「今食べたら、腹の中で肉が暴れそう」
「それは……緊張ですか?」
「野生の警戒」
シャノンが真面目な顔で言う。
後ろからセリカの声が飛んだ。
「似たようなものです」
「違う」
「違いません」
いつものやり取りだった。
それなのに、少しだけ安心した。
ベルノは無言だった。
いつも通り背筋を伸ばし、整った歩幅で歩いている。
けれど、剣の柄に添えた手に少しだけ力が入っていた。
ベルノも緊張している。
そう気づいて、ルーカスは少し意外だった。
ベルノは、いつもきちんとしている。
自分やシャノンより、ずっと大人に見える。
けれど、これから戦うのだ。
緊張しない方がおかしい。
「おねーさんも、少し緊張してきたねぇ」
イグニスが肩を回しながら言った。
ハルトが前を向いたまま返す。
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ。私は繊細だからね」
「朝から肉焼いてるやつが?」
「繊細な人間ほど肉を食べるんだよ」
「初めて聞いたわ」
イグニスは笑った。
軽い笑い方だった。
でも、目は笑っていない。
ルーカスにも分かった。
イグニスは、もう戦う相手を見ている。
旧採石場は、遠目には巨大な穴だった。
地面が丸くえぐられ、そこだけ大地が口を開けている。
近づくほど、その大きさが分かった。
直径は百メートルほど。
底までは十数メートル。
円形に削られた岩壁の下には、砂利、割れた岩、削り残された石柱が散っている。
壁面には古い採掘跡の段差があり、ところどころに鉄杭の跡も残っていた。
天然の闘技場。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
けれど、綺麗な場所ではない。
ここは、人を見下ろすためにある。
戦う者を底に落として、上から見せるための場所だ。
中央で戦えば、上からよく見える。
動きも、魔法も、血も。
けれど、底に立つ側からすれば、岩壁の縁に並ぶ人影は黒い影の列にしか見えないだろう。
逃げ場は少ない。
声は反響する。
倒れれば、全員に見られる。
代表戦には、向きすぎていた。
大穴の縁に、銀翼がいた。
人数は多くない。
金剛と銀脈を失った銀翼は、もうかつての銀翼ではない。
逃げた者もいるはずだ。
別の組織へ流れた者も。
銀翼の名を捨てた者も。
それでも、ここにいる者たちは逃げなかった。
その目は荒かった。
折れた翼の下に、それでも残った者たちの目。
黒牙と銀翼が、大穴の縁で向かい合う。
足元には、深い採石場。
距離は数歩。
誰かが一歩でも間違えれば、五対五ではなく全面戦争になる。
セリカは黒牙構成員を背後に散らし、視線だけで配置を確認していた。
銀翼の残党たちも、腰の武器に手を置いている。
一触即発。
息をするだけで、空気が割れそうだった。
ルーカスは、思わずハルトを見た。
ハルトは何もしていなかった。
ただ、立っているだけだった。
けれど、寒かった。
冬の風とは違う。
白煙の奥にある、刃物みたいな冷たさ。
ハルトは冷静だった。
静かすぎるほどに。
怒っているのかどうかも分からない。
でも、その目は鋭かった。
白く冷えた刃が、鞘から少しだけ抜けているような目。
向かいに立つ男は、まるで違っていた。
深く被ったカウボーイハット。
帽子の横には、銀翼のバッジ。
銀翼が壊れかけた今も、その男は印を外していない。
帽子のつばの下から、ぎらついた目がこちらを見る。
でも、焦りはない。
怒りも、悔しさも、殺意もある。
あるのに、それを全部、銃口の奥に押し込めているような余裕があった。
かっこいい。
怖いのに、そう思った。
銀翼第一席。
銀弾のギリオ。
折れかけた銀翼を、最後まで背負っている男。
「来たか、白煙」
ギリオが言った。
「ああ」
ハルトは短く返す。
その声に揺れはない。
「金剛を砕いた男を、この目で見ておきたかった」
「見るだけで済ませる気はねぇんだろ」
ギリオは、帽子のつばを指で軽く押し上げた。
その下の目が細く光る。
「当たり前だろ」
銀翼の残党たちが、わずかにざわつく。
ルーカスの隣で、シャノンの黄色い瞳がすっと細くなった。
ベルノは無言で背筋を伸ばす。
イグニスは小さく笑っている。
セリカだけは笑わない。
この場がまだ決闘で済んでいることを確認するように、黒牙構成員たちへ視線を飛ばしていた。
ハルトとギリオは動かない。
白煙と銀弾。
冷たい刃と、火薬の匂いがする銀の男。
二人が向かい合っているだけで、周囲の人間が余計な音を立てられなくなる。
ルーカスは、自分の喉が渇いていることに気づいた。
自分はこの中で戦うのか。
この空気の中に、降りていくのか。
ギリオの背後には、四人の代表が並んでいた。
一人は、雷を拳に宿す女。
荒い笑みを浮かべ、指を鳴らすたびに青白い雷が弾ける。
銀翼第二席、雷撃のライザ。
一人は、肩下まである白髪のストレートロングを垂らした無骨な男。
古傷だらけの腕。
荒々しい立ち姿。
ただ立っているだけで、屍の匂いがする。
銀翼第四席、百屍のレイド。
ルーカスは、その男を見た瞬間、胸の奥が重くなった。
理由は分からない。
けれど、あの男とは戦いたくないと思った。
一人は、水色の髪をした中性的な男。
武闘派というには、どこか肩透かしな雰囲気がある。
指先でチャクラムを回しながら、こちらを見ているのか見ていないのか分からない薄い笑みを浮かべていた。
幻惑のミゼル。
そして最後に、長めの黒髪の青年。
物静かで、整った顔立ち。
派手な威圧感はない。
だが、立ち方に隙がない。
目だけが、妙に冷えていた。
「砂塵のロザック」
ギリオが言った。
「俺の第一補佐だ」
その名が出た瞬間、銀翼側のざわめきがわずかに止んだ。
ベルノの視線が、ロザックに向く。
補佐。
その言葉に反応したのだと、ルーカスにも分かった。
ロザックは何も言わない。
ただ、ギリオの斜め後ろに立っている。
まるで、その位置こそが自分の場所だと言うように。
「ルールの前に、賭けるものを決めようぜ」
ギリオが言った。
帽子の横で、銀翼のバッジが鈍く光る。
「俺たちが勝ったら、旧銀翼領を返してもらう。平和税も撤廃だ」
銀翼の残党たちが、低くざわついた。
ルーカスにも、それがただの土地の話ではないことは分かった。
旧銀翼領。
平和税。
それは、ハルトが第六席として築き始めたものだ。
それを奪い返す。
銀翼は、ただ生き残ろうとしているのではない。
白煙の支配を折りに来ている。
「それと、白煙」
ギリオの目が、ハルトを射抜く。
「お前自身の口で言え。銀翼に負けたとな」
ルーカスは息を呑んだ。
白煙の敗北宣言。
平和税も、黒牙刻印も、白煙の恐怖も、全部まとめて折るための要求。
ハルトは、表情を変えなかった。
「なら、こっちが勝ったら銀翼は終わりだ」
その声は静かだった。
静かすぎて、逆に冷たかった。
「残党の再編も認めねぇ。銀翼の名で集まることも禁止だ」
ハルトは、ギリオを見る。
「ギリオ。お前の口で言え」
「何をだ」
「銀翼は白煙に負けたってな」
一瞬、空気が張った。
銀翼の残党たちが、武器に手をかける。
黒牙の構成員たちも動きかける。
けれど、ギリオが片手を上げただけで、銀翼側は止まった。
ギリオは笑った。
「いいぜ」
帽子の下で、ぎらついた目が細くなる。
「看板の奪い合いってわけだ」
看板。
盗賊の柱。
ルーカスは、その言葉の重さを少しだけ理解した。
土地だけではない。
金だけでもない。
誰が恐れられるのか。
誰が支配するのか。
誰の名で人が動くのか。
その柱を奪い合う戦いだ。
ギリオが大穴の底へ視線を落とす。
「ルールは簡単だ」
声が岩壁に反響した。
「五対五。一人一戦。勝者の続投はなし」
セリカが横から続ける。
「勝敗は、どちらかが負けを認めるか、戦闘不能になった時点で決定。横槍、外部からの援護は禁止。五戦終了時点で勝ち数の多い側を勝者とします」
「死んでも文句はなしだ」
ギリオが付け加えた。
銀翼側が低く笑う。
死んでも。
その言葉だけが、ルーカスの耳に残った。
決闘ではない。
試合でもない。
命が残る保証なんて、どこにもない。
ハルトがギリオを見る。
「そっちこそな」
「はっ」
ギリオが笑った。
帽子のバッジが、冬の光を鈍く返す。
「いいねぇ。そうじゃなきゃ困る」
風が大穴の縁を撫でた。
冷たい風だった。
けれど、場の熱は下がらない。
黒牙と銀翼。
白煙と銀弾。
互いに一歩踏み込めば、代表戦など吹き飛ぶ。
その薄い線の上に、全員が立っていた。
ギリオが言う。
「そっちの五人は?」
ハルトは、背後を見ずに名前を呼んだ。
「俺、イグニス、ベルノ、シャノン、ルーカス」
自分の名前が呼ばれた時、ルーカスの心臓が跳ねた。
ギリオの目が、そこで止まる。
「そいつが、噂の坊ちゃんか」
「……」
ルーカスは何も言えなかった。
ギリオの目は、笑っているようで笑っていない。
帽子の下から、真っ直ぐにこちらを見てくる。
「いい顔してんな。まだ自分がどこに立ってるか分かってねぇ顔だ」
胸の奥を突かれた気がした。
ルーカスは、思わずハルトを見る。
ハルトは何も言わない。
守ってくれない。
庇ってくれない。
ただ、前を見ている。
自分で聞け。
自分で立て。
そう言われている気がした。
ハルトが、ベルノを見た。
「ベルノ」
「はい」
「一番手だ」
ベルノは一瞬だけ、息を整えた。
その顔に恐怖は出ない。
だが、緊張はある。
初戦。
ここで流れが決まる。
負ければ、銀翼は息を吹き返す。
勝てば、黒牙はこの場を呑める。
それでもベルノは、いつも通り背筋を伸ばした。
「承知しました」
ベルノは大穴へ向かう。
岩を削った階段を、一段ずつ降りていく。
上からの視線が、その背中に刺さっていた。
黒牙。
銀翼。
セリカ。
ハルト。
そして、自分たち。
全部の視線を背負って、それでもベルノは歩幅を崩さない。
ギリオが、顎をわずかに動かした。
「ロザック」
「はい」
ロザックが静かに前へ出る。
短い返事だった。
それだけで、ギリオとロザックの間に余計な言葉がいらないことが分かる。
銀翼側が静まった。
ロザックも、反対側の階段を降りていく。
足音が軽い。
いや、軽いというより、浅い。
砂利を踏んでいるはずなのに、音がほとんど立たない。
ベルノが底へ降り立つ。
ロザックもまた、採石場の底へ降りた。
その瞬間、風もないのに、ロザックの足元の砂がわずかに動いた。
ルーカスは息を呑む。
魔法だ。
まだ何も始まっていないのに、もう砂が反応している。
ベルノは剣を抜いた。
ロザックも剣を抜く。
距離は、二十歩ほど。
採石場の底で、二人の補佐が向かい合った。
「黒牙第六席補佐見習い、ベルノ」
ベルノが名乗る。
ロザックは静かに剣を下げたまま答えた。
「銀翼第一席補佐、砂塵のロザック」
補佐見習い。
第一席補佐。
同じ補佐の名を持ちながら、その重みは違う。
ルーカスにも、それだけは分かった。
ベルノも、きっと分かっている。
表情は崩さない。
けれど、剣を握る指に、少しだけ力が入った。
上から、ギリオの声が落ちる。
「始めろ」
採石場が静まった。
ベルノが構える。
その向こうで、ロザックの黒髪が静かに揺れる。
砂が、煙のように立ち上がった。
白煙の補佐見習いと、銀弾の第一補佐。
二人の間で、最初の砂塵が舞った。
あとがき
ここから銀翼残党との五対五が始まります。
今回は戦闘そのものより、白煙と銀翼が何を賭けて向かい合うのか、という導入回でした。
土地、平和税、敗北宣言。
そして「誰の名前がこの街に残るのか」。
盗賊にとっての看板は、ただの名乗りではなく、人を動かし、恐れさせ、金と縄張りを支える柱でもあります。
次回は第一戦。
白煙の補佐見習いベルノと、銀弾の第一補佐ロザック。
補佐とは何か。
誰かの下につくとは何か。
そのあたりを、剣と砂塵でぶつけていきます。




