表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第五章 銀翼と不殺の牙

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/108

第4話 戦争しても構わない



 黒鋼手甲(くろがねしゅこう)は、驚くほど軽かった。


 だが、手につけると少しだけ重い。


 重さそのものではない。


 ハルトから渡されたこと。


 セリカに叱られたこと。


 クロードに、腕がついているのが不思議だと言われたこと。


 そして、自分の甘さで人が死にかけたこと。


 その全部が、手の甲に乗っている気がした。


 ルーカス・グランベルは、第六席館の訓練場で、黒鋼手甲をはめた手をゆっくり握った。


 黒い薄板が、鱗のように重なって沈む。


 開くと、また隙間なく手の甲を覆う。


 指は動く。


 掌の感覚もある。


 掴む。


 払う。


 押さえる。


 素手の動きを邪魔しない。


 ただ、確かに手は守られている。


「似合ってる」


 横からシャノンが言った。


 ルーカスは手を開いたまま、そちらを見る。


「そうですか?」


「黒い」


「感想が色ですね」


「でも、強そう」


 シャノンは身を乗り出すようにして、黒鋼手甲を覗き込んだ。


「あと、高そう」


「それは、かなりそうです」


「売ったら飯どれくらい?」


「売りませんよ」


「一回だけ」


「売りません」


「片手だけ」


「もっと駄目です」


 ルーカスが思わず手を後ろへ引くと、シャノンは少しだけ不満そうに目を細めた。


「けち」


「これはケチとかではなく、常識の話です」


「飯の前では常識は弱い」


「弱くしないでください」


「朝から何をしているんですか……」


 呆れた声が聞こえた。


 ベルノだった。


 手には訓練用の木剣を持っている。


「手甲を売る話です」


「売りません」


 ルーカスがすぐに訂正する。


 ベルノは黒鋼手甲を一瞥し、ほんの一瞬だけ目を細めた。


「売る以前に、それを質に入れようとした時点でセリカ様に吊るされますよ」


「吊るされるんですか?」


「たぶん」


「たぶんで怖いこと言わないでください」


 シャノンは少し考えて、頷いた。


「セリカなら吊るす」


「シャノンまで」


「逆さに」


「具体的にしないでください」


 ベルノは小さく息を吐いた。


「とにかく、それはハルト様から渡されたものです。売るなど論外でしょう」


「もちろん売りません。ただ……まだ少し慣れなくて」


「でしょうね」


 ベルノは木剣を軽く構える。


「手甲があるなら、刃を受ける選択肢は増えます。ですが、受けることを前提にしない方がいい」


「はい」


「一度、軽く打ち込みます。受ける感覚だけ確認してください」


「お願いします」


「私もやる」


 シャノンが片手を上げた。


「シャノンは何を?」


「噛む?」


「やめてください」


「冗談」


「今のは本当に冗談ですか?」


「七割」


「三割は?」


「本能」


 ベルノが深くため息をついた。


「訓練前から疲れる会話をしないでください……」


 ルーカスは少しだけ笑った。


 昨日の怪我の感覚が、まだ腕に残っている気がした。


 クロードの治療で傷は塞がっている。


 だが、あの時の熱い痛みと、血が袖の内側を濡らしていく感覚は、簡単には消えなかった。


 殺すのか。


 殺さないのか。


 止めるのか。


 潰すのか。


 生かすのか。


 終わらせるのか。


 現場で、毎回選べ。


 ハルトの言葉が、頭の奥に残っている。


 ルーカスは、ずっと言われたことをしてきた。


 親に言われて学校へ行った。


 親に言われて働こうとした。


 最初に見つけた求人に応募した。


 分からないことは、人に聞いてきた。


 自分で選ぶ。


 その言葉は、思っていたよりもずっと重かった。


「ルーカス」


 セリカの声がした。


 ルーカスは顔を上げる。


「はい」


「ハルト様から招集です」


「俺もですか?」


「はい」


「……何かしましたか?」


「今回は、まだ」


「今回は」


「余計なことを言わずについてきてください」


 セリカは淡々と言った。


 ルーカスは少しだけ背筋を伸ばす。


「どこへ行くんですか?」


「黒牙本部です」


 その言葉で、ベルノの表情がわずかに引き締まった。


 シャノンも干し肉をしまう。


「団長のところですか?」


「はい」


 ルーカスは、黒鋼手甲をはめた手を見た。


 黒い薄板が、冬の光を鈍く弾いている。


「……俺、本当に行くんですか?」


「はい」


「団長に会うんですよね?」


「はい」


「俺、余計なことを言いそうだから置いていった方がよくないですか?」


「自覚があるのは良いことです」


「じゃあ」


「行きます」


「はい」


 セリカの声には、拒否権がなかった。


     ◇


 黒牙(こくが)本部の奥。


 団長ゼギルの部屋に入った瞬間、ルーカスは思わず背筋を伸ばした。


 広い部屋ではない。


 豪華でもない。


 だが、空気が重かった。


 冬の寒さとは違う。


 喉の奥に、冷たい石を押し込まれるような重さだった。


 机の向こうに、ゼギルが座っている。


 黒牙団長。


 深淵のゼギル。


 ルーカスは、その名を知識としては知っていた。


 けれど、知っていることと、目の前にいることはまったく違った。


「ハルト、来ました」


 ハルトが静かに頭を下げる。


「セリカです」


 セリカも続く。


 ルーカスは一拍遅れて、慌てて頭を下げた。


「ル、ルーカス・グランベルです」


 ゼギルの視線が、ルーカスに向いた。


 ただ、見られただけだった。


 それなのに、ルーカスは背筋の奥を冷たい指で撫でられたような感覚を覚えた。


 この人は、ハルト様より強いのだろうか。


 団長なのだから、きっと強いのだろう。


 では、自分よりは。


 そこまで考えた時、ゼギルの足元で影がほんのわずかに揺らいだ。


 黒よりも深い何かが、床の下で息をしたように見えた。


 ルーカスの思考が止まる。


 強いとか、弱いとか。


 勝てるとか、勝てないとか。


 そういう物差しで考えていたこと自体が、間違いだった。


 汗が、背中を伝った。


 生物として違う。


 ルーカスの身体が、頭より先にそう理解した。


「そいつが噂の坊ちゃんか」


 ゼギルが言った。


 声は低い。


 怒鳴っているわけでも、脅しているわけでもない。


 ただ、その声が部屋の奥まで沈んでいく。


「……ルーカス・グランベルです」


「ああ」


 ゼギルは短く返した。


 興味があるのか、ないのか分からない声だった。


「まだ甘い目をしてる」


 その言葉に、ルーカスの喉が小さく鳴った。


 ハルトは何も言わない。


 セリカも黙っている。


 ゼギルの視線が、ルーカスからハルトへ移った。


「ハルト」


「はい」


「ちゃんと育てろよ」


「分かりました」


「才能があろうが、血筋が良かろうが、殺し合いで決断できねぇやつは死ぬ」


 ゼギルは淡々と言った。


「黒牙に置くなら、甘いまま出すな」


「そのつもりはありません」


 ハルトの返事は短かった。


 けれど、ルーカスには、その言葉が妙に重く聞こえた。


 自分のことを、ハルトが引き受けたように聞こえたからだ。


 ゼギルはそこで、ルーカスへの興味を切ったように、机の上の報告書へ視線を落とした。


「それで、銀翼だ」


 机の上には、数枚の報告書が並べられていた。


 黒牙刻印(こくがこくいん)の破壊。


 平和税(へいわぜい)加入者への脅迫。


 白煙は守れないという落書き。


 銀翼(ぎんよく)の羽根。


 ゼギルはその一枚を、指先で軽く弾いた。


「舐められてんな、ハルト」


「……はい」


 ハルトは否定しなかった。


「銀翼残党の頭を叩け」


 ゼギルが言った。


 その言葉だけで、部屋の空気が一段重くなる。


 ハルトは静かに目を細めた。


「外縁区が荒れます」


「構わねぇ」


 ゼギルの足元で、また影が揺らいだ。


 今度は、さっきよりも深い。


 黒い何かが、床の下から少しだけこちらを覗いたように見えた。


 ルーカスの喉が勝手に詰まる。


 理由のない恐怖が、皮膚の内側を撫でた。


 逃げたい。


 けれど、足が動かない。


 ゼギルは静かに言った。


「戦争しても構わない」


 その一言で、ルーカスは理解した。


 これは、ただの許可ではない。


 黒牙の団長が、外縁区が荒れることを許した。


 死体が増えることも。


 縄張りが燃えることも。


 それでも、銀翼残党の頭を叩けと言っている。


 ハルトは、短く息を吐いた。


「分かりました」


「ああ」


 ゼギルは、薄く笑った。


「白煙の名を舐めた連中だ。お前の手で黙らせろ」


「はい」


 ルーカスは、黒鋼手甲をはめた手を、無意識に握っていた。


 黒鋼の薄板が、小さく擦れる。


 殺し合いで決断できない者は死ぬ。


 ゼギルの言葉が、頭の奥で重く残った。


     ◇


 黒牙本部を出る頃には、空が暗くなり始めていた。


 冬の夕暮れは早い。


 外へ出た瞬間、冷たい風が頬を刺す。


 けれど、ルーカスは寒さよりも、まだ背中に残る汗の方が気になっていた。


 ゼギルの足元で揺らいだ黒。


 あれは、何だったのか。


 深淵。


 そう呼ばれるものなのだろう。


 だが、言葉で知っている深淵と、実際に肌で感じる深淵は違った。


 生物として違う。


 その感覚だけが、まだ身体に残っている。


「顔、白いですよ」


 セリカが言った。


「寒いからですかね」


「違います」


「ですよね」


 ルーカスは息を吐いた。


 白い息が薄く伸びる。


 ハルトは少し前を歩いていた。


 いつも通りの背中だった。


 だが、さっきの部屋で、ハルトはゼギルの前に立っていた。


 普通に話し、普通に命令を受け、普通に戦争の許可を持ち帰った。


 ハルト様は、あの人の下で第六席をやっている。


 そう思うと、ルーカスの中でハルトの背中が少し違って見えた。


「ハルト様」


「なんだ」


「銀翼は、出てくるんですか」


「出てくる」


 ハルトは即答した。


「どうして分かるんですか」


「銀翼は武闘派だ」


「武闘派……」


金剛(こんごう)って化け物を頭にしてた連中だ。力を信じてる。殴り合いで勝てるなら、それを誇りにする」


 ハルトは外縁区へ続く道を見た。


「だから、正面から戦えって言えば乗る」


「逃げたら?」


「銀翼は白煙から逃げたって流す」


 セリカが淡々と補足した。


「外縁区中に流せば、残党はまとまりを失います。銀翼の名にすがっている者ほど、逃げる選択は取りづらい」


「つまり」


 ルーカスは考えながら言う。


「ハルト様の名前で誘うんですか」


「ああ」


 ハルトは短く答えた。


「白煙を嫌ってるのは間違いねぇ。金剛、ロウエン、縄張り、平和税。あいつらが失ったものの大半に俺が絡んでる」


「だから、白煙の名前を餌にする」


「そういうことだ」


 ルーカスは少しだけ眉を下げた。


「危なくないですか?」


「危ないに決まってるだろ」


「ですよね」


「だから釣れる」


 ハルトは、少しだけ口元を歪めた。


「俺を殺せるなら、銀翼はまだ死んでないって言えるからな」


 ルーカスは何も言えなかった。


 ハルトは自分の名前を、餌にする。


 自分が嫌われていることを分かっていて、それを利用する。


 怖いことをする人だと思った。


 同時に、それが第六席なのだとも思った。


     ◇


 白煙のハルトから、銀翼残党へ。


 その挑発は、その日のうちに外縁区へ流された。


 平和税加入者を狙う小細工はもういい。


 銀翼がまだ折れていないと言うなら、正面から来い。


 明日。


 外縁区外れの採石場。


 五対五。


 逃げるなら、銀翼は白煙から逃げたと外縁区中に流す。


 伝言は、あえて逃がした銀翼の下っ端に持たせた。


 同時に、黒牙の情報屋にも流した。


 逃げ道を塞ぐためだ。


 銀翼が受けても、受けなくても、白煙の名で外縁区が揺れる。


 夜になる前に、返事は来た。


 短い返事だった。


 明日、採石場で待つ。


 そこには、乱暴に描かれた銀翼の羽根が添えられていた。


 ハルトは、その紙を見て鼻で笑った。


「乗ったな」


 セリカが頷く。


「明日、外縁区外れの採石場。五対五です」


「場所は?」


「旧採石場です。外縁区からさらに外れた場所で、周囲に民家は少ない。高低差があり、足場は悪いですが、代表戦には向いています」


「銀翼らしい場所だな」


 ハルトはそう言って、紙を机に置いた。


     ◇


 翌日の戦いに向け、第六席館の執務室には緊張した空気が漂っていた。


 ハルト。


 セリカ。


 ベルノ。


 シャノン。


 ルーカス。


 そして、遅れて現れたイグニス。


 イグニスはいつも通り、軽い足取りで部屋に入ってきた。


「私も行くよ」


 その一言で、ルーカスは目を瞬かせた。


 ハルトも少しだけ意外そうに見る。


「いいんですか」


「銀翼の武闘派相手でしょ。殴り合いなら、私がいた方が話が早いからね」


 イグニスは笑った。


「それに、白煙が一人で無茶したら、レヴィンに顔向けできないしね」


 ハルトは一瞬だけ黙った。


 それから、短く言う。


「助かります」


「うん。助けてあげる」


 イグニスは軽く返した。


 これで二枠は決まった。


 ハルト。


 イグニス。


 五対五の代表戦なら、残りは三枠。


 ハルトは室内を見回す。


「シャノン」


「ん」


 シャノンは干し肉を噛みながら顔を上げた。


「出ろ」


「殴る?」


「殴る」


「なら行く」


 即答だった。


 ハルトは次にベルノを見る。


「ベルノ」


「はい」


「お前も出ろ」


 ベルノの表情が引き締まる。


「分かりました」


 声は硬かった。


 だが、逃げる色はない。


 残り一枠。


 ルーカスは、当然セリカが選ばれるのだと思っていた。


 シルバーラインによる拘束。


 罠。


 奇襲。


 冷静な判断。


 第六席補佐としての経験。


 どれを取っても、自分よりセリカの方が適任に見えた。


 何より、自分は昨日、失敗したばかりだ。


 倒したつもりの相手を見逃し、市民を死なせかけ、腕を落としかけた。


 だから、次の名前が自分であるはずがなかった。


 ハルトは短く言った。


「ルーカス」


 心臓が跳ねた。


 ルーカスは、一瞬だけ反応が遅れた。


「……僕ですか?」


 黒鋼手甲が、手の甲で小さく鳴った。

あとがき


第4話でした。


今回は、ついに黒牙団長ゼギルから正式に命令が下る回です。


「戦争しても構わない」


この一言で、銀翼残党との小競り合いは完全に次の段階へ進みました。


ルーカスにとっても、今回は大きな回です。


第3話で自分の甘さを思い知り、黒鋼手甲を受け取った直後に、今度は黒牙の頂点であるゼギルと対面することになります。


ハルトより強いのか。

自分より強いのか。


そんな基準で考えようとした瞬間、深淵の気配だけで「生物として違う」と理解させられる。


ゼギルはルーカスをまだ強者としては見ていません。

ただの坊ちゃん。

甘い目をした、まだ決断できない新人。


だからこそ、ハルトに「ちゃんと育てろよ」と言います。


そしてハルトは、銀翼が自分を嫌っていることを利用して、自分の名前で正面戦闘へ引きずり出す作戦を取ります。


武闘派には、武闘派らしい戦場を。


次回からは、外縁区外れの採石場で五対五の代表戦に向かいます。


最後に選ばれたルーカスが、何を見るのか。

そして何を選ぶのか。


次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ