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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第五章 銀翼と不殺の牙

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第3話 舐めるな



 ルーカス・グランベルは、朝からずっと考えていた。


 殺したよ、俺の手で。


 ハルトのその言葉が、頭から離れない。


 友達だった。


 許した。


 でも、殺した。


 そして残ったのは、悲しみではなく責任だった。


 ルーカスには、まだ何一つ分からなかった。


 ハルトの考えも。


 行動も。


 感情も。


 分からないまま、朝の執務室で書類を運び、セリカの指示で平和税(へいわぜい)加入者の被害報告を整理し、銀翼(ぎんよく)残党の動きを地図へ書き込んでいた。


「ルーカス」


 セリカの声で、ルーカスは顔を上げた。


「はい」


「手が止まっています」


「あ……すみません」


「昨日、ハルト様と何か話しましたか」


 ルーカスは少しだけ目を丸くした。


「顔に出てますか?」


「かなり」


「かなりですか」


「はい。かなりです」


 セリカは淡々と言った。


 その手元には、今日だけで届いた被害報告が三枚置かれている。


 銀翼残党による平和税加入者への嫌がらせ。


 黒牙刻印(こくがこくいん)の破壊。


 店先への落書き。


 加入者名簿の一部流出。


 家族への尾行。


 夜間の投石。


 小さな被害が、確実に積み上がっている。


「悩むことは否定しません」


 セリカは言った。


「ですが、現場では止まらないでください」


「……はい」


「迷うなら、帰ってからにしてください」


「はい」


 ルーカスは頷いた。


 分かっている。


 現場で止まれば、誰かが傷つく。


 昨日までは、そういう言葉を聞いても、少し遠い話に感じていた。


 けれど今は違う。


 ハルトの話を聞いた後だと、何もかもが少し重く感じた。


     ◇


「次に出たら、足じゃなくて喉を潰した方がいいな」


 昼過ぎ。


 黒牙(こくが)の下部構成員が、そう言った。


 場所は第六席管轄の詰所だった。


 平和税加入者を狙う銀翼残党への対応で、ルーカス、ベルノ、シャノン、それに数人の黒牙構成員が集められている。


 外は冷えていた。


 詰所の中にも、冬の空気が入り込んでいる。


 ルーカスは裏起毛の厚手の外套を羽織ったまま、壁に貼られた地図を見ていた。


「生かしておくとまた来る」


 別の構成員が言う。


「銀翼の連中は、もう組織の形も崩れてる。だから余計にしつこい。半端に潰すと、また噛みついてくるぞ」


「そうですね」


 ベルノが記録を取りながら頷いた。


「ただし、処分にはハルト様とセリカ様の判断が必要です。捕縛した者は、一度引き渡してください」


「分かってるよ」


 構成員は不満そうに鼻を鳴らす。


「でも、殺せる時に殺しておいた方が早い」


 その言葉を聞いて、ルーカスはふと首を傾げた。


「殺さなくても良くないですか?」


 空気が止まった。


 黒牙構成員たちが、一斉にルーカスを見る。


「……は?」


「だって、殺さなくても倒せますし」


 ルーカスは本気でそう思っていた。


 人を殺す必要があるのか分からない。


 相手の腕を押さえて、足を払って、動けなくすればいい。


 武器を奪って、逃げられないようにして、捕まえればいい。


 それで済むなら、殺す必要はない気がした。


 構成員の一人が、低い声で言う。


「それでは、こちらがやられてしまいます」


「そうなんですか?」


「そうです」


「でも、それって……」


 ルーカスは少し考えた。


 悪気はなかった。


 本当に、ただ疑問だった。


「弱いからじゃないのかなぁ……」


 空気が、今度こそ凍った。


 シャノンが干し肉を噛む音だけが、やけに大きく聞こえた。


 ベルノが眼鏡を押し上げる。


「ルーカス。それ以上はやめた方がいいです」


「え、なんでですか」


「今のは、かなり失礼です」


「失礼……ですか?」


「はい。かなり」


 ルーカスは、構成員たちを見る。


 彼らの顔は、明らかに不快そうだった。


 怒っている者もいる。


 呆れている者もいる。


 何も言わず、視線だけを逸らした者もいる。


 セリカが、静かに口を開いた。


「ルーカス」


「はい」


「あなたが殺さずに倒せることと、他の者が殺さずに生き残れることは別です」


「……はい」


「現場で殺す者は、遊びで殺しているわけではありません。殺さなければ止められない相手もいます。殺さなければ守れない場面もあります」


「でも……」


「でも、ではありません」


 セリカの声は冷たかった。


「強者が、自分の基準で他人の選択を軽く見る。それは侮辱です」


 ルーカスは、何も言えなくなった。


 そんなつもりはなかった。


 けれど。


 そんなつもりがなくても、そう聞こえることがある。


 ルーカスは初めて、それを少しだけ知った。


     ◇


 その日の午後、また出動が入った。


 平和税加入者の店が襲われた。


 場所は外縁区に近い、小さな酒場だった。


 店先の黒牙刻印は半分削られ、その上から銀翼の羽根が刻まれている。


 壁には乱暴な字で、こう書かれていた。


 白煙は守れない。


 店主は顔を腫らしていた。


 奥には割れた酒瓶が散らばり、床には血が点々と落ちている。


「もう、黒印を消してくれ」


 店主は震える声で言った。


「消すんですか?」


 ルーカスは思わず聞き返した。


「消してくれ! 保護されてるから狙われるんだろう!?」


 その言葉に、ルーカスは詰まった。


 平和税は、守るための仕組みだ。


 黒牙刻印は、保護対象であることを示す印だ。


 でも今は、その印が狙われる理由になっている。


 守るための印が、危険を呼んでいる。


 ベルノが冷静に答える。


「黒印を消すことは可能です。ただし、保護対象からは外れます」


「それでもいい! もう来ないでくれ!」


 店主の声は悲鳴に近かった。


 ルーカスは、何も言えなかった。


 黒牙は平和を売っている。


 ハルトはそう言っていた。


 でも、平和を買った人が、そのせいで怖がっている。


 それがどうしても、胸の奥で引っかかった。


「いたぞ!」


 外から声がした。


 銀翼残党だった。


 三人。


 いや、裏口側にもう二人。


 シャノンが鼻をひくつかせる。


「五人。あと、酒と鉄の匂い」


「逃走経路を塞ぎます」


 ベルノが短く言った。


 黒牙構成員が二人、裏口へ走る。


 ルーカスは正面へ出た。


 銀翼残党の一人が、片手斧を構える。


「また白煙(はくえん)の補佐かよ!」


「またです」


 ルーカスは少しだけ眉を下げた。


「今日、何回目ですかね」


「知るか!」


 男が斧を振り上げる。


 ルーカスは半歩踏み込んだ。


 斧の内側へ入り、男の腹に拳を入れる。


 手応えはあった。


 男の体が折れ、後ろへ倒れる。


 いつもなら、それで終わりだった。


 だからルーカスは、次の敵へ視線を向けた。


 二人目の短剣を避ける。


 手首を取る。


 肘を押す。


 足を払う。


 地面に落とす。


 三人目が椅子を投げてきた。


 ルーカスは片手で受け止め、横へ置く。


「危ないですよ」


「なんなんだよ、お前!」


「補佐見習いです」


「そういう意味じゃねぇ!」


 叫びながら突っ込んできた男を、ルーカスは肩で受け、壁へ押しつけた。


 骨が嫌な音を立てる。


「すみません。少し強かったかもしれません」


 その時だった。


 最初に腹を殴って倒したはずの男が、ぬるりと起き上がった。


 ルーカスの拳を受けた腹部に、薄い魔力の膜が揺れている。


 衝撃を逃がす防御魔法。


 倒れたのは、気絶したからではなかった。


 衝撃を逃がしきれず、一瞬膝をついただけだった。


 ルーカスが気づいた時には、男の手に短剣があった。


 狙いは、逃げ遅れた店主の娘だった。


「危ない!」


 考えるより先に、身体が動いた。


 ルーカスは、娘と男の間に腕を差し込む。


 刃が、外套の袖を裂いた。


 そのまま、前腕に食い込む。


 熱い痛みが走る。


 肉が裂けた。


 血が飛んだ。


 けれど、刃は止まった。


 骨には届かない。


 筋も切れていない。


 ラインハルトに教わり始めた内功(ないこう)


 咄嗟に腕へ巡った魔力。


 それが、刃を数センチのところで押し止めていた。


「……危ないじゃないですか」


 ルーカスの声が、少しだけ低くなった。


 銀翼の男が目を見開く。


「なんで、腕が……」


「切れてますよ」


 ルーカスは、自分の腕から流れる血を見た。


「でも、浅いです」


 次の瞬間、男の手首が嫌な音を立てた。


「ああああああっ!?」


 ルーカスは、今度は迷わなかった。


 短剣を持つ手首を折る。


 肘を極める。


 肩を外す。


 膝裏を払う。


 男は石畳へ崩れ落ちた。


 殺してはいない。


 だが、もう動けない。


 ルーカスは息を吐いた。


 その直後、腕の痛みが遅れて強くなる。


 血が袖の内側を濡らしていく。


 店主の娘は、震えながら座り込んでいた。


 無事だった。


 間に合った。


 けれど。


 ルーカスの胸は、まったく軽くならなかった。


 倒したと思った。


 確認しなかった。


 そのせいで、人が死にかけた。


 殺さなくても倒せる。


 そう思っていた。


 けれど、倒せていなかった。


     ◇


 館に戻ってから、ルーカスはセリカに呼ばれた。


 部屋にはベルノもいた。


 シャノンは廊下で干し肉を食べながら待っている。


 ルーカスの腕には、応急処置の布が巻かれていた。布はすでに赤く滲んでいる。


 セリカは、静かに怒っていた。


 怒鳴らない。


 声を荒げない。


 だからこそ、怖かった。


「ルーカス」


「……はい」


「あなたは先ほど、殺さなくても倒せると言いました」


「はい」


「今の相手は、倒せていましたか」


 ルーカスは唇を噛んだ。


「……いいえ」


「では、あなたの発言は何ですか」


 返事ができなかった。


 セリカは冷たく言う。


「傲慢です」


 その言葉は、刃のようにまっすぐ刺さった。


「あなたが強いことは事実です。ですが、強いことと、正しく止められることは別です」


「……はい」


「あなたは確認を怠りました。その結果、保護対象が死にかけました」


「はい」


「あなたの腕が間に合ったことは幸運です。手柄ではありません」


 ルーカスは、何も言えない。


「あなたの失敗を、あなたの身体能力で埋めただけです」


「……はい」


「そして、その身体能力も万能ではありません。あなた自身も腕を失いかけた」


 セリカの視線が、血の滲んだ布へ向く。


「クロードを呼んでいます。治療を受けてください」


「はい」


「それと」


 セリカは一度、言葉を切った。


「あなたが何を嫌だと思うかは自由です。ですが、自分の強さを基準に他人の選択を軽く見ないでください」


「……はい」


「黒牙の者たちは、遊びで殺しているわけではありません」


「はい」


「そこを間違えないように」


 ルーカスは深く頭を下げた。


 喉の奥が苦しかった。


 自分は、何を言ったのだろう。


 何を、軽く見たのだろう。


 そして今日、自分の甘さで誰を死なせかけたのだろう。


     ◇


「腕、動かせますか」


 クロード・ヴェインは、いつも通り穏やかな声で言った。


 ルーカスは椅子に座り、ゆっくりと指を曲げる。


 痛みはある。


 だが、動く。


「動きます」


「それは幸運です」


 クロードは淡々と答えた。


「幸運、ですか」


「ええ。正直に言うと、腕がついているのが不思議なくらいです」


「……え」


 ルーカスの顔から血の気が引いた。


 クロードは布を外し、傷口を確認する。


 前腕の外側に、深い切り傷が走っていた。


 数センチ。


 それだけ入っている。


 けれど、切断には至っていない。


「刃は数センチ入っています。普通なら筋も腱も、骨の近くまで持っていかれていました。受けた角度が悪ければ、前腕ごと落ちていてもおかしくありません」


「そんなに……」


「はい」


 クロードは治療魔法をかけ始める。


 淡い光が傷口を包む。


「あなたの内功と魔力が、刃を途中で止めたのでしょう。体の内側から、無理やり肉と骨を締めたような状態です」


「そんなこと、してたんですか」


「無意識でしょうね。だから危ない」


「危ない?」


「無意識にできたことは、次もできるとは限りません」


 クロードはルーカスを見る。


「今回は、腕が残った。そう考えてください」


 ルーカスは自分の腕を見た。


 まだ、そこにある。


 指も動く。


 けれど、それが当たり前ではなかったのだと、今さら理解する。


「すみません」


「謝る相手は、私ではありません」


 クロードは静かに言った。


「それに、まずは治すことです。反省は、痛みが引いてからでもできます」


「……はい」


 治療の光が、ゆっくりと傷を塞いでいく。


 痛みは薄れていく。


 けれど、胸の奥の重さは消えなかった。


     ◇


 治療が終わってしばらくして、扉が叩かれた。


「入るぞ」


 ハルトだった。


 ルーカスは慌てて立とうとしたが、ハルトが手で止める。


「座ってろ」


「……はい」


 ハルトは椅子を引き寄せ、ルーカスの前に座った。


「結構絞られたらしいな」


「……はい」


「セリカから聞いた。腕のことも、その前に言ったことも」


 ルーカスは目を伏せた。


「すみません」


「俺に謝ってどうすんだよ」


「……そうですね」


「セリカも気にしてたぞ」


「え」


 ルーカスは顔を上げた。


「あいつ、怒った後でクロードに確認してた。腕は残るのか、後遺症はねぇのかってな」


「セリカさんが……」


「ああ」


「怒ってたのに」


「怒るくらいには気にしてんだろ」


 ルーカスは、何も言えなかった。


 セリカの言葉は怖かった。


 でも、それは見捨てるための言葉ではなかったのかもしれない。


 ハルトは少しだけ息を吐いた。


「殺さなくても良くないですか、って言ったらしいな」


「……はい」


「そりゃ失礼だろ」


「失礼……ですか」


「ああ」


 ハルトの声は静かだった。


「黒牙の連中は、殺して生き残ってきた。殺して守ってきたやつもいる。殺して飯を食ってるやつもいる」


「はい」


「お前が殺さなくても倒せるのは、お前が強いからだ」


 ルーカスは黙る。


「でも、全員がお前じゃねぇ」


「……はい」


「殺すのが正しいとか、殺さないのが正しいとか、そういう話じゃねぇ」


「じゃあ、何の話ですか」


「舐めるなって話だ」


 ルーカスは言葉を失った。


「殺してきたやつらを、弱いから殺してるみてぇに見るな。それは黒牙に失礼だ」


「そんなつもりは……」


「つもりじゃねぇ。そう聞こえる」


 ハルトは淡々と言った。


「俺にもな」


 その一言で、ルーカスの胸が冷えた。


 ハルトも殺してきた。


 友達を殺した。


 許して、それでも殺した。


 自分の言葉は、ハルトにも向いていたのだ。


「……すみません」


「謝るなら、次から考えろ」


「はい」


 ハルトは少しだけ息を吐いた。


「殺すのが正しいのか、殺さないのが正しいのか。俺にも分からねぇ」


「ハルト様にも、分からないんですか」


「分かるわけねぇだろ。俺は殺してここまで来た」


 ハルトは静かに言った。


「だから、殺すななんて綺麗なことは言えねぇ」


「……はい」


「でも、殺せとも言わねぇ」


 ルーカスは顔を上げた。


「今後も、お前が選べ」


「選ぶ……」


「殺すのか、殺さないのか。止めるのか、潰すのか。生かすのか、終わらせるのか」


 ハルトの声は低かった。


「現場で、毎回選べ」


「毎回……」


「ああ」


 ハルトはルーカスを見る。


「ただし、選んだ結果から逃げるな」


「……はい」


「殺しておけばよかったって後悔する状況だけは作るな」


 ハルトの声が、少しだけ重くなる。


「その後悔は、お前だけのもんじゃ済まねぇ。死んだやつにも背負わせることになる」


 ルーカスは、ゆっくりと頷いた。


「はい」


「だから、これだ」


 ハルトは黒い革袋を投げた。


 ルーカスは慌てて受け止める。


「これは……?」


「開けろ」


 中に入っていたのは、黒革のグローブだった。


 ただの手袋ではない。


 手の甲から手首にかけて、黒い金属の薄板が重なるように縫い込まれている。


 薄板は鱗のように重なっていた。


 拳を握れば自然に沈み、手を開けば隙間なく甲を覆う。


 掌側は薄く、指先の感覚を殺さない。


 掴む。


 払う。


 押さえる。


 素手の動きを邪魔しない作りだった。


 軽い。


 だが、手の甲の黒い金属板は、見ただけで異様に硬いと分かる。


「これ……黒鋼(くろがね)、ですか」


「分かるのか」


「父の知り合いの冒険者が、黒鋼(くろがね)の小手を使っていました」


 ルーカスは、思わず手甲を両手で持ち直した。


「こんな高価なもの、頂けません」


「使え」


「でも」


「使え」


「……」


「お前が腕を落としたら、こっちが困る」


「困る、ですか」


「補佐見習いが減るだろ」


「そういう理由ですか」


「そういう理由だ」


 ハルトは腰の黒い短剣を軽く叩いた。


「俺の短剣にも黒鋼が使われてる」


「ハルト様の短剣にも?」


「ああ。軽い。硬い。魔力の通りも悪くねぇ」


 ハルトは、ルーカスの手元の手甲を見る。


「お前みたいに、素手で刃物に突っ込む馬鹿にはちょうどいい」


「馬鹿用……」


「嫌なら返せ」


 ルーカスは、黒鋼手甲(くろがねしゅこう)を見下ろした。


 返したくはなかった。


 それが少しだけ、自分でも意外だった。


「……使います」


「そうしろ」


「ありがとうございます」


「礼言う前に慣らせ」


「はい」


 ルーカスは、ゆっくりと手甲をはめた。


 怪我をした腕はクロードに治してもらったばかりで、まだ少しだけ違和感がある。


 それでも、手甲は驚くほど馴染んだ。


 重くない。


 指は動く。


 掌の感覚も残っている。


 けれど、手の甲は守られている。


 黒鋼手甲は、驚くほど軽かった。


 けれど、ルーカスには重かった。


 値段のせいだけではない。


 自分の甘さで人が死にかけたこと。


 セリカが怒りながらも気にしていたこと。


 クロードに、腕がついているのが不思議だと言われたこと。


 そして、ハルトが自分の戦い方を見ていたこと。


 その全部が、手の甲に乗っている気がした。


「ルーカス」


「はい」


「それは答えじゃねぇ」


「答えじゃない?」


「ああ」


 ハルトは言った。


「刃を止めるための道具だ」


 ルーカスは黒鋼手甲を見る。


「お前が何を選ぶかは、お前が考えろ」


「……はい」


「ただ、何を選ぶにしても、今日みたいな真似はするな」


「はい」


「止めるなら、止め切れ」


 その言葉は、重かった。


 けれど、不思議とまっすぐ胸に入った。


 選ぶ。


 その言葉が、ルーカスの中で妙に重く響いた。


 親に言われて学校へ行った。


 親に言われて働こうとした。


 最初に見つけた求人に応募した。


 分からないことは、人に聞いてきた。


 ルーカスは、ずっとそうやって進んできた。


 だから、自分で選べと言われた瞬間、胸の奥が少しだけ怖くなった。


 ルーカスは手を握る。


 黒鋼の薄板が、静かに重なった。


     ◇


 その夜。


 ベルノがまとめた被害地図を見て、セリカの顔が険しくなった。


「被害場所が、偏っています」


「どういうことだ」


 ハルトが聞く。


「平和税加入者の中でも、黒印の新規加入者が中心です。集金経路も、かなり正確に狙われています」


 ベルノが続ける。


「加入者名簿、刻印場所、巡回時間。このいずれか、あるいは複数が把握されている可能性があります」


 シャノンが地図を覗き込む。


「匂い、同じやつが何回かいる」


「同じ残党か?」


「多分。でも、毎回違うやつも混ざってる」


 ハルトは地図を見る。


 削られた黒牙刻印。


 銀翼の羽根。


 白煙は守れないという落書き。


 小さな嫌がらせに見えていたものが、線で繋がっていく。


「雑魚を潰しても終わらねぇな」


 ハルトが低く言った。


「頭がいる」


 セリカが頷く。


「銀翼残党をまとめている者がいると見てよいかと」


 ハルトは舌打ちした。


「頭を叩くしかねぇか」


 ルーカスは、黒鋼手甲をはめた手を握った。


 殺さなくても良くないですか。


 自分はそう言った。


 でも、その言葉は軽かった。


 軽いまま口にしていい言葉ではなかった。


 まだ、答えはない。


 殺すのか。


 殺さないのか。


 それすら、今のルーカスには決められない。


 けれど。


 少なくとも、今日のような失敗だけは繰り返してはいけない。


 止めるなら、止め切る。


 命を落とす前に。


 取り返しがつかなくなる前に。


 黒鋼の手甲が、冬の灯りを鈍く弾いた。

あとがき


第3話でした。


今回はルーカスが、自分の強さを基準にして黒牙の殺しを軽く見てしまう話です。


「殺さなくても良くないですか?」


ルーカス本人に悪気はありません。

ただ、彼は強すぎるからこそ、殺さずに倒せると思っていました。


けれど黒牙の者たちは、殺して生き残り、殺して守り、殺して飯を食ってきた者たちです。


そこを軽く見るな。


今回は、ハルトがルーカスを甘やかさずに叱る回でもありました。


そしてルーカス自身も、倒したつもりだった相手に市民を傷つけられかけ、自分の甘さを痛感します。


黒鋼手甲は、そんなルーカスにハルトが渡したものです。


答えではなく、刃を止めるための道具。


ルーカスが何を選ぶのかは、まだこれからです。


次回もよろしくお願いします。

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