第3話 舐めるな
ルーカス・グランベルは、朝からずっと考えていた。
殺したよ、俺の手で。
ハルトのその言葉が、頭から離れない。
友達だった。
許した。
でも、殺した。
そして残ったのは、悲しみではなく責任だった。
ルーカスには、まだ何一つ分からなかった。
ハルトの考えも。
行動も。
感情も。
分からないまま、朝の執務室で書類を運び、セリカの指示で平和税加入者の被害報告を整理し、銀翼残党の動きを地図へ書き込んでいた。
「ルーカス」
セリカの声で、ルーカスは顔を上げた。
「はい」
「手が止まっています」
「あ……すみません」
「昨日、ハルト様と何か話しましたか」
ルーカスは少しだけ目を丸くした。
「顔に出てますか?」
「かなり」
「かなりですか」
「はい。かなりです」
セリカは淡々と言った。
その手元には、今日だけで届いた被害報告が三枚置かれている。
銀翼残党による平和税加入者への嫌がらせ。
黒牙刻印の破壊。
店先への落書き。
加入者名簿の一部流出。
家族への尾行。
夜間の投石。
小さな被害が、確実に積み上がっている。
「悩むことは否定しません」
セリカは言った。
「ですが、現場では止まらないでください」
「……はい」
「迷うなら、帰ってからにしてください」
「はい」
ルーカスは頷いた。
分かっている。
現場で止まれば、誰かが傷つく。
昨日までは、そういう言葉を聞いても、少し遠い話に感じていた。
けれど今は違う。
ハルトの話を聞いた後だと、何もかもが少し重く感じた。
◇
「次に出たら、足じゃなくて喉を潰した方がいいな」
昼過ぎ。
黒牙の下部構成員が、そう言った。
場所は第六席管轄の詰所だった。
平和税加入者を狙う銀翼残党への対応で、ルーカス、ベルノ、シャノン、それに数人の黒牙構成員が集められている。
外は冷えていた。
詰所の中にも、冬の空気が入り込んでいる。
ルーカスは裏起毛の厚手の外套を羽織ったまま、壁に貼られた地図を見ていた。
「生かしておくとまた来る」
別の構成員が言う。
「銀翼の連中は、もう組織の形も崩れてる。だから余計にしつこい。半端に潰すと、また噛みついてくるぞ」
「そうですね」
ベルノが記録を取りながら頷いた。
「ただし、処分にはハルト様とセリカ様の判断が必要です。捕縛した者は、一度引き渡してください」
「分かってるよ」
構成員は不満そうに鼻を鳴らす。
「でも、殺せる時に殺しておいた方が早い」
その言葉を聞いて、ルーカスはふと首を傾げた。
「殺さなくても良くないですか?」
空気が止まった。
黒牙構成員たちが、一斉にルーカスを見る。
「……は?」
「だって、殺さなくても倒せますし」
ルーカスは本気でそう思っていた。
人を殺す必要があるのか分からない。
相手の腕を押さえて、足を払って、動けなくすればいい。
武器を奪って、逃げられないようにして、捕まえればいい。
それで済むなら、殺す必要はない気がした。
構成員の一人が、低い声で言う。
「それでは、こちらがやられてしまいます」
「そうなんですか?」
「そうです」
「でも、それって……」
ルーカスは少し考えた。
悪気はなかった。
本当に、ただ疑問だった。
「弱いからじゃないのかなぁ……」
空気が、今度こそ凍った。
シャノンが干し肉を噛む音だけが、やけに大きく聞こえた。
ベルノが眼鏡を押し上げる。
「ルーカス。それ以上はやめた方がいいです」
「え、なんでですか」
「今のは、かなり失礼です」
「失礼……ですか?」
「はい。かなり」
ルーカスは、構成員たちを見る。
彼らの顔は、明らかに不快そうだった。
怒っている者もいる。
呆れている者もいる。
何も言わず、視線だけを逸らした者もいる。
セリカが、静かに口を開いた。
「ルーカス」
「はい」
「あなたが殺さずに倒せることと、他の者が殺さずに生き残れることは別です」
「……はい」
「現場で殺す者は、遊びで殺しているわけではありません。殺さなければ止められない相手もいます。殺さなければ守れない場面もあります」
「でも……」
「でも、ではありません」
セリカの声は冷たかった。
「強者が、自分の基準で他人の選択を軽く見る。それは侮辱です」
ルーカスは、何も言えなくなった。
そんなつもりはなかった。
けれど。
そんなつもりがなくても、そう聞こえることがある。
ルーカスは初めて、それを少しだけ知った。
◇
その日の午後、また出動が入った。
平和税加入者の店が襲われた。
場所は外縁区に近い、小さな酒場だった。
店先の黒牙刻印は半分削られ、その上から銀翼の羽根が刻まれている。
壁には乱暴な字で、こう書かれていた。
白煙は守れない。
店主は顔を腫らしていた。
奥には割れた酒瓶が散らばり、床には血が点々と落ちている。
「もう、黒印を消してくれ」
店主は震える声で言った。
「消すんですか?」
ルーカスは思わず聞き返した。
「消してくれ! 保護されてるから狙われるんだろう!?」
その言葉に、ルーカスは詰まった。
平和税は、守るための仕組みだ。
黒牙刻印は、保護対象であることを示す印だ。
でも今は、その印が狙われる理由になっている。
守るための印が、危険を呼んでいる。
ベルノが冷静に答える。
「黒印を消すことは可能です。ただし、保護対象からは外れます」
「それでもいい! もう来ないでくれ!」
店主の声は悲鳴に近かった。
ルーカスは、何も言えなかった。
黒牙は平和を売っている。
ハルトはそう言っていた。
でも、平和を買った人が、そのせいで怖がっている。
それがどうしても、胸の奥で引っかかった。
「いたぞ!」
外から声がした。
銀翼残党だった。
三人。
いや、裏口側にもう二人。
シャノンが鼻をひくつかせる。
「五人。あと、酒と鉄の匂い」
「逃走経路を塞ぎます」
ベルノが短く言った。
黒牙構成員が二人、裏口へ走る。
ルーカスは正面へ出た。
銀翼残党の一人が、片手斧を構える。
「また白煙の補佐かよ!」
「またです」
ルーカスは少しだけ眉を下げた。
「今日、何回目ですかね」
「知るか!」
男が斧を振り上げる。
ルーカスは半歩踏み込んだ。
斧の内側へ入り、男の腹に拳を入れる。
手応えはあった。
男の体が折れ、後ろへ倒れる。
いつもなら、それで終わりだった。
だからルーカスは、次の敵へ視線を向けた。
二人目の短剣を避ける。
手首を取る。
肘を押す。
足を払う。
地面に落とす。
三人目が椅子を投げてきた。
ルーカスは片手で受け止め、横へ置く。
「危ないですよ」
「なんなんだよ、お前!」
「補佐見習いです」
「そういう意味じゃねぇ!」
叫びながら突っ込んできた男を、ルーカスは肩で受け、壁へ押しつけた。
骨が嫌な音を立てる。
「すみません。少し強かったかもしれません」
その時だった。
最初に腹を殴って倒したはずの男が、ぬるりと起き上がった。
ルーカスの拳を受けた腹部に、薄い魔力の膜が揺れている。
衝撃を逃がす防御魔法。
倒れたのは、気絶したからではなかった。
衝撃を逃がしきれず、一瞬膝をついただけだった。
ルーカスが気づいた時には、男の手に短剣があった。
狙いは、逃げ遅れた店主の娘だった。
「危ない!」
考えるより先に、身体が動いた。
ルーカスは、娘と男の間に腕を差し込む。
刃が、外套の袖を裂いた。
そのまま、前腕に食い込む。
熱い痛みが走る。
肉が裂けた。
血が飛んだ。
けれど、刃は止まった。
骨には届かない。
筋も切れていない。
ラインハルトに教わり始めた内功。
咄嗟に腕へ巡った魔力。
それが、刃を数センチのところで押し止めていた。
「……危ないじゃないですか」
ルーカスの声が、少しだけ低くなった。
銀翼の男が目を見開く。
「なんで、腕が……」
「切れてますよ」
ルーカスは、自分の腕から流れる血を見た。
「でも、浅いです」
次の瞬間、男の手首が嫌な音を立てた。
「ああああああっ!?」
ルーカスは、今度は迷わなかった。
短剣を持つ手首を折る。
肘を極める。
肩を外す。
膝裏を払う。
男は石畳へ崩れ落ちた。
殺してはいない。
だが、もう動けない。
ルーカスは息を吐いた。
その直後、腕の痛みが遅れて強くなる。
血が袖の内側を濡らしていく。
店主の娘は、震えながら座り込んでいた。
無事だった。
間に合った。
けれど。
ルーカスの胸は、まったく軽くならなかった。
倒したと思った。
確認しなかった。
そのせいで、人が死にかけた。
殺さなくても倒せる。
そう思っていた。
けれど、倒せていなかった。
◇
館に戻ってから、ルーカスはセリカに呼ばれた。
部屋にはベルノもいた。
シャノンは廊下で干し肉を食べながら待っている。
ルーカスの腕には、応急処置の布が巻かれていた。布はすでに赤く滲んでいる。
セリカは、静かに怒っていた。
怒鳴らない。
声を荒げない。
だからこそ、怖かった。
「ルーカス」
「……はい」
「あなたは先ほど、殺さなくても倒せると言いました」
「はい」
「今の相手は、倒せていましたか」
ルーカスは唇を噛んだ。
「……いいえ」
「では、あなたの発言は何ですか」
返事ができなかった。
セリカは冷たく言う。
「傲慢です」
その言葉は、刃のようにまっすぐ刺さった。
「あなたが強いことは事実です。ですが、強いことと、正しく止められることは別です」
「……はい」
「あなたは確認を怠りました。その結果、保護対象が死にかけました」
「はい」
「あなたの腕が間に合ったことは幸運です。手柄ではありません」
ルーカスは、何も言えない。
「あなたの失敗を、あなたの身体能力で埋めただけです」
「……はい」
「そして、その身体能力も万能ではありません。あなた自身も腕を失いかけた」
セリカの視線が、血の滲んだ布へ向く。
「クロードを呼んでいます。治療を受けてください」
「はい」
「それと」
セリカは一度、言葉を切った。
「あなたが何を嫌だと思うかは自由です。ですが、自分の強さを基準に他人の選択を軽く見ないでください」
「……はい」
「黒牙の者たちは、遊びで殺しているわけではありません」
「はい」
「そこを間違えないように」
ルーカスは深く頭を下げた。
喉の奥が苦しかった。
自分は、何を言ったのだろう。
何を、軽く見たのだろう。
そして今日、自分の甘さで誰を死なせかけたのだろう。
◇
「腕、動かせますか」
クロード・ヴェインは、いつも通り穏やかな声で言った。
ルーカスは椅子に座り、ゆっくりと指を曲げる。
痛みはある。
だが、動く。
「動きます」
「それは幸運です」
クロードは淡々と答えた。
「幸運、ですか」
「ええ。正直に言うと、腕がついているのが不思議なくらいです」
「……え」
ルーカスの顔から血の気が引いた。
クロードは布を外し、傷口を確認する。
前腕の外側に、深い切り傷が走っていた。
数センチ。
それだけ入っている。
けれど、切断には至っていない。
「刃は数センチ入っています。普通なら筋も腱も、骨の近くまで持っていかれていました。受けた角度が悪ければ、前腕ごと落ちていてもおかしくありません」
「そんなに……」
「はい」
クロードは治療魔法をかけ始める。
淡い光が傷口を包む。
「あなたの内功と魔力が、刃を途中で止めたのでしょう。体の内側から、無理やり肉と骨を締めたような状態です」
「そんなこと、してたんですか」
「無意識でしょうね。だから危ない」
「危ない?」
「無意識にできたことは、次もできるとは限りません」
クロードはルーカスを見る。
「今回は、腕が残った。そう考えてください」
ルーカスは自分の腕を見た。
まだ、そこにある。
指も動く。
けれど、それが当たり前ではなかったのだと、今さら理解する。
「すみません」
「謝る相手は、私ではありません」
クロードは静かに言った。
「それに、まずは治すことです。反省は、痛みが引いてからでもできます」
「……はい」
治療の光が、ゆっくりと傷を塞いでいく。
痛みは薄れていく。
けれど、胸の奥の重さは消えなかった。
◇
治療が終わってしばらくして、扉が叩かれた。
「入るぞ」
ハルトだった。
ルーカスは慌てて立とうとしたが、ハルトが手で止める。
「座ってろ」
「……はい」
ハルトは椅子を引き寄せ、ルーカスの前に座った。
「結構絞られたらしいな」
「……はい」
「セリカから聞いた。腕のことも、その前に言ったことも」
ルーカスは目を伏せた。
「すみません」
「俺に謝ってどうすんだよ」
「……そうですね」
「セリカも気にしてたぞ」
「え」
ルーカスは顔を上げた。
「あいつ、怒った後でクロードに確認してた。腕は残るのか、後遺症はねぇのかってな」
「セリカさんが……」
「ああ」
「怒ってたのに」
「怒るくらいには気にしてんだろ」
ルーカスは、何も言えなかった。
セリカの言葉は怖かった。
でも、それは見捨てるための言葉ではなかったのかもしれない。
ハルトは少しだけ息を吐いた。
「殺さなくても良くないですか、って言ったらしいな」
「……はい」
「そりゃ失礼だろ」
「失礼……ですか」
「ああ」
ハルトの声は静かだった。
「黒牙の連中は、殺して生き残ってきた。殺して守ってきたやつもいる。殺して飯を食ってるやつもいる」
「はい」
「お前が殺さなくても倒せるのは、お前が強いからだ」
ルーカスは黙る。
「でも、全員がお前じゃねぇ」
「……はい」
「殺すのが正しいとか、殺さないのが正しいとか、そういう話じゃねぇ」
「じゃあ、何の話ですか」
「舐めるなって話だ」
ルーカスは言葉を失った。
「殺してきたやつらを、弱いから殺してるみてぇに見るな。それは黒牙に失礼だ」
「そんなつもりは……」
「つもりじゃねぇ。そう聞こえる」
ハルトは淡々と言った。
「俺にもな」
その一言で、ルーカスの胸が冷えた。
ハルトも殺してきた。
友達を殺した。
許して、それでも殺した。
自分の言葉は、ハルトにも向いていたのだ。
「……すみません」
「謝るなら、次から考えろ」
「はい」
ハルトは少しだけ息を吐いた。
「殺すのが正しいのか、殺さないのが正しいのか。俺にも分からねぇ」
「ハルト様にも、分からないんですか」
「分かるわけねぇだろ。俺は殺してここまで来た」
ハルトは静かに言った。
「だから、殺すななんて綺麗なことは言えねぇ」
「……はい」
「でも、殺せとも言わねぇ」
ルーカスは顔を上げた。
「今後も、お前が選べ」
「選ぶ……」
「殺すのか、殺さないのか。止めるのか、潰すのか。生かすのか、終わらせるのか」
ハルトの声は低かった。
「現場で、毎回選べ」
「毎回……」
「ああ」
ハルトはルーカスを見る。
「ただし、選んだ結果から逃げるな」
「……はい」
「殺しておけばよかったって後悔する状況だけは作るな」
ハルトの声が、少しだけ重くなる。
「その後悔は、お前だけのもんじゃ済まねぇ。死んだやつにも背負わせることになる」
ルーカスは、ゆっくりと頷いた。
「はい」
「だから、これだ」
ハルトは黒い革袋を投げた。
ルーカスは慌てて受け止める。
「これは……?」
「開けろ」
中に入っていたのは、黒革のグローブだった。
ただの手袋ではない。
手の甲から手首にかけて、黒い金属の薄板が重なるように縫い込まれている。
薄板は鱗のように重なっていた。
拳を握れば自然に沈み、手を開けば隙間なく甲を覆う。
掌側は薄く、指先の感覚を殺さない。
掴む。
払う。
押さえる。
素手の動きを邪魔しない作りだった。
軽い。
だが、手の甲の黒い金属板は、見ただけで異様に硬いと分かる。
「これ……黒鋼、ですか」
「分かるのか」
「父の知り合いの冒険者が、黒鋼の小手を使っていました」
ルーカスは、思わず手甲を両手で持ち直した。
「こんな高価なもの、頂けません」
「使え」
「でも」
「使え」
「……」
「お前が腕を落としたら、こっちが困る」
「困る、ですか」
「補佐見習いが減るだろ」
「そういう理由ですか」
「そういう理由だ」
ハルトは腰の黒い短剣を軽く叩いた。
「俺の短剣にも黒鋼が使われてる」
「ハルト様の短剣にも?」
「ああ。軽い。硬い。魔力の通りも悪くねぇ」
ハルトは、ルーカスの手元の手甲を見る。
「お前みたいに、素手で刃物に突っ込む馬鹿にはちょうどいい」
「馬鹿用……」
「嫌なら返せ」
ルーカスは、黒鋼手甲を見下ろした。
返したくはなかった。
それが少しだけ、自分でも意外だった。
「……使います」
「そうしろ」
「ありがとうございます」
「礼言う前に慣らせ」
「はい」
ルーカスは、ゆっくりと手甲をはめた。
怪我をした腕はクロードに治してもらったばかりで、まだ少しだけ違和感がある。
それでも、手甲は驚くほど馴染んだ。
重くない。
指は動く。
掌の感覚も残っている。
けれど、手の甲は守られている。
黒鋼手甲は、驚くほど軽かった。
けれど、ルーカスには重かった。
値段のせいだけではない。
自分の甘さで人が死にかけたこと。
セリカが怒りながらも気にしていたこと。
クロードに、腕がついているのが不思議だと言われたこと。
そして、ハルトが自分の戦い方を見ていたこと。
その全部が、手の甲に乗っている気がした。
「ルーカス」
「はい」
「それは答えじゃねぇ」
「答えじゃない?」
「ああ」
ハルトは言った。
「刃を止めるための道具だ」
ルーカスは黒鋼手甲を見る。
「お前が何を選ぶかは、お前が考えろ」
「……はい」
「ただ、何を選ぶにしても、今日みたいな真似はするな」
「はい」
「止めるなら、止め切れ」
その言葉は、重かった。
けれど、不思議とまっすぐ胸に入った。
選ぶ。
その言葉が、ルーカスの中で妙に重く響いた。
親に言われて学校へ行った。
親に言われて働こうとした。
最初に見つけた求人に応募した。
分からないことは、人に聞いてきた。
ルーカスは、ずっとそうやって進んできた。
だから、自分で選べと言われた瞬間、胸の奥が少しだけ怖くなった。
ルーカスは手を握る。
黒鋼の薄板が、静かに重なった。
◇
その夜。
ベルノがまとめた被害地図を見て、セリカの顔が険しくなった。
「被害場所が、偏っています」
「どういうことだ」
ハルトが聞く。
「平和税加入者の中でも、黒印の新規加入者が中心です。集金経路も、かなり正確に狙われています」
ベルノが続ける。
「加入者名簿、刻印場所、巡回時間。このいずれか、あるいは複数が把握されている可能性があります」
シャノンが地図を覗き込む。
「匂い、同じやつが何回かいる」
「同じ残党か?」
「多分。でも、毎回違うやつも混ざってる」
ハルトは地図を見る。
削られた黒牙刻印。
銀翼の羽根。
白煙は守れないという落書き。
小さな嫌がらせに見えていたものが、線で繋がっていく。
「雑魚を潰しても終わらねぇな」
ハルトが低く言った。
「頭がいる」
セリカが頷く。
「銀翼残党をまとめている者がいると見てよいかと」
ハルトは舌打ちした。
「頭を叩くしかねぇか」
ルーカスは、黒鋼手甲をはめた手を握った。
殺さなくても良くないですか。
自分はそう言った。
でも、その言葉は軽かった。
軽いまま口にしていい言葉ではなかった。
まだ、答えはない。
殺すのか。
殺さないのか。
それすら、今のルーカスには決められない。
けれど。
少なくとも、今日のような失敗だけは繰り返してはいけない。
止めるなら、止め切る。
命を落とす前に。
取り返しがつかなくなる前に。
黒鋼の手甲が、冬の灯りを鈍く弾いた。
あとがき
第3話でした。
今回はルーカスが、自分の強さを基準にして黒牙の殺しを軽く見てしまう話です。
「殺さなくても良くないですか?」
ルーカス本人に悪気はありません。
ただ、彼は強すぎるからこそ、殺さずに倒せると思っていました。
けれど黒牙の者たちは、殺して生き残り、殺して守り、殺して飯を食ってきた者たちです。
そこを軽く見るな。
今回は、ハルトがルーカスを甘やかさずに叱る回でもありました。
そしてルーカス自身も、倒したつもりだった相手に市民を傷つけられかけ、自分の甘さを痛感します。
黒鋼手甲は、そんなルーカスにハルトが渡したものです。
答えではなく、刃を止めるための道具。
ルーカスが何を選ぶのかは、まだこれからです。
次回もよろしくお願いします。




