第2話 殺した友達
「ここに入ってから、本気で楽しかったことって、ありますか?」
ルーカスは、自分でも変な質問だと思った。
黒牙とは何か。
盗賊とは何か。
命を賭けるとは何か。
信念とは何か。
聞きたいことは、もっとたくさんあった。
けれど、どれも大きすぎて、うまく言葉にならなかった。
だから結局、出てきたのはそんな質問だった。
ハルトは、少しだけ目を細めた。
机の上には書類の山がある。
それでも、ハルトはいつものように面倒くさそうにはしていなかった。
何かを思い出している顔だった。
「楽しかったこと、か」
「はい」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
ハルトは椅子の背もたれに身体を預ける。
ルーカスは少し迷った。
「分からなくなったんです」
「何が」
「色々です」
「雑だな」
「すみません」
ルーカスは、外套の袖を軽く握った。
屋内に入っても、身体の奥に冬の冷たさが残っている気がした。
「今日も、銀翼の残党が平和税の加入者を襲っていました」
「ああ」
「人質を取って、殺すぞって叫んで、黒牙の刻印を削って……」
言葉にすると、また胸の奥が重くなった。
「盗賊って、あんなに汚いんですね」
ハルトは、特に驚いた様子もなく答えた。
「盗賊なら当たり前だろ」
「……当たり前、ですか」
「相手の嫌がるところを突く。弱いところを狙う。脅す。騙す。奪う。逃げ道を塞ぐ」
ハルトは淡々と言った。
「綺麗に勝ちたいなら騎士にでもなれ。綺麗に稼ぎたいなら商人にでもなれ。盗賊はそういうもんだ」
ルーカスは、返事ができなかった。
父や母の話に出てくる盗賊も、実際に見た盗賊も、そうではなかった。
遺跡探索やダンジョン攻略で、罠を見つけ、鍵を開け、隠し通路を探す。
斥候として先を見て、仲間を危険から守る。
ルーカスにとって、盗賊という言葉は、必ずしも悪人だけを指すものではなかった。
「俺が知ってた盗賊と、違いました」
「冒険者に雇われるやつだろ」
「……分かるんですか」
「お前の親、冒険者だろ」
「ああ、そうでした」
「そっちは仕事だ。こっちは生き方だ」
生き方。
その言葉が、妙に重かった。
「じゃあ、ハルト様もそうなんですか」
「あ?」
「汚いことをするんですか」
聞いてから、失礼だったかもしれないと思った。
けれど、ハルトは怒らなかった。
「必要ならな」
短い答えだった。
「でも、ハルト様は平和税の加入者を守ってます」
「金を取ってるからな」
「それだけですか」
「それだけで十分だろ」
ハルトは机の上の書類を指で叩いた。
「平和を売ってる。保護を売ってる。なら守る。守れないなら、金を取る資格がねぇ」
「……約束だからですか」
「まあな」
ベルノも似たようなことを言っていた。
ヘキサレインの約束。
その言葉を、ルーカスは思い出した。
「ベルノに聞きました」
「何を」
「どうしてハルト様のところに来たのか。あと、仕事が楽しいかどうか」
「変なこと聞いてんな」
「シャノンにも聞きました」
「あいつ、飯って言っただろ」
「言いました」
「だろうな」
ハルトは少しだけ呆れたように息を吐いた。
ルーカスは、少しだけ笑いそうになった。
けれど、すぐに笑えなくなる。
「ベルノは、第六席陣営で自分の価値を作りたいって言ってました。シャノンは、家族に飯を食わせるために、死ぬ覚悟があるって」
「らしいな」
「皆、熱量があるんです」
口に出すと、それは思ったよりも情けない言葉だった。
「ベルノは本気でここにいます。シャノンも本気です。セリカさんも、たぶんずっと本気です」
「あいつは昔からだろ」
「それに比べて、僕は……」
ルーカスは言葉を切った。
ハルトは急かさない。
ただ、黙って続きを待っている。
「親に働けと言われて、街に降りて、最初に見た求人が黒牙第六席補佐見習いだったから来ました」
「知ってる」
「仕事は嫌じゃないです。むしろ、思っていたより楽しいです」
「ならいいんじゃねぇの」
「でも、それだけなんです」
ルーカスは、ようやく言葉にした。
「命を賭ける理由とか、信念とか、そういうものが僕にはありません」
「そうか」
「はい」
「で?」
「で……」
ルーカスは困った。
ハルトの返事は、あまりに軽かった。
「どう思いますか?」
「人それぞれなんじゃねぇの」
「軽いですね」
「重く言えばいいのか?」
「そういうわけじゃないですけど」
ルーカスは視線を落とした。
「ここにいていいのか、分からなくなりました」
部屋の中が、少しだけ静かになった。
窓の外では、冬の風が細く鳴っている。
「職場、変えようかなぁって」
「好きにしろ」
即答だった。
ルーカスは思わず顔を上げた。
「止めないんですか?」
「止めてほしいのか?」
「……分かりません」
「じゃあ、分かるまでいろ」
「いいんですか?」
「使えるならな」
「使えなかったら?」
「セリカが退職届の書き方を教えてくれる」
「それはちょっと嫌ですね」
「じゃあ使えるようになれ」
雑だった。
あまりにも雑だった。
けれど、不思議と突き放された感じはしなかった。
ルーカスは少しだけ息を吐く。
「ハルト様は、ここに入ってから、本気で楽しかったことってありますか?」
もう一度、同じ質問をした。
ハルトはしばらく黙った。
今度は、すぐには答えなかった。
それから、静かに言う。
「あったよ」
「あるんですか」
「ああ」
ハルトの視線が、少しだけ遠くなる。
「友達と、建設中の城壁に登った」
「城壁?」
「完成したら千キロを超えるとかいう、馬鹿みてぇに長い壁だ」
ルーカスは目を瞬かせた。
ルヴェリアの巨大城壁。
王都を囲い、さらに外へ伸びていく、途方もない規模の建造物。
ルーカスも遠目に見たことはある。
けれど、登ったことはない。
「登っていいんですか?」
「だめだろうな」
「だめなんですか」
「盗賊だからな」
「なるほど……?」
なるほど、と言っていいのか分からなかった。
ハルトは少しだけ口元を緩めた。
「その友達が案内してくれた。市場とか、旧城下跡とか、建設中の城壁とか」
ハルトの声は、いつもより少しだけ静かだった。
「上からルヴェリアを見た」
「綺麗でしたか?」
「ああ」
短い返事だった。
でも、それだけで本当に綺麗だったのだと分かった。
「街があって、海があって、港があって、王城があって、火山が見えた」
ハルトは、どこか遠くを見るように言う。
「あと、夕日」
「夕日?」
「海岸の方に沈む夕日を見た。東の海に沈むんだよ、この世界は」
「ああ、太陽が西から昇りますからね」
「そうだ」
ハルトは少しだけ笑った。
「あの時は、なんか……すげぇ遠くまで来た気がした」
「遠く、ですか」
「ああ。自分の知ってるものなんて、ほとんど何もないんだって、やっと分かった感じだ」
ルーカスは、何も言えなかった。
ハルトの顔が、ほんの少しだけ穏やかに見えたからだ。
白煙のハルト。
金剛砕き。
黒牙第六席。
そんな肩書きとは少し違う顔だった。
「その友達とは、仲良かったんですか?」
「まあな」
「へえ。ハルト様にも友達がいたんですね」
「失礼だな」
「すみません」
ルーカスは少し笑った。
笑ってから、何気なく聞いた。
「その友達は、今何してるんですか?」
ハルトは、普通に答えた。
「殺したよ」
ルーカスの思考が止まった。
「俺の手で」
部屋の中の空気が、音を失ったような気がした。
「……え」
それしか言えなかった。
聞き間違いかと思った。
けれど、ハルトの顔は冗談を言っているようには見えない。
「殺したって……その、友達を、ですか?」
「ああ」
「なんで……」
「裏切られた」
ハルトは短く言った。
その声には怒りがなかった。
怒りがないからこそ、余計に重かった。
「……どうなったんですか」
「そのあと? 粛清された」
「しゅ、粛清!?」
ルーカスの声が裏返った。
セリカとの座学で、意味だけは知っている。
黒牙における粛清。
それは処罰ではなく、死を前提とした見せしめだ。
「ああ。死にかけた」
ハルトは、他人事みたいに言った。
「でも、粛清返しでギリギリ生き延びた」
「す、すごいですね……その、友達? は、その……」
ルーカスは言葉を探した。
聞いていいのか分からない。
けれど、聞かなければ分からない気がした。
ハルトは少しだけ黙った。
「二人で話して、許したよ」
「え」
ルーカスは目を瞬かせた。
「じゃあ、なんで……」
「殺したのか?」
ルーカスは何も言えなかった。
ハルトは責めるでもなく、笑うでもなく、ただ淡々と続けた。
「許したからって、生かせるわけじゃねぇからだ」
ルーカスは言葉を失った。
「俺は盗賊だ。黒牙の第六席だ。綺麗事で済ませてたら、こんなところまで来れてねぇ」
ハルトの声は静かだった。
怒りもない。
悲しみも、もう表には出ていない。
だからこそ、重かった。
「友達でも、殺す時は殺す」
「……そんなの」
ルーカスの声は小さかった。
「つらくないんですか」
「つらかったよ」
ハルトは即答した。
「裏切られた時も、粛清された時も、あいつと最後に話した時も」
「……殺した時も?」
ルーカスは、恐る恐る聞いた。
ハルトは少しだけ黙った。
「いや」
「え?」
「殺した時は、思ったより何もなかった」
ルーカスは言葉を失った。
「怒りとか、悲しみとか、もっと残ると思ってた。でも、そういうのはあんまり来なかった」
ハルトは静かに言った。
「ただ、終わったって思った」
「……終わった」
「ああ」
ハルトは、自分の手を見るでもなく、ただ机の向こうを見ていた。
「だから後悔もしてねぇ。俺は選んだ。選んで、殺した。残ったのは、悲しみじゃなくて責任だった」
ルーカスの胸の奥で、何かが重く沈んだ。
怖い、と思った。
ハルト様は、怖い。
けれど。
その怖さから、目を逸らしていない。
「……ハルト様は」
ルーカスは、ゆっくりと言った。
「ずっと、そうやって選んできたんですか」
「選ばなきゃ死んでただけだ」
「……そうですか」
ルーカスは小さく頷いた。
分かったわけではない。
むしろ、分からなくなった。
銀翼の汚さも。
ベルノの熱も。
シャノンの覚悟も。
ハルトの選択も。
何一つ、簡単には飲み込めない。
友達を許して、それでも殺す。
つらかったと言いながら、殺した瞬間には何もなかったと言う。
後悔ではなく、責任が残ったと言い切る。
そんなものを、すぐに理解できるはずがない。
正直、怖いと思った。
やっぱり職場を変えた方がいいのかもしれない、とも思った。
でも。
理解できないからといって、このまま逃げるのは違う気がした。
少なくとも、ハルトは逃げていない。
だったら自分だけが、分からないという理由で目を逸らすのは、なんだか嫌だった。
「ハルト様」
「なんだ」
「俺、まだ分からないです」
「だろうな」
「でも、分からないまま辞めるのは違う気がします」
「そうか」
「はい」
ハルトは、少しだけ肩をすくめた。
「なら、もう少しいろ」
「いいんですか?」
「さっきも言っただろ。使えるならな」
「使えなかったら?」
「セリカに退職届を」
「それは嫌です」
「なら働け」
ルーカスは、少しだけ笑った。
笑えたことに、自分で少し驚いた。
それでも胸の奥は重い。
理解できないものは、理解できないままだ。
けれど、逃げる理由にはしたくなかった。
「ハルト様」
「まだあんのか」
「はい」
ルーカスは、少し迷ってから聞いた。
「その友達のこと、嫌いですか」
ハルトはすぐには答えなかった。
少しだけ、窓の外を見た。
冬の夜が、ガラスの向こうに沈んでいる。
「嫌いじゃねぇよ」
「……そうなんですか」
「ああ」
ハルトは短く答えた。
「だから、許した」
「でも、殺した」
「そうだ」
分からない。
やっぱり分からない。
けれど、ルーカスはその言葉を忘れないだろうと思った。
許した。
でも、殺した。
そんな選択が、この世界にはある。
少なくとも、黒牙にはある。
そしてハルトは、それを選んで、今ここにいる。
「そろそろ戻れ」
ハルトが言った。
「明日も銀翼が暴れたら、また出ることになる」
「……今日三回出たんですけど」
「明日は四回かもな」
「嫌ですね」
「俺も嫌だよ」
「ハルト様でも嫌なんですか」
「面倒だろ」
「そこなんですね」
ルーカスは少しだけ眉を下げた。
それから、頭を下げる。
「ありがとうございました」
「礼を言うような話じゃねぇだろ」
「でも、聞けてよかったです」
「そうかよ」
ルーカスは部屋を出た。
廊下は静かだった。
窓の外には、薄い雪が舞い始めている。
冬の冷たさが、ガラス越しにも伝わってくる。
寒いのは苦手だ。
銀翼の汚さも嫌だ。
命を簡単に賭けるような空気も、まだ好きにはなれない。
ハルトの話は、理解できなかった。
けれど。
このまま逃げるのは、やっぱり違う。
ルーカスは、そう思った。
だから、もう少しだけここにいることにした。
黒牙第六席。
白煙のハルトの下で。
自分が何を選ぶのか。
それを、まだ知らないまま。
あとがき
第2話でした。
今回はルーカス視点で、ハルトがかつて「楽しかった」と思えた記憶に触れる回です。
第1章から読んでくださっている方には、建設中の城壁、ルヴェリアの景色、夕日、そしてニオとの時間が少し懐かしく感じられる話だったかもしれません。
ハルトにとって、ニオとの時間は確かに楽しいものでした。
けれど、その友達をハルトは自分の手で殺しました。
嫌いになったからではなく、許さなかったからでもなく、許した上で殺した。
それが今のハルトです。
ルーカスには、まだハルトの選択も感情も理解できません。
ただ、理解できないからといって逃げるのは違う。
そんな形で、ルーカスはもう少しだけ白煙の下に残ることを選びました。
この章では、ルーカスが自分なりの答えを見つけていくことになります。
次回もよろしくお願いします。




