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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第五章 銀翼と不殺の牙

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第1話 命をかける理由



 ラインハルト道場での修行が始まってから、ひと月が経った。


 王都ルヴェリアは、すっかり冬になっていた。


 吐く息は白く、屋根の端には薄い雪が残っている。朝の石畳はところどころ凍り、路地を抜ける風は、服の隙間から遠慮なく肌を刺してくる。


 ルーカス・グランベルは、寒いのが苦手だった。


 だから今日も、裏起毛の厚手の外套を肩までしっかり羽織り、首元の留め具をきっちり閉じていた。


 それでも寒い。


 そして、今日三回目の出動だった。


「……銀翼の人たち、元気ですね」


 白い息を吐きながら、ルーカスはぽつりと言った。


 隣を歩くシャノンが、鼻をひくつかせる。


「寒いのに、よく暴れるよね」


「本当ですね。家にいた方がいいと思います」


「家がないのかも」


「それは少し悲しいですね」


「でも襲ってくるから倒す」


「それはそうですね」


 会話だけ聞けば、まるで迷子の野良犬でも探しているようだった。


 だが、二人が向かっているのは、銀翼残党による襲撃現場だ。


 黒牙第六席の管轄では、ここ最近、平和税の加入者を狙った事件が増えていた。


 平和税。


 ハルトが作った、第六席管轄の新しい仕組み。


 黒牙刻印を刻んだ家や店は、第六席の保護対象になる。理不尽な取り立て、襲撃、脅し、嫌がらせ。そういうものから守る。その代わり、月ごとに金を払う。


 乱暴に言えば、保護料だ。


 けれど、ハルトはそれを平和税と呼んだ。


 平和を売る。保護を売る。安心を売る。


 なら、その平和が脅かされた時、動かないわけにはいかない。


 平和税加入者が襲われる。


 黒牙刻印が削られる。


 白煙の管轄でも守られないという噂が広がる。


 それだけで、金を払う者は減る。


 銀翼残党は、そこを突いてきていた。


 金を奪うだけではない。


 第六席の信用を削っている。


 だから、ルーカスとシャノンはこうして出動している。


 現場研修。


 セリカはそう言った。


 ルーカスとしては、研修という言葉にしては、ずいぶん血生臭い気がしている。


「場所、こっちだよ」


 シャノンが細い路地へ入る。


 ルーカスも後に続いた。


 その先に、小さな薬屋があった。


 入口横の壁には、黒牙の刻印がある。


 いや、あった。


 半分ほど削られている。


 さらにその横には、雑に描かれた銀色の羽根の印。


 店の前には割れた壺と薬草の束が散らばっていた。床には店主らしき男が倒れている。血は出ているが、呼吸はある。


 その奥。


 銀翼の残党らしき男が、若い女の首に短剣を当てていた。


「近づくな!! こいつを殺すぞ!!」


 ルーカスは、眉を下げた。


「殺すって、そんな……落ち着きましょうよ。ね?」


「てめぇ、白煙のとこのやつだろ! 近づくな!!」


「近づかないと止められないので……」


「来るなっつってんだろ!!」


 男の腕に力が入る。


 女が小さく悲鳴を漏らした。


 ルーカスは、少しだけ息を吐いた。


 白い息が、外套の襟元で揺れる。


「殺すとかさ、やめてくださいよ」


 声の温度が、少しだけ下がった。


「弱いんだから」


「……あ?」


 銀翼の男の顔が歪んだ。


「てめぇ、舐めてんのか?」


「……? 舐めてるんじゃなくて、事実なのになぁ」


 ルーカスは本気で困っていた。


 挑発したつもりはない。


 ただ、分かりきったことを言っただけだ。


 この距離で。


 この人数で。


 この程度の構えで。


 自分を止められるはずがない。


「ぶっ殺すぞ!!」


「それもやめた方がいいです」


「ああ!?」


「できないことを言うと、後で悲しくなるので」


 男の顔が真っ赤になった。


 周囲の銀翼残党が、じりじりと距離を詰める。


 シャノンは屋根の上に跳び上がっていた。逃走経路を見るためだ。たぶん。


 たぶん、というのは、途中で干し肉の匂いに反応して一瞬だけ視線が逸れていたからだ。


「……はぁ」


 ルーカスは、膝を沈めた。


「じゃあ、もう知りませんよ?」


「な、なんだ……?」


 石畳が小さく鳴った。


 次の瞬間、ルーカスは男の目の前にいた。


 男が驚くより早く、ルーカスの手が短剣を持つ手首を取る。


 刃の向きを外す。


 女の首から離す。


 肩を押さえる。


 膝裏を払う。


 男の体が、くるりと半回転した。


 背中から石畳へ落ちる。


 肺の空気が抜け、男は声も出せずに転がった。


 ルーカスは、その手首を押さえたまま言う。


「動かないでください。たぶん、次はもっと痛いです」


「て、てめぇ……!」


「はい。痛い方ですね」


 軽く力を入れる。


 男が情けない声を上げた。


「ぎゃああああ!?」


「だから言ったのに」


 その瞬間、横から別の男が飛びかかってきた。


 ルーカスは振り返りもせず、片手で襟を掴む。


「うわ」


 引いた。


 それだけで、男の体勢が崩れた。


 足が浮き、壁に背中からぶつかる。木箱が割れ、薬草の束が舞った。


「……あ」


 ルーカスは少しだけ気まずそうにした。


「今のは、少し強かったかもしれません」


「少しじゃないと思う!」


 屋根の上からシャノンの声が飛ぶ。


「すみません」


 銀翼の残党が、さらに三人。


 短剣、棒、錆びた片手斧。


 ルーカスは小さく首を傾げる。


「あー、もう……わざわざ痛い思いしなくても」


「囲め! こいつ一人だ!」


「一人じゃないよ」


 シャノンが屋根から落ちるように降ってきた。


 いや、落ちてきたのではない。


 落下の途中で壁を蹴り、身体を捻り、残党の一人の肩を踏み台にする。


 そのまま首筋へ踵を落とした。


 男が白目を剥いて倒れる。


「一応、私もいる」


「助かります」


「お腹すいた」


「今ですか?」


「今も」


 シャノンは倒れた男の服を嗅ぎ、顔をしかめた。


「酒と油と古い血の匂い。嫌な匂い」


「そうですね」


 ルーカスは残り二人を見た。


「降参しますか?」


「するわけねぇだろ!」


「そうですか」


 ルーカスは歩いた。


 走る必要もなかった。


 男が棒を振る。


 遅い。


 手首を取る。


 内側に入る。


 肘を押す。


 足を払う。


 一人目が落ちる。


 片手斧が横から来る。


 ルーカスは半歩だけ下がった。


 斧が外套の前を通り過ぎる。


「危ないですね。これ、裏起毛なんですよ」


 男の顔面に掌底を入れる。


 鼻血を噴いて、男が崩れた。


 殺してはいない。


 けれど、しばらく立てないだろう。


 ルーカスは倒れた男たちを見下ろした。


「この人たちも、一応プロの盗賊なんだよなぁ……」


 小さく呟く。


「こんなものなのかな」


 返事はなかった。


 倒れた店主が呻く。


 人質にされていた女が、震えたまま床にへたり込んだ。


 シャノンが近づき、女の腕を軽く嗅いでから言う。


「怪我、浅い。血は出てるけど死なない」


「よかった」


 よかった。


 そう思う。


 けれど、胸の奥に残るものはあまり気持ちのいいものではなかった。


 人質を取る。


 殺すぞと叫ぶ。


 弱い人を狙う。


 保護の印を削る。


 相手が嫌がることを選んでやる。


 汚い。


 汚い奴らばかりで、嫌になる。


 盗賊とは、こういうものなのだろうか。


 ルーカスの父と母は、冒険者だった。


 遺跡探索やダンジョン攻略には、盗賊職の者を雇うことがある。罠を見つけ、鍵を開け、隠し通路を探す。斥候として先を見て、仲間を危険から守る。


 ルーカスにとって、盗賊という言葉は、必ずしも悪人だけを指すものではなかった。


 けれど。


 今、目の前に転がっている者たちは違う。


 銀翼の残党。


 折れた翼の残りかす。


 そのやり方は、あまりにも汚かった。


「ルーカス」


 路地の入口から声がした。


 ベルノだった。


 黒い外套を羽織り、手には報告用の板と紙を持っている。現場の被害確認と記録のために来たのだろう。


「終わりましたか」


「はい。一応」


「一応?」


「殺してはいません」


「それは報告上、重要です」


 ベルノは倒れている銀翼残党を見て、手早く状態を確認していく。


 手首の脱臼。


 肋骨数本。


 鼻骨骨折。


 気絶二名。


 逃走者なし。


 ベルノは淡々と記録した。


「相変わらず、制圧が速いですね」


「そうですか?」


「はい。かなり」


「でも、なんか……」


 ルーカスは言葉を探した。


 倒れた男たちを見る。


「嫌になりますね」


 ベルノは、少しだけ目を上げた。


「銀翼が、ですか」


「はい。というか、盗賊が」


「なるほど」


 ベルノは短く答え、また記録に戻った。


 その反応があまりにも普通だったので、ルーカスは少しだけ首を傾げた。


「ベルノは、嫌にならないんですか?」


「何にですか」


「こういうのに」


 ルーカスは路地を見た。


 割れた壺。


 怯える女。


 呻く店主。


 削られた黒牙刻印。


 石畳に転がる銀翼残党。


「人質とか、脅しとか、殺すとか」


 ベルノは少しだけ黙った。


「嫌にはなります」


「ですよね」


「ですが、嫌になることと、やるべきことは別です」


 ベルノは紙に最後の一行を書いた。


「平和税は、ハルト様が売っている約束です。破られたなら、直さなければなりません」


「約束……」


「はい」


 ベルノは顔を上げる。


「ヘキサレインの約束です」


 ルーカスは、その言い方が少し気になった。


 ヘキサレインの約束。


 そんな言葉を、ベルノは真面目な顔で言う。


 少し前まで、オルガンの管轄にいたはずなのに。


「ベルノは」


 ルーカスは、気づいたら聞いていた。


「どうしてハルト様のところに来たんですか?」


「ハルト様の管轄に、という意味ですか」


「あ、はい。オルガン様のところから、どうしてこっちに来たのかなって」


 ベルノは、今度こそ筆を止めた。


「最初は、オルガン様の命令でした」


「やっぱり」


「はい。正直に言えば、見限られたのだと思いました」


「見限られた?」


「私は、オルガン様の下で育ちました。オルガン様の役に立つことが、私の価値だと思っていましたから」


 ベルノの声は静かだった。


「ですが、今は違います」


「違うんですか?」


「はい」


 ベルノは削られた黒牙刻印を見る。


「今は、第六席陣営で、私自身の価値を作りたいと思っています」


「価値……」


「オルガン様の部下だった私ではなく。ハルト様の補佐見習いとして。セリカ様の下で働く者として。ベルノという一人の黒牙として」


 そこまで言って、ベルノは少しだけ苦笑した。


「もちろん、出世もしたいです」


「出世」


「はい。私はまだ、何者にもなれていませんから」


 何者にもなれていない。


 その言葉は、少しだけルーカスの胸に残った。


「楽しいですか?」


「はい?」


「仕事。楽しいと思ったこと、ありますか?」


 ベルノは考え込んだ。


 長い沈黙だった。


 ルーカスは、聞く相手を間違えたかもしれないと思った。


「仕事を楽しいと思ったことは、あまりありません」


「ないんですか」


「はい」


 ベルノは真面目な顔で言った。


「ですが、成長は楽しいです」


「成長」


「苦しいですが」


 ベルノは、倒れている銀翼残党を見下ろした。


「できなかったことが、できるようになる。怖かったものを、少しだけ直視できるようになる。昨日の自分より、今日の自分の方が少しだけ進んでいる」


 それから、ルーカスを見る。


「それは、楽しいです」


 ルーカスは返事ができなかった。


 ベルノは本気だ。


 苦しいと言いながら、楽しいと言う。


 弱さを抱えたまま、それでも進むことを選んでいる。


 ルーカスには、それが少し眩しかった。


     ◇


 その後、捕縛した銀翼残党は下部組織へ引き渡された。


 店主と女は治療へ回され、削られた黒牙刻印は後で刻み直すことになった。


 帰り道、シャノンは干し肉をかじっていた。


「それ、どこから出したんですか?」


「懐」


「いつから?」


「ずっと」


「寒い中で干し肉って硬くないですか?」


「硬いけど、飯」


「飯なんですね」


 シャノンは頷く。


 ベルノとの会話が、ルーカスの中にまだ残っていた。


 だから、今度はシャノンにも聞いてみることにした。


「シャノンは、なんで黒牙に来たんですか?」


「飯」


 即答だった。


「もう少し詳しくお願いします」


「家族に飯を食わせるため」


「家族」


「うん。兄弟、多い。飯、すぐ消える。仕事、いる」


 シャノンは干し肉を噛みながら言う。


「ここは給料がいい。住む場所もある。飯もある。昇進したら、もっと飯が増える」


「飯ばっかりですね」


「大事」


「それは、そうですね」


 ルーカスは少し笑った。


「楽しいことはありますか?」


「ある」


「何ですか?」


「人を殴って褒められる。飯が食える」


「……それは楽しいんですか?」


「楽しい」


 シャノンは真顔だった。


「前は、人を殴ったら怒られた。ここでは、悪いやつを殴ったら褒められる。しかも飯が食える」


「なるほど……?」


「いい職場」


 その言い方があまりに素直で、ルーカスは少し困った。


「死ぬのは、怖くないんですか」


 シャノンは干し肉を噛むのを止めた。


「怖い」


「ですよね」


「でも、家族が腹減る方が嫌」


 その答えは、簡単だった。


 簡単すぎて、重かった。


「死んでもいいんですか」


「死にたくはない」


 シャノンは言った。


「でも、家族が飯食えるなら、死ぬ覚悟はある」


 ルーカスは足を止めそうになった。


 シャノンは平気な顔で歩いている。


 干し肉をまた噛む。


 いつも通り、腹を空かせている。


 いつも通り、少し変で。


 それなのに、当たり前みたいに命を賭けると言う。


「……なんで」


 ルーカスは小さく呟いた。


「なんで皆、命をそんなに簡単に扱うんだろう」


「簡単じゃないよ」


 シャノンは横目でルーカスを見た。


「でも、腹は減る」


 その言葉に、ルーカスは何も返せなかった。


 命は、大事なもののはずだ。


 父も母も、そう教えてくれた。


 強さは、守るためにある。


 力は、誰かを助けるために使う。


 ルーカスは、そういう世界で育ってきた。


 けれど、ここでは違う。


 ベルノは、自分の価値を作るために命を賭ける。


 シャノンは、家族に飯を食わせるために命を賭ける。


 ハルトは、何を賭けているのだろう。


 いや。


 自分は、何を賭けているのだろう。


 親に働けと言われた。


 街へ降りた。


 最初に見た求人が、黒牙第六席補佐見習いだった。


 だから来た。


 仕事は嫌ではない。


 むしろ、思っていたより楽しい。


 セリカの指示は分かりやすい。


 ベルノは真面目で、話すと勉強になる。


 シャノンはよく分からないけれど、見ていて飽きない。


 ハルトは怖いけれど、変なところで雑だ。


 でも。


 その程度の熱で、ここにいていいのだろうか。


 黒牙で。


 第六席の下で。


 白煙の補佐見習いとして。


 命を賭ける理由もないまま、ここに立っていていいのだろうか。


     ◇


 館に戻る頃には、空が暗くなり始めていた。


 冬の夕暮れは早い。


 冷たい空気が、ルーカスの外套の隙間から入り込む。


 寒い。


 けれど、胸の奥のもやもやの方が気になった。


 分からない。


 ベルノのことも。


 シャノンのことも。


 銀翼のことも。


 盗賊というものも。


 そして、自分のことも。


 このままなら、職場を変えた方がいいのかもしれない。


 そう思った。


 思ってしまった。


 けれど、すぐに首を横に振る。


 今、辞めるのは違う気がした。


 理解できないから逃げる。


 それは、何か違う。


 少なくとも、自分はまだ何も見ていない。


 銀翼の汚さにうんざりしただけだ。


 ベルノの熱に圧倒されただけだ。


 シャノンの覚悟に驚いただけだ。


 分からない。


 でも、分からないまま逃げるわけにはいかない。


 そう思った時、ルーカスの足は自然とハルトの執務室へ向かっていた。


 扉の前で、一度だけ息を吐く。


 白い息は、もう出なかった。


 屋内だからだ。


 軽く扉を叩く。


「入れ」


 中から、ハルトの声がした。


 ルーカスは扉を開ける。


 ハルトは机に向かっていた。


 書類の山。


 横に置かれた欠けた印章。


 たぶん、また力加減を間違えたのだろう。


 ハルトは顔を上げる。


「どうした、ルーカス」


 ルーカスは少し迷った。


 何から聞けばいいのか分からない。


 黒牙とは何か。


 盗賊とは何か。


 命を賭けるとは何か。


 信念とは何か。


 どれも大きすぎる。


 だから、一番変な質問から出た。


「ハルト様」


「なんだ」


「ここに入ってから、本気で楽しかったことって、ありますか?」


 ハルトは、少しだけ目を細めた。


 ルーカスは、その意味が分からなかった。


 ただ、聞いてしまった以上、もう逃げられないと思った。


 そこで、話は途切れた。

あとがき


第5章「銀翼と不殺の牙」開始です。


今回はルーカス視点からのスタートになります。


第4章では、ルーカス、シャノン、ベルノが第六席陣営に加わり、修行や日常寄りの話が中心でした。


第5章では、そこから一気に現場へ出ます。


黒牙第六席が売っているものは「平和」であり「保護」です。

だからこそ、それを脅かされると対応せざるを得ない。


今回は、銀翼残党がその弱点を突いてきます。


そしてルーカスは、そこで初めて「盗賊」というものの汚さを真正面から見ることになります。


ベルノにはベルノの覚悟があり、シャノンにはシャノンの理由がある。

では、ルーカスには何があるのか。


この章では、ルーカスが自分なりの答えを見つけていく予定です。


第5章もよろしくお願いします。

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