第9話 白煙の器
「ここからは、気功術を教える」
ラインハルトの言葉で、道場の空気が少し変わった。
壁には、ルーカスの木刀が空けた穴がまだ残っている。
外から雪まじりの冷たい風が入り込んでいた。
だが、誰ももうその穴を見ていない。
木刀を弾丸みたいに飛ばしたルーカス。
悪名で増え続ける魔力を持て余す俺。
形は違うが、問題は近い。
力がある。
だが、扱えていない。
ラインハルトは道場の中央に立った。
木刀も、手ぬぐいも持っていない。
ただ立っている。
それだけで、妙に重い。
道場の床に、一本の太い杭が打ち込まれたようだった。
「せっかくだ。補佐見習いも含め、全員でやる」
「全員?」
俺が聞き返すと、ラインハルトは頷いた。
「第六席直属として動くなら、己の力の流れを知って損はない」
「私もですか?」
セリカが聞いた。
「見ておけ。分かるならやればいい」
「承知しました」
セリカは素直に頷く。
シャノンは自分の腹を押さえていた。
「これ、飯食ってからじゃダメか?」
「ダメだ」
「即答かよ」
「空腹も己の状態だ。知れ」
「腹が減ってることは知ってる」
「ならば、そのまま立て」
「腹がうるさい」
セリカが静かにシャノンを見た。
「シャノン。今は静かに」
「腹は静かにならない」
「では、口だけでも静かにしてください」
「それなら……たぶん」
「たぶんではなく、お願いします」
シャノンはしぶしぶ口を閉じた。
たぶん三秒くらいしか持たない。
「まずは立て」
ラインハルトが言った。
「また立つのか」
「立っている方が、全身の流れを確認しやすい」
「全身の流れ?」
「足裏、重心、呼吸、血の巡り。座るより、立っている方が誤魔化しが利かん」
ラインハルトは床を軽く踏む。
「慣れれば座ってもできる。座禅で流す者もいる。だが、最初は立て。自分の身体がどこで崩れているか、立っている方が分かりやすい」
「なるほどな」
なんとなく分かる。
立つだけでも、足の裏に体重が乗る。
膝、腰、背中、肩。
どこかがズレれば、すぐ分かる。
いや、分かる気がするだけかもしれない。
ラインハルトが言うと、立つだけで修行に聞こえるのが腹立つ。
「人は生きているだけで、魂から魔力が揺らいでいる」
「魂から?」
「魔力の源だ。細かい理屈は学者に聞け。俺は武人だ」
「便利な逃げ方すんな」
「事実だ」
ラインハルトは気にせず続けた。
「その魔力は、体の外へ漏れる。大きさは人によって違う」
「それが気配、ですか」
ベルノが聞いた。
「そうだ。そして、漏れた魔力の性質は魂によって違う」
セリカが小さく頷く。
「だから魔力識別で個人を判別できる、ということですね」
「そうなる。漏れ方だけではない。魔力そのものの質が違う」
「なるほど」
セリカはすぐ理解したようだった。
俺は少し遅れて頷く。
つまり、人間からは生きているだけで魔力が滲む。
それが気配になる。
そして、その魔力には本人固有の質がある。
黒牙の刻印や識別魔法で個人や建物を管理できるのも、そのあたりが関係しているのだろう。
「気配を消すだけなら、フェイドもあるだろ」
「ある」
「それとは違うのか?」
「違う。フェイドは蓋だ」
「蓋?」
「体の周りに魔力の殻を作り、外へ漏れる魔力を押し込める。隠すための技だ」
ラインハルトは自分の胸元を指す。
「気功術は違う。押し込めるのではない。留めるのでもない。内側で流す」
「流す……」
「強化魔法は鎧。フェイドは蓋。気功術は流れだ」
短い言葉だった。
だが、分かりやすい。
強化魔法は外から身体を強くする鎧。
フェイドは漏れる魔力を閉じ込める蓋。
気功術は、漏れる前に内側で巡らせる流れ。
ラインハルトは俺を見る。
「ハルト。貴様は、立っているだけで魔力が漏れている」
「立ってるだけで?」
「そうだ。しかも、その魔力は身体の外で勝手に鎧のようになっている」
「鎧……」
「攻撃的な鎧だ。貴様が指先を優しく動かしても、外側の鎧が優しくない」
俺は思わず、少し前に砕いたハンコを思い出した。
軽く押したつもりだった。
普通に扱ったつもりだった。
だが、砕けた。
「……心当たりはある」
ラインハルトは小さく頷いた。
「なら早い」
「早い?」
「原因の輪郭が見えているなら、直す方向も見える」
「……簡単に言うな」
「簡単ではない。だが、迷子ではない」
迷子ではない。
その言い方が、妙にしっくり来た。
俺は今、自分の力がどうなっているのか分かっていない。
けれど、何が悪さをしているのか。
その輪郭だけは、少し見えた気がした。
「やるべきことは、その漏れた魔力を内へ巡らせることだ」
「押し込めるんじゃなくて、流す」
「そうだ。丹田から全身へ。呼吸と血流に合わせて、魔力を巡らせる」
「丹田って、腹か?」
「下腹部だ。最初はそこに意識を落とせ」
シャノンがまた自分の腹をさすった。
「腹……」
「飯はまだだぞ」
ラインハルトが先に言った。
「まだ何も言ってないだろ」
「顔が言っていた」
「顔は自由だろ」
セリカが静かにシャノンを見た。
「シャノン。今は説明中です」
「分かってる」
「では、腹部という言葉に毎回反応しないでください」
「努力する」
「ぜひ成功してください」
セリカの声は丁寧だった。
だが、圧はあった。
シャノンは少しだけ背筋を伸ばした。
ラインハルトは完全に無視して続ける。
「貴様の悪名は、これからも増えるのだろう」
「まあ、多分な」
「なら、漏れを止めるだけでは足りん」
ラインハルトの声が少し重くなる。
「増えた魔力を収められる器を作れ」
「器……」
「身体の内へ巡らせ、慣らし、器を広げる。器が広がれば、次に増えた力にも対応できる」
俺は黙った。
悪名で強くなる。
それは今まで、単純な成長のように見えていた。
だが、力が増えるということは、それを入れる器が必要だということでもある。
器が小さいまま力だけが増えれば、溢れる。
溢れた力は勝手に外へ出て、周囲を壊す。
それは、俺にもルーカスにも言えることだった。
「悪名に身体を振り回されるな」
ラインハルトが言った。
「悪名を入れる器になれ」
その言葉は、妙に深く残った。
悪名を入れる器。
白煙のハルト。
金剛砕き。
粛清返し。
名前ばかりが勝手に大きくなっていく。
俺の中身が追いつかないまま、外側だけが膨らんでいく。
それじゃ、いつか破裂する。
たぶん、ラインハルトはそう言っている。
「ルーカス」
「はい」
「お前は、すでに無意識に流している。気功術もどきだ」
「もどき……」
「だから日常では壊さない。だが、全力を出そうとすると流れが崩れる」
「はい……」
「意識して巡らせろ。自分の全力を知れ。あとは戦い方を覚えろ」
「戦い方」
「お前は力がある。目もいい。頭もいい。だが、戦い方を知らん」
「はい」
ルーカスは素直に頷いた。
落ち込んではいるが、ちゃんと聞いている。
「覚えれば早いだろう。才能はある。ありすぎるほどだ」
ルーカスは少しだけ安心したような顔をした。
「ただし、武器はまだ持つな」
「はい……」
「泣くな」
「泣いてません」
「泣きそうだ」
「泣きそうなだけです」
シャノンがまた笑いそうになっていたので、セリカが視線だけで黙らせた。
「では、やるぞ」
ラインハルトは道場の隅へ歩いた。
そこに置かれていたのは、大きな陶器の水瓶だった。
大人が両腕で抱えるほどの大きさ。
厚みのある陶器。
中には水がなみなみと入っている。
見ただけで分かる。
重い。
水込みで、百キロ近くはあるだろう。
普通の人間なら、持ち上げるどころか腰を壊す。
「この水瓶を持ち上げてみろ」
「これを?」
「そうだ」
確かに、普通ならかなり重いとは思う。
だが、今の俺なら。
「こんなもん、簡単だろ」
俺は両手で水瓶を抱えた。
重い。
けれど、持てる。
悪名で強くなった身体なら、問題なく持ち上がる。
両腕で抱え、軽く膝を伸ばす。
水瓶は、あっさり床を離れた。
「ほら、持てたぞ」
「水面を見ろ」
ラインハルトが言った。
俺は水瓶の中を覗き込む。
水面が荒れていた。
ただ揺れているだけではない。
俺の手が触れている場所から、波紋のように細かい波が広がっている。
左右の手から広がった波がぶつかり、水面全体が小さく震えていた。
「持ち上げるだけなら、今の貴様には簡単だろう」
ラインハルトは静かに言った。
「問題は、どう持ち上げたかだ」
「どう?」
「外へ漏れた魔力が、手の外側で水瓶を掴んでいる」
ラインハルトは水面を指した。
「貴様は肉体で持っているつもりだろうが、実際には外側の魔力の鎧も一緒に使っている」
「だから水面が荒れるのか」
「そうだ。内功だけで持て。水を揺らすな」
「内功だけって言われてもな」
「丹田から巡らせろ。腹、腰、背、肩、腕、指先。体内を通して持ち上げる」
「外へ漏らすなってことか」
「そうだ」
俺は一度、水瓶を下ろした。
もう一度、両手を添える。
外へ漏れる魔力を、腹へ落とす。
丹田。
そこから背中へ。
肩へ。
腕へ。
指先へ。
押し込めるのではなく、流す。
水瓶を持ち上げる。
水面の荒波が、少しだけ小さくなった。
波紋はまだ出る。
だが、さっきよりはマシだ。
「さざなみ程度にはなったな」
「これで?」
「入口だ」
「地味だな」
「修行とは地味なものだ」
ラインハルトは水面を見る。
「掴みかけている。貴様は外へ漏れ出す魔力の元が大きい。そのぶん、分かりやすい」
「漏れてるのが分かりやすいから、戻すのも掴みやすいってことか」
「そうだ。ただし、まだ荒い」
「分かってるよ」
「分かっているだけでは止まらん」
「腹立つな、正論」
次はルーカスだった。
ルーカスは水瓶の前に立ち、両腕で抱えた。
持ち上げる。
あっさり上がった。
水面は、ほとんど揺れていなかった。
「おい、できてんじゃねぇか」
「無意識ではな」
ラインハルトが言う。
「ルーカス。少し出力を上げろ」
「はい」
次の瞬間。
水面の中央が、どぷんと盛り上がった。
小さな水柱が立つ。
だが、それは一瞬だった。
ルーカスは水瓶を見つめる。
水柱がすっと沈み、水面が鏡のように静まった。
ラインハルトの目が細くなる。
「完璧だ」
「今の、合ってますか?」
「合っている。無意識にやっていたものを、意識でき始めている」
ルーカスは少しだけ首を傾げた。
「巡らせる、というのは、少し分かる気がします」
「なら早い」
ラインハルトは頷いた。
「今後も器を広げていけば、次は気功術による強化へ進める」
「強化」
「身体そのものを強くする段階だ。だが、今はまだ早い」
ラインハルトは俺を見た。
「ハルトも同じだ。肉体強化はまだ先だ。まずはしっかり体内に巡らせろ」
「先は長そうだな」
「長い。だから修行だ」
次はベルノだった。
ベルノは水瓶の前で一礼し、丁寧に両腕を回した。
真面目だ。
何をするにも真面目すぎる。
息を吸い、吐き、足幅を整え、背筋を伸ばす。
そして持ち上げた。
「……っ」
どうにか浮いた。
だが、水面は大きく波立っている。
ハルトほど荒れているわけではない。
だが、力みがそのまま水へ伝わっていた。
「硬い」
ラインハルトが言った。
「……硬い、ですか」
「正しすぎる」
ベルノの表情が少しだけ動く。
先ほども言われた言葉。
だが、今度は責める響きではなかった。
「姿勢はいい。だが、正しい持ち方を作ろうとしている」
「……」
「形を作るな。流れを作れ」
ベルノは水瓶を下ろし、静かに頷いた。
「承知しました」
「焦るな。お前は時間をかければ必ず掴む」
「はい」
次はセリカだった。
セリカは水瓶の前に立ち、静かに息を吐いた。
魔力の扱いは丁寧だ。
だが、セリカの戦い方は正面から力で押すものではない。
銀糸による罠。
奇襲。
不意打ち。
相手の動きを読んだ拘束と切断。
肉体強化で百キロの水瓶を持ち上げるような戦い方ではない。
セリカは水瓶へ手をかける。
わずかに浮いた。
だが、そこまでだった。
水面には小さな波が立っている。
セリカは無理をせず、すぐに水瓶を下ろした。
「……思ったより難しいですね」
「知識で分かるものではない」
ラインハルトが言う。
「体で流せ。頭で流すな」
「はい。これは、私の専門外ですね」
セリカは悔しがるでもなく、冷静にそう判断した。
最後はシャノンだった。
「よし、任せろ」
シャノンは水瓶の左右に手をかけた。
「う……」
動かない。
「……」
もう一度、力を入れる。
「うぎ……」
やはり動かない。
「おい、これ本当に持てるやつなのか?」
「持てる者は持てる」
ラインハルトが言う。
「言い方がムカつく!」
シャノンは足を踏ん張り、肩に力を入れた。
「うぎーーー!」
ぱき。
小さな音がした。
「……」
「……」
水瓶に、細いひびが入っていた。
次の瞬間。
ぱかん。
陶器が割れ、水が床へ流れ出した。
「……持ち上げる前に割れた」
「報告するな」
俺は額を押さえた。
ラインハルトは静かに言った。
「論外だ」
「にゃっ!?」
セリカが割れた水瓶を見下ろす。
「ちなみに、その水瓶はルヴェリア金貨十枚ほどします」
「……十枚?」
シャノンの両目が、ゆっくり外側を向いた。
口元から、つう、とよだれが垂れる。
「おい、戻ってこい」
「……飯、抜き?」
「館住みである限り、食費は無料です」
「よかった……」
「給与から引く場合は、ですが」
「よくなかったにゃ……」
「いや、構わん」
ラインハルトが淡々と言った。
「稽古で壊れた備品だ。今回は俺が持つ」
「……ほんとか?」
「ああ」
シャノンの両目が、ゆっくり正面へ戻った。
「ラインハルト、いいやつだな」
「今さらか」
「怖いだけの銀髪かと思ってた」
「悪童、こいつは次から外に出せ」
「シャノン、感謝だけしとけ」
「ありがとう、怖くていい銀髪」
「下手になってるぞ」
ラインハルトはため息をついた。
こうして初日の稽古は、妙な形で終わった。
俺は、水面を荒波からさざなみ程度まで抑えた。
まだまだ漏れる。
だが、外へあったものを内側へ戻す感覚だけは残った。
ルーカスは、小さな水柱を立てたあと、完璧に静止させた。
無意識にやっていたことを、意識に変え始めている。
ベルノは、どうにか持ち上げたが、水面は大きく波立った。
正しさと硬さが、流れを邪魔している。
セリカは、少し浮かせるのが関の山だった。
知識で理解しても、身体で流すのは別物らしい。
シャノンは、水瓶を割った。
「今日はここまでだ」
ラインハルトが言った。
「ここまで?」
「入口を知れば十分だ」
「入口にも入れてないやつがいたけど」
俺はシャノンを見た。
「うるさい。水瓶が悪い」
「水瓶のせいにするな」
「高かったし、たぶん性格も悪い」
「水瓶に性格はねぇよ」
ラインハルトは俺を見る。
「お前は毎日やれ」
「毎日かよ」
「悪名は毎日お前を待ってくれん」
「それはそうだけど」
「ルーカス、お前もだ」
「はい。巡らせる、ですね」
「そうだ。だが、武器は持つな」
「はい……」
「ベルノ」
「はい」
「焦るな。だが、やめるな」
「承知しました」
「セリカ」
「はい」
「見ておけ。いずれ補佐として必要になる」
「承知しました」
「シャノン」
「飯?」
「違う」
「違った」
「動くな」
「まだそれか」
「まずはそこからだ」
シャノンは露骨に嫌そうな顔をした。
「動かないの苦手なんだよな」
「知っている」
「じゃあ別のからやろう」
「だからやる」
「鬼だ」
「猫には鬼でちょうどいい」
「人間だ!」
道場を出る頃には、外の雪が少しだけ強くなっていた。
ルヴェリアの冬。
白い息が空に溶ける。
帰り道、シャノンはずっと腹を押さえていた。
「飯ー」
「さっきからそれしか言ってないな」
「飯ー」
「壊れたのか?」
返事がない。
横を見ると、シャノンの両目がまた外側を向いていた。
口元から、よだれが垂れている。
「おい、歩きながら外界から遮断されるな」
「……肉」
「帰ってこい、野良猫」
ルーカスはその横で、ぼーっと呟いている。
「巡らせる、巡らせる……」
「お前も別方向に壊れてるな」
「巡らせる……出口を間違えない……木刀を飛ばさない……」
「最後だけ妙に具体的だな」
セリカは少し後ろを歩いていた。
ベルノも、いつの間にか俺の隣に来ている。
しばらく黙って歩いたあと、ベルノが口を開いた。
「ハルト様は、思ったことをすぐに口に出す癖がありますね」
「そうか?」
「はい。思わぬ発言で、他人を傷つけることもあると思います」
俺は少しだけ気まずくなった。
「さっきのラインハルトとのやつか? 余計なことしたなら悪かったな」
「いいえ」
ベルノは前を向いたまま言った。
「ですが、思わず救われる者もいるということです」
「?」
何の話だ。
ベルノは、少しだけ息を吐いた。
「ハルト様。私はオルガン様を慕っております。その気持ちは、これからも変わりません」
「ああ」
「ですが、先程の言葉。私は一生忘れないと思います」
「そうか……」
どのことだ?
心当たりが多いようで、ない。
ラインハルトに何か言ったのは覚えている。
ベルノを庇ったようなことも言った気がする。
ただ、正直なところ、その場で思ったことを言っただけだ。
ベルノは静かに続けた。
「私は、第六席補佐見習いとして、この身を捧げる所存です」
「いや、そこまで重くなくていいけど」
「ですが、これまでとは違います」
ベルノは足を止めなかった。
「弱さを含めた私として、貢献していきたい」
その声は、先ほどより少しだけ軽かった。
弱さ。
ベルノが抱えてきたもの。
俺が知らない過去。
ラインハルトの言った、ヤマザルという呼び名。
全部を抱えたまま、前に進もうとしている。
たぶん、そういうことなのだろう。
「はは、期待してるよ」
俺は少し笑った。
それから、急に現実的なことを思い出す。
「というか、お前いないと仕事回んねぇんだよ! 絶対逃がさねぇからな!?」
俺は後ろを歩くセリカへ振り返った。
「なぁ、セリカ!」
「はい」
セリカは即答した。
「ベルノの移籍は絶対に許しません。たとえ失敗があったとしてもです。一度来た責任を取ってもらいます」
「言い方が怖いな」
「事実です」
ベルノは振り返らなかった。
ただ、前を向いたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「そうですか」
雪が静かに降っている。
「とても変なヘキサレインですね」
「褒めてるのか?」
「かなり」
「その返し、流行ってんのか?」
ベルノは答えなかった。
ただ、少しだけ歩幅が緩んだ。
オルガンのチームが嫌いなわけではない。
むしろ、好きだったのだろう。
尊敬していた。
今でも、あの場所で育てられたことを誇りに思っている。
けれど。
ここは、少し心地よいのかもしれない。
完璧でなくても。
弱くても。
迷っていても。
全てを含めて、自分でいられる場所。
俺は前を歩く三人を見た。
腹を空かせた野良猫。
木刀を弾丸に変える山人間。
弱さを抱えたまま、名刀になろうとするヤマザル。
白煙の下に、新しい牙が三つ。
まだ、まともに噛みつける牙じゃない。
まだ、危なっかしい見習いだ。
それでも俺は思った。
こいつらは、きっと必要になる。
増え続ける悪名を受け止める器。
そして、こいつらを抱える器。
どちらもまだ、足りていない。
けれど、広げていけばいい。
俺は白い息を吐いて、雪の降る道を歩いた。
あとがき
第4章「白煙と新しい牙」第9話でした。
今回は章締め回です。
ラインハルトの気功術、その初歩に入りました。
強化魔法は鎧。
フェイドは蓋。
気功術は流れ。
ハルトに必要なのは、ただ強くなることではなく、増え続ける悪名を受け止める器を作ることです。
そして今回は、水瓶を使ってそれぞれの課題も見えました。
ハルトは外へ漏れる魔力を内側へ巡らせること。
ルーカスは無意識にやっていた制御を、意識して扱うこと。
ベルノは正しさと硬さを少し緩めること。
セリカは知識ではなく身体で感じる難しさ。
シャノンは、まず水瓶を割らないこと。
……シャノンは本当にまずそこからです。
この章では、ルーカス、シャノン、ベルノという新しい補佐見習いたちが加わりました。
まだまだ危なっかしい三人ですが、白煙のハルトの下に、新しい牙が三つ揃いました。
ここから彼らがどう成長していくのか、楽しんでもらえたら嬉しいです。
次回もよろしくお願いします。




