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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第四章 白煙と新しい牙

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第7話 野良猫の本能



 ベルノは、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 その声は、震えていなかった。


 ラインハルトは木刀を下ろす。

 道場に、雪の静けさが戻った。


 ベルノは何かを噛み締めるように、木刀を握っている。


 俺は、その横顔を見ていた。


 真面目で、礼儀正しくて、実務ができる。

 報告書は読みやすいし、シャノンの雑な報告も、ルーカスの小学生みたいな文章も、ちゃんと使える形に直す。


 俺からすれば、十分すぎるくらい優秀な補佐見習いだ。


 だが、ラインハルトの言葉は容赦がなかった。


 正しい。

 だが、正しすぎる。

 弱点は心だ。

 恐怖に打ち勝て。


 たぶん、必要な言葉なんだろう。


 でも、必要だからって、刺さらないわけじゃない。


「おい、ラインハルト」


「なんだ、悪童」


「そんなにうちの補佐見習いをいじめんなよ」


 ベルノが、目だけをこちらへ向けた。


「ベルノは、オルガンに言われたから来たのかもしれねぇ」


 俺は肩をすくめる。


「でも、完璧だから採ったわけじゃねぇ」


「……」


「欲しいと思ったから採用したんだ。オルガンに返す気もねぇ」


 ベルノは黙った。


 何かを言おうとして、けれど言葉にできないような顔だった。


 ラインハルトは、しばらく俺を見ていた。


 それから、静かに息を吐く。


「気に触ったなら謝る」


「いや、そこまでじゃねぇけど」


「ベルノのことは、昔から知っていてな。ヤマザルと呼ばれていた頃からだ」


「……ヤマザル?」


 俺は思わず聞き返した。


 シャノンの耳が、ないはずなのにぴくりと動いた気がした。


「山猿?」


「違います」


 ベルノが即答した。


 早い。


「昔の呼び名です。忘れてください」


「無理だろ。気になるだろ」


「忘れてください」


 ルーカスが首を傾げる。


「山に住んでいたんですか?」


「旧城下町です」


「山ではないんですね」


「はい」


 シャノンがにやりと笑った。


「じゃあ、猿だったのか?」


「人間です」


「私と同じこと言ってる」


「あなたとは違います」


 ベルノは眼鏡を押し上げた。

 いつもより、ほんの少しだけ雑に見えた。


「ヤマザルねぇ……」


「ハルト様」


「なんだよ」


「忘れてください」


「善処する」


「絶対に覚えている返事です」


 ラインハルトは、そのやり取りを静かに見ていた。


「捨てるな、ベルノ」


 その声は、先ほどより少しだけ柔らかかった。


「それもお前の地金だ」


「地金……」


「刀は、鉄を嫌っては鍛てん」


 ベルノは何も言えなかった。


 ただ、少しだけ木刀を握り直した。


 その空気を裂くように、シャノンがひょいと前へ出た。


「じゃあ、次は山猫ちゃんが行こうかなぁ」


「山猫ちゃん?」


 俺が聞き返すと、シャノンは自分の胸を親指で指した。


「私。ベルノがヤマザルなら、私は山猫だろ」


「お前、人間設定どこ行った」


「人間だ」


 すると、道場の端でぼーっとしていたルーカスが、ぽつりと言った。


「俺は山人間ですね」


「ヤマ要素どこだよ」


「貴族街なので、結構高いところですよ」


「標高の話じゃねぇよ」


 シャノンがルーカスを見る。


「じゃあ私は?」


「猫です」


「人間だ!」


「さっき山猫って言ってました」


「それは私が言う分にはいいんだよ!」


 ベルノが静かに眼鏡を押し上げた。


「混乱するので、山分類を増やさないでください」


 ラインハルトは真顔で頷いた。


「山はよい。足腰が鍛えられる」


「お前も乗るな」


 なんだ、この道場。


 来る前は、もっとこう、息の詰まるような修行場を想像していた。


 実際、ラインハルトは怖い。

 空気も重い。

 木刀ひとつで首が飛びそうな圧もある。


 だが、話すとどこか変だ。


 変なやつらが集まると、道場まで少し変になるらしい。


「シャノンと申したか」


 ラインハルトが言った。


「そうだ」


「前へ出ろ」


「言われなくても」


 シャノンが軽く肩を回す。


 その身体から、薄い魔力が立ち上がった。


 頭の上に、淡い魔力の耳が生える。

 腰の後ろからは、二本に分かれた魔力の尻尾が揺れた。


 黄色い瞳孔が、さらに細くなる。


 人間。


 本人はそう言っている。


 だが、見た目はかなり猫だ。


「武器は?」


 ラインハルトが聞いた。


「今回は使わない」


「本来は」


「大きめのダガー二本」


「なぜ使わん」


「今は、こっちの気分だ」


 シャノンの拳に、魔力が纏わりつく。


 爪のように尖った魔力。


「気分で戦うな」


「気分は大事だぞ」


「悪くはない。だが、乗られるな」


「?」


 シャノンは首を傾げる。


 たぶん、分かっていない。


 ラインハルトは木刀を構えた。


「来い」


「じゃあ、いくぞ」


 次の瞬間、シャノンが床を蹴った。


 速い。


 ハルトの空圧爆(エアバースト)とは違う。

 あれは爆発的な直線移動だ。


 一つ一つが鋭く、速く、重い。

 進む方向は直線。

 だが、その直線を何度も重ねて、相手の視界を壊す。


 シャノンは違った。


 低い。

 細かい。

 曲がる。


 床を蹴り、壁際へ流れ、そこから斜めに戻る。

 近接距離を、猫のように走り回る。


 目で追う前に、軌道が変わる。


 魔力を纏った拳が、ラインハルトの脇へ伸びた。


「にゃっ!」


「人間ではなかったのか」


「人間だ!」


 猫パンチ。


 そう言えば軽く聞こえる。


 だが、実際にはかなり鋭い。


 魔力で爪のように尖った拳。

 低い姿勢からの蹴り。

 足元を狙ったかと思えば、次の瞬間には横へ流れる。


 小回りが利きすぎる。


 単純な速度なら、俺のエアバーストの方が上かもしれない。


 だが、捉えづらさならシャノンだ。


 細かい曲線の連続。

 視線の端を舐めるような移動。

 攻撃の角度も嫌らしい。


 ラインハルトの木刀が動く。


 だが、シャノンはその前に動いていた。


 拳が迫る。


 ラインハルトが受ける。


 蹴りが来る。


 ラインハルトが退く。


 また拳。


 また受ける。


 一瞬だけ、ラインハルトが防戦に回ったように見えた。


「おー」


 俺は思わず声を漏らした。


 ベルノも、わずかに目を細めている。


 セリカは珍しく、素直に頷いた。


「さすが、身体能力で筆記三十点を踏み倒した女ですね」


「褒めてるのか!?」


「かなり」


「褒め方がムカつく!」


 シャノンが叫びながらも、動きは止まらない。


 ラインハルトが木刀を振ろうとする。


 その瞬間、シャノンはもう軌道を変えている。


 攻撃が出る前に、避ける。

 踏み込みの前に、外す。

 視線。

 肩。

 足。

 呼吸。


 その全部を見ているのか。


 シャノンは、ラインハルトの攻撃が形になる前に動いていた。


 知覚が鋭すぎる。


 だから、反応が間に合う。


 いや、間に合うどころか、先に動ける。


「なるほど」


 ラインハルトが小さく言った。


 その声で、空気が変わった。


「ならば」


 次の瞬間。


 道場全体に、殺気が広がった。


 前。

 後ろ。

 右。

 左。

 上。

 足元。


 全方位から、斬撃が来る。


 そう感じた。


 実際には、ラインハルトはまだ斬っていない。


 木刀も動いていない。


 だが、そこにあった。


 全方位から切り刻まれる未来。


 シャノンの魔力の耳が震えた。

 二本の尻尾が逆立つ。


「あ」


 シャノンの足が止まった。


 避けられない。


 そう判断したのだろう。


 動けば切られる。

 跳べば落とされる。

 沈めば刺される。

 横へ抜けても斬られる。


 全てが、同時に見えた。


 だから、動けなかった。


 次の瞬間。


 こつん。


 ラインハルトの木刀が、シャノンの頭を軽く叩いた。


「にゃっ!?」


 シャノンが頭を押さえて跳び退く。


「身体が動かなかったにゃ!」


「また猫が出てるぞ」


「出てない! これは驚いただけだ!」


「語尾まで驚くのかよ」


 俺が言うと、シャノンは悔しそうに唇を尖らせた。


「いや、ほんとに動かなかったんだよ! 全部来るって分かったから、どこにも行けなかった!」


「それが問題だ」


 ラインハルトが木刀を下ろす。


「シャノン。お前は知覚に頼るあまり、本能で動いている」


「本能は強いぞ」


「悪いわけではない」


 ラインハルトは静かに言った。


「だが、このような時、本来避けられる攻撃も避けられなければ本末転倒だろう」


「……む」


「大事なのは、知覚した情報で反射することではない」


 ラインハルトは、木刀の先を軽く床へ向ける。


「知覚した情報で、予測することだ」


「知覚……予測……」


 シャノンの瞳が、すっと遠くなった。


 何か、深いところへ沈んでいくような顔だった。


 普段のふざけた調子が消える。


 道場の空気が、少しだけ静かになった。


 シャノンの意識は、深く沈んでいく。


 暗い。


 どこまでも暗い。


 その中に、星が浮かんでいる。


 宇宙だ。


 広大な宇宙の真ん中に、一匹の猫が浮かんでいた。


 猫は、ゆっくりとこちらを見る。


 そして。


「にゃー」


 鳴いた。


「……どういうことにゃ?」


 シャノンが真顔で戻ってきた。


「浅っ」


 俺は思わず言った。


「今、何を見てきたんだよ」


「宇宙に猫がいた」


「本当に何を見てきたんだよ」


 セリカが額に手を当てる。


「考える方向性が独特すぎます」


「かなり考えたぞ」


「結果が宇宙猫ですか」


「たぶん、すごいやつだ」


「たぶんで済ませないでください」


 ラインハルトは真顔のまま頷いた。


「分からないと分かったなら、一歩目だ」


「今のでいいのか?」


 俺が聞くと、ラインハルトは少しだけ考えた。


「よくはない」


「だろうな」


「だが、始まりではある」


 シャノンは頭をさすりながら、ラインハルトを睨んだ。


「次は止まらないからな」


「止まることも覚えろ」


「止まったら死ぬだろ」


「止まれぬ者も死ぬ」


「……難しいな」


「だから稽古をする」


 シャノンは不満そうだったが、目は少しだけ真剣だった。


 たぶん、今の言葉は何となく刺さっている。


 知覚で反射するな。

 知覚で予測しろ。


 猫の本能で動いていたシャノンにとっては、かなり難しい話なのだろう。


 いや、宇宙猫が出た時点で、たぶんかなり難しい。


「意外とちゃんと教えるんだな」


 俺が言うと、ラインハルトはこちらを見た。


「当然だ」


「木刀取られて膝ついてたから」


「悪童、黙れ」


「はい」


 これ以上言うと、今度こそ本気で斬られる。


 俺は素直に黙った。


 シャノンが下がる。


 ベルノはまだ考え込むような顔をしていた。

 シャノンは頭を押さえながら、宇宙猫の意味を考えているらしい。

 セリカはそれを見て、深くため息をついている。


 そして。


 ラインハルトの視線が、最後の一人へ向いた。


 道場の端で、ぼーっと立っていた少年。


 ルーカス・グランベル。


 ルヴェリアの風神雷神と呼ばれる英雄夫婦の息子。


 壁をふた飛びで越えた。

 特徴記憶では、変な書き方で全部当てた。

 白煙の恐怖を、寒い程度にしか感じなかった。


 だが、その実力を俺たちはまだ知らない。


「次は、お前だ」


 ラインハルトが言った。


 ルーカスは、自分を指差した。


「……僕ですか?」


「ああ」


「何をすればいいですか?」


「何ができるかを見る」


 ルーカスは少しだけ考えた。


 それから、いつもの調子で頷いた。


「分かりました」


 その返事は、あまりにも普通だった。


 だが、道場の空気がまた静かに張り詰める。


 ラインハルトが木刀を構えた。


 ルーカスは、ぼんやりとそれを見ている。


 風神雷神の息子。


 その実力が、ようやく見える。

あとがき


第4章「白煙と新しい牙」第7話でした。


今回はシャノン回です。


ベルノがかなり重めの過去回だったので、今回は少し空気を軽くしつつ、シャノンの戦闘能力と弱点を出しました。


シャノンは身体能力と知覚がかなり高く、近距離での小回りと反応速度は相当なものです。


ただ、そのぶん知覚に頼りすぎて、本能で動いてしまう弱点もあります。


ラインハルトの言う「知覚した情報で反射するのではなく、予測すること」が、今後のシャノンの課題になりそうです。


なお、宇宙猫については、たぶん本人にもよく分かっていません。


そして次回はルーカス。


風神雷神の息子であり、どこかズレた少年の実力がようやく見えてきます。


次回もよろしくお願いします。

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