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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第四章 白煙と新しい牙

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第5話 師匠と呼べ



 ラインハルトの道場は、黒牙の施設とは思えないほど静かだった。


 雪のちらつく王都ルヴェリア。

 その一角にある道場は、外から見ても妙に空気が張っていた。


 大きな門。

 磨かれた石畳。

 軒先に薄く積もった雪。


 黒牙の施設と聞けば、もっと荒れた場所を想像していた。


 酒の匂い。

 血の匂い。

 怒鳴り声。

 武器の音。


 そういうものがあってもおかしくないと思っていた。


 だが、ここにはそれがない。


 静かすぎる。


「……人、いなくねぇか?」


 俺が呟くと、セリカが横から答えた。


「イグニス様のお話では、普段からあまり人は来ないそうです」


「戦闘指南の道場なんだよな?」


「そのはずです」


「黒牙の連中も来ないのか?」


「雰囲気が怖いので近寄らない、と」


「黒牙の連中が怖がるって、相当だろ」


 俺の後ろでは、補佐見習い三人がそれぞれ違う反応をしていた。


 ベルノは背筋を伸ばし、真面目な顔で門を見ている。


「第五席ラインハルト様は、黒牙の中でも特に武に秀でた方です。失礼のないようにした方がよろしいかと」


「お前、緊張してる?」


「当然です。第五席ですので」


 ベルノはきっぱりと言った。


 相変わらず真面目だ。


 シャノンはというと、雪の上に立ちながら、不満そうに足元を見ていた。


「寒い」


「靴履いてるだろ」


「気分の問題だ」


「猫かよ」


「人間だ」


 そう言いながら、耳があるわけでもないのに、どこか猫みたいに肩をすくめている。


 ルーカスは、ぼーっと門を見上げていた。


「道場って、何をする場所ですか?」


「戦う練習する場所だろ」


「そうなんですね」


「お前、何だと思ってたんだよ」


「広い部屋かと」


「だいたい合ってるのが腹立つな」


 俺は息を吐いた。


 白い息が宙に広がる。


 勝手に強くなっていく身体。

 割れるハンコ。

 止まらない悪名の通知。


 その制御のために、俺はここへ来た。


 魔法ではなく、内側の流れ。


 気功術。


 イグニスはそう言っていた。


 道場の門をくぐる。


 中はさらに静かだった。


 広い板張りの床。

 壁際に整然と並んだ木刀や槍。

 奥には真剣らしいものまで置かれている。


 床は綺麗に磨かれていた。


 黒牙の施設なのに、汚れた気配がない。


 ただし、居心地がいいわけではない。


 整いすぎている。

 静かすぎる。

 空気そのものが、呼吸を止めているようだった。


 その中央に、一人の男が立っていた。


 長い銀髪を後ろで束ねた、三十歳ほどの男。


 背筋は真っ直ぐで、立っているだけで空気が張る。

 怒っているわけではない。

 睨んでいるわけでもない。


 ただ、隙がない。


 抜き身の刃が、人の形をして立っているようだった。


 第五席ラインハルト。


 牙宴で見た時も思ったが、やっぱり苦手なタイプだ。


「来たか、白煙」


 ラインハルトが静かに言った。


「イグニスから聞いて来ました」


「聞いている。力を持て余しているそうだな」


「まあ、そんなところです」


「ならば鍛える」


「早いな」


 話が早すぎる。


 ラインハルトは俺へ近づいた。


 一歩。


 それだけで、空気が少し重くなる。


 近くで見ると、さらに圧がある。


 大柄というほどではない。

 だが、体の芯が異常に強そうだった。


 ラインハルトは俺の肩、腕、腰、足元を見る。


 触れてもいない。


 ただ、見るだけ。


 それなのに、何かを測られているような気がした。


「流れが荒い」


「流れ?」


「力が増えている。だが、内側が追いついていない」


「……それを何とかしたいんです」


「ならば、今日から貴様は俺の弟子だ」


「……はい?」


「師匠と呼べ」


 空気が止まった。


 俺はラインハルトを見る。


 ラインハルトは真顔だ。


 冗談ではないらしい。


「それはちょっと……」


「なぜだ」


「俺も一応、第六席なんで。下の目があるというか」


「強くなるために体裁を気にするな」


「いや、体裁っていうか……」


 ここで素直に「師匠」と呼んだら、白煙のハルトという悪名が少し弱まりそうな気がした。


 第六席。

 白煙。

 金剛砕き。


 その名で下を抑えている俺が、第五席に向かって「師匠」と呼ぶ。


 駄目だ。


 右目の奥のルシファーが、たぶん嫌がる。


「呼べばいいじゃん」


 シャノンが横から言った。


「お前は黙ってろ」


「師匠って便利そうだぞ」


「便利で呼ぶもんじゃねぇ」


 ベルノが静かに口を挟む。


「組織内の席次上、第五席を師と仰ぐこと自体は不自然ではありません」


「余計な補足すんな」


 ルーカスが首を傾げる。


「師匠さん?」


 ラインハルトはルーカスを見た。


「貴様は素直だな」


「はい。たぶん」


「変な流れにするな」


 俺は頭を抱えたくなった。


 ラインハルトは、そんな俺を気にした様子もなく木刀を取った。


「打ってこい。実力を見る」


「今、力加減がうまくできないんです。危ないかもしれない」


「構わん」


「いや、構えよ」


「俺を壊すつもりで来い。貴様の持てる力を全て出せ」


 ラインハルトは木刀を下げたまま、こちらを見ている。


 木刀だ。


 ただの木刀。


 真剣ではない。


 なのに、真剣より怖い。


 持っているだけで、空気が切れている気がする。


 どこから入ればいい?


 正面か。

 横か。

 速度で崩すか。

 サイレントムーブで気配を消すか。


 駄目だ。


 どこから入っても斬られる。


 俺の額に、一筋汗が流れた。


 シャノンが息を呑む。


 ベルノの表情も硬い。


 ルーカスだけは、ぼーっと見ていた。


「……全部、か」


 俺は右目の奥に意識を向けた。


 自分のスキルを見る。


 スティール。


 灰鼠の頃から持っていた盗賊のスキル。


 ほとんど使っていなかったその名前が、今は違う形で表示されていた。


 強奪(スティール)Lv3。


 いつの間にか上がっていた。


 悪名か。

 戦闘か。

 それとも、盗賊としての身体がようやく馴染んできたのか。


 理由は分からない。


 ただ、そこにある。


 多分、無理だろう。


 相手は第五席ラインハルトだ。


 けれど、持てる力を全て出せと言われた。


 なら、使う。


強奪(スティール)


 次の瞬間。


 ラインハルトの木刀が、俺の手の中にあった。


「……」


「……」


 道場が静まり返った。


 俺は手元を見る。


 木刀がある。


 ラインハルトの右手は空になっていた。


 ラインハルトは、自分の空になった右手を見た。


 それから、俺の手の中にある木刀を見る。


 そして、ゆっくりと膝をついた。


「お前……」


「はい」


「このタイミングで、やっていい事と悪い事があるだろう……!」


「いや、全て出せと……」


「そういう意味ではない……!」


 ラインハルトは本気で落ち込んでいるように見えた。


 武人としての何かを踏みにじったらしい。


 知らん。


「……まあ、いい」


 ラインハルトは静かに立ち上がった。


 そして、道着の襟を整える。


 首にかけていた手ぬぐいを外した。


 ただの手ぬぐいだ。


 薄い布。

 刃もない。

 重さもない。


 ラインハルトは左手を前に出し、右手で手ぬぐいを肩にかけるように構えた。


 その瞬間、道場の空気が変わった。


 踏み込めない。


 ただの手ぬぐいだ。


 それなのに、俺の足が動かない。


 どこから入っても切られる。


 そう直感した。


 木刀を奪ったのに、状況が悪くなっている気さえする。


「……何だよ、それ」


「手ぬぐいだ」


「見れば分かる」


「ならば来い」


 無理だ。


 正面から入れば斬られる。

 横へ回っても斬られる。

 後ろを取ろうとしても、その前に斬られる。


 だったら。


強奪(スティール)


 手ぬぐいが、俺の手元に移った。


「……」


「……」


 ラインハルトの顔から、表情が消えた。


 やばい。


 道場の空気が震える。


「貴様ァ……!」


 ラインハルトの声が低く響いた。


「死にたいのかぁ!!」


「なんでだよ!!」


「悪童め……!」


「悪童?」


「貴様の全力は、まず人の得物を盗むことなのか」


「盗賊なんで」


「開き直るな」


「いや、全て出せって言っただろ!」


「言った。だが、限度がある」


「知らねぇよ、そんな武人ルール」


「だから悪童なのだ」


 ラインハルトは深く息を吐いた。


「貴様は後回しだ」


「俺、相談に来た本人なんですけど」


「後回しだ」


「そんなに怒る?」


「怒ってはいない」


「嘘つけ」


 ラインハルトは木刀と手ぬぐいを俺から回収した。


 俺は素直に返した。


 これ以上やると、本当に斬られる気がしたからだ。


 ラインハルトは次に、ベルノを見た。


「ベルノ。前へ出ろ」


「はい」


 ベルノはすぐに前へ出た。


 姿勢がいい。


 木刀を受け取る動作も丁寧だ。


 さっきの俺との差がひどい。


「構えろ」


「はい」


 ベルノが木刀を構える。


 その構えは、俺から見ても綺麗だった。


 実直。

 堅実。

 無駄が少ない。


 奇をてらった動きはない。


 ラインハルトが一歩踏み込む。


 カン、と木刀が鳴った。


 二合。

 三合。

 四合。


 ベルノは押されている。


 だが、崩れない。


 無理に攻めず、受けるところは受ける。

 足を滑らせず、守りを崩さず、相手の打ち筋を見る。


 地味だ。


 でも、かなり堅い。


 数合打ち合ったところで、ラインハルトが木刀を止めた。


「ふむ」


 ベルノは息を整える。


「筋がいい」


「ありがとうございます」


「師匠と呼ぶがいい」


「すみません。私の恩師はオルガン様のみです」


「そうか。まあいい」


 そこはあっさり引くんだな。


 俺の時と違いすぎる。


 ラインハルトは木刀を下ろさず、ベルノを見た。


「ベルノ。貴様の剣は正しい」


「ありがとうございます」


「だが、正しすぎる」


「……正しすぎる、ですか」


「型から外れることを恐れている。未知を恐れている。積み上げたものが通じないことを恐れている」


 ベルノの表情が、少しだけ固まった。


「私は、恐れてなど」


「恐れている」


 ラインハルトの声は静かだった。


「自信がないからだ」


「自信ならあります」


 ベルノは即答した。


「座学も、実務も、戦闘訓練も欠かしたことはありません」


「だからこそだ」


「……」


「努力した者ほど、自分の積み上げたものが通じないことを恐れる。貴様の剣は、正しい。だが、正しさに隠れている」


 ベルノは何も言わない。


 ラインハルトは続けた。


「本当に強い敵は、正しく来ない」


 木刀の先が、わずかに揺れる。


「騙す。外す。誘う。気をてらう。貴様の正しさを踏み台にしてくる」


「……」


「貴様の弱点は心だ。恐怖に打ち勝て」


「恐怖……」


「未知を恐れるな。崩されることを恐れるな。自分の努力が届かなかったと知ることを恐れるな」


 ベルノの手が、木刀を握り直した。


 わずかに、強く。


 ラインハルトは、その手を見ていた。


「オルガンに、ハルトの元へ行けと言われた時。貴様は何を思った」


 ベルノの息が、一瞬止まった。


 道場の床。

 木刀の重み。

 外に降る雪の匂い。


 それらが、少しずつ遠ざかっていくように見えた。


 ベルノは、何かを言おうとして、言えなかった。


 俺はその横顔を見た。


 いつもの礼儀正しい補佐見習いではない。


 実務満点で、書類を整え、シャノンの雑な報告を翻訳し、ルーカスの小学生みたいな文章を直す男。


 その顔ではなかった。


 もっと古い傷に触れられたような顔だった。


 ラインハルトは木刀を下ろした。


「答えられぬなら、思い出せ」


「……」


「貴様が何を恐れているのか。どこで立ち止まったのか」


 ベルノは、ただ黙っていた。


 その目は、もう道場を見ていない。


 思い出しているのだろう。


 オルガンに、ハルトの元へ行けと言われた日。


 そして、もっと昔。


 まだ自分が、ベルノなどという名を丁寧に名乗る男ではなかった頃。


 旧城下町のスラムで、ヤマザルと呼ばれていた頃のことを。

あとがき


第4章「白煙と新しい牙」第5話でした。


今回は第五席ラインハルトの道場回です。


パッと見は武人。

話すと少し変人。

戦えばたぶん超人。


そんなラインハルトが本格登場しました。


ハルトは力加減を学びに来たはずなのに、初手から強奪(スティール)で木刀と手ぬぐいを奪い、無事に「悪童」認定されています。


ラインハルトから見ればかなり美学違反ですが、ハルトとしては「全力を出せ」と言われたので出しただけです。


そして今回は、ベルノにも焦点が当たり始めました。


実務ができて、礼儀正しく、剣も堅実。

一見するとかなり優秀なベルノですが、ラインハルトはその剣から「心の弱さ」を見抜きます。


次回は、ベルノの過去。


旧城下町のスラムで「ヤマザル」と呼ばれていた少年が、どうやって今のベルノになったのか。


よろしくお願いします。

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