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第三話 ゴロツキ


東の都は、近づくほどに大きくなった。


最初は、遠くの高台に見える城と建物だけだった。


けれど街道を進むにつれて、その手前にも、別の町のようなものがいくつも広がっているのが分かってきた。


木の多い外れの集落。


古い石壁の残る区画。


川とも水路ともつかない細い流れ。


壊れかけた倉庫。


煙を吐く作業場。


荷を積んだ人足たち。


その全部が、東の都の一部らしい。


ハルトは荷車を押しながら、息を切らしていた。


車輪は何度も轍にはまり、そのたびにニオと二人で肩を入れて押し上げる。


荷車の中身は、布束や酒瓶、鍋、木箱、工具、よく分からない金属部品まで雑多だった。


金目のものというより、生活用品に近い。


「これ、売れるの?」


ハルトが聞くと、ニオは肩で息をしながら答えた。


「売れるけど、面倒だよ。店に流すにも、まとめるにも、人を挟むし」


「じゃあ、どうするの?」


黒牙(こくが)の倉庫に入れる。取り分は減るけど、その方が早い」


「取り分……」


「昨日からそればっかり言ってるよ」


ニオが少し笑った。


灰鼠(はいそ)は、金にならない仕事ほど押しつけられるんだ」


ハルトは荷車の取っ手を握り直した。


手のひらが痛い。


昨日までは、雪山で凍えていたはずの手だ。


今は盗品の荷車を押して、泥と汗で汚れている。


一日で、人生の種類が変わりすぎているのに、少し疲れる。


やがて、街道は少しずつ人の流れに飲まれ始めた。


荷を背負った男。


野菜を積んだ小さな荷車。


酒樽を転がす人足。


顔を布で隠した商人。


薄汚れた子ども。


その中に、何度か兵士らしき姿も見えた。


しかし兵士たちは、ハルトたちの荷車を見ても止めなかった。


いや、気づいてはいる。


気づいた上で、見なかったことにしているように見えた。


「……あれ、いいの?」


小声で聞くと、ニオは声を落とした。


「ここらへんは黒牙(こくが)の荷が通る道だから」


「盗品でも?」


「盗品って分かるように運ぶやつはいないよ」


ハルトは荷車を見る。


布はかかっている。


だが、どう見ても怪しい。


ニオはそれを見て苦笑した。


「まあ、俺たちは下手だけど」


ロッソが前から振り返った。


「無駄口叩くな。東区までもう少しだ」


東区。


黒牙(こくが)の倉庫があると言っていた場所だ。


そこへ近づくにつれ、空気が変わった。


広い市場や整った街路ではない。


古い倉庫が並び、水路沿いには木箱や樽が積まれている。


壁は湿気で黒ずみ、地面には泥と油が混じったような跡があった。


だが、人は多い。


荷を運ぶ者。


帳簿をつける者。


見張りのように立つ者。


酒場の扉から、昼間だというのに酔った声が漏れてくる。


ハルトは、黒牙(こくが)の倉庫を見てすぐに分かった。


そこだけ、周りの人間が少し避けて歩いていたからだ。


大きな倉庫ではない。


古い石造りの建物で、扉の上に黒い牙のような印が刻まれている。


バルドが扉を叩く。


内側から小窓が開き、男の目だけが覗いた。


灰鼠(はいそ)だ。荷を入れる」


バルドが言うと、扉が重い音を立てて開いた。


倉庫の中は暗かった。


積まれた木箱。


布をかけられた荷。


吊るされたランタン。


湿った木の匂いと、酒と金属の匂い。


奥にいた男が帳簿を見ながら、荷車の中身を確認していく。


「日用品ばっかりだな」


「道中の商人だからな」


ロッソが答える。


「金目のものは?」


「少しはある。壊れた車輪の方だ」


男は鼻で笑った。


灰鼠(はいそ)の仕事だな」


その言葉に、バルドは何も言わなかった。


ハルトは少しだけ引っかかった。


灰鼠(はいそ)の仕事。


雑で、安くて、下の方。


そう言われた気がした。


荷を下ろすのも、結局ハルトとニオの仕事だった。


重い木箱を運び、酒瓶を割らないように並べ、布束を奥へ積む。


ロッソとバルドは帳簿の男と取り分の話をしている。


ニオは小さく舌を出した。


「ほらね。手と足が仕事道具」


ハルトは木箱を抱えながら、曖昧に笑った。


全部が終わった頃には、腕が上がらなくなっていた。


帳簿の男は、革袋から小さな布袋を二つ取り出した。


「そっちの灰鼠(はいそ)二人分だ」


ロッソが受け取り、中を見もせずにハルトとニオへ投げた。


「落とすなよ」


ハルトは慌てて受け取る。


小袋の中には、銀色の硬貨が入っていた。


「……これ」


「五十銀貨」


ニオが横から覗いて言う。


「まあ、こんなもんだね」


五十銀貨。


ハルトは硬貨を一枚つまんだ。


表面には、細かい紋様と文字が刻まれている。


ただの金属片ではない。


指先に触れると、ほんのわずかに何かが震えた気がした。


「それ、ルヴェリア硬貨」


ニオが言った。


「世界で一番信用されてる硬貨だよ。銅貨、銀貨、金貨。百枚で一つ上」


「百枚で上がるんだ」


「うん。一枚ずつ魔力識別が入ってるから、偽物を作るのが難しいんだってさ」


ニオは銀貨を指で弾いた。


「まあ、俺は作り方なんか知らないけど」


ハルトは銀貨を見つめた。


金をもらった。


異世界で初めての収入。


そう思えば、少しだけ現実味があった。


けれど、価値が分からない。


「ちなみに」


「うん?」


「リンゴ一個って、いくらくらい?」


ニオは少しだけ変な顔をした。


「リンゴ?」


「うん。リンゴ」


「普通ので、二百銅貨くらいかな。場所にもよるけど」


リンゴ。


この世界にもリンゴはある。


そのことに、ハルトは少しだけ安心した。


けれど、すぐに別の感情が来た。


銅貨百枚で銀貨一枚。


リンゴ一個が二百銅貨なら、銀貨二枚。


五十銀貨で、リンゴ二十五個分。


一日かけて荷車を押して、盗品を運んで、怪しい倉庫へ荷を入れて。


手元に残ったのは、リンゴ二十五個分。


体感で言えば、せいぜい五千円くらいだろうか。


「……少な」


思わず漏れた。


ニオは笑った。


灰鼠(はいそ)だからね」


その一言で終わった。


ロッソとバルドの袋は、明らかにこちらより重かった。


理由は簡単だった。


襲ったのは自分たちで、ハルトとニオは荷運びが中心だから。


バルドは革袋を腰に下げ、満足そうに言った。


「今日は飲むぞ」


ロッソも否定しない。


「東区まで来たんだ。少しは使って帰る」


ニオが小声で言う。


「俺たちも?」


「来い。飯くらいは食わせてやる」


バルドが言った。


それは優しさなのか、ただの気まぐれなのか、ハルトには分からなかった。


夜。


四人は倉庫街の外れにある酒場に入った。


扉を開けた瞬間、熱気と匂いが押し寄せてきた。


焼いた肉。


安い酒。


汗。


煙。


濡れた革。


店内は粗い木の机が並び、壁には古い漁具や折れた槍が飾られている。


客層は、だいたい荒い。


荷運び。


船乗り。


職人。


裏仕事の人間。


その中に混ざって、ロッソとバルドは自然だった。


ハルトは、少しだけ浮いていた。


「飲め」


バルドが木の杯を置く。


中には、濁った酒が入っていた。


「俺、酒は……」


言いかけて、ハルトは口を閉じた。


高校二年。


飲んだことはない。


だが、それを言っていい場所ではない気がした。


ニオが横から杯を取った。


「ハルトは頭打ってるから、今日は飯でいいんじゃない?」


バルドが鼻で笑う。


「甘やかすなよ」


「吐かれても面倒でしょ」


「それは面倒だな」


バルドは納得したように肉を齧った。


ハルトはニオを見る。


ニオは何もなかったように、自分の杯を少しだけ口につけた。


助かった。


そう思った。


出された煮込みは、濃い味だった。


肉は硬い。


野菜も少ない。


けれど、温かかった。


雪山で死にかけた時に欲しかった熱とは違う。


それでも、体の奥に染みた。


ハルトは黙って食べた。


ニオが隣で笑う。


「うまい?」


「うん」


灰鼠(はいそ)の飯にしては、いい方だよ」


「そうなんだ」


「普段はもっとひどい」


ハルトは匙を止める。


この世界で、自分はその「普段」をこれから知っていくのだと思った。


酒場を出たのは、夜がかなり深くなってからだった。


ロッソとバルドは少し酔っていた。


ニオは顔が赤いが、足取りはしっかりしている。


ハルトは水ばかり飲んでいたので、頭だけははっきりしていた。


倉庫街の夜は暗い。


水路沿いの灯りはまばらで、狭い路地には湿った風が流れている。


遠くの高台には、まだ灯りがいくつも見えた。


別の世界みたいだった。


その時、前から小柄な男が歩いてきた。


荷運びらしく、背中に空の籠を背負っている。


年は三十前後。


疲れた顔で、こちらに気づくと目を伏せて横を通ろうとした。


バルドが、その肩を掴んだ。


「おい」


男の体が固まる。


「……なんでしょう」


「通行料」


バルドは笑った。


「この道、誰の道か分かってんのか?」


男はすぐに顔を青くした。


「す、すみません。今日、あまり稼ぎがなくて」


「聞いてねぇよ」


バルドは男の胸ぐらを掴んだ。


ロッソは止めない。


ニオも、少し顔を伏せたままだった。


ハルトは息を呑む。


カツアゲ。


言葉だけなら知っている。


でも、目の前で見ると、胃のあたりが気持ち悪くなった。


男は震える手で、銀貨を数枚差し出した。


バルドはそれを見て、鼻を鳴らす。


「少ねぇな」


「本当に、これだけで」


「籠も置いてけ」


「これは仕事道具で……!」


バルドの手に力が入る。


男の顔が苦痛で歪んだ。


ハルトは、反射的に口を開いた。


「そ、そのくらいにしときません?」


空気が止まった。


バルドがゆっくり振り返る。


「はぁ?」


ハルトは自分の言葉に、一瞬遅れて後悔した。


でも、もう遅い。


「いや……金は出したし、籠まで取ったら、明日から困るんじゃ」


バルドの目が細くなる。


「ハルト」


低い声だった。


「お前、いつからそんな腰抜けになった?」


「そういう、わけじゃ」


「舐められたら終わりだ」


バルドは男の胸ぐらを掴んだまま、ハルトに顔を近づける。


灰鼠(はいそ)が遠慮して、誰が飯食わせてくれんだよ」


ハルトは言い返せなかった。


正しいとは思わない。


でも、この場で何が正しいのかも分からなかった。


自分は止めたいと思った。


けれど、そもそも自分はバルドたちと一緒にいる。


黒牙(こくが)の下部組織、灰鼠(はいそ)


盗品の荷車を押して。


黒牙(こくが)の倉庫へ荷を入れて。


酒場で飯を食って。


今、その帰り道にいる。


周囲の視線が刺さった。


露店の片づけをしていた女。


路地の奥にいた子ども。


水路の向こうで煙草を吸っていた男。


みんな、見ている。


そして、目を逸らす。


ああ。


ハルトは、腹の底が冷えるのを感じた。


自分も、同じ側に見られている。


止めようとしたかどうかなんて、関係ない。


どんな気持ちでここにいるかなんて、誰も見ていない。


黒牙(こくが)灰鼠(はいそ)


柄の悪い下っ端。


関わりたくないゴロツキ。


うわぁ。


見られてる。


最悪だ。


その瞬間、右目の奥がじくりと痛んだ。


視界の端に、黒い文字が滲む。


【悪名】

無名 → ゴロツキ


【補正】

なし → 微弱


「……え」


思わず声が漏れた。


バルドが眉をひそめる。


「なんだよ」


ハルトは右目を押さえた。


「いや……」


ゴロツキ。


俺が?


俺も……。


ハルトは周囲を見る。


誰も目を合わせない。


それが、答えだった。


悪いことをしたからではない。


いや、していないとも言えない。


でも、少なくとも今、力になったのは自分の行動そのものではなかった。


周りが、そう見たからだ。


ゴロツキだと認識したからだ。


堕落の王(ルシファー)


悪名(あくみょう)を喰らうスキル。


ハルトはようやく、その意味の端を掴んだ気がした。


「おい、行くぞ」


バルドは銅貨を奪い、男を突き飛ばした。


籠は取らなかった。


それがハルトの言葉のせいなのか、ただ面倒になっただけなのかは分からない。


男は礼も言わず、逃げるように路地の奥へ消えた。


ロッソが煙草に火をつけながら、ハルトの横を通る。


「覚えとけ」


「……何をですか」


「この街じゃ、自分が何を思ってるかより、どこに立ってるかの方が先に見られる」


ロッソはそれだけ言って歩いていく。


ニオが少し遅れて、ハルトの隣に来た。


「大丈夫?」


「……大丈夫」


そう答えたが、大丈夫ではなかった。


右目の奥に、まだ黒い文字の残像がある。


【悪名】ゴロツキ。


【補正】微弱。


体は、少しも強くなった気がしない。


けれど、確かに何かが変わった。


この世界は、ハルトの内心を見てくれない。


見ているのは、立っている場所だ。


黒牙(こくが)の下。


灰鼠(はいそ)


ゴロツキ。


ハルトは夜の水路に映る自分の影を見た。


そこにいたのは、昼間見た知らない顔と同じ少年だった。


でも今は、少しだけ違って見えた。


自分がどう思っていようと。


もう、誰かにはそう見えている。


ハルトは小さく息を吐いた。


この世界で最初に得た悪名(あくみょう)は、あまりにも小さく、あまりにも情けなかった。


それでも。


堕落の王(ルシファー)は、それを喰った。


ハルトの中の深淵が、少し鼓動を始めていた。

読んでいただきありがとうございます。


ハルトは初めての取り分と、初めての悪名を得ました。

ただし、本人としてはまったく嬉しくない形です。


悪名は「何をしたか」だけでなく、「どう見られたか」で積み上がっていきます。

ここから少しずつ、ハルトはこの世界の裏側に慣れていきます。


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