第2話 補佐見習い試験
館の外には、人の列ができていた。
下部組織の若い連中。
腕自慢らしい大男。
商家の息子らしい真面目そうな少年。
目つきの悪いゴロツキ。
白煙に憧れているのか、こちらを見て目を輝かせる者。
それから、どう見ても俺目当ての若い女たち。
合わせて、百人以上。
「……帰っていいか?」
「駄目です」
セリカは即答した。
昨日より機嫌が悪い。
いや、正確には、窓の外から聞こえた「白煙様、思ったより顔いい」という声を聞いてから、明らかに機嫌が悪い。
俺は悪くない。
たぶん。
「これ、全員面接するのか?」
「不可能です」
「だよな」
「ですので、予定通り試験で振り落とします」
セリカは手元の板に、試験内容を書きつけていた。
一次試験、身体能力。
二次試験、観察と報告。
三次試験、実務。
最後に面接。
元々、面接で見る予定だったらしいが、この人数ではやっていられない。
百人以上の志望動機を聞いていたら、それだけで日が暮れる。
しかも、その中には「白煙様に凍らされたいです」みたいな危険思想の持ち主も混ざっている。
黒牙の人材難は、思ったより深刻かもしれない。
「では、始めます」
セリカが言うと、館の庭に集められた応募者たちが一斉にざわついた。
庭と言っても、普通の屋敷の庭ではない。
黒牙第六席の館だ。
訓練用の空き地もあれば、壁もある。
倉庫も、簡易の訓練場も、処刑場ほどではないが物騒な空気もある。
その一角に、十メートルほどの壁があった。
完全な垂直ではない。
壁というより、岩場に近い。
ところどころに突き出た岩や足場があり、身体能力があれば登れないこともない。
ただし、普通の一般人が気軽に登るものではない。
応募者たちは、その壁を見上げて固まった。
「の、登れねぇよ、こんなとこ……」
「十メートルはあるぞ……?」
「足場って言っても、あんなの岩じゃねぇか」
「落ちたら死ぬだろ……」
憧れや勢いで来た者たちが、現実を見て怯み始める。
俺はそれを見て、少しだけ納得した。
補佐見習いといっても、机に座って書類を書く者だけが欲しいわけじゃない。
第六席直属として動く以上、危険な場所へ行くこともある。
外縁区の屋根を走ることもあるだろう。
倉庫街や水路、銀翼残党の潜伏場所へ行くこともある。
壁を見ただけで足が止まるなら、使えない。
「第一試験は壁登りです」
セリカが淡々と告げる。
「一斉に登っていただきます。先に上まで到達した五十名を残します。登れない者、落ちた者、途中で諦めた者は失格です」
ざわめきが大きくなる。
「跳んで登るのはありですか?」
誰かが聞いた。
セリカは少しだけ考え、それから答えた。
「ありです。ただし、飛行魔法は禁止です。足場を使って登ってください」
その言葉で、力自慢らしい男たちが笑った。
「へっ、ただの壁登りかよ」
「俺なら余裕だ」
「白煙の補佐になるには、これくらい当然ってことだな」
威勢だけはいい。
だが、実際に登れるかどうかは別だ。
セリカが俺に目を向けた。
「ハルト様、開始の合図を」
「ああ」
俺は壁の前に並んだ応募者たちを見渡した。
「落ちたら失格だ。死にたくなけりゃ、無理はするな」
そう言うと、何人かが青ざめた。
俺は片手を上げた。
「始め」
合図と同時に、応募者たちが壁へ向かった。
力自慢たちが勢いよく岩場に手をかける。
下部組織の連中は、普段の身軽さを活かして低い足場へ飛びつく。
一般人枠は最初の一歩で躊躇する。
その中で、一人だけ動きが違う女がいた。
褐色肌の猫目の女。
開始直後、そいつは地面を蹴った。
壁に飛びつく。
せり出た岩場に指をかける。
つま先で小さな足場を踏む。
膝で壁を押さえ、肩をひねり、次の岩へ跳ぶ。
バババッ、と音が聞こえそうな速度だった。
登っているというより、壁を駆けている。
「早いな。名前は?」
「シャノンです」
セリカが手元の板を確認する。
「ユニークスキルは、猫又と記載されています」
「獣人じゃねぇのか?」
「登録上は人間です。少なくとも、獣人ではないようです」
「……どおりで」
「何が、どおりで、なのですか」
「いや、動きが猫すぎるだろ」
人間の動きではない。
シャノンは壁を走るように上がり、あっという間に中腹を越えた。
その後ろを、黒髪眼鏡の男が追う。
シャノンほど派手ではない。
だが速い。
壁全体を見て、危険な岩を避け、足場を選び、最短のルートを作っている。
一歩一歩に無駄がない。
速さより、安定感。
落ちない動きだ。
「あっちも早いな」
「ベルノです。オルガン様からの推薦枠ですね」
「あれがベルノか」
「はい」
「なるほどな。いかにもオルガンが選びそうだ」
「偏見では?」
「褒めてる」
真面目。
堅実。
隙が少ない。
たぶん書類も綺麗に書く。
俺とは違う生き物だ。
その間にも、壁の下では脱落者が出始めていた。
「無理だ! 無理無理!」
「足が滑る!」
「おい、押すな!」
「誰だよ補佐見習いって言ったの! これ兵士の試験だろ!」
叫び声が飛び交う。
だが、上位組はどんどん登っていく。
シャノンがほぼ先頭。
その少し後ろにベルノ。
他にも下部組織の身軽な者たちが続く。
そして、例のぼーっとした少年だけが、まだ壁の下に立っていた。
「……あいつ、動いてなくないか?」
「動いていませんね」
セリカが言う。
試験官役の黒牙構成員が、ルーカスに声をかけた。
「おい、君。行かないのか? 失格になるぞ」
ルーカスは、ゆっくりとそちらを見た。
「登ればいいんですか?」
「そうだが……厳しいか?」
「分かりました」
ルーカスはそう言って、壁を見上げた。
何かを考えているようには見えない。
ただ、ぼーっと壁を見ている。
次の瞬間。
ルーカスが、跳んだ。
「……は?」
誰かが間抜けな声を出した。
一跳び目。
ルーカスの体が、壁の中腹まで届いた。
踏み込みの音は大きくない。
魔力の気配も、ほとんどない。
なのに、その長い体は当たり前みたいに宙を抜け、突き出た岩場へ届いた。
着地するように、壁の中腹へ足を置く。
そして、二跳び目。
ふわりと、また体が浮いた。
次の瞬間、ルーカスは壁の上に立っていた。
シャノンより早く。
ベルノより早く。
全員より早く。
「……できました」
訓練場が静まり返った。
シャノンが少し遅れて壁の上へ着き、ルーカスを見て目を見開いた。
「にゃっ……!?」
ルーカスは首を傾げる。
「早いですね」
「お前が言うな!」
シャノンが叫んだ。
その声に、壁の下の応募者たちがざわつく。
「今の何だ?」
「跳んだよな?」
「人ってあんな跳ぶか?」
「魔法か?」
「魔力、見えなかったぞ……」
俺はセリカを見た。
セリカも、珍しく少し困った顔をしていた。
「……あれ、何?」
「分かりません」
「分からないのかよ」
「少なくとも、普通の身体能力ではありません」
それは見れば分かる。
あれは登ったというより、試験を壊した。
やがてベルノも上に到達する。
息は乱れていない。
だが、ルーカスとシャノンを見て、わずかに眼鏡の奥の目が細くなった。
何か言いたそうだったが、何も言わない。
たぶん、まともな人間ほど、今の結果を処理できない。
その後も試験は続いた。
上までたどり着ける者は少なくない。
下部組織や冒険者崩れ、腕自慢の中には、それなりに動ける者もいる。
だが、問題は降りる時だった。
「……降りられねぇ」
壁の上から、情けない声が聞こえた。
登った時は勢いで行けたらしい。
だが、上から下を見ると足がすくむ。
「無理だ……」
「誰か、縄を……」
「落ちたら死ぬだろ、これ……」
何人かが、壁の上で固まっていた。
俺はそれを見上げた。
「登ったなら降りろよ」
「ハルト様。降りる方が怖い者もいます」
「めんどくせぇな……」
とはいえ、放っておくわけにもいかない。
試験で怪我人を出すのは仕方ない。
だが、降りられないやつを放置して落とすのは違う。
「大丈夫だって。こっち来い」
下から声をかける。
だが、誰も動かない。
壁の上で震えている。
「……来ねぇな」
「恐怖で足が止まっていますね」
「仕方ねぇ」
俺は息を吐いた。
足元に風を纏う。
空纏衝。
地面を蹴った瞬間、体が浮く。
壁へ向かい、途中の岩場に一度触れる。
風の反動で跳ねる。
さらに壁を蹴り、もう一度上へ。
数回、壁に触れただけで頂上へ届いた。
昔なら、もっと雑だった。
今は違う。
風を纏う感覚が、前よりずっと細かく分かる。
エイベルに教わった基礎が、体に残っている。
壁の上で震えていた応募者が、俺を見て青ざめた。
「ひっ……白煙……!」
俺は、なるべく笑った。
怖がらせないためだ。
「大丈夫だって。落とさねぇよ」
応募者の顔がさらに青くなった。
「お、落とすんですか……?」
「落とさねぇって言ってんだろ」
「じゃ、じゃあ何を……」
「一緒に降りる」
「もっと怖い!」
「大丈夫だ。空緩衝で受ける」
「えあ……?」
「説明しても分かんねぇだろ。行くぞ」
「待っ、心の準備が――」
俺は応募者の腕を掴み、一緒に飛び降りた。
悲鳴が落ちる。
その下に、空気の層を作る。
空緩衝。
落下の衝撃が、ふわりと殺される。
地面に触れた瞬間、体重が柔らかく逃げた。
完全に無傷。
応募者は地面に座り込んで震えていた。
「ほらな。大丈夫だったろ?」
「し、死ぬかと……」
「死んでねぇから大丈夫だ」
俺は壁の上を見上げた。
「他のやつも降りていいぞ。受け止めてやる」
誰も飛ばなかった。
「……」
俺はもう一度エアバーストで壁を駆け上がった。
結局、降りられないやつらを一人ずつ降ろすことになった。
なんだこの仕事。
補佐を増やす試験で、俺の仕事が増えている。
セリカが下で記録を取りながら、こちらを見ていた。
その目が、少しだけ柔らかかった気がした。
エイベルに教わった空緩衝は、最初は生き残るための技だった。
金剛の攻撃を完全には防げなかった。
ただ、死を少しだけずらした。
今は違う。
人を落としても、無傷で受けられるくらいにはなった。
そう考えると、少しだけ悪くない気分だった。
その後、壁登り試験は終わった。
本来は先着五十人を残す予定だった。
だが、ルーカスのふた飛び。
シャノンの猫じみた登り方。
ベルノの堅実すぎる登坂。
そして、降りられなくなった者たちの情けない姿。
それらを見た一般人枠の何人かが、自主的に辞退した。
「やっぱ人間には無理だって……」
「白煙の補佐って、ああいうやつらの集まりなのかよ……」
「命が惜しい……」
結果、残ったのは三十人ほどだった。
この時点で、憧れだけで来た者はほとんど消えた。
次の試験へ進む者たちの目つきは、さっきより少しだけ真剣になっていた。
◇
第二試験は、観察と報告。
セリカが用意したのは、簡単なようで面倒な試験だった。
幕の向こうに、人や物を配置する。
応募者は、幕が上がっている数秒だけそれを見る。
その後、幕が降りる。
見えたものを、できるだけ正確に書く。
対象は人間。
部屋。
道具。
武器。
服装。
傷。
紋章。
隠し武器。
補佐見習いとして、任務中に必要になる力を見るらしい。
尾行対象の特徴を覚えられるか。
敵の装備を見抜けるか。
隠し武器や違和感に気づけるか。
服装、紋章、傷、癖を記憶できるか。
それを報告として使える形にできるか。
レヴィン事件でも、護衛たちは侵入者を長く見ていたわけではない。
一瞬。
ほんの数秒。
そのわずかな記憶が、後から重要になることもある。
「ハルト様は苦手そうですね」
「まだ何も言ってねぇだろ」
「顔に出ています」
セリカは容赦がない。
三十人ほどが試験を受けた。
ほとんどは、普通だった。
赤い服。
短剣を持っていた。
右目に傷があった。
机の上に紙があった。
間違いではない。
だが、足りない。
そんな中で、また三人が目立った。
まず、ルーカス。
こいつは、書き方が変だった。
『右から二番目の人は、左足がいたそうでした。
くつの外がへっていました。
たぶん、ひざが悪いです。
机の上の紙は、はしっこが少しぬれていました。
水じゃなくて、たぶんお茶です。
奥の人は笑っていました。
でも、目は笑っていませんでした。
こわい人だと思います。
窓の近くの人のそでに、白い粉がついていました。
石の粉っぽかったです。
かべをさわったのかもしれません。』
俺は、その紙を見て黙った。
「……作文か?」
「報告書ではありませんね」
セリカが採点して、微妙な顔をした。
「ですが、内容は合っています」
「合ってんのかよ」
「はい。要点は全て押さえています」
「なんでこんな小学生みたいな文章で合ってるんだよ」
「私にも分かりません」
本人はぼーっとしているのに、見るべき場所は見ている。
ただし、書き方が壊滅的に柔らかい。
報告書というより、今日の見学の感想だった。
次に、シャノン。
こいつも百点に近かった。
数秒しか見ていないはずなのに、異常な量を覚えている。
ただし、答え方がさらに雑だった。
『右のやつ、腰に隠しナイフ。
左のやつ、袖に匂い袋。
奥の箱、下に小さい穴。
青い服のやつ、ルヴァン商会の香水つけてた。臭いんだよ、あれ。
真ん中のやつ、嘘つく匂いがした。』
セリカがこめかみを押さえる。
「シャノン」
「なんだ」
「香水の種類まで分かるのですか?」
「分かる。ルヴァン商会の安いやつだ。臭い」
「それは……まあ、情報としては使えます」
「だろ」
「ですが、『嘘つく匂い』ではなく、具体的な根拠を書いてください」
「臭かった」
「それは根拠ではありません」
「でも臭かった」
「……」
セリカの沈黙が深くなった。
シャノンは真面目そうな顔をしているが、どうも中身が怪しい。
猫のような目は確かに良い。
匂いも、音も、普通の人間より拾えている。
一瞬しか見えない幕の向こうから、かなりの情報を持ち帰っている。
だが、報告書に向いているかは別問題だった。
最後に、ベルノ。
こいつは一番まともだった。
『対象A。
右腰に短剣。
左手の指にインク。
書類仕事に慣れている可能性。
対象B。
靴底に港湾区の泥。
水路沿いから来た可能性。
対象C。
視線が常に出口へ向いていた。
逃走を意識している可能性。
机上の封筒には、黒牙刻印なし。
ただし封蝋の色はオルディン商会のものに近い。』
読みやすい。
整理されている。
報告書として使える。
「報告書としてはベルノが一番読みやすいな」
「はい」
セリカは頷いた。
「短時間で必要な情報を拾い、優先順位をつけて書けています。実戦でも即使えるレベルです」
「じゃあ百点か?」
「いいえ。今回は幕が上がっていたのが数秒だけです。その一瞬で拾えた情報量では、ルーカスとシャノンが上でした」
「ベルノは劣ってるのか?」
「いいえ。見る時間を与えれば、ベルノが最も正確で、最も使いやすい報告書を作るはずです」
「一瞬だと九十点。でも、ちゃんと見ればもっと上か」
「はい。むしろ普通の人間としては異常に優秀です」
「普通の人間って言い方、だいぶ失礼じゃねぇか?」
「上二人が普通ではありませんので」
ベルノは少し離れた場所で、その評価を聞いていた。
眼鏡を直し、静かに頭を下げる。
「次は、もう少し拾います」
「今ので十分すげぇよ」
「ですが、二名に劣りました」
「そこ気にするんだな」
「当然です。三席で終わるつもりはありませんので」
こいつもこいつで、かなり面倒くさそうだ。
特徴記憶テストの結果、さらに人数は減った。
残ったのは十人ほど。
ルーカス。
シャノン。
ベルノ。
それから、元冒険者らしい男。
下部組織の力自慢。
商家出身の真面目そうな青年。
黒牙入りを狙っているらしいゴロツキ。
妙に目つきの悪い男。
その他数名。
最初の百人以上から考えると、随分と減った。
だが、ここまではまだ前座だ。
身体能力。
観察力。
記憶力。
それらは必要だ。
だが、第六席の補佐見習いとして本当に必要なものは、まだ見ていない。
白煙の隣に立てるか。
俺の近くで、膝をつかずにいられるか。
セリカが、残った候補者たちを見た。
「次の試験に移ります」
応募者たちが息を呑む。
俺は右目の奥で、眠る深淵をほんの少しだけ意識した。
まだ、出さない。
だが、次で分かる。
この中で、誰が白煙の下に立てるのか。
白煙の新しい牙になれるのか。
あとがき
第4章「白煙と新しい牙」第2話でした。
今回は補佐見習い試験の前半です。
第六席の補佐見習いと言いつつ、やっていることはほぼ特殊部隊の採用試験みたいになっています。
ただ、ハルトのそばで働く以上、ただ書類ができるだけでは足りません。
危険な場所に行けるか。
一瞬で情報を拾えるか。
そして、白煙の近くに立てるか。
そのあたりが重要になってきます。
今回、ルーカス、シャノン、ベルノの三人が本格的に登場しました。
ルーカスは、何も考えていなさそうなのに身体能力と観察力がおかしい少年。
シャノンは、猫のような身体能力と感覚を持つ猫目の少女。
ベルノは、実務面では一番まともで優秀な常識人です。
次回は実務試験、面接、そして最後の恐怖耐性試験です。
果たして誰が、白煙の下に立てるのか。
よろしくお願いします。




