表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第三章 黒煙と双環

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/108

第8話 証拠なき粛清



 毒は、完全には抜けていなかった。


 ナザルが水を使って、足に回った毒をできる限り外へ流してくれた。


 水が皮膚を撫で、傷口から薄く濁った液体を吸い出す。

 血と毒と魔力が混ざった、嫌な色の水だった。


「これで動ける」


 俺は言った。


 ナザルは眉を寄せる。


「動けるだけだ。治ったわけじゃねぇぞ」


「分かってる」


「分かってるやつの返事じゃねぇんだよなぁ、それ」


 ナザルはため息を吐いた。


 工場跡の奥では、毒針(どくばり)のヨルドが拘束されている。


 リスティアが触れて、いくつか残滓を拾った。

 ヨルド本人は、最後までまともに吐かなかった。


 ただ、完全に無言を貫けたわけでもない。


 俺の名前で出された偽の移送命令。

 ニオを外縁区の倉庫へ移した下部組織。

 ヨルドがこの場所で待っていた理由。

 そして、金庫を開けた呪符の管理元。


 線は、かなり絞られていた。


 グレイス。


 オルガンの補佐の一人。

 頭脳派の実務屋。

 帳簿、組織改革、呪符管理に関わる男。


 そして、カイルと近かった男。


 けれど、まだ足りない。


 カイルは消えた。

 ヨルドは捕らえた。

 ニオは生きている。


 状況証拠は揃っている。


 だが、最後の尻尾だけが掴めていない。


「まずはオルガンのところだな」


 ナザルが言った。


「グレイスはオルガンの補佐だ。いきなり引っ張るより、上を通した方が早い」


「オルガンが関わってる可能性は?」


「低い」


 リスティアが答えた。


「オルガンの匂いは、今のところない」


「匂いって言い方、毎回怖いんだよな」


 ナザルがぼやく。


 リスティアは気にしていない。


「グレイスは?」


「ある」


 その一言で、空気が少し重くなった。


 ニオは、縛られたままこちらを見ていた。


 目は赤い。

 泣いたのか、恐怖で血走っているのかは分からない。


 俺はニオを見ないようにして、短剣を腰へ戻した。


「ハルト……」


 ニオが、かすれた声で呼んだ。


 俺は足を止めなかった。


「まだ殺さない」


 それだけ言った。


 ニオの息が、詰まったのが分かった。


 許したわけじゃない。

 助けたわけでもない。


 ただ、まだ殺せないだけだ。


 こいつを殺すためにも。

 奥で絵を描いたやつを引きずり出すためにも。


 今は、まだ。


 俺たちはヨルドの身柄を部下に預け、オルガンの邸へ向かった。




 オルガン邸は、相変わらず硬い。


 石の壁。

 重い門。

 無駄のない通路。


 ここに来るたび、建物そのものが眉間に皺を寄せているように見える。


 書斎に通されると、オルガンは机の前に座っていた。


 茶色い髭。

 片眼鏡。

 机の上には帳簿と地図。


 俺たちを見ると、オルガンはすぐに顔を上げた。


「戻ったか」


「証拠を持ってきました」


 俺が言うと、オルガンは目を細めた。


「聞こう」


 俺は、順番に話した。


 レヴィン邸の裏口に残っていた、消された痕跡。

 高等解錠魔法を使える者が限られること。

 その中で、識別を消す必要があるのはカイルだということ。

 金庫を開けた呪符の残滓が、グレイス管理下の保管符に近いこと。

 カイルが昨日から姿を消していること。

 カイルとグレイスが、港の金庫管理や帳簿、組織改革の話でよく一緒にいたこと。

 そして、俺の名で出された偽の移送命令と、ヨルドの襲撃。


 オルガンは、最後まで口を挟まなかった。


 ただ、片眼鏡の奥の目だけが、少しずつ鋭くなっていく。


「グレイスを呼べ」


 オルガンが言った。


 部屋の隅に控えていた者が、すぐに頭を下げて出ていく。


 ナザルは腕を組んだまま、壁にもたれた。


 リスティアは椅子に座らず、窓辺でぼんやりと立っている。


 セリカは俺の少し後ろ。


 俺は足の毒を意識しないようにした。


 鈍い熱が残っている。


 動ける。

 だが、万全じゃない。


「ハルト」


 ナザルが小声で言った。


「無茶すんなよ」


「もう遅いだろ」


「だよな」


 ナザルは苦笑した。


 しばらくして、扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 入ってきた男は、落ち着いた足取りだった。


 グレイス。


 細身の男だった。

 整えられた髪。

 きっちりとした服。

 目元には、疲れよりも計算がある。


 オルガンの補佐の一人。

 頭脳派の実務屋。


 自分に疑いが向いていることくらい、分かっているはずだった。


 それでも、表情は崩れていない。


「お呼びでしょうか、オルガン様」


「ああ」


 オルガンは短く答えた。


「レヴィンの件で、いくつか確認する」


「承知しました」


 グレイスは、俺たちを見た。


 ほんの一瞬だけ、視線がヨルドのいないことを確認したように動く。


 ヨルドが失敗したことは、想定外だったはずだ。


 ニオもハルトもまとめて消す。

 カイルは先に隠す。

 自分は上手くいけば残り、失敗すれば逃げる。


 そんな絵だったのだろう。


 けれど、グレイスは逃げなかった。


 普通に呼ばれて、普通に来た。


 その胆力だけは、大したものだった。


「まず、カイルが消えた」


 オルガンが言う。


「昨日から姿を見せていないそうだな」


「ええ。聞いております」


 グレイスは静かに答えた。


「困ったものです。彼は優秀でしたから」


「随分落ち着いてるな」


 ナザルが言った。


「お前、カイルと仲良かったんだろ?」


「仲は良かったですね」


 グレイスは平然と認めた。


「港の金庫管理、帳簿の共有、組織改革。話すことは多かった」


「カイルが消えた理由に心当たりは?」


「仕事がブラックすぎて嫌になったのでは?」


 グレイスは、微笑みすら浮かべて言った。


 ナザルのこめかみが動く。


「お前な……」


「冗談です。ですが、実際に彼がなぜ姿を消したのかは知りません」


「レヴィン邸の裏口を開けた可能性がある」


 俺が言うと、グレイスは俺を見る。


「可能性、ですか」


「この国であの精度の解錠ができる者は限られている。カイルはその一人だ」


「そうですね」


「しかも、識別が消されていた」


「では、なおさら外部の優秀な鍵師では?」


「外部なら識別を消す必要がない」


 リスティアが言った。


「未登録の魔力配列が残るだけ。黒牙内部の犯行とは見られない」


 グレイスは、リスティアを見る。


「なるほど。第十席の見立てですか」


「うん」


「では、そうなのでしょう」


 あっさり認める。


 だが、次の瞬間には逃げ道を作る。


「ただ、それはカイルに関する推測ですね」


 部屋の空気が、少しだけ固まった。


 グレイスは続ける。


「カイルが関わっていた可能性はある。私もそう思います。ですが、私が関わっていた証拠にはならない」


「金庫を開けた呪符は、あなたの管理下のものに近い」


 リスティアが言った。


「近い、ですか」


 グレイスは穏やかに返す。


「呪符は多くの部署で扱われます。管理下のものに近い魔力の質があったとして、それを私が渡した証拠にはならない」


「ヨルドは捕らえた」


 ナザルが言う。


「偽の移送命令も出てる。ハルトの名前を使ってな」


「それは大変ですね」


「他人事みたいに言いやがって」


「他人事ですので」


 グレイスの声は、最後まで崩れない。


「状況証拠はある。けれど、証拠はない。そういう話では?」


 腹の奥が、冷えた。


 こいつは、分かっている。


 全部めくれかけていることも。

 逃げ道が細くなっていることも。


 それでも、最後の一本を掴ませなければいい。


 そう思っている。


「グレイス」


 俺は言った。


「お前が絵を描いたんだろ」


「推測ですね」


「ニオに指輪を盗ませた。カイルに裏口を開けさせた。ヨルドにニオを消させようとした」


「推測ですね」


「俺の名前で偽命令を出した」


「推測ですね」


 同じ言葉。


 同じ声。


 人間の顔をした壁だった。


 ナザルが一歩前に出る。


「じゃあ、リスティアに見てもらえばいい」


 グレイスの目が、ほんの少しだけ動いた。


 リスティアが、静かにグレイスを見る。


 淡い瞳。


 何もかも見透かすような目。


「触れば、分かる」


 リスティアは言った。


「過去も、残滓も、少し」


 グレイスは沈黙した。


 その沈黙は、短かった。


 だが、この部屋にいる全員が意味を理解するには十分だった。


「拒否します」


 グレイスは言った。


 ナザルの眉が跳ねる。


「……あ?」


「第十席の感知は、黒牙では証拠として扱われる」


 グレイスは落ち着いていた。


「だからこそ、私は拒否します」


「それが怪しいって言ってんだろうが!」


「怪しいことと、証拠があることは違います」


 ナザルの足元で、水が揺れた。


「ふざけんな。リスティアに見られたら終わるから逃げてるだけだろ」


「その通りです」


 グレイスは、あっさり認めた。


「だから拒否している」


 部屋の空気が、さらに冷える。


「では、どうしますか」


 グレイスは俺を見た。


「状況証拠で私を粛清しますか?」


「……」


「なら、粛清してください」


 グレイスは静かに言った。


「証拠なき粛清なら、粛清返しが認められる。あなたも、よくご存じでしょう。ハルト様」


 その瞬間、ナザルが一歩前に出た。


「てめえ……」


 水が、床を這った。


「てめえのせいで、ハルトは粛清されかけたんだろうが!!」


 怒号が響く。


 いつもの軽さはなかった。


 港で見せた眠そうな顔も、笑って誤魔化す癖も、全部消えていた。


「証拠がねぇ? 推測だ? リスティアに見られたら終わるから逃げてるだけだろ!!」


「ナザル」


 俺は、思わず名前を呼んだ。


 ナザルが振り返る。


「ハルト……?」


「ありがとう」


 その言葉に、ナザルは一瞬だけ黙った。


 でも、すぐに眉を寄せる。


「礼言ってる場合じゃねぇだろ。お前は毒を受けてる。今じゃねぇ」


「……」


「リスティアの感知で詰める。こいつが拒否してるなら、拒否してることごと団長に――」


「俺は」


 俺は、ナザルの言葉を遮った。


王牙幹部(レガリアファング)だ」


 空気が、少し変わった。


 自分で口にして、初めてその重さが分かった。


 王牙幹部。


 黒牙の牙。


 誰かに守られる側ではない。


 粛清場で、ただ殴られ、切られ、殺されかけた灰鼠(はいそ)ではない。


 俺は、黒牙第六席。


 王牙六領(ヘキサレイン)


 この席に座った以上、逃げられない。


「第六席として、その粛清を請け負う」


 グレイスが、ゆっくりと笑った。


「ふふ。そう来ると思いましたよ」


 ナザルが低く舌打ちする。


「ハルト、お前……」


「ナザル」


 俺は短く言った。


「毒を抜けるだけ抜いてくれ」


「……完全には無理だぞ」


「動ければいい」


「馬鹿かよ」


「知ってる」


 ナザルは、乱暴に頭をかいた。


 それから、水を呼んだ。


 足元に流れた水が、俺の傷口へ絡みつく。


 冷たい。


 足の奥に残っていた毒の熱が、少しずつ引いていく。


 だが、完全には消えない。


 鈍い熱が、まだ肉の奥に残っている。


「これ以上は無理だ」


 ナザルが言った。


「無理に動けば、また回る」


「十分だ」


「死ぬなよ、ヘキサレイン」


「ああ」


 俺はグレイスを見た。


「いいぜ、俺が裁く。後悔するなよ」


 グレイスは、穏やかに微笑んだ。


「ええ。後悔など、とうに済ませています」


 オルガンは、ずっと黙っていた。


 補佐の一人が、ここまで疑われている。


 その表情には、怒りも、失望も、迷いもあった。


 だが最後に、オルガンは俺を見た。


 茶色い髭の奥で、低く息を吐く。


「任せる」


 それだけだった。


 重い一言だった。


 グレイスは静かに頭を下げる。


「では、処刑場へ」


 処刑場。


 その言葉で、背中の奥が冷えた。


 かつて俺が、粛清される側として立たされた場所。


 血まみれで、誰にも信じられず、死ぬ寸前まで追い込まれた場所。


 今度は、俺が裁く側として立つ。


 皮肉にもほどがある。


 だが、ちょうどいい。


 粛清返しという逃げ道を選んだなら、その場所が一番似合う。




 処刑場には、すでに幹部たちが集まり始めていた。


 団長ゼギル。

 副団長ヴァイス。

 オルガン。

 ナザル。

 リスティア。

 そして、ほかの幹部たちも何人か。


 全員が、ことの行方を見届けるために来ている。


 広い石床。


 乾いた血の跡。


 空気の重さ。


 ここは、覚えている。


 体が覚えている。


 痛みも。

 恐怖も。

 怒りも。


 グレイスは、俺の向かいに立った。


 その表情は、最後まで穏やかだった。


「あなたは、あの時ここで生き残った」


 グレイスが言った。


「そして今、私は同じ掟に賭ける」


「一緒にするな」


「同じですよ」


 グレイスは微笑む。


「黒牙の掟は、誰にでも等しく牙を向ける」


 俺は短剣を抜いた。


 毒はまだ、完全には抜けていない。

 足の奥に、鈍い熱が残っている。


 それでも、前に出る。


 俺はもう、誰かに守ってもらう立場じゃない。


 黒牙第六席。

 王牙幹部。

 王牙六領(ヘキサレイン)


 この粛清は、俺が請け負う。


「始めるぞ」


 俺が言うと、グレイスの背後で、音がした。


 じゃらり。


 鎖の音。


 グレイスの影から、黒い鎖がゆっくりと伸びた。


 その先端が、まるで蛇のように石床を撫でる。


 グレイスは静かに笑った。


「では、証明しましょう」


 鎖が、跳ねる。


「私が、生き残るべきだと」

あとがき


第8話でした。


今回は、グレイスが最後の逃げ道として「粛清返し」に賭ける回です。


状況証拠はかなり揃っている。

カイル、ヨルド、偽の移送命令、グレイス管理下の呪符。

けれど、グレイス本人を完全に縛る決定的な証拠だけはまだない。


そこでグレイスは、黒牙の掟そのものを利用してきました。


リスティアの感知は、黒牙内では証拠になります。

だからこそ、グレイスは感知を拒否する。

怪しいことと、証拠があることは違う。

かなり腹立つ理屈ですが、グレイスらしい最後の逃げ道です。


そして今回は、ナザルにもかなり怒ってもらいました。

ハルトが粛清されかけたことに対して、本人より先に怒ってくれる人がいる。

ハルトにとっては、これも少し大きな変化だと思います。


ただ、ハルトはもう守られる側ではありません。

黒牙第六席。

王牙六領(ヘキサレイン)

王牙幹部(レガリアファング)


粛清返しで生き残ったハルトが、今度は粛清を請け負う側に立つ。

場所も同じ処刑場です。


次回は、グレイス戦。

頭脳派の男が、どんな形で生き残ろうとするのか。

そしてハルトが、毒の残る体でどう裁くのか。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

ブックマークや評価、本当に励みになっています。

面白いと思っていただけたら、応援してもらえると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ