第4話 牙宴
黒牙の幹部会合は、ただの会議ではないらしい。
「今回は牙宴ですので、食事もあります」
セリカはそう言った。
「飯つきの会議か」
「その認識で間違いありません。ただし、食事を楽しむ場だと思わないでください」
「思ってねぇよ」
「なら結構です」
セリカは、俺の襟元を直した。
黒い外套。
内側に縫い込まれた牙の紋。
いつもより硬い布。
動きにくい。
「これ、必要か?」
「必要です」
「戦いにくい」
「今日は戦いに行くのではありません」
「黒牙の幹部会合だろ。戦いみたいなもんじゃねぇの」
「その認識は、半分正解です」
「半分も正解なのかよ」
セリカは最後に、俺の胸元を軽く叩いた。
「あなたは黒牙第六席。王牙六領です」
その呼び名には、まだ慣れない。
けれど、セリカはもう一度、まっすぐに言った。
「今日は、その席に座る日です」
その席。
黒牙幹部としての席。
少し前まで灰鼠だった俺が、黒牙の上澄みどころか、幹部だけの食事会に出る。
笑える話だ。
ただ、笑っていられるほど軽くもない。
団長からの個別伝言。
牙宴では、最後まで残っていろ。
あれがある以上、ただの歓迎で終わるはずがなかった。
「セリカ」
「はい」
「お前は?」
「私は会場の外で待機します。牙宴に同席できるのは、基本的に幹部のみです」
「補佐でもダメなのか」
「今回は、です」
「今回は?」
「団長が必要と判断すれば、呼ばれるでしょう」
セリカはそう言って、扉へ向かった。
「では、行きます」
「ああ」
黒牙本部の奥。
普段は使われていないように見える長い廊下を抜ける。
壁には灯りがある。
だが、炎は揺れていない。
空気が妙に静かだった。
足音だけが響く。
セリカが扉の前で止まった。
黒い扉。
牙の紋。
余計な装飾はない。
ただ、扉の前に男がいた。
副団長、ヴァイス・オルディン。
黒牙の実務を握る男。
空間魔法の使い手。
無口で、何を考えているのかよく分からない。
俺を見ると、ヴァイスは短く言った。
「第六席」
「はい」
「入れ」
それだけだった。
セリカが一歩下がる。
「ハルト様。私は外で」
「分かった」
セリカは小さく頭を下げた。
ヴァイスが扉に手を触れる。
扉が開いた。
その瞬間、音が消えた。
廊下の空気。
外の気配。
遠くの人の声。
全部が、ぷつりと切れる。
俺は思わず足を止めた。
「……何ですか、これ」
「会場は外と切り離している」
ヴァイスが淡々と言った。
「この中の声は外へ漏れない。外からの干渉も受けない」
「空間魔法ですか」
「そうだ」
短い。
説明はそれで終わりらしい。
扉の向こうには、広い部屋があった。
長い食卓。
並べられた皿。
磨かれた杯。
黒い燭台。
食事会の形はしている。
だが、くつろげる空気ではなかった。
最上座には、団長ゼギル・ヴァルグ。
黒牙の王。
レヴィンの兄。
座っているだけで、部屋の重さが変わる。
その横に、副団長ヴァイスが立つ。
長い食卓は、団長から見て左右に分かれていた。
片側には、第二席、第四席、第六席、第八席、第十席。
偶数席の幹部たち。
反対側には、第一席、第三席、第五席、第七席、第九席。
奇数席の幹部たち。
俺の席は、偶数席側の中央。
第四席イグニスと、第八席ミレーユの間だった。
品定めされている。
食卓に出された料理ではなく、俺が皿の上に乗せられているような感覚だった。
「来たか」
ゼギルが笑った。
「金剛砕き」
「……はい」
「硬ぇな」
「慣れてないんで」
「だろうな」
ゼギルは楽しそうに笑った。
その声だけで、少し空気が動く。
「座れ。お前の席はそこだ」
示された席。
王牙六領。
俺はそこへ向かった。
その途中で、嫌でも周りが目に入る。
第一席の席には、眠そうな男が座っていた。
だらしなく椅子にもたれ、目を半分閉じている。
やる気がなさそうだ。
場違いなくらい緩い。
だが、誰も注意しない。
第一席、ルークス・ノア。
王牙一領。
右目の奥で、ルシファーが何も言わなかった。
沈黙。
それが逆に気味悪かった。
第二席の女は、細く長い脚を組んで、こちらを見ていた。
冷たい美人。
けれど、目の奥がどこか遠い。
起きているのか、寝ているのかも分からない。
神風のシオン。
王牙二領。
彼女は、俺の歩き方を見ると、少しだけ笑った。
「エイベルに風を習ったらしいね」
「ああ。それが?」
「足は止めない方がいいよ」
シオンは、眠っているのか起きているのか分からない目で言った。
「止めたら、死ぬから」
それだけ言って、シオンはまた目を細めた。
会話が終わったらしい。
第三席には、大男がいた。
静かだ。
武器は持っていない。
だが、座っているだけで重い。
まるで、そこだけ重力が濃い。
破壊のマグナ。
王牙三領。
その隣には、小柄な少女が立っていた。
男の子のようにも見える。
だが、目だけは鋭い。
「変な魔力ッスね」
少女が小さく言った。
マグナが低い声でたしなめる。
「やめとけ」
「了解ッス」
それだけで、二人の関係が少し分かった。
第四席、イグニス・バロウ。
赤みを帯びた髪。
柔らかい笑み。
足を組んでいる姿は少し気だるげなのに、目だけはよく人を見る。
回炎のイグニス。
王牙四領。
俺が近づくと、イグニスは杯を指で揺らしながら笑った。
「君がハルトか」
「ああ」
「ふうん。エイベルが拾った子って聞いてたけど、思ったより目つき悪いね」
「褒めてるのか?」
「半分くらいは」
「半分は?」
「可愛いって意味」
「からかってるだろ」
「ばれた?」
さらっと笑う。
姉御というより、気さくで少し距離が近いおねーさん、という感じだった。
ただ、その視線が俺の腰に落ちた瞬間、笑みがほんの少しだけ変わった。
黒い短剣。
イグニスは一瞬だけ、それを見る。
ほんの少し、寂しそうな目をした。
何かを言いかけて、けれど言わなかった。
「……似合ってるよ」
その一言だけだった。
「そうか」
「雑に扱ったら怒るけどね」
「扱わねぇよ」
「ならいい」
イグニスはまた柔らかく笑った。
第五席、レオンハルト・グレイヴ。
対面側に座るその男は、ほとんど喋らなかった。
年は三十代前半くらいだろうか。
背筋は真っ直ぐ。
手は膝の上。
酒杯にもほとんど触れていない。
ただ、隙がない。
座っているだけなのに、剣を抜いているような静けさがあった。
王牙五領。
俺が席につこうとした時、レオンハルトは短く言った。
「……体の使い方が荒いな」
「は?」
「壊れるぞ。そのままでは」
それだけ言って、レオンハルトは黙った。
何だ、この食事会。
入って数歩で、何人に刺されてるんだ。
俺はようやく自分の席に座った。
隣にはイグニス。
反対側にはミレーユ。
第八席、ミレーユ・カルト。
念糸のミレーユ。
王牙八領。
色っぽい笑みを浮かべている。
視線が絡むように伸びてくる。
見られているだけで、何かを探られている気がした。
対面側には、第七席のオルガン・メイザー。
茶色い髭を蓄えた、髭もじゃの爺さん。
片眼鏡。
頑固そうな顔。
鉄壁のオルガン。
王牙七領。
さらに遠くに、第九席のナザル・ウォーレン。
大海のナザル。
王牙九領。
目の下には薄い隈があるのに、妙に明るい。
「お、金剛砕きさんよぉ。ちゃんと席に座れてるじゃん」
「座るくらいできる」
「いやー、こっちは最近座る暇もなくてさ。まじで港が俺を寝かせてくれねぇんだよ」
「寝ろよ」
「寝たい! めちゃくちゃ寝たい!」
声がでかい。
けれど、不思議と嫌な感じはしない。
そして、第十席。
リスティア・セイン。
白く綺麗な長髪。
淡い色の瞳。
可愛い、という言葉が似合う見た目なのに、目が妙に深い。
全てを見透かすような。
夢に微睡んでいるような。
何の意味もないものを見ているような。
感知のリスティア。
王牙十領。
俺が席についた瞬間、リスティアはすっと近づいてきた。
近い。
「あなた」
「近い」
「過去が見えない」
「……は?」
「普通は少し見える。でも、あなたは見えない」
右目の奥が、わずかに痛んだ。
リスティアは俺の顔を覗き込む。
距離が近すぎる。
「おい、リスティア」
ナザルが軽く声をかけた。
「その距離は新入りがびっくりするだろ。俺も最初びっくりしたし」
「……」
リスティアは無視した。
ナザルが固まる。
「無視!? まじかよ!? 傷つくよ!?」
この部屋で落ち込めるのは、ある意味すごい。
リスティアはまだ俺を見ている。
「近くないと、分からない」
「分からなくていい」
「よくない」
「俺がよくない」
リスティアは首を傾げた。
会話になっているのか分からない。
「そこまでにしろ、リスティア」
ヴァイスが静かに言った。
リスティアは、すっと席に戻った。
意外と素直だ。
いや、ヴァイスの声にだけ反応したようにも見えた。
全員が席につく。
料理が運ばれ、杯が満たされた。
だが、誰もまだ手をつけない。
最上座のゼギルが杯を持ち上げた。
「黒牙に、新たな牙が増えた」
その視線が、俺に向く。
「灰鼠上がり。粛清返し。金剛砕き」
ゼギルは、少しだけ笑った。
「そして今は、王牙六領」
部屋の空気が、静かに重くなる。
「新たな牙に」
ゼギルが言う。
幹部たちが杯を上げた。
「新たな牙に」
声が重なった。
歓迎に聞こえた。
けれど、どこかで獲物に牙を立てる音にも聞こえた。
俺も杯を上げる。
「……新たな牙に」
そう言って、杯に口をつけた。
酒は強かった。
喉が焼ける。
「うわ、強……病み上がりなんだけど」
思わず呟くと、隣のイグニスが楽しそうに笑った。
「じゃあ消毒だな。必要じゃん」
「酒飲みの言葉だな」
「褒め言葉だ」
イグニスは杯を軽く掲げて、少しだけ飲んだ。
レオンハルトは、それを対面から静かに見ていた。
「飲み過ぎるな」
「まだ一杯目だよ」
「お前の一杯目は信用ならん」
「うるさいなぁ、今日は大人しくしてるって」
イグニスが笑う。
レオンハルトはそれ以上言わない。
怒っているわけではなさそうだった。
幹部たちが、少しずつ食事に手をつける。
だが、会話はすでに始まっていた。
「平和税か」
ゼギルが言った。
「面白いことをするな」
杯を持つ手が、わずかに止まる。
やっぱり、もう知られている。
「薬を切るなら、代わりが必要なので」
「一般層まで薄く取る。払った家には印を入れる。黒印、牙印、王牙印だったか」
「はい」
「薬より広く、恐怖より長く取れる。悪くねぇ」
ゼギルは少し笑った。
「次は何をしてくれるんだ?」
その声は軽い。
けれど、部屋の視線がこちらを向いた。
俺は少しだけ息を吐いた。
「ニオを殺します」
空気が、少し変わった。
ただの目的ではない。
黒牙の掟に触れる言葉だった。
食卓に、細い刃が置かれたような沈黙が落ちる。
「それと」
俺は続けた。
「エイベルの娘を探します」
イグニスの手が、止まった。
「娘?」
「ああ。エイベルには、探していた娘がいる。生きているかも分からない。でも、俺は探すって約束した」
「……そう」
イグニスは、少しだけ目を伏せた。
「手伝おうか」
「え?」
「エイベルには、少し世話になったからね。私で役に立てるなら、声かけな」
軽い言い方だった。
でも、軽いだけではなかった。
「……助かる」
「いいよ。肉くらい焼くし、火も出せる」
「肉関係あるのか」
「大体ある」
「雑だな」
「褒め言葉だって」
イグニスは柔らかく笑った。
その笑みを見て、少しだけ分かった気がした。
この人は、人に踏み込みすぎない。
でも、離れすぎもしない。
エイベルと話していたというのも、少し分かる。
「第六席」
今度はヴァイスが言った。
「薬を潰す件について、収益低下と反発処理はどうする」
「収益は平和税で補います。反発層は、力と仕事で抑え込みます」
ヴァイスの目が、わずかに細くなった。
「力と仕事?」
「暴れるやつは、ダリオに抑えさせます。薬を売りたいだけのやつ、俺に楯突きたいだけのやつは、力で黙らせる」
俺は続けた。
「ただ、全員潰すと人手が足りない。薬から離れる気があるやつは、平和税の集金、黒牙刻印、加入確認、巡回に回します」
「売人を使うのか」
「薬で腐らせる側から、治安を売る側に変える。できないやつは潰す。できるやつは使う」
ヴァイスは少しだけ黙った。
「ダリオか」
低い声だった。
「暴れ馬だ。手綱を離すなよ」
「分かりました」
「分かっている人間は、そういう返事をしない」
「最近そればっか言われるんですけど」
ゼギルが笑った。
「お前、信用ねぇな」
「団長に言われると複雑ですね」
「口も慣れてきたじゃねぇか」
部屋の空気が少しだけ緩む。
だが、オルガンだけは平和税の部分に食いついていた。
「黒印、牙印、王牙印の三段階か」
オルガンが片眼鏡の奥で目を細めた。
「従来のショバ代とは違うな」
「金を取りやすいところから太く取るだけじゃなく、母数を増やします」
「一般層まで保護対象に入れるわけか」
「はい。払わないやつは咎めない。ただし、何かあっても助けない」
オルガンは茶色い髭を撫でた。
「薬を捨てるのは愚策だ」
「でしょうね」
「だが、治安を商品にする発想は悪くない」
頑固そうな爺さんに、少しだけ認められたらしい。
「刻印には識別魔法を使うつもりか」
「使えたらと思ってます。誰が払ってるか、どの建物が保護対象か分からないと回らない」
「正しい。印だけなら偽造される。識別魔法と紐づければ、管理はかなり楽になる」
「やれそうですか?」
「やれる」
即答だった。
「ただし、雑にやれば破綻する。経済と防衛は同じだ。穴があれば、そこから崩れる」
「防衛?」
「街中に識別できる刻印が散るなら、ただの徴税印では終わらん」
オルガンは片眼鏡を押し上げた。
「壁を作るにも、網を張るにも、支点が要る」
俺は少しだけ眉を寄せた。
「それ、面白いことができそうですね」
「すぐにはできん。だが、覚えておけ。刻印は金を取るためだけの印ではない。守る場所を定める印にもなる」
セリカがいたら、たぶん楽しそうな顔をしただろう。
いや、していませんと言うかもしれないが。
「恐怖ではなく、安心を売るのね」
ミレーユが、甘い声で言った。
「面白いわ」
「安心っていうほど綺麗なもんじゃない」
「あら、綺麗じゃないから面白いのよ」
ミレーユは笑う。
「人はね、恐怖だけでは動かないの。恐怖から逃げるための選択肢を用意すると、自分からその道を選ぶ」
選択肢を歪める。
この女は、そういうものを見ている。
「あなた、意外と人を動かすのが上手いのかもしれないわね」
「褒めてるのか?」
「もちろん」
信用できない笑顔だった。
「薬の流れは港にも来る」
ナザルが、少しだけ真面目な顔になった。
「港湾側で流れを切るなら、俺にも話を通してくれ。水路で流してるやつもいるからな」
「ああ、頼む」
「任せろ。これでまた寝れなくなったな」
「寝ろよ」
「寝たいって言ってんだろ!」
ナザルは笑った。
だが、その目はちゃんと起きている。
水路と港を握る男。
明るいだけじゃない。
「薬で揉めるなら、燃やせば早いんじゃない?」
イグニスが軽く言った。
「解決法が物騒すぎる」
「でも早いよ」
「燃やすと他のものも燃えるだろ」
「そこは調整するって」
「調整できるのかよ」
「できる女なんで」
イグニスは杯を揺らす。
すると、向かいのオルガンが眉を寄せた。
「お前の調整は信用ならん。前に倉庫の壁を三枚焼いただろう」
「あれは燃えやすい壁が悪い」
「壁のせいにするな」
「はいはい」
「はいは一回だ」
「お父さんかよ」
イグニスが笑う。
オルガンは深くため息を吐いた。
幹部会合。
もっと殺伐としていると思っていた。
派閥がある。
団長派。
武闘派。
頭脳派。
無派閥。
それぞれやり方も価値観も違う。
だが、常に喉元へ刃を突きつけ合っているわけではないらしい。
怒ったり、笑ったり、話し合ったり。
同じ獣の中にいる。
ただ、噛み方が違うだけ。
そんな感じだった。
ふと、イグニスが俺の方を見た。
「ハルト」
「何だ」
「今度、肉焼くから来いよ」
「俺が、第四席のところに?」
「第四席じゃなくて、イグニスでいいよ」
イグニスは笑った。
「私もハルトって言うしな」
「……分かった」
「よし。若い子は食べなきゃね」
「それ、完全におねーさんの言い方だな」
「おねーさんだからね」
否定しないのか。
少しだけ笑いそうになった。
食事が進む。
だが、俺はずっと、どこか落ち着かなかった。
この部屋には、強さの種類が多すぎる。
場を支配するゼギル。
逃げ道を消すヴァイス。
存在そのものが気味悪いノア。
時間の外にいるようなシオン。
黙って座るだけで重いマグナ。
柔らかいのに火の匂いがするイグニス。
静かに隙がないレオンハルト。
経済と防衛を同じ目で見るオルガン。
人の選択肢を見て笑うミレーユ。
明るいのに港と水路を握るナザル。
そして、何もかも見透かしそうなリスティア。
化け物の食事会。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
その中に、俺の席がある。
まだ場違いだ。
でも、席はある。
王牙六領。
第六席、ハルト。
食事が終わりに近づいた頃、ヴァイスが淡々と議題をまとめた。
「銀翼残党については、各領域で監視を強化する。外縁区周辺は第六席が主担当。港湾への流入は第九席。情報収集は第八席」
「了解」
ナザルとミレーユがそれぞれ返す。
「薬の撤廃と平和税については、第六席の試験運用とする。第七席は識別魔法と刻印管理について助言を行う」
「よかろう」
オルガンが頷いた。
「ダリオを使うなら、繰り返すが手綱を離すな。あれは役に立つが、放置すれば問題も大きくする」
「分かりました」
「ならいい」
ヴァイスはそれだけ言った。
その後は、少しだけ談笑のような時間があった。
ナザルがリスティアに話しかけて、また軽く無視されて死んでいる。
「無視二回目!? まじかよ、今日寝れねぇよ!」
「元から寝てないだろ」
イグニスはオルガンにまた怒られている。
マグナは隣の少女に何かを聞かれ、短く答えていた。
少女は「了解ッス」と頷いている。
あの二人は、言葉が少なくても通じているらしい。
シオンは口数こそ少ないが、ナザルに話しかけられると、少し遅れて返事をしていた。
時間がずれているような、妙な間だった。
黒牙幹部。
思っていたより、人間味があった。
だからこそ、余計に怖い。
化け物でも、飯は食う。
笑う。
怒る。
誰かを気にかける。
その上で、人を殺せる。
「今日はここまでだ」
ゼギルの一言で、牙宴が終わる。
幹部たちが、それぞれ席を立ち始めた。
イグニスは最後に俺の肩を軽く叩いた。
「肉の件、忘れんなよ」
「ああ」
「あと、その短剣」
イグニスの声が、少しだけ柔らかくなる。
「似合ってる。でも、まだ少し重そうだ」
「……分かるのか」
「まあね」
彼女は笑った。
「そのうち、ちゃんと馴染むよ」
それだけ言って出ていった。
レオンハルトはすれ違いざまに、また短く言った。
「体を壊す前に、使い方を習え」
誰に、とは言わなかった。
やがて、部屋から幹部たちが消えていく。
俺も立とうとした。
だが。
「ハルト」
ゼギルの声がした。
足が止まる。
「お前は残れ」
やっぱり来た。
俺はゆっくりと座り直す。
部屋に残ったのは、団長ゼギル。
副団長ヴァイス。
第一席ノア。
第十席リスティア。
そして俺。
ノアはまだ眠そうな顔をしている。
だが、さっきまでとは空気が違った。
セリカはいない。
他の幹部もいない。
食事の匂いが残っているはずなのに、部屋は妙に冷えていた。
ゼギルが口を開く。
「ニオは、まだ殺すな」
心臓が、一つ強く鳴った。
「……なぜですか」
「お前、ニオ一人で全部やれると思うか?」
答えは、すぐに出なかった。
ニオは刺した。
レヴィンを殺した。
指輪を持ち出した。
そう聞いている。
けれど、確かに。
裏口。
金庫。
指輪。
黒牙の双環。
俺に渡されたお守り。
粛清場。
あれ全部を、ニオ一人で描けるのか。
その時、脳裏にいくつかの光景が浮かんだ。
水路沿いの路地。
倉庫の裏口。
市場の端の、使われていない井戸のそば。
ニオは何度か、顔を隠した男と話していた。
そのたびに、少しだけ様子がおかしかった。
笑うのが遅く、返事が短く、荷物を持つ手に力が入っていた。
あれは、ただの知り合いじゃなかった。
「思わないだろ」
ゼギルが言った。
「ニオは刺した。だが、絵を描いたやつは別にいる」
絵を描いたやつ。
その言葉が、部屋に落ちる。
ヴァイスが静かに続けた。
「ニオは生き証人だ。殺せば線が切れる」
胸の奥が冷えた。
ニオを殺す。
そのために強くなると決めた。
そのはずだった。
けれど。
「今は、まだだ」
ゼギルが言った。
「黒牙の内部を探れ。レヴィンを殺した絵を描いたやつは、外じゃねぇ。内側にいる」
俺は拳を握った。
「……分かりました」
言葉は出た。
納得は、まだできていない。
でも、分かる。
ニオを殺せば、線が切れる。
レヴィンを殺した事件の奥にいる者を、引きずり出せなくなる。
「ニオを殺すためにも」
俺は、ゼギルを見た。
「俺が犯人を見つけ出します」
ゼギルは、少しだけ笑った。
「それでいい」
ゼギルはリスティアを見る。
「リスティアをつける」
リスティアが、こちらを見た。
淡い瞳。
夢に微睡むような目。
「よろしく」
近い。
いつの間にか、席を移動していた。
「近い」
「近くないと分からない」
「今じゃなくていいだろ」
「今も分かる」
ヴァイスが淡々と言った。
「第十席の感知能力は、今回の調査に必要だ。現場の残滓、魔力識別、当時の気配。彼女なら拾える可能性がある」
ゼギルが最後に言った。
「ハルト」
「はい」
「黒牙の内側を探れ」
団長の目が、深く沈む。
「俺の弟を殺したやつと、その奥で絵を描いたやつまでな」
その言葉で、牙宴は本当に終わった。
新たな牙を迎える食事会。
その裏で、黒煙の死が、また動き始めた。
第4話でした。
今回は、黒牙幹部だけが集まる幹部会合、牙宴の回です。
ハルトが初めて王牙六領として席に座り、黒牙の上層部と顔を合わせました。
ちなみに「レイン」は雨ではなく、支配・統治を意味する reign から取っています。
黒牙の幹部たちは、それぞれの領域を支配する牙、というイメージです。
第一席、王牙一領ノア。
第二席、王牙二領シオン。
第三席、王牙三領マグナ。
第四席、王牙四領イグニス。
第五席、王牙五領レオンハルト。
第七席、王牙七領オルガン。
第八席、王牙八領ミレーユ。
第九席、王牙九領ナザル。
第十席、王牙十領リスティア。
全員かなり癖のある幹部たちですが、今回は初顔合わせなので、細かい能力説明よりも「どういう空気の人間か」を中心に書いています。
個人的には、黒牙幹部たちはただ殺伐としているだけではなく、笑ったり怒られたり、普通に会話したりする組織にしたかったです。
派閥はありますが、常にギスギスしているというより、仕事のやり方や価値観が違う者たちが同じ黒牙にいる、という感じです。
そして、ハルトの平和税も少しずつ上層部に認められ始めました。
黒印、牙印、王牙印。
薬で腐らせるのではなく、治安を売る。
この仕組みは、今後のハルトのシマ作りにも関わっていきます。
ただし、牙宴の本題は歓迎だけではありませんでした。
ニオはまだ殺すな。
黒牙の内部を探れ。
レヴィンを殺した事件の裏には、ニオだけではない誰かがいる。
次回からは、リスティアと共にレヴィン事件の真相へ近づいていきます。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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面白いと思っていただけたら、応援してもらえると嬉しいです。




