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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第三章 黒煙と双環

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第2話 金剛砕きのシマ



 寝台から出る許可が下りたのは、さらに二日後だった。


 許可と言っても、クロードが静かに頷いただけだ。


「歩くだけです。走らない。戦わない。魔法を使わない。痛みが増したら、すぐに戻ってください」


「子どもかよ」


「子どもでも、もう少し自分の身体を大切にします」


「信用ねぇな」


「信用の問題ではありません。あなたの傷の問題です」


 クロード・ヴェインは、穏やかな声でそう言った。


 怒鳴らない。

 責め立てない。

 けれど、言葉の芯は硬い。


 この人は優しい。

 たぶん、本当に優しい。


 だからこそ、命に関わることでは一歩も引かない。


「あなたは重傷です。金剛と呼ばれる相手の攻撃を受け、内臓にも負担が残っています。歩けることと、無理をしていいことは違います」


「分かってる」


「分かっている人は、まずそういう返事をしません」


「先生、地味に刺すな」


「刺さる程度には、心当たりがあるのでしょう」


 クロードは淡々と言いながら、包帯の状態を確かめた。


 手つきは丁寧だった。

 指先に無駄な力がない。


 俺の身体を、壊れかけの荷物ではなく、ちゃんと命として扱っているのが分かる。


「視察に行くのであれば、時間は短くしてください。息が乱れたら止まること。胸に痛みが走ったら戻ること。身体が冷えすぎる場所にも長くいないこと」


「注文多いな」


「あなたが少なすぎるんです」


「何が」


「自分を守るための判断が」


 言い返せなかった。


 クロードは小さく息を吐く。


「あなたを治すのは、私の仕事です。ですが、治した身体をまた壊されるのは、気分のいいものではありません」


「……悪い」


「謝罪より、安静を守ってください」


「それが一番難しい」


「でしょうね」


 穏やかな声なのに、なぜか逃げ場がない。


 エイベルとは別方向で、厄介な大人だった。


「ハルト様」


 部屋の扉の前で、セリカが待っていた。


 黒髪をきっちりまとめ、手には書類と地図。

 腰には糸に繋いだ短剣。


 いつも通りの顔だ。


 ただ、呼び方だけが変わった。


「……やっぱりむずむずするな、それ」


「慣れてください」


「努力はしてる」


「努力の成果が見えません」


「早すぎるだろ」


「本日はシマの視察です。無駄口で体力を使わないでください」


「その言い方、上司にするやつか?」


「補佐ですので」


 便利な言葉だ。


 俺は寝台の横に置いていた黒い短剣を腰に差した。


 エイベルの短剣。


 まだ、少しだけ重い。


 物理的な重さではない。

 腰に差すたび、胸の奥に小さな石が沈む。


 それでも、置いていく気にはなれなかった。


「行きますよ、ハルト様」


「ああ」


 部屋を出る。


 廊下には、黒牙の構成員が数人控えていた。


 俺を見るなり、背筋を伸ばす。


「第六席」


「ハルト様」


金剛砕き(こんごうくだき)のハルト様」


 呼ばれるたびに、身体の内側が変なふうにざわついた。


 様付け。

 第六席。

 金剛砕き。


 どれもまだ、自分のものとは思えない。


 少し前まで、俺は灰鼠(はいそ)だった。


 荷車を押して。

 倉庫で荷物を運んで。

 ロッソやバルドに仕事を押し付けられて。

 ガルムに殴られ、粛清されかけた。


 それが今は、道を歩くだけで人が頭を下げる。


 変な話だ。


 俺自身はまだ、肋が痛い。

 腹の奥も鈍く痛む。

 少し歩くだけで、身体の芯が重い。


 なのに周りは、俺を怪物でも見るような目で見ている。


 屋敷の外へ出た瞬間、朝の光が目に刺さった。


 晩秋の冷たい空気が肺に入る。

 息をするだけで胸が痛んだ。


「顔色が悪いです」


「元からだろ」


「元より悪いです」


「観察が細かいな」


「仕事です」


 セリカは地図を開いた。


「本日見るのは、レヴィン様の管理していた酒場とカジノ、その周辺の商店街。それから銀翼から奪った外縁区の一部です」


「多くないか?」


「多いです」


「病み上がりなんだけど」


「歩くだけです」


「黒牙って、歩くだけの範囲がおかしいんだよ」


「文句を言える程度には回復しているようで何よりです」


 セリカが歩き出す。


 俺もその横を歩いた。


 護衛なのか、監視なのか、黒牙の構成員が数人ついてくる。


 街に出ると、空気が変わった。


 東の都ルヴェリア。


 高台に王城と新しい城下。

 低地には港、倉庫、市場、旧城下、外縁区。

 世界一の貧富の差を抱えながら、それでも人と金を吸い寄せ続ける巨大都市圏。


 その一部が、俺のシマになった。


 実感はない。


 でも、街の方は違った。


 通りを歩くと、露店の商人が目を逸らす。

 酒場の前で騒いでいた男たちが、急に声を落とす。

 荷を運んでいた若い男が、俺に気づいて道を空ける。


 小さな声が聞こえた。


「……あれが」


「金剛砕き……」


「灰鼠上がりだって話だぞ」


「嘘だろ。あれが銀翼の金剛を?」


「でも第六席だ。黒牙が認めたんだろ」


 こそこそとした声。

 怯え。

 好奇心。

 疑い。


 全部が混ざって、俺の背中にまとわりつく。


「銀翼の副団長も殺したんだろ」


「石畳に頭から叩きつけたって聞いたぞ」


「人間の力じゃねぇよ」


「しかも、黒煙様の件にも関わってたって……」


「声を落とせ。聞こえたら殺されるぞ」


 足は止めなかった。


 でも、胸の奥に小さく棘が刺さった。


 違う。


 俺はレヴィンを殺していない。


 そう言いたかった。


 けれど、言えなかった。


 言ったところで、誰が信じる。

 俺はレヴィンの指輪を持っていた。

 粛清場で引きずり出された。

 ガルムを殺した。

 金剛を砕いた。

 銀翼の副団長を石畳に叩きつけた。

 そして今、レヴィンのシマを継いで歩いている。


 噂だけ見れば、出来すぎている。


 それに。


 右目の奥で、ルシファーが静かに沈んでいる。


 悪名は力になる。

 恐怖は、俺を押し上げる。

 誤解ですら、喰われる。


 レヴィン殺しの噂を否定すれば、少しは楽になるかもしれない。

 でも、その恐怖まで捨てることになる。


 俺はもう、そういう場所に立っていた。


 濡れ衣すら、使わなければ生き残れない場所に。


 恐怖と支配を、力に変える。


 それが悪名(あくみょう)になる。

 それが堕落の王(ルシファー)を育てる。


 なら、これはただの噂じゃない。


 深淵に近づくための餌だ。


 そう思った瞬間、胸の奥が少し冷えた。


 俺は今、否定したいものまで喰っている。


 その時、右目の奥が、ずきりと痛んだ。


 視界の端に、黒い文字が浮かぶ。


悪名(あくみょう)を確認】


金剛砕き(こんごうくだき)


 足が止まりそうになった。


 セリカが横目でこちらを見る。


「どうしました」


「……いや」


 右目の奥で、さらに文字が増える。


【周辺認識の変化を確認】


【ステータスを大幅更新しました】


堕落の王(ルシファー)は、あなたの悪名(あくみょう)を歓迎します】


「歓迎すんなよ」


 思わず呟いた。


「何か?」


「こっちの話」


 セリカは一瞬だけ目を細めたが、それ以上は聞かなかった。


 ステータスの奥が、熱い。


 いや、冷たいのか。


 身体の内側に、前より強い出力が眠っているのが分かる。

 筋肉の奥。

 骨の芯。

 呼吸の下。


 何かが、前より深く沈んでいる。


 強くなった。

 そう言えば、そうなのかもしれない。


 でも、素直にそう思えなかった。


 今のこれは、自分の身体に大きすぎる刃物を突っ込まれたような感覚だった。


 抜けば斬れる。

 でも、持ち方を間違えれば自分も裂ける。


 金剛砕き。


 周りがそう呼ぶたび、身体の奥でルシファーが静かに笑っている気がした。


「私は、ハルト様がレヴィン様を殺したとは思っていません」


 不意に、セリカが言った。


 ハルトは横目で見る。


「……なんでだよ」


「何がですか」


「その時、お前とはまだ会ってもなかっただろ。俺が何してたかなんて、知らねぇはずだ」


「はい。知りません」


「じゃあ、なんで信じる」


 セリカは少しだけ考えた。


 けれど、出した答えは短かった。


「ここしばらく共にして、ハルト様の人となりくらいは知っています」


「それ、理由になるのか?」


「なりませんね」


「なら」


「理由はありません」


 セリカは前を向いたまま言った。


「ですが、私はそう思っています」


 理由はない。


 その言葉が、妙に残った。


 粛清場で、誰も俺を信じなかった。

 ロッソも、バルドも、ガジも。

 誰も、俺の言葉を拾わなかった。


 ニオは違う。


 あいつは、俺が信じかけた相手だった。

 その相手が、俺を見捨てた。

 知らないと否定した。

 渡していないと、震えながら言った。


 だから、余計に分からなくなる。


 事件の時に会ってすらいなかったセリカが、理由もなく俺を信じている。


 変な話だ。


 信じるというのは、いつも少しだけ理屈が足りない。


「気分が悪いなら戻りますか」


「戻らない」


「クロードさんに無理をするなと言われています」


「歩くだけだろ」


「ハルト様の場合、歩くだけで何か起きます」


「信用ねぇな」


「実績です」


 クロードと同じようなことを言うな。


 最初に向かったのは、レヴィンが管理していた酒場だった。


 看板は古いが、中はきちんと手入れされている。

 昼間だから客は少ない。

 店主らしき男が、俺を見るなり顔を強張らせた。


「第六席……」


「そんな固くなるなよ」


 と言ったら、さらに固くなった。


 セリカが一歩前へ出る。


「本日は視察です。通常通りで構いません」


「は、はい」


 通常通りと言われて通常通りにできるやつは少ない。


 店主は明らかに手元を震わせながら、帳簿を出した。


 俺はそれを見る。


 酒の仕入れ。

 客数。

 上納。

 護衛費。

 レヴィンの名で処理された支出。


 文字は読める。


 遅いが、読める。


 エイベルに習っていて本当に良かったと、また思った。


「レヴィン様は、ここによく来ていたのか」


 俺が聞くと、店主は少しだけ目を伏せた。


「はい。多くはありませんが、月に何度か。騒がしい席は好まず、奥で静かに飲まれていました」


「怖かったか?」


「……幹部様ですから」


「だよな」


「ですが、無茶を言う方ではありませんでした」


 店主は、言葉を選ぶように続けた。


「酔った客が暴れても、黒煙で押さえるだけでした。殺すことは、ほとんど」


 ほとんど。


 その言い方が黒牙らしい。


 でも、店主の目には恐怖だけではないものがあった。


「レヴィン様には、本当に良くしてもらって……」


 店主はそこまで言って、慌てて口を閉じた。


 今の第六席の前で、前の主を惜しむ。

 それが失礼だと思ったのだろう。


 でも、俺は怒る気になれなかった。


 むしろ、少し分かった。


 このシマには、まだレヴィンの影が残っている。


 恐怖ではない。

 黒牙の幹部だ。

 怖くなかったはずがない。


 けれど、ここに残っているのは、ただの恐怖じゃなかった。


 無茶な取り立てをしない。

 店を壊さない。

 話を聞く。

 必要なら守る。


 黒煙のレヴィンは、恐怖だけでこの場所を縛っていたわけじゃない。


 俺とは違う。


 俺にあるのは、粛清返しと金剛砕き。

 血まみれで生き残った噂。

 銀翼の副団長を石畳に叩きつけた話。

 そして、レヴィン殺しに関わったという最悪の噂。


 レヴィンの後に、俺が来た。


 そりゃ、怖いだろうなと思った。


「エイベルなら、もう少し受け入れられていたか?」


 店を出た後、俺はぽつりと言った。


 セリカはすぐには答えなかった。


 けれど、否定もしなかった。


「……はい」


「正直だな」


「エイベル様は、この周辺の者にも顔が利きました。話を聞く方でしたし、無理な取り立ても嫌いました」


「だろうな」


「ですが、ハルト様にはハルト様のやり方があります」


「慰めか?」


「事実です。まだ、誰も知りません。あなたがどういう第六席になるのかを」


 セリカは少しだけ視線を伏せた。


「だから、怖がられているのです」


 次に見たカジノでも同じだった。


 従業員は俺を見ると頭を下げる。

 客は露骨に目を逸らす。

 奥の者は、俺の歩く道を先に空ける。


 金剛砕き。

 第六席。

 ハルト様。


 呼び名だけが、俺より先に歩いている。


 その後、外縁区へ向かった。


 空気が変わった。


 酒場やカジノ周辺には、まだ金の匂いがあった。

 汚くても、流れている金がある。

 欲望がある。

 人が集まる理由がある。


 外縁区の路地は違った。


 石畳は欠け、壁は黒ずみ、排水の匂いが鼻につく。

 古い木箱や破れた布が積まれ、細い路地に日が届かない。


 銀翼のシマだった場所。


 ここはまだ、黒牙のものになりきっていない。


 角にいた男たちが、俺を見る。


 嫌な目だった。


 怯えではない。

 舐めるような視線。


「……あれか」


「灰鼠上がり」


「金剛をやったって?」


「見えねぇな」


 セリカが視線だけで部下を制した。


 俺も何も言わなかった。


 ここでいちいち噛みついても仕方ない。


 銀翼の残党もいるだろう。

 元々銀翼に食わせてもらっていた連中もいる。

 黒牙を嫌うやつも、俺を認めないやつもいる。


 今は流す。


 この辺は、いつかちゃんと潰すことになる。


 その時は、正面からだ。


 路地の奥へ進んだ時だった。


 鼻につく匂いが変わった。


 薬草とは違う。

 酒とも違う。

 甘くて、腐ったような匂い。


 セリカの表情が少しだけ硬くなる。


「この先は」


「薬か」


「はい」


 路地の奥に、人が倒れていた。


 最初は死体かと思った。


 痩せた男だった。

 服は汚れ、靴は片方ない。

 指先は黒ずみ、唇は乾いてひび割れている。


 胸が、わずかに上下していた。


 生きている。


 生きているのに、目が何も見ていなかった。


 その目は、空を向いている。

 けれど空なんて見ていない。


 足元には、小さな空き瓶が転がっていた。


 その奥にも、似たような人間がいた。


 壁にもたれた女。

 膝を抱えて笑っている若い男。

 何かを探すように地面を掻いている老人。


 誰も、まともにこちらを見ない。


 生きているのに、死んでいるようだった。


「……なんだよ、これ」


 声が低くなった。


 セリカは答えなかった。


 代わりに、近くにいた売人らしき男が肩をすくめる。


「勝手に買って、勝手にこうなっただけですよ、第六席」


 軽い声だった。


「こっちは商売してるだけで」


 言い終わる前に、俺はその男を見た。


 男の顔から笑みが消える。


 右目の奥が、冷たく痛んだ。


 金剛砕きの悪名が、空気を押し潰すように広がる。


 売人の喉が鳴った。


「……いや、その」


 俺は男から視線を外し、路地に倒れた人間を見る。


 殺す方が、まだ分かりやすい。


 切れば血が出る。

 刺せば倒れる。

 死ねば動かない。


 でも、これは違う。


 息をしている。

 目も開いている。

 心臓も動いている。


 なのに、何かがもう死んでいる。


 人を殺す前に、人を人じゃなくしている。


 薬は、根から腐らせる。


 人だけじゃない。

 家も。

 店も。

 借金も。

 家族も。

 通りも。

 街の空気も。


 根っこから腐らせて、立っているもの全部を倒す。


「セリカ」


「はい」


「俺のシマで薬は売らせない」


 セリカは、驚かなかった。


 たぶん、俺がそう言うと分かっていたのだろう。


「収益が落ちます」


「だろうな」


「売人が反発します」


「だろうな」


「銀翼の残党も、そこを突いてくるかもしれません」


「だろうな」


「それでもですか」


「ああ」


 俺は路地を見た。


 生きているのに死んでいる人間たち。


「これは嫌いだ」


「理由はそれだけですか」


「それだけだ」


 セリカは少しだけ息を吐いた。


「ハルト様らしいですね」


「褒めてるのか?」


「評価しています」


「便利な言葉だな」


「実際、便利です」


 薬を潰す。


 決めた。


 だが、決めることと、できることは違う。


 薬の収益は大きい。

 それを消せば、当然シマの金は弱くなる。

 売人は黙っていない。

 薬で食っていた連中も動く。


 なら、別の金を作る必要がある。


「治安は良くなる」


 俺は言った。


「薬を消して、売人を締めれば、この辺の揉め事は減る。俺の悪名もある」


金剛砕き(こんごうくだき)ですか」


「ああ」


 言われると、やっぱりまだ変な感じがする。


「恐がられてるなら、使う」


「どう使うおつもりで?」


「治安を売る」


 セリカがこちらを見た。


「治安を?」


「払った家や店は守る。払わないやつは咎めない。でも、何かあっても助けない」


「……みかじめ料では?」


「近いな」


「近い、ではなく、ほぼそうです」


「でも薬よりマシだろ」


 セリカは否定しなかった。


 俺は続ける。


「今まで金を取りやすかったのは、売人とか裏稼業とか、店舗を構えてるやつらだろ」


「はい。太く取れる相手です」


「でも数は限られる」


「その通りです」


「平和税は、もっと広く取る」


 俺は通りに並ぶ家々を見た。


 小さな商店。

 職人の作業場。

 露店の倉庫。

 古い長屋。

 宿屋。

 金貸し。

 裏稼業の隠れ家。


「一般の家からも小を取る。小さい商売からは中。裏に近いやつや儲かってる店からは大。薄くても、母数が多けりゃ毎月入る」


 セリカの目が、少しだけ細くなった。


「店舗や裏稼業だけでなく、生活圏そのものを保護対象にするわけですね」


「そういうことだ」


「かなり人手が必要です」


「薬売ってたやつらを使う」


「売人を?」


「ああ」


 俺はさっきの売人を見た。


 男は顔を青くして目を逸らす。


「その気があるやつは、一旦そっちに回す。集金、刻印、加入確認、巡回。薬で腐らせるより、印を刻んで金を集めろってな」


「売るものを変えさせるわけですか」


「薬じゃなくて、平和を売らせる」


 セリカは少しだけ黙った。


「平和を売る盗賊ですか」


「薬を売るよりマシだろ」


「倫理的にはどちらも問題があります」


「じゃあ収益的には?」


「……悪くありません」


「だろ」


「腹立たしいですね」


「なんでだよ」


「発想は雑なのに、方向性が悪くないので」


 俺は少し笑った。


 胸が痛んだ。


「小、中、大で分ける。払う額で対応を変える。高いやつほど融通を利かせる。揉め事の時も優先する。黒牙の名前を使って多少威張れる」


「露骨ですね」


「分かりやすい方がいい」


「弱小商人、金貸し、小さな店は食いつくでしょうね」


「だろ」


「管理が必要です。誰が払っているか。どの建物が保護対象か。どの程度の優先権があるか。口約束では揉めます」


「印を入れる」


 俺は通りに並ぶ建物を見た。


「払ってる家や建物に、黒牙の刻印を入れる。ここは第六席の保護対象だって分かるようにする」


「刻印ですか」


「ああ。払ってる場所が分からねぇと守れねぇだろ」


「管理上は合理的です」


「珍しく褒めたな」


「合理的と言っただけです」


 セリカは考えるように目を細めた。


「識別魔法も併用した方がいいですね」


「識別魔法?」


「魔力識別です。誰が払っているか、どの建物が保護対象か、どの契約に紐づくかを判別できます」


「それ、俺でも使えるのか」


「簡易なものなら。ただし、正式に運用するなら専門家が必要です」


「専門家」


「第七席、オルガン様なら興味を持たれるかもしれません」


 鉄壁のオルガン。


 茶色い髭を蓄えた髭もじゃの爺さん。

 片眼鏡。

 魔力壁と防衛、戦略に長けた幹部。


 まだ会ってはいない。


 だが、刻印と識別魔法。

 それを街中に散らすという話は、確かに防衛の匂いがした。


「面白いことができそうだな」


「かもしれません」


「お前もそういう顔するんだな」


「どういう顔ですか」


「ちょっと楽しそうな顔」


「していません」


「してたぞ」


「見間違いです」


 セリカはすぐに表情を戻した。


 だが、手元の紙にはもう何かを書き始めている。


 平和税。

 黒牙刻印。

 識別魔法。

 小中大の区分。

 未加入者は咎めない。

 ただし守らない。

 売人の転用。

 集金と刻印の実務。


 名前は、まだ仮だ。


 でも形は見えてきた。


 薬を潰して、治安を売る。


 綺麗な仕組みではない。

 善政でもない。

 ただ、薬で腐らせるよりはマシだ。


 俺はもう一度、路地の奥を見た。


 倒れた男の胸が、小さく上下している。


 生きている。


 生きているだけの人間。


「まずは薬だ」


「はい」


「売人に伝えろ」


 俺は言った。


「俺のシマで薬は売らせない。文句があるなら、俺のところへ来いってな」


「来ますよ」


「だろうな」


「死人が出るかもしれません」


「俺じゃなければいい」


「……第六席らしくなってきましたね」


「褒めてんのか?」


「評価しています」


「やっぱ便利だな、それ」


 その日の視察は、そこで切り上げた。


 クロードに、走るな、戦うな、魔法を使うなと言われていたからだ。


 視察だけでも十分に身体は痛んだ。


 屋敷に戻る頃には、胸の奥がまた焼けるように痛み、足も重くなっていた。


 セリカは何度も戻るかと聞いたが、俺は戻らなかった。


 戻っても、たぶん同じだ。


 寝台の上で考えるより、腐った路地を見た方が分かることがある。


 薬は潰す。


 平和税を作る。


 刻印を入れる。


 金剛砕きの悪名を使う。


 やることは決まった。


 そして、決めたことはすぐに街へ流れる。


 夕方。


 外縁区の奥、古い倉庫の前。


 薬を扱っていた売人たちの間に、妙な噂が流れ始めていた。


 第六席が、薬を潰すらしい。

 金剛砕きが、売人を締め上げるらしい。

 灰鼠上がりのガキが、外縁区のシノギに手を突っ込むらしい。


 薄暗い倉庫の前に、男たちが集まっていた。


「ふざけんなよ」


「薬を切ったら、何で食うんだ」


「金剛砕きだか何だか知らねぇが、調子に乗りすぎだろ」


「灰鼠上がりのガキだろ?」


「銀翼のシマまで持っていきやがって」


 苛立った声が重なる。


 その時、奥から低い笑い声がした。


「なら、確かめりゃいい」


 売人たちが振り返る。


 そこにいたのは、禿げた大男だった。


 太い首。

 丸太のような腕。

 岩みたいな拳。


 男は、骨の鳴る音を立てながら拳を握った。


「本当に強ぇのかどうか」


 誰かが息をのむ。


「ダリオさん……」


 男は歯を剥いて笑った。


 鉄拳(てっけん)のダリオ。


 武闘派の力自慢。

 拳ひとつで、何人もの男を黙らせてきた大男。


金剛砕き(こんごうくだき)のハルト様、だったか?」


 ダリオは、さらに拳を鳴らした。


「一発、殴りゃ分かるだろ」

あとがき


第2話でした。


今回は、ハルトが初めて自分のシマを見て回る回です。


第六席になったハルトですが、周囲から見れば「粛清返し」「金剛砕き」「銀翼副団長を石畳に叩きつけた男」みたいな噂が混ざっていて、かなり物騒な存在になっています。


ただ、その一方でレヴィンのシマには、まだレヴィンの影が残っています。

恐怖だけではなく、ちゃんと慕われていた前任者。

そして、エイベルならもっと自然に受け入れられていたかもしれないという現実。


ハルトにとっては、ただ強くなっただけでは足りないと知る回でもありました。


薬を潰し、代わりに治安を売る。

平和税と黒牙刻印は、ここから第六席ハルトの支配の形になっていきます。


そして最後に出てきたのが、鉄拳のダリオ。

次回は、金剛砕きが本当に強いのか、拳で確かめに来る男との話になります。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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