第5話 目的を忘れるな
銀翼の襲撃が終わったあとも、館の中はしばらく騒がしかった。
壊れた門。
砕けた外壁。
血のついた石畳。
引きずられていく銀翼の死体。
傷を負った黒牙の構成員たちが、舌打ちしながら包帯を巻き、割れた窓や扉を片づけている。
勝った。
少なくとも、襲撃は退けた。
だが、誰も喜んではいなかった。
「勝ちじゃねぇのか」
ハルトが言うと、エイベルは壊れた外門を見ながら首を横に振った。
「勝ちではありません」
「ガレスってやつ、倒しただろ。銀翼の幹部なんだろ?」
「倒しました。ですが、襲われた時点で、こちらは舐められています」
「……舐められたら終わり、か」
「ええ」
エイベルは、地面に落ちていた銀翼の布を拾った。
銀色の羽根の印。
さっきまでガレスの部下たちが腕に巻いていたものだ。
「第六席が空いたことで、この区画は薄いと思われている。今回の襲撃は、それを確かめるための一手でもあります」
「確かめるために、館に突っ込んでくるのかよ」
「銀翼は、そういう組織です」
エイベルは淡々と言った。
「武闘派。力で奪い、力で広げる。黒牙よりも分かりやすく、荒い」
「脳筋ってことか」
「半分は正解です」
「半分?」
「銀翼が大きくなった理由は、力だけではありません」
エイベルは館の中へ歩き出した。
ハルトも後を追う。
右腕はまだ痛い。
窮鼠猫噛で無理やり人間を投げ飛ばしたせいで、筋の奥が焼けるように熱を持っている。
クロードに見せたら、たぶんまたあの優しい顔でため息をつかれる。
またあなたですか。
そんな声が聞こえた気がした。
エイベルは、館の一室に入った。
机の上には、この区画の地図らしきものが広げられている。
通り。
倉庫。
水路。
酒場。
カジノ。
知らない印がいくつも書き込まれていた。
「銀翼の団長は、金剛と呼ばれています」
エイベルは地図の上に指を置いた。
「小規模、中規模の盗賊団なら、ほぼ一人で潰してきた男です」
「一人で?」
「ええ。刃も魔法も通らない。なのに、金剛の抜き手は鎧も盾も肉も骨も貫く」
「……化け物じゃねぇか」
「化け物です」
エイベルは否定しなかった。
「ガレスも倒せた。幹部を一人やれたなら、団長くらい……」
「不可能です」
即答だった。
あまりにも早かった。
「言い切るなよ」
「言い切れます。ガレスは強い。ですが、せいぜいAからA+相当です」
「せいぜいって。十分強かったぞ」
「十分に強い。ですが、A+とSの間には、大きな線があります」
「線?」
「人と怪物を分ける線です」
ハルトは黙った。
エイベルの声は、いつも通り静かだった。
だが、そこに冗談はなかった。
「S級に届く者は、もはや普通の強者ではありません。戦い方、魔力量、肉体、経験。そのどれか一つ、あるいは全てが、人の枠から外れています」
「……じゃあ、SSは?」
「人類の到達点に近い」
エイベルは言った。
「銀翼団長、金剛はSS級です。正面から勝つのは不可能です。こちらの団長や副団長ならともかく、十席でも勝てる者は限られるでしょう」
「そんなにかよ」
「そんなにです」
エイベルは地図の上で、銀翼の印がついた場所を指でなぞった。
「ですが、銀翼が拡大した理由は金剛だけではありません」
「どういうことだよ」
「金剛は潰す力です。敵対する盗賊団を潰す。拠点を潰す。守りを砕く。ですが、潰したあとに取り込む力ではありません」
「取り込む?」
「残党をまとめる。金を流す。縄張りを管理する。次の標的へ向かわせる。潰した場所を、銀翼のものに変える」
エイベルは、別の印を指した。
「それをやったのが、副団長です」
「副団長……」
「戦闘力は低い。ですが、銀翼を数年で五百人規模へ押し上げた頭脳です」
ハルトは地図を見下ろした。
銀翼の印は広い。
思ったよりも、ずっと広い。
金剛が拳で潰した場所を、副団長が銀翼の形にしていった。
暴力だけじゃない。
金。
人。
縄張り。
命令。
そういうものを動かす奴がいる。
「だから、金剛は狙いません」
エイベルが言った。
「じゃあ、どうする」
「頭を落とします」
「副団長か」
「はい」
エイベルの指が、地図の端にある印で止まった。
「金剛を正面から砕く必要はありません。銀翼を広げている頭脳を止めればいい」
「でも、そいつを殺してどうすんだよ。黒牙の上のやつに任せればいいだろ」
「意味がありません」
「意味がない?」
「黒牙の幹部が倒せば、それは幹部の功績です。私の功績にはならない。君の功績にもならない」
ハルトは少しだけ眉を寄せた。
「功績」
「私が第六席へ上がる足がかりにするなら、私たちで落とさなければなりません」
「自分のためかよ」
「当然です」
エイベルは表情を変えずに言った。
「ですが、君にも利益があります」
「俺に?」
「黒牙での地位が上がれば、粛清に近づける。悪名も増える。君がニオへ届くための足場になります」
ニオ。
その名前が胸の奥を引っかいた。
知らない。
そんなの渡してない。
粛清場で聞いた声が、まだ耳の奥に残っている。
ハルトは拳を握った。
「……利用しろってことか」
「お互いに」
エイベルは静かに頷いた。
「悪くない関係でしょう」
「信用はしない」
「結構です」
「でも、役には立つ」
「それで十分です」
嫌な納得だった。
だが、分かりやすかった。
エイベルは第六席への足がかりが欲しい。
ハルトはニオへ届くための地位と悪名が欲しい。
互いに利用できる。
この世界では、たぶんそれだけで十分なのだ。
「副団長を殺すのは、俺か」
「その予定です」
「予定って軽く言うな」
「重く言っても、内容は変わりません」
エイベルは地図から目を上げた。
「君のサイレントムーブと致命の一撃は、暗殺に向いています。ですが、今のままでは無理です」
「だろうな」
「体の出力を制御できない。窮鼠猫噛は危険。殺し合いの経験も浅い。隙を作る技術も、逃げる技術も足りない」
「全部足りねぇじゃねぇか」
「はい」
「そこで肯定すんなよ」
「事実です」
エイベルは、机の横に置いてあった木製の短杖を取った。
「ですから、訓練します」
「また訓練かよ」
「嫌ならやめますか」
「やめねぇよ」
「よろしい」
そのまま、ハルトは中庭へ連れて行かれた。
昨日の襲撃の痕はまだ残っている。
石畳に刻まれた薄青い戦槍の跡。
焦げたように削れた壁。
銀翼の血が洗い流された場所。
その横で、木製の模擬人形が立っていた。
「今日から、風魔法を教えます」
「いきなりか」
「いきなりではありません。必要になったので教えます」
「火の玉とか、真空波とか、そういうやつか?」
「違います」
即答だった。
「真空波は?」
「習得が難しい」
「そんなにか?」
「魔力で空気を押すことと、魔力で真空を作ることは別物です。真空波は風魔法の中でも扱いが難しい」
「でも、あれ強いだろ」
「強いです。ですが、今の君に必要なのは強い魔法ではありません」
「じゃあ何だよ」
「合う魔法です」
エイベルは模擬人形を指した。
「君の強みは、隙を突いた時の一撃です。なら、相手の体勢を崩し、隙を作る魔法を覚えるべきです」
「崩す魔法か」
「はい。空圧弾です」
エイベルは短杖の先を、模擬人形へ向けた。
「空気の圧を撃ち出し、相手を怯ませる。体勢を崩す。呼吸を乱す。その一瞬に、致命の一撃を入れる」
「殺す魔法じゃなくて、殺すための隙を作る魔法ってことか」
「その理解で構いません」
エイベルは淡々と言った。
「今の君の戦闘スタイルに合っているのは、真空波ではなくこちらです」
「派手じゃねぇな」
「派手な魔法ほど、よく目立ちます」
「盗賊には向いてないってことか」
「ええ」
エイベルは指を三本立てた。
「まず覚えるのは三つ。空圧弾、空緩衝、空纏衝」
「昨日使ってたやつか」
「そうです」
「エアショットは分かった。吹き飛ばすやつだろ」
「敵を倒すというより、崩すための魔法です」
「エアバーストは?」
「体の周囲で風を弾けさせる。瞬間加速、跳躍、回避に使えます」
「俺の今の体に合ってるな」
「だから教えます」
エイベルは頷いた。
「最後にエアクッション」
「落ちた時に使うやつか?」
「それだけではありません。打撃にも使えます」
「打撃?」
「受ける瞬間に薄い空気の層を挟めば、衝撃を逃がせる」
「防御魔法か」
「いいえ。防御ではなく軽減です。刃は止まりませんし、強すぎる打撃も殺しきれません」
「それでも?」
「それでも、死ぬはずの一撃が、倒れるだけで済むことはあります」
地味だ。
ハルトはそう思った。
エアショット。
エアクッション。
エアバースト。
名前だけ聞くと、もっと派手な魔法がある気がする。
けれど、エイベルの説明を聞くと、どれも生き残るための魔法だった。
崩す。
逃げる。
届く。
死なない。
「君に必要なのは、派手な魔法ではありません」
エイベルは言った。
「生き残る魔法です」
「……あんた、教えるの慣れてるな」
ハルトが言うと、エイベルの手が少しだけ止まった。
「そう見えますか」
「説明が分かりやすい。むかつくけど」
「褒めているのか、貶しているのか」
「両方」
「では、受け取っておきます」
エイベルは短杖を置いた。
「昔、大学で魔法学を教えていました」
「大学?」
ハルトは思わず聞き返した。
「先生だったのかよ」
「ええ」
「大学の先生が、なんで黒牙なんかにいるんだよ」
エイベルはすぐには答えなかった。
中庭に、風が流れる。
壊れた外壁の隙間から、冷たい空気が入り込んできた。
「全てを失ったからです」
エイベルは静かに言った。
「地位も、名誉も、妻も、娘も」
ハルトは言葉を失った。
エイベルは怒っているようには見えなかった。
悲しんでいるようにも見えなかった。
ただ、古い記録を読み上げるような声だった。
「ライバルだった教授がいました。彼は、闇組織を使って私を陥れた。私は大学を追われ、名誉を失い、妻を殺された」
「娘は」
「誘拐されました」
エイベルは、そこで少しだけ目を伏せた。
「生きているかも分かりません」
「……探すために、黒牙に入ったのか」
「はい」
風が止まったような気がした。
「表の世界では探せなかった。だから、裏へ潜った。黒牙なら、普通の人間では触れられない情報に触れられる」
「それで、見つかったのか」
「まだです」
エイベルの声は変わらなかった。
だが、その短い言葉の中に、長い時間が沈んでいる気がした。
「泥の中を泳いでいると、自分が何のために潜ったのか分からなくなります」
「……」
「君はそうならないように。目的を忘れないでください。それが、どんなものでも」
ハルトは、ニオの顔を思い出した。
笑っていた顔。
震えていた顔。
そして、粛清場で自分を否定した顔。
「俺は、ニオを殺す」
言葉は、思ったより静かに出た。
エイベルは止めなかった。
咎めもしなかった。
「なら、届く場所まで上がりなさい」
「止めないのかよ」
「止めてほしいのですか」
「いや」
「なら、止めません」
エイベルは模擬人形の方へ視線を戻した。
「ただし、目的を忘れないことです。憎しみは燃料になりますが、燃料だけでは進めません」
「じゃあ、何がいるんだよ」
「技術と、地位と、機会です」
「現実的だな」
「現実が一番、人を殺します」
ハルトは少しだけ笑った。
笑うような話ではない。
でも、エイベルらしいと思った。
「では、始めましょう」
「急に授業に戻るなよ」
「話しただけで強くなるなら、誰も訓練しません」
「それはそう」
エイベルは、ハルトの手の位置を直した。
「魔力を前に押し出す感覚です。斬るのではなく、押す。潰すのでもなく、弾く」
「感覚で言われても分かんねぇよ」
「最初は分からなくて構いません。分からないものを、何度も同じ形に近づけるのが訓練です」
「先生っぽいこと言いやがって」
「元ですので」
ハルトは模擬人形へ向き直った。
右手を前に出す。
空気を押す。
見えない壁を、掌で突くように。
腹の奥から魔力を引き上げる。
うまくいかない。
ただ手を突き出しただけになった。
「失敗です」
「分かってるよ」
「もう一度」
二度目。
掌の前で、空気が少しだけ震えた。
だが、模擬人形までは届かない。
「惜しいです」
「ほんとか?」
「一度目よりは」
「褒め方が渋いな」
「嘘をつくより有益です」
三度目。
ハルトは息を止めた。
手の奥に、さっきより少し強く魔力が集まる。
それを前へ押し出す。
空気が、ぼん、と鳴った。
模擬人形の胸に風が当たる。
木製の体が、わずかに後ろへ揺れた。
「……動いた」
「動きましたね」
「できたのか?」
「エアショットと呼ぶには、まだ弱いです」
「そこはできたって言えよ」
「できかけました」
「微妙に嬉しくねぇ」
エイベルは模擬人形へ近づいた。
ハルトは息を吐き、額の汗を拭う。
ただ風を出しただけなのに、体の奥が妙に重い。
魔法は楽ではない。
そう思った。
エイベルは、模擬人形の胸元を見ていた。
風に削られた木の表面。
そこに、白いものが薄く張っている。
霜。
ほんのわずかだった。
ハルトは気づいていない。
エイベルだけが、それを見ていた。
「……風だけでは、説明しきれませんね」
その声は小さく、ハルトには届かなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第5話では、銀翼という敵の大きさと、エイベルとハルトの目的を書きました。
ガレスを倒したとはいえ、銀翼団長「金剛」はまったく別格。
正面から勝てる相手ではありません。
だからこそ狙うのは、銀翼を急成長させた頭脳である副団長。
エイベルは第六席へ上がるため。
ハルトはニオへ届くため。
信用ではなく、利害で結ばれた二人の訓練が始まります。
そして最後に、ハルトの魔力に少しだけ妙な気配が出てきました。
まだ本人は気づいていませんが、この小さな違和感が、後々かなり大きな意味を持つことになります。
次回も読んでもらえたら嬉しいです。




