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異世界転生した底辺盗賊の俺、悪名を喰らって悪の帝王へ成り上がる  作者: タクト
第七章 白煙と落日の王都

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第2話 黒牙の決定



 黒牙本部の執務室には、重い沈黙が落ちていた。


 机の上には、南諸島連合に関する報告書。

 聖教会東支部の動き。

 アニマ密約の断片。

 輸送車の記録。

 消された巡礼者名簿。


 紙の束は積まれている。

 だが、本当に重いものは紙ではなかった。


 ゼギルは椅子に深く腰を下ろし、指先で机を叩いていた。

 その前に、ヴァイスが立っている。

 壁際にはリスティアがいた。


 いつものような甘いものを探す気配はない。

 距離感の壊れた少女は、妙に静かだった。


「団長」


 リスティアが口を開いた。


 その声は、軽くなかった。


「忠告を無視して、深淵を使ったんだね」


 ヴァイスの目がわずかに動く。


 ゼギルは、否定しなかった。


「あぁ」


 短く答える。


「仲間が死ぬよりはマシだろ」


「うん」


 リスティアは頷いた。


 責める声ではなかった。

 けれど、何もなかったことにする声でもなかった。


「でも、もっと酷いことになるって言ったよ」


「覚えている」


 ゼギルの指が、机を叩くのをやめた。


「だが、ハルトは黒牙に必ず必要になる。あそこで死なせるわけにはいかなかった」


 リスティアは、じっとゼギルを見ていた。


 その視線は、人を見る目ではない。

 もっと薄いもの。

 もっと遠いもの。

 ゼギルの背後にある、まだ形にならない何かを覗き込むような目だった。


「団長の判断が間違いだったとは言わないよ」


 リスティアは、ゆっくりと言った。


「私は、遠くまでは分からない。全部が見えるわけでもない。だから、結果的に良かった、なんてことは沢山ある」


 そこで一度、言葉が切れる。


「それでも、短く見れば最悪」


 執務室の空気が、さらに沈んだ。


 ヴァイスが、静かに問いかける。


「その最悪、というのは。何を感じた?」


 リスティアは、すぐには答えなかった。


 部屋の窓へ目を向ける。

 外には、王都ルヴェリアの一部が見えていた。

 水路。

 屋根。

 遠くの鐘楼。

 春の陽光を受けて、街はいつも通りに見える。


 けれど、リスティアの目には、そこに別のものが重なっているようだった。


「光」


 小さな声。


「炎」


 ヴァイスが眉を寄せた。


「光と炎?」


「四つ、来る」


 リスティアは胸の前で指を握った。


「聖都クリソストモスから。四本の光が、こっちに来る。運河を越えて、空を裂いて、ルヴェリアに降り注ぐの」


「聖都クリソストモス……」


 ヴァイスの声が低くなる。


「大陸中央の要。聖教会の中枢にして、大運河の中央を押さえる都か」


 ゼギルは黙って聞いている。


「だが、聖都とルヴェリアは同盟関係にある。少なくとも表向きは」


 ヴァイスは言葉を選びながら続けた。


「ルヴェリアは大運河の東口を押さえている。経済の流れだけを見れば、この国は大陸の喉元に手をかけていると言っていい。聖都にとっても、ルヴェリアを完全な敵に回す利は薄いはずだ」


 そこで、ヴァイスは口を閉じた。


 沈黙。


 答えは、あまりにも単純だった。


「いや」


 ヴァイスが小さく息を吐く。


「支配しているからこそ、か」


 リスティアが首を傾げる。


「私は政治は分からないよ」


 その声は、幼さを残している。

 しかし、言っていることは冷たかった。


「ただ、彼らの正義を振りかざすきっかけになったかもしれない」


 ゼギルは、目を細めた。


「リスティア」


「なに?」


「お前のそれが外れる可能性はあるか?」


「ある」


 即答だった。


 だが、リスティアは続ける。


「でも、かなり頑張らないとだめ」


 曖昧な言い方だった。

 それでいて、十分すぎるほど重い答えだった。


 ゼギルは背もたれに体を預け、天井を見上げた。


「四つの光」


 低く呟く。


神の使徒(イノセント)か」


 ヴァイスの顔が、さらに硬くなった。


「神の権能を持つとされる者たち。聖教会が神の七柱と呼ぶ、聖都最大戦力ですね」


「あぁ」


 ゼギルは視線を戻した。


「神の名を借りた化け物どもだ」


 リスティアは否定しない。

 ヴァイスもまた、沈黙した。


 神の使徒(イノセント)


 聖都クリソストモスが表に出すことをほとんどしない、神の権能を持つとされる七柱。

 それが四つ、ルヴェリアへ向かう。


 それは、外交問題ではない。

 戦争ですら、生ぬるい。


 神罰。


 聖教会は、きっとそう呼ぶ。


「そうなると、こちらも王牙騎士団(レガリアナイツ)が出ることになると思うが……」


 ゼギルが言うと、リスティアが首を横に振った。


「だめ」


 短い一言だった。


「彼の雨は、王都で降らせちゃだめ」


 ヴァイスの瞳がわずかに伏せられる。


「アレクシス・レインフォードの白雨(はくう)か」


「防衛向きの能力じゃねぇよな」


 ゼギルが苦く笑う。


「あいつは強い。間違いなく強い。だが、王都のど真ん中で振り回すには刃が広すぎる」


「ああ」


 ヴァイスが頷く。


「それに、ルヴェリアの戦力は大きく見えるが、王都防衛に最適化されているわけじゃない。南諸島連合を緩衝材として使い、派兵と代理戦争で周辺を抑えてきた部分が大きい」


 ヴァイスは机上の地図へ視線を落とした。


 大運河。

 港。

 城壁。

 聖教会東支部。

 王城。

 黒牙本部。

 王牙騎士団詰所。


 点と線が、王都の上に複雑に重なっている。


「ルヴェリアは世界一の軍事力を持っている。だが、軍事国家じゃない」


 ゼギルが、言葉を引き取る。


「この二百年、王都そのものへ攻め込まれたことがねぇ」


 執務室に、静かな重みが落ちた。


 世界一の経済都市。

 世界一の軍事力。

 水の都ルヴェリア。


 だが、それは攻められないことを前提に積み上げられた強さでもあった。


 王都そのものを燃やす。

 王都の空から神の柱を降ろす。

 そんな戦いを想定して、街は作られていない。


「どうするの?」


 リスティアが聞いた。


 ゼギルは、少しだけ黙った。


 王国。

 聖教会。

 南諸島連合。

 聖都クリソストモス。

 神の使徒(イノセント)


 盤面は広い。

 火種は大きい。

 だが、ゼギルの答えは決まっていた。


「国の揉め事は、国がやる」


 ゼギルは、ゆっくりと言った。


「王城には王城の仕事がある。国王には国王の仕事がある。外務卿も、総務大臣も、王牙騎士団も、国として動けばいい」


 そこで、ゼギルの声が少しだけ低くなった。


「だが、俺をダシにしようってんなら話は別だ」


 リスティアの目が、ゼギルを見る。


「黒牙を動かす」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


 国を守るためではない。

 王の命令でもない。

 正義のためでも、聖教会への反論のためでもない。


 黒牙に牙を向けた者へ、黒牙として牙を剥く。


 それがゼギルの答えだった。


「すごい被害になるよ」


 リスティアが言う。


 責めているわけではない。

 ただ、感じているものを告げている。


 ゼギルは笑わなかった。


「奴らの仕掛けた戦争だ」


 静かに言う。


「なら、責任は取らせる」


 ゼギルの視線がヴァイスへ向いた。


「そうだろ、ヴァイス」


 ヴァイスは、深く頭を下げた。


「はい」


 その声には迷いがなかった。


「ルヴェリア、そして黒牙に降りかかる火の粉は払いましょう」


「決まりだ」


 ゼギルは椅子から立ち上がった。


「シオンとマグナを招集しろ。外の任務をさせてる場合じゃねぇ」


「承知しました、団長」


 ヴァイスが即座に応じる。


 リスティアが一歩前に出た。


「私が見つけるよ」


 ヴァイスがリスティアを見る。


「行けるか、リスティア」


「多分」


「あまり頼りになる返事じゃないな」


「でも、私の多分は当たるよ」


 ゼギルは頷いた。


「二人で連れ戻してこい」


「はっ」


 ヴァイスが短く返す。


 リスティアは、そのままゼギルを見た。


「団長」


「なんだ」


「今回は、深淵を使いすぎちゃだめだよ」


 ゼギルの目が、少しだけ細くなった。


「見られるからか?」


「それもあるけど」


 リスティアは、少しだけ目を伏せた。


「戻れなくなる気がするから」


 部屋の空気が、わずかに沈む。


「……分かってる」


「なら、いい」


 リスティアはそう言うと、ヴァイスの隣へ歩いた。


 次の瞬間、空間が鳴った。


 ひび割れるような音。

 ガラスを砕くような、澄んだ破砕音。


 ヴァイスの前の空間が、斜めに裂ける。

 そこに現れたのは、ただの穴ではなかった。

 部屋の景色が砕け、別の景色がその奥に薄く重なっている。


 ヴァイスが軽く手を差し出す。

 リスティアはその手を取らず、勝手に裂けた空間へ足を踏み入れた。


 ヴァイスは一礼し、その後に続く。


 砕けた空間が、二人を飲み込む。


 ひびはすぐに巻き戻るように閉じた。

 何事もなかったように、執務室の景色が元に戻る。


 残されたゼギルは、しばらくそこに立っていた。


 机の上には、報告書。

 地図。

 封蝋。

 証言の断片。


 だが、ゼギルが見ているものはそこではなかった。


 もっと古いもの。

 もっと深いもの。

 歴史から抜け落ちた、巨大な空白。


「……今なのか」


 ゼギルの声が、誰もいない執務室に落ちる。


「空白が、動き出すのは」


 窓の外では、王都ルヴェリアが春の光を浴びていた。


 水路は穏やかに輝き、街は何も知らずに動いている。


 ゼギルは、ゆっくりと目を閉じた。


「レヴィン……」

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