第85話 歓迎される新秩序と、最後の掃除(クリアリング)
前話・第84話の後半を一部修正しました。既読の方も、84話後半から読み直していただくとスムーズに繋がります
南太平洋の孤島要塞『ニヴルヘイム』。
その地下深くに広がるサイバー・コントロールルームでは、大国が降伏し、日本政府が完全な治外法権を認めた後の『世界再編(戦後処理)』が極めて機械的に、かつ冷酷に進行していた。
橘玲奈が手元のタブレットを滑らかに操作し、メインモニターに世界地図と莫大な数字の羅列を投影する。
「――ボス。G4(臨時四ヶ国協調体制)の残存政府からの第一期賠償金、総額五百兆円の徴収が完了しました。すべてスイスやケイマン諸島のオフショア口座を経由し、資金洗浄と分散化を完璧に終えています」
「ご苦労。……連中、随分と素直に支払ったな」
「ええ。ホワイトハウスとペンタゴン、中南海、クレムリン、そしてEU司令部が、宇宙からのプラズマで一瞬にして蒸発したという現実が、彼らの国家予算を捻出する決断を強烈に後押ししました。支払いを一秒でも遅らせれば、次は自分たちの頭上に『神の雷』が落ちてくると、骨の髄まで恐怖していますから」
「ふむ。五百兆円か。……もはや我々にとって使い道もないほどの紙屑だが、彼らから国家の体力を奪うという意味では、極めて有効な足枷となる」
私は特注のレザーチェアに深く腰掛け、冷めたコーヒーを口に運んだ。
国家を運営し、軍隊を再建するためには莫大な予算が必要だ。その国家予算の半分以上を賠償金として強引に奪われれば、軍備の再建はおろか、経済の立て直しすらままならない。
四大勢力は今後数十年間、イージス社の技術とクリーンエネルギーにすがりつきながら、ただ国家としての体を保って生き延びるためだけに喘ぎ続けることになる。彼らが再び覇権を握ろうと野心を抱く余裕など、物理的に存在しない。
「一方で、G4以外の国々……中東、南米、アフリカ、インドなどの新興国からは、我が社に対する称賛と支持のメッセージが殺到しています」
玲奈が、世界地図の南半球や中東エリアを鮮やかな緑色にハイライトしながら微笑んだ。
「これまでG4の理不尽な経済制裁や、武力を背景にした資源の搾取に苦しんできた国々にとって、大国の没落は長年の悲願でした。彼らは、イージス社が設立準備を進めている『地球資源管理・公益財団』の構想――世界中に公平かつ安価にクリーンエネルギーを分配する新秩序に、狂喜して賛同しています。国連の勢力図も、完全に我々を支持する方向に塗り替わりました」
「当然の流れだ」
私は、緑色に染まっていく世界地図を見下ろし、静かに頷いた。
「大国の身勝手なルールに縛られていた者たちに、正当な恩恵と発展の機会を与える。……私を『世界を救った神』だと祭り上げる気は毛頭ないが、彼らが争いをやめて平和を享受してくれるなら、私にとっても好都合だ」
だが、新しい秩序が生まれる時、古い秩序に固執する者たちの抵抗は必ず起きる。
国家のトップが宇宙からの業火に焼かれて降伏したからといって、すべてが丸く収まるほど人間社会は単純ではない。
「……ヴィクトル。地上の『ゴミ掃除』の状況はどうなっている」
私が暗号化通信を開くと、分割画面にヴィクトル・イワノフの鋭い顔が映し出された。
『――現在、シャドウの各部隊が世界中で同時多発的なクリアリングを実行中です』
ヴィクトルの火傷の痕が残る顔に、獰猛な狼の笑みが浮かぶ。
『G4の政府が白旗を揚げたとはいえ、軍の末端や狂信的な愛国者たちの中には、未だに現実を受け入れられず、ゲリラ的なテロ活動によって我々に報復しようと企てる者たちが存在します。……彼らは地下に潜り、旧式の武器を集めて、日本国内のイージス社関連施設や、ボスのご家族の命を狙おうと暗躍を始めていました』
「愚かなことだ。軍のトップの首が消し飛び、システムが掌握されているというのに、まだ自分たちの暴力が通用すると信じているのか」
歴史の修正力というものは、時に人間の理性を完全に奪い去る。
圧倒的な神の力を前にしてもなお、「隙を突けば勝てる」「自分たちが殉教者となれば歴史が覆る」という狂気に憑りつかれるテロリストは必ず現れるのだ。
『ですが、彼らのアナログな密議も、隠れ家の座標も、すべて我が『神の目』の監視網からは逃れられません。……彼らが具体的なテロ計画を立案し、武器を手に取った瞬間に、我々が物理的に扉を蹴破っています』
ヴィクトルが手元のコンソールを操作すると、モニターに世界各地の暗視カメラの映像が映し出された。
アメリカの中西部に位置する廃工場。ロシアのシベリアの隠れ家。中国の山岳地帯の洞窟。
そこに潜伏していた狂信的な軍の残党やテロリストたちが、漆黒の強化外骨格に身を包んだシャドウの精鋭たちによって、一方的に蹂躙されていく光景だ。
『降伏勧告も、事前の警告も行いません。彼らが我々に牙を剥く意志を持った時点で、存在そのものを消去しています。……ボスの絶対的な聖域を脅かす害虫に、慈悲は不要ですから』
「見事だ、ヴィクトル。……徹底的にやれ。一匹のネズミ、一滴の毒すらも残すな」
「思想や憎悪は、人を殺しただけでは消えないと私は言った。だが、その思想を持つ者たちが『行動』を起こした瞬間にすべて物理的にすり潰せば、やがて彼らも学習する。……神盾宗一に逆らうという思考そのものが、自らの絶対的な『死』を意味するのだと。その絶望の連鎖を、彼らのDNAに骨の髄まで刻み込んでやるのだ」
『御意。……地球上の裏社会から「反イージス」という概念を、根本から焼き尽くしてご覧に入れます』
ヴィクトルは深く首を垂れ、通信を切った。
「ボス。これで、表の経済と政治、そして裏の武力による報復の可能性も、完全に断ち切られましたね」
玲奈が、深い安堵の息を吐き出しながら呟いた。
「ああ。……クリス、聞こえているな」
私はもう一つの分割画面に視線を向けた。
『ヒャッハー!! 聞いてるぜボス!』
『軌道上の「神の雷」のシステムは、完全に安定してるぜ! ボスのデッドマンズ・スイッチとの同期もミリ秒の遅延すらねえ。いつでも第二ラウンドを始められる準備はできてる!』
「その出番が来ないことこそが、私たちの真の勝利だ。……クリス、神の雷のメンテナンスは完全に自律化されているな?」
『当然だ! 俺の造った自律型ドローン群が、宇宙空間で常に装甲の補修とジェネレーターの冷却サイクルのチェックを行ってる。俺たちが死んだ後でも、あの悪魔の兵器は百年以上、宇宙から地球を睨み下ろし続けるぜ!』
「ご苦労だった。お前たちの働きには、心から感謝する」
私は、三人の優秀な腹心たち――いや、人生のすべてを懸けた復讐劇を共に駆け抜けてくれた『戦友』たちに向けて、総帥としての冷酷な顔を少しだけ緩め、静かな労いの言葉をかけた。
「君たちがいなければ、私はあの前世の絶望を再び繰り返すことになっていただろう。……だが、我々は歴史の修正力を真っ向から粉砕し、世界の運命を完全に書き換えた。これ以上の闘いは、もう必要ない」
『ボス……』
玲奈が、微かに目頭を熱くして私を見つめる。
「日本政府は完全に屈服し、私と家族のための絶対不可侵の治外法権を用意した。G4の残党も、ヴィクトルによって完全に駆除された。……これより、我々は日本へ帰還する」
私はレザーチェアから立ち上がり、コントロールデスクに両手をついた。
「表の世界のインフラは自動で稼働し、裏の世界の防衛網は完璧に機能している。これからは、手に入れた永遠の平和を、存分に味わう時間だ」
* * *
「――パパ、お仕事終わったの?」
地下のセキュアルームを後にし、分厚い防爆ドアを開けて豪華な居住ブロックのリビングに足を踏み入れると、サチコが、ソファから振り返って笑顔を向けた。
彼女の膝の上では、ユウキが、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
「ああ、終わったよ。……すべて、完璧にな」
私は極東の悪魔としての冷酷な顔を完全に封印し、世界で一番優しい父親の、そして祖父の笑顔を浮かべてリビングへと歩み寄った。
「お疲れ様、お義父さん。……なんだか、すごくスッキリした顔をされていますね」
ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいた誠が、不思議そうに私を見上げる。
「ああ。ずっと抱えていた『厄介なバグ』が、完全に排除されたからね。これでもう、我々のプロジェクトを邪魔するものは何もない」
「ふふっ、宗一くんったら、また仕事の話ばっかり。でも、本当に良かったわね」
キッチンから結衣が歩み寄り、私の腕にそっと手を添えた。
「それで……私たちは、いつ日本のお家に帰れるの?」
「明日の朝だ」
私は、愛する家族たちの顔を見渡し、深く、温かい声で告げた。
「長かったバカンスはこれでおしまいだ。……さあ、私たちの本当の家に帰ろう。誰も脅かすことのない、安全で平和な日本へ」
「やったぁ! やっと帰れるのね! ユウキも、きっと喜ぶわ」
サチコが、眠るユウキの頭を優しく撫でながら嬉しそうに笑う。
誠もホッとしたように表情を緩め、結衣は私の腕に寄り添って静かに微笑んだ。
この温もり。この笑顔。
これこそが、私が五十五年という途方もない時間を遡り、自らの手を血に染め、世界を恐怖で縛り付けてまで手に入れたかった『真の宝物』だ。
彼らの血中には、ナノマシンが静かに溶け込んでいる。
もし彼らの身に万が一のことがあれば、軌道上の神の雷が再び起動し、世界を終わらせる。
だが、そのシステムが発動することは、もはや永遠にないだろう。
なぜなら、彼らを脅かす存在は、この地球上から一人残らず、私が完全に消し去ったのだから。
「さあ、帰る準備をしよう。……明日からまた、忙しくなるぞ」
私はユウキの小さな手を優しく握り、彼らの笑顔に包まれながら、深い安堵の息を吐き出した。
世界を終わらせるトリガーを握りしめた悪魔の闘いは、ここに一つの完璧な結末を迎えた。
すべての脅威を焼き尽くし、歴史の修正力を完全にへし折った極東の支配者は、愛する家族と共に歩む『永遠の日常』を取り戻すため、静かに、そして確かな足取りで日本への帰還の準備を始めたのだった。
【読者の皆様へのお願い】
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と、ページ下部からの【星評価】をお願いいたします!




