第77話 黒い霧(スウォーム)の蹂躙と、終わらぬ物量戦
南太平洋に展開するG4(臨時四ヶ国協調体制)の多国籍大艦隊。
アメリカ海軍の原子力空母『ジェラルド・R・フォード』の戦闘指揮所(CIC)は、信じがたい光景を前に、重苦しい静寂と焦燥に包まれていた。
「――第一波から第五波まで、放った巡航ミサイルと無人特攻ドローン、計八十万機……そのすべてが、島の上空でレーダーからロストしました。着弾、ゼロです」
血走った目をしたオペレーターが、ひび割れた声で報告する。
空母の艦橋で指揮を執るアメリカの海軍提督は、手すりに爪が食い込むほど強く握りしめ、ワナワナと肩を震わせていた。
「馬鹿な……。八十万発だぞ!? 一国の軍事予算を丸ごと吹き飛ばすほどの質量が、ただの一発も届かずに空中で消滅しただと!?」
隣に立つ中国とロシアの連絡将校たちも、もはや言葉を失い、青ざめた顔でメインスクリーンに映る「異常な光景」を見つめている。
孤島『ニヴルヘイム』の上空を覆う、青白いプラズマの閃光のドーム。
G4が放った飛翔体がそのドームに触れた瞬間、爆発すら許されず、まるで熱したフライパンに落ちた水滴のように、一瞬にして蒸発していくのだ。
弾切れもオーバーヒートも起こさない、物理法則を無視した無限の盾。彼らが国家の存亡を懸けて用意した『飽和特攻』は、極東の民間企業が張り巡らせた防空網の前に、ただの「花火」として消費されていた。
「て、提督! これ以上の対空攻撃は無意味です! 空の壁は抜けません!」
「黙れッ!! ここで引き下がれば、我々大国は永遠にあの悪魔の奴隷となるのだぞ!!」
提督は、額から滝のような汗を流しながら、狂乱したように海図のテーブルを叩き割らんばかりの勢いで殴りつけた。
彼のプライドが、そして背後で結果を待っている各国の首脳陣の狂気が、彼に「撤退」という選択肢を許さなかった。
「空がダメなら……海だ!!」
提督は、血走った目で海図の『ニヴルヘイム』の海岸線を指差した。
「奴らのプラズマ迎撃システムは、上空からの脅威に特化しているはずだ! 海面すれすれや海中で数万度のプラズマを発生させれば、海水が爆発的に沸騰し、奴らの島そのものが大津波と水蒸気爆発で自滅する! だからこそ、奴らは海をプラズマで覆っていないのだ!」
「な、なるほど……! 海からの攻撃には、あの光の壁は使えないというわけか!」
ロシアの将校が、藁にもすがる思いでその理論に飛びついた。
「全潜水艦部隊へ通達! 魚雷発射管を開き、島に向けてありったけの重魚雷を一斉発射しろ! さらに、各艦に搭載しているステルス特攻ボート部隊と、水陸両用の特殊強襲部隊をすべて海面に降ろせ! 空からの囮を撃ち続けながら、海面と海中から波状攻撃を仕掛けるのだ!!」
それは、絶望の淵に立たされた軍人たちが絞り出した、執念の一手だった。
彼らは知る由もない。自らが導き出したその『海からの死角』という推論すらも、極東の悪魔と狂気の天才科学者によって、とうの昔に完全に計算され尽くした『誘い込み(キルゾーン)』であるということに。
* * *
「――大国どもの浅知恵ですね。空の扉が閉ざされていると知るや、今度は足元から泥を這ってやってくるつもりのようです」
ニヴルヘイムの地下、中央作戦司令室。
橘玲奈が、巨大なホログラム・モニターに映し出された海中ソナーの反応を見下ろしながら、冷酷な嘲笑を漏らした。
「ソナーに無数の反応。G4合同艦隊の原子力潜水艦から、数千発の重魚雷が島へ向けて一斉発射されました。さらに海面には、レーダー反射面積を極限まで抑えたステルス特攻ボートの群れが、猛スピードで海岸線へと接近中です」
「ご苦労。……予想通りの動きだ」
私は、特注のレザーチェアに深く腰掛けたまま、冷めたコーヒーを口に運んだ。
大国どもは、海中や海面ではプラズマが使い物にならないと踏んで突撃してきている。確かに、物理的にはその通りだ。
だが、私とクリスが用意した『絶対防壁』は、空の盾だけではない。
「ヴィクトル。ネズミどもが、お前の庭(海岸線)にやってきたぞ」
私が暗号化回線を開くと、モニターの分割画面に、完全武装したヴィクトル・イワノフの姿が映し出された。
『――お待ちしておりました、ボス。連中を海の底へ沈める準備は、とうに整っております』
ヴィクトルの背景には、島の海岸線に築かれた地下トーチカと、彼が統括する『シャドウ』の精鋭たちの姿がある。
彼らが身に纏っているのは、漆黒の強化外骨格。人工筋肉と超電導モーターによって常人の数十倍の腕力と機動力を生み出す、文字通りの『歩く戦車』だ。
「クリス。第二の盾の起動シークエンスに入れ」
『ヒャッハー!! 任せとけボス! 海から来る馬鹿どもに、俺の可愛いペットたちの恐ろしさをたっぷり味わわせてやるぜ!』
別の画面で、クリスが狂気に満ちた笑い声を上げながら、エンターキーを激しく叩き込んだ。
『自律型マイクロ・ドローン群、全機ハッチ解放! 捕食モード、起動!!』
クリスの号令と共に、ニヴルヘイムの海岸線に偽装された無数のハッチが一斉に開いた。
ブゥゥゥゥン……という、数十万、数百万の羽音が重なったような不気味な低周波音が、島の周囲の空気を震わせる。
ハッチから溢れ出したのは、黒い煙のような、あるいは巨大な竜巻のような群れ。一つ一つがスズメバチほどの大きさしかない、極小の『自律型マイクロ・ドローン』だ。
数千万機にも及ぶドローンが、一つの巨大な意思を持った生命体のように空中で渦を巻き、猛烈なスピードで海面と海中へと突入していった。
* * *
「――目標の島まで、あと五キロ! 敵の迎撃態勢なし! このまま海岸線に突入し、上陸部隊の橋頭堡を築く!」
海面を猛スピードで滑走するG4のステルス特攻ボートの操舵手が、無線で本国へ向けて興奮気味に報告した。
上空ではプラズマの閃光が味方のミサイルを焼き尽くけているが、彼らの進む海面には何の障害物もない。彼らは、自分たちが極東の悪魔の『死角』を突いたのだと確信していた。
だが、その確信は、海面から突如として湧き上がった『黒い霧』によって一瞬で粉砕された。
「な、なんだあれは!? 煙幕か!?」
操舵手が目を剥いた次の瞬間、特攻ボートの周囲を、数百万機のマイクロ・ドローン群が完全に包み込んだ。
バラバラバラッ!! という、雹が叩きつけるような異音がボート全体を覆う。
「ひぃっ!? 虫!? いや、機械の群れだ!!」
「撃て! 振り払え!!」
ボートに乗っていた特殊部隊の隊員たちがパニックに陥り、アサルトライフルを乱射する。だが、煙のように形を変える数百万の群れに対して、銃弾など何の意味も成さない。
ドローンたちは、それぞれに極小のレーザーカッターとプラズマ切断機を搭載している。彼らはAIのネットワークで完全に連携し、ボートの『最も脆弱な部分』を瞬時に計算して食い破り始めた。
ガリガリガリッ! キィィィンッ!!
「エンジンが止まった!? クソッ、スクリューのシャフトが物理的に切断されているぞ!!」
「計器が死んだ! 船体に穴が開いてる! 浸水だ、沈むぞぉぉぉッ!!」
ステルス特攻ボートは、爆発する間すら与えられず、数秒のうちにエンジンと操舵系を分子レベルで切り刻まれ、ただの沈みゆく鉄屑へと変貌した。
海に投げ出された特殊部隊の隊員たちは、黒い霧にまとわりつかれ、強化スーツの隙間から神経と腱を正確に焼き切られ、悲鳴を上げながら暗い海の底へと引きずり込まれていく。
そして、その地獄は海面だけではなかった。
海中を進む数千発の重魚雷。それらに対しても、特殊な防水耐圧コーティングを施された海中用スウォーム・ドローンが群がり、推進スクリューと信管の起爆回路を瞬時に物理切断し、ただの鉄の筒に変えて海底へと沈めていたのだ。
「……あ、あぁ……あぁぁぁ……ッ」
辛うじて黒い霧の包囲を抜け、ボートの残骸にしがみつきながらニヴルヘイムの海岸へ漂着した数名のG4特殊部隊員たちは、咳き込みながら絶望の表情で陸地を見上げた。
彼らが頼りにしていた無敵の海中・海面戦力は、島に辿り着く前に、文字通り『すり潰されて』消滅したのだ。
「くそっ……! 我々は、人類の誇りを懸けた軍人だぞ……! こんな虫ケラどもに……!」
一人の隊員が、血を吐きながらアサルトライフルを構え、島のジャングルへと銃口を向けた。
だが、彼らを待っていたのは、さらなる深い絶望だった。
ズゥゥン……、ズゥゥン……。
地響きを立てながら、ジャングルの暗がりから姿を現したのは、漆黒の強化外骨格に身を包んだ、身長二メートルを超える『シャドウ』の兵士たちだった。
その先頭に立つヴィクトル・イワノフは、片手で抱えた巨大なプラズマ・キャスターの銃口を、無慈悲に漂着者たちへと向けた。
「……我が主の領域を汚すな、薄汚いネズミども」
ヴィクトルの冷酷な宣告と共に、プラズマの青白い閃光が海岸線を真昼のように照らし出す。
G4の精鋭たちが放つアサルトライフルの弾幕は、シャドウの展開する電磁シールドにすべて弾き返され、次瞬、数万度の熱線が彼らの肉体を防弾チョッキごと一瞬にして蒸発させた。
悲鳴すら上がらない。
大国が国家の威信を懸けて送り込んだ水際からの波状攻撃は、島の防衛線の最も外側の壁に触れることすらできず、文字通り一匹残らず完全に殲滅されたのである。
* * *
「――海中および海面からの接近目標、全機のロストを確認。スウォーム・ドローン群、およびシャドウ部隊による海岸線のクリアリング、完全に終了しました」
地下のコントロールルームに、玲奈の冷徹な報告が響き渡った。
「ご苦労。……空も海も、完全に塞がれたな」
私はレザーチェアに深く腰掛けたまま、モニターに映る大国の空母の戦術データを見下ろした。
「彼らの浅知恵による奇襲は、すべて失敗に終わった。……さて、これで少しは頭が冷えただろうか」
私は、G4の首脳陣がこの絶望的な結果を受けて撤退を選ぶか、あるいは通信回線を開いて降伏を申し出てくるものだと予想していた。
常識的な軍事作戦であれば、手札の九割を失った時点で撤退するのがセオリーだからだ。
だが、私の予測は、モニターに表示された新たなデータによって裏切られた。
「……ボス。G4の艦隊、撤退の兆候はありません」
玲奈が、わずかに声のトーンを上げて報告した。
「それどころか、後方からさらに数十隻の輸送艦が接近しています。……艦載されているのは、先ほどと同規模の巡航ミサイルと無人特攻ドローンの群れ。さらに、追加の原子力潜水艦が五隻、海域に進入してきました」
「なんだと?」
私は眉をひそめた。
『ヒャッハー!! 連中、完全に頭がイカれちまったぜ!』
クリスが、モニターの向こうで呆れたように叫ぶ。
『俺のアイギス・シールドとスウォーム・ドローンの前に、どれだけ弾を撃ち込んでも無駄だってわかったはずなのに! まだ同じ攻撃を繰り返すつもりか!?』
「……いや、違う。彼らは無駄だとわかってやっているわけではない」
私は、モニターに映る無数の赤い矢印――次々と海域に集結してくる大国の増援データを見つめ、静かに、だが確かな戦慄を帯びた声で呟いた。
「彼らは『飽和』を諦めていないのだ。……私の防衛網の処理限界を超えるまで、ただひたすらに、国家の全予算と資源が尽きるまで、弾を撃ち続けるつもりだ」
「国家の予算が尽きるまで、ですか……!?」
玲奈が息を呑む。
「そんなことをすれば、アメリカも中国も、自国の経済と防衛力が完全に崩壊します! 狂気です!」
「そうだ、狂気だ。……歴史の修正力が、彼らの理性を完全に焼き切ったのだ」
私は、レザーチェアの肘掛けを強く握りしめた。
私がどれほど圧倒的な未来技術を見せつけようと、彼らは「神盾宗一を排除しなければ人類に明日はない」という狂信に憑りつかれている。
一回の敗北で諦めるようなまともな思考回路は、彼らにはもう残っていないのだ。彼らは自らの国家が飢え、破産しようとも、私という特異点を殺すまで終わりのない波状攻撃を仕掛けてくる。
「……面白い。大国としての意地と狂気、存分に見せてもらおう」
私は、暗闇のコントロールルームの中で、目をギラつかせて宣言した。
「クリス、ヴィクトル。防衛線を維持しろ。……彼らが国家の全リソースを限界まで注ぎ込み、文字通りすべてを撃ち尽くすまで、我々はこの『終わりのない物量戦』を真っ向から受け止めてやる」
大国のすべてを懸けた狂気の総力戦は、一方的な蹂躙では終わらなかった。
極東の悪魔が築いた絶対防壁と、歴史の修正力に憑りつかれた大国の終わりのない物量戦。
島を包み込む業火と爆発の嵐は、昼夜を問わず、愛する者の聖域を巡る果てしない泥沼の消耗戦へと、その凄惨な扉を開け放ったのだった。
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