第75話 聖域への退避と、人類最大の飽和特攻
東京を密かに離陸した光学迷彩搭載のステルス輸送機は、深夜の太平洋上空を音もなく飛行し、南太平洋に浮かぶ絶海の孤島へと着陸した。
表向きはイージス・イノベーションズの『民間宇宙開発基地』として登録されているが、その地下深くに広がるのは、人類の科学力の常識を五十年は置き去りにした巨大な軍事要塞――『ニヴルヘイム』だ。
地下数百メートルに構築された、核攻撃すら耐えうる完全自給自足の超巨大シェルター。その一角に設けられた広大で豪奢な居住ブロックに、私は愛する家族を案内していた。
「うわぁ……すごい! ここがパパの会社の新しい極秘プロジェクトの拠点なの?」
サチコが、天井に広がる人工の青空と、完璧に温度管理された快適な空間を見渡して目を輝かせた。
「わぁっ! すごい、おっきなひみつきちみたい!」
六歳になったユウキが、大興奮で広いリビングの絨毯の上を駆け回っている。彼が少し前に私が作ってやったAIロボットを片手に持ち、目をキラキラと輝かせている姿は、この地下シェルターの物々しさを忘れさせてくれるほどの光だった。
「お義父さん、驚きました。こんな南の島に、これほど大規模な地下都市が建造されていたなんて……。それに、この施設の空調とエネルギー循環システム、俺の知っている現代の工学理論を完全に超えていますよ」
サチコの夫である誠が、純粋なエンジニアとしての知的好奇心を隠しきれない様子で、壁面のパネルや照明の構造を観察している。
彼は本当に優秀で、そして驚くほど素直な青年だ。自分が裏社会で「極東の悪魔」と呼ばれる男の掌の上で踊らされ、今まさに世界を敵に回したテロリストの拠点に匿われているなどとは、微塵も疑っていない。
「ああ、ここは我が社の最高機密の研究開発施設だ。……少し大きなプロジェクトが動いていてね。外部への情報漏洩を完全に防ぐため、しばらくの間、君たちにはここでバカンス気分で過ごしてもらいたい」
私は、柔和な父親の、そして義父としての完璧な笑顔を浮かべて彼らを安心させた。
「ユウキ、走ったら転ぶわよ。宗一くんったら、本当に大げさなんだから。でも、たまには家族みんなでのんびり過ごすのも悪くないわね」
結衣が、走り回るユウキを優しく窘めながら微笑んだ。
「必要なものはすべて揃っている。専属のシェフもメイドもいるし、ユウキが遊べる広いプレイルームもあるから、何も不自由はさせないよ。……サチ、誠くん、ユウキを頼んだぞ」
「うん! パパもお仕事頑張ってね!」
家族の笑顔を見届けた後、私は居住ブロックの分厚い防爆ドアを閉めた。
ガチャン、という重厚なロック音が響いた瞬間。私の顔から温かい家族愛の仮面がスッと剥がれ落ち、絶対零度の冷徹な総帥の顔へと切り替わった。
* * *
「――お疲れ様です、ボス。ご家族の居住ブロックのセキュリティ、物理・情報ともに最高警戒レベル(シグマ)でロックしました。ここを突破できる武力は、この地球上には存在しません」
地下要塞の最深部。
巨大な吹き抜け構造を持つ中央作戦司令室に足を踏み入れた私を、ヴィクトル・イワノフと橘玲奈が出迎えた。
壁面を360度覆い尽くす巨大なホログラム・モニター群には、世界中の軍事衛星のデータ、通信トラフィック、そして各国のニュース映像がリアルタイムで表示されている。
「ご苦労。……で、私が空を飛んでいる間、地上の『空き箱』はどうなった?」
私は、司令室の中央に用意された特注のレザーチェアに腰掛け、冷たい水を一口飲んだ。
「ボスのご期待通り、極めて滑稽な喜劇が展開されましたよ」
玲奈が、悪女のような艶やかな笑みを浮かべ、メインモニターの一つを拡大した。
映像には、六本木のイージス・イノベーションズ本社ビルに、日本の警察の特殊部隊(SAT)と自衛隊の特殊作戦群が、重武装で突入していく様子が映し出されていた。
だが、彼らが厳重な扉を爆破し、社長室や地下のサーバー・ルームに踏み込んだ瞬間、その顔は完全な絶望とパニックに染まった。
彼らが見たものは、数千度のサーマイト反応によってドロドロに溶け落ちたサーバーラックの残骸と、一枚の紙切れすら残されていない、完全なもぬけの殻だった。
「日本政府は、大国(G4)に差し出すための手土産を完全に失いました。……さらに、我々が深海プラントの制御コードを完全に遮断したため、伊豆諸島沖のプラントは安全装置が作動し、緊急停止。日本国内へのエネルギー供給は完全にストップしました」
玲奈が、無慈悲な経済データを表示させる。
「現在、日本列島の七割が大規模なブラックアウト(大停電)に陥っています。空前の好景気は一瞬で崩壊し、株式市場は完全に機能停止。政府の閣僚たちは、大国の圧力と国民の怒号の板挟みになり、責任を押し付け合って阿鼻叫喚の地獄絵図です」
「自業自得だ」
私は、画面の中で右往左往するかつての協力者たちを見下ろした。
「私と家族を売り飛ばし、大国の泥舟に乗った代償だ。歴史の修正力と共に、その無能な選択を呪いながら沈むがいい」
「そして、ボス。G4(臨時四ヶ国協調体制)がついに、表舞台で動きました」
ヴィクトルが、険しい表情で別のモニターを指し示した。
そこには、国連安全保障理事会の緊急会合の映像が映っていた。
アメリカの国連大使が、激しい身振り手振りで演説を行っている。
『――イージス・イノベーションズは、もはや一民間企業ではない! 彼らは各国のインフラを人質に取り、極東の海や宇宙に未知の兵器を隠し持つ、人類史上最悪の国際テロ組織である! 我々地球安全保障同盟(G4)は、全人類の平和と自由を守るため、神盾宗一という独裁者を排除する『正義の鉄槌』を下すことを、ここに宣言する!』
会場からは、G4の圧倒的な圧力に屈した各国の代表たちによる、まばらな、しかし確かな賛同の拍手が巻き起こっていた。
「……見事なプロパガンダだ。自分たちが資源と技術を奪い取るために軍を動かすという本音を、『人類の解放』という美しい言葉で完全にコーティングしている」
私は喉の奥で低く笑った。
『ヒャッハー!! 笑わせるぜ! 正義の鉄槌だぁ!? テロリストはお前らの方だろうが!』
司令室の一角にある巨大なコンソール群の奥から、Dr.クリス・ウォーカーが血走った目を剥き出しにして身を乗り出してきた。
『ボス! G4の連中、ついに本気で俺たちの島を沈めに動き出したぜ!』
クリスがキーボードを叩き割らんばかりの勢いで操作すると、ホログラム・モニターに太平洋の広域戦術マップが展開された。
「G4合同艦隊の動向は?」
私が問うと、ヴィクトルが冷徹な声で報告を継いだ。
「太平洋上に展開していた彼らの空母打撃群、および極超音速ミサイル搭載巡洋艦、原子力潜水艦の群れが、日本近海から完全に進路を変更。全速力で、この南太平洋のニヴルヘイムへ向けて南下を開始しました」
ヴィクトルは、地図上に無数の赤い矢印を点灯させる。
「さらに、アメリカのグアム基地、ハワイ基地、そしてオーストラリア方面からも、彼らがこの数年間で大量生産した『自律型特攻ドローン』と旧式の巡航ミサイルを積載した輸送艦やステルス爆撃機が、続々と発進しています。……その数、文字通り『星の数』。数百万機に及ぶ、人類史上最大の飽和特攻です」
「なるほど」
私は、画面を赤く染め尽くす敵の戦力ベクトルを見上げ、極低温の笑みを深めた。
「私の防衛網の処理能力を、物理的にパンクさせようという大国ならではの力技。……彼らも、国家の存亡を懸けた全リソースを、本当にこの一つの作戦に注ぎ込んできたというわけだ」
「ボス、いかがなさいますか。彼らがこの島の防空圏に到達するまで、あと四十八時間もありません」
玲奈が、微かな緊張を滲ませながら尋ねた。
「迎撃の準備はとうに整っている。彼らが希望に満ちてこちらへ向かってきているのなら、私たちは最高の『絶望』を用意して出迎えてやるだけだ」
私は立ち上がり、クリスとヴィクトルへ向けて絶対零度の命令を下した。
「クリス。アイギス・シールドのジェネレーターを最大出力でスタンバイ。深海のプラントから無尽蔵のエネルギーを吸い上げ、島を覆う完璧なプラズマの壁を構築しろ」
『任せとけボス! 一粒の雨水すら通さねえ、地獄の業火の防波堤を見せてやるぜ!』
「ヴィクトル。お前の率いるシャドウの精鋭たちを、海岸線の第一防衛ラインへ配置しろ。強化外骨格の兵装制限をすべて解除。万が一にも、ドローンの一機たりとも島の上空へ侵入させるな」
『御意。我々が、絶対の盾となります』
私が命を懸けて完成させた、南太平洋の孤島要塞『ニヴルヘイム』。
ここは、大国の暴力から愛する家族を永遠に守り抜くための、地球上で最後の『聖域』だ。
彼らが数百万発のミサイルとドローンでこの島を押し潰せると思っているのなら、私はその絶望的なまでの物量を一粒残らず空中で蒸発させ、彼らの常識と誇りを物理的に焼き尽くしてやる。
そして、彼らが手札のすべてを撃ち尽くし、絶対防壁の前に自らの無力さを悟ったその瞬間に。
私の命と直結した、宇宙からの『本物の絶望(神の雷)』を突きつけるのだ。
「来い、大国(G4)の化石ども。……お前たちの選んだ破滅の結末を、私がこの手で完結させてやる」
『――戦術防衛AI、完全自律モードへ移行。対空プラズマ・ポイントディフェンス、スタンバイ。全砲門、迎撃態勢完了』
要塞の最深部に、無機質な電子音声が静かに、そして冷たく響き渡る。
壁面の巨大なホログラム・マップでは、赤く染まった敵の大群が、じりじりと、しかし確実にこの小さな孤島へと距離を詰めてきている。
だが、コントロールルームに恐怖の色は一切ない。
一切の感情を持たないスーパーコンピュータと、それを統べる極東の悪魔が、ただ歴史の修正力を真っ向から叩き潰す瞬間を待ちわびて、粛々と膨大な迎撃シミュレーションを繰り返している。
大国の威信を懸けた『狂気の飽和特攻』と、極東の悪魔が築いた『絶対防壁』。
愛する者の聖域を護り抜くための凄惨な防衛戦の幕が、ついに静寂を破り、圧倒的な暴力の嵐と共に開かれようとしていた。
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