第5話 宣戦布告と、海を越えた驚愕
秋葉原のレンタルラボ。
私はカメラの録画ボタンを押し、机の上に置いた『次世代マルチタッチパネル』のプロトタイプに指を這わせた。
黒いプラスチックケースに収められた、無骨なガラス板。
だが、その上で指を滑らせた瞬間、画面上に表示されたテスト用の図形が、まるで私の指先と物理的につながっているかのように滑らかに動いた。
二本の指で拡大・縮小を行うピンチ操作。五本の指を同時に動かしての複雑なジェスチャー。さらには、指先にわざと水滴をつけての高速スワイプ。
現在のスマートフォンが抱えている「遅延」や「誤作動」は、一切生じない。十本の指すべての動きを、システムがコンマゼロ秒の遅れもなく完璧にトラッキングしているのだ。
「ふむ。2010年の未熟な素材でも、ソフトウェアのアルゴリズムさえ極限まで最適化すれば、ここまで動くか」
2065年の私からすれば「よくできたおもちゃ」程度の代物だ。
だが、今の時代の連中からすれば、魔法かオーパーツにしか見えないだろう。
私は一分ほどの動作動画を撮影し、ノートパソコンに取り込んだ。
すでに日本の特許庁、およびアメリカ特許商標庁(USPTO)には、このアルゴリズムと関連技術の特許出願を済ませている。
準備は完全に整った。
私はメールソフトを立ち上げ、アメリカ・シリコンバレーに本社を構える巨大テック企業『APEX社』の極秘開発部門の責任者、デイビッド・ミラーの直通アドレスを寸分違わず打ち込んだ。
彼のアドレスなど公開されていないトップシークレットだが、未来の記憶を持つ私にとっては、辞書を引くよりも簡単なことだ。
『件名:次世代マルチタッチパネル制御アルゴリズムのライセンス提供について』
本文には、現在の彼らが開発中の次期モデルが抱えている技術的欠陥を容赦なく指摘し、「私の特許技術を使えば、御社のデバイスは五年分の進化を遂げる。独占契約の用意がある」とだけ記した。
そして、出願済みの特許番号と、先ほどのプロトタイプの動作動画を添付する。
迷うことなく、送信ボタンのエンターキーを叩いた。
「さあ、受け取れ。これが私からの果し状だ」
* * *
同時刻。
アメリカ合衆国カリフォルニア州、クパチーノ。
世界最高の時価総額を誇る巨大テクノロジー企業『APEX社』の広大なキャンパスの一角で、開発部門のシニア・ディレクターであるデイビッド・ミラーは、深い溜め息をついていた。
「クソッ、また遅延だ! これじゃ来年の新製品発表に絶対に間に合わないぞ!」
デスクの上に散乱する次期スマートフォンの試作機。何度テストしても、スクロール時の引っ掛かりと、少し指が湿っているだけで発生する誤タッチが解消できない。
完璧主義で知られるカリスマCEOからのプレッシャーは日に日に増しており、デイビッドの胃には穴が開きそうだった。
苛立ち紛れにメールボックスを開くと、厳重なスパムフィルタをすり抜けて、一通の奇妙なメールが届いていた。
「……日本の、個人からのメール? 次世代マルチタッチパネルのライセンス提供、だと?」
デイビッドは鼻で笑った。
日本の大企業ならともかく、所属すら書かれていない個人の自称研究者。しかも、自分の直通アドレスに直接送られてきている。気持ちの悪いスパムメールに決まっている。
ゴミ箱アイコンにカーソルを合わせた彼だったが、自らが抱える絶望的な行き詰まりが、ほんの気まぐれを起こさせた。
「どうせフェイクだろうが……一応、添付の動画だけ見てやるか」
マウスクリックで、軽い容量の動画ファイルが再生される。
画面に映し出されたのは、薄汚いラボの机に置かれた不格好な自作のガラス板。
しかし、その画面上で指が滑った瞬間――デイビッドの目が、限界まで見開かれた。
「な、なんだこれは……ッ!?」
吸い付くような追従性。
水滴がついていようが、十本の指を同時に動かそうが、一切の遅延なくシステムが反応している。
APEX社の天才エンジニアたちが、何十億円もの予算と数年間の時間を費やしても絶対に到達できなかった『完璧な動作』が、その粗い動画の中でごく当たり前に行われていた。
「あり得ない……CG合成か!? いや、メールに記載されているこの数式の羅列……理論が、完全に成立している……!」
デイビッドは椅子から跳ね起き、震える手でアシスタントを怒鳴りつけた。
「おい、ジョージ!! 今すぐ特許商標庁のデータベースにアクセスしろ! このメールに書かれている申請番号を照会するんだ! ……急げ!! もしこれが本物なら、世界がひっくり返るぞ!!」
日本の狭いアパートから放たれた天才の毒矢は、いとも容易く、世界最高のテクノロジー企業の心臓を射抜いたのだった。
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