第34話 無効化される現代兵器と、絶望のプラズマ・キャスター
東京湾の端、第七廃倉庫街。
完全に退路を断たれ、強力なサーチライトの逆光の中で立ちすくむ三十名以上の精鋭工作員たちは、極限の死の恐怖に直面していた。
「撃て! 撃ち殺せぇぇぇッ!!」
静寂を切り裂いたのは、ロシアのマフィア『ブラトヴァ』のリーダー、イゴールの絶叫だった。
追い詰められた獣の、自暴自棄とも言える決死の号令。それに呼応し、ロシアと中国の工作員たちが一斉にアサルトライフルやサブマシンガンを乱射した。
ガガガガガガガガッ!!
鼓膜を劈くような銃声の嵐が廃倉庫街に響き渡り、無数のマズルフラッシュが夜の闇を照らす。
三十人からの集中砲火だ。放たれた何千発もの鉛の弾丸は、包囲を形成するヴィクトル率いる『シャドウ』の隊員たちへと雨霰のように降り注いだ。現代の軍事の常識で考えれば、彼らは一瞬で血肉の塊へと変わるはずだった。
だが。
――カィィィンッ! キィィィィンッ!
シャドウの隊員たちの身体の数十センチ手前で、飛来した弾丸が空中の『見えない壁』に次々と衝突し、甲高い音と火花を散らして弾き落とされていく。
「な……!? 弾が、当たらない……!? なんだあの光の壁は!!」
「馬鹿な! 透明な防弾シールドなんか持っていなかったはずだぞ!」
工作員たちが、信じられないものを見るように目を剥いて絶叫した。
彼らがどれだけ引き金を引こうとも、空の薬莢がアスファルトに虚しくバラバラと降り積もるだけで、シャドウの隊員たちにはかすり傷一つ、衣服の繊維一本の綻びすら生じないのだ。
彼らが装備しているのは、防弾チョッキでも強化ガラスの盾でもない。
イージス社の技術……否、狂気の天才Dr.クリス・ウォーカーが2065年の理論を元に開発した『個人携行型・電磁シールド発生器』だ。
着用者の周囲に強力な磁場とプラズマの極薄い膜を展開し、飛来する物体の運動エネルギーを瞬時に減衰させ、弾き返す。現代の火薬を用いた物理弾など、何万発撃ち込もうと完全に無効化される。
「クソが! ふざけるな、化物どもめ!! RPGを撃ち込め!! まとめて吹っ飛ばしてやる!」
中国側の工作員リーダー、張が発狂したように叫んだ。
後方にいた工作員の一人が、肩に担いだ対装甲用のロケットランチャー(RPG)の引き金を引く。
シュゴオオオォォォッ!!
ロケット推進の榴弾が、炎の尾を引きながらヴィクトルの足元を正確に狙って飛来した。戦車の装甲をも貫くその一撃が直撃すれば、爆風と破片で周囲十メートルは吹き飛ぶ。
だが、ヴィクトルは微動だにしなかった。
彼はただ、冷酷な瞳で飛来するロケット弾を見据えているだけだ。
――ボフゥゥゥンッ……。
爆発は、起きなかった。
ロケット弾はヴィクトルの眼前、見えない壁に衝突した瞬間、その信管を起爆させる物理的な衝撃すらも電磁シールドに吸収・無力化され、まるで泥の塊でもぶつけられたかのように、ポトリとアスファルトの上に無様に転がり落ちたのだ。
「あ……」
RPGを放った工作員が、絶望に顎を震わせ、手から発射管を取り落とした。
アサルトライフルの弾幕も、戦車を破壊するロケット弾も、一切通用しない。
彼らが拠り所としていた『現代の重武装』という名の暴力が、完全に紙屑に変わった瞬間だった。
「現代のオモチャの射撃会は終わりか?」
ヴィクトルが、まるで退屈なショーを見せられた観客のように、冷たく言い放つ。
「三十人も集まって、その程度の火力とはな。……我が主の愛娘の晴れ舞台を邪魔しようとしたのだ、もっと我々を楽しませてくれるかと思ったが、拍子抜けだ」
ヴィクトルは背中に背負っていた『異様な形状のライフル』をゆっくりと手元に構えた。
銃身が存在せず、代わりに複雑な超電導コイルと特殊ガラス管がむき出しになった、およそ現代兵器とはかけ離れたSF映画のようなデザインの代物だ。
他のシャドウの隊員たちも、無言で一斉に同じ兵器を構える。
「さて、次は我々の番だな」
ヴィクトルは、凍りついたように動けなくなった工作員たちへ向けて、無慈悲に銃口を向けた。
「Dr.クリスからのプレゼントだ。……実戦データの収集に感謝するぞ、モルモットども」
* * *
「――位置について。よーい……」
パーンッ!!
スターターピストルの乾いた音が、完全貸し切り状態のイージス・ドームのグラウンドに響き渡る。
同時に、色とりどりの体操服を着た園児たちが、ゴールテープを目指して一斉に走り出した。
「いけぇぇぇッ!! サチ! そのまま真っ直ぐだ!!」
私はVIPルームの防弾ガラスにへばりつくようにして身を乗り出し、最新鋭の8Kビデオカメラを構えながら、喉がちぎれんばかりの絶叫を上げていた。
「腕を大きく振れ! 重心を低く保つんだ! 他の子たちなど気にするな、君が風を切り裂く一番星だ!!」
「宗一くん、声が大きすぎるわよ……VIPルームで良かったわ、周りの保護者さんがいたら絶対引かれてるわよ……」
隣で結衣が呆れ顔で苦笑いしているが、そんなことはどうでもいい。
ファインダー越しに見えるサチコは、私の教えた通りの完璧な前傾姿勢で、他の園児たちをぐんぐんと引き離していく。
一生懸命に歯を食いしばり、ゴールで両腕を広げて待つ担任の先生に向かって走るその姿は、神々しいほどの輝きを放っていた。
「がんばれ、がんばれ!! あと少しだ、サチ!!」
私は声を枯らしながら、傍らのテーブルに置いたタブレットの画面を、チラリと視線の端で捉えた。
タブレットの画面では、湾岸の廃倉庫街に集められた三十名の工作員たちが、絶望の中で蹂躙されようとしている光景がリアルタイムで映し出されている。
『ヒャッハー!! ボス、見てるか! 私の最高傑作、『プラズマ・キャスター』の実働テストだぜ!!』
イヤホン越しに、南太平洋の要塞ニヴルヘイムからモニタリングしているDr.クリスの狂喜の声が聞こえてくる。
「ああ、見ているぞ。サチの走りの邪魔にならないように、音を消して速やかに片付けろとヴィクトルに伝えろ」
私はカメラのレンズを愛娘に向けたまま、絶対零度の声で短く応じた。
* * *
廃倉庫街。
ヴィクトルが、プラズマ・キャスターの引き金を引いた。
発砲音は、なかった。
代わりに、――カァァァァッ!! という、空気が焼き切れるような異音と共に、超高熱のプラズマの塊が、青白い閃光となって放たれた。
それはかつて、前世で宗一の家族を消し飛ばした『神の雷』の、極小のダウンサイジング版。
大気中の気体を瞬時にプラズマ化し、電磁誘導で撃ち出す、純粋なる熱エネルギーの破壊兵器。
「ア……?」
ヴィクトルの放った青白い光が、先頭に立っていたロシア人リーダー、イゴールの胸に直撃した。
その瞬間、彼は悲鳴を上げる間すら与えられなかった。
数万度に達するプラズマの熱線が、彼の肉体、骨、内臓、そして着ていた防弾ベストや所持していた銃器すらも、一瞬にして炭化させ、次の瞬間には文字通り『蒸発』させたのだ。
血の一滴、肉片の一つすら飛び散ることはない。
後に残されたのは、アスファルトに焼け焦げた黒い人型の染みと、微かに漂うオゾンの匂いだけだった。
「ヒィィィィッ!! な、なんだあれは!!」
「化け物だ! 人間が一瞬で消えたぞ!? 逃げろ!! 車を出せ!!」
一瞬にしてリーダーが『無』に帰した光景を見た工作員たちは、完全に発狂し、戦意を喪失した。
彼らは武器を放り出し、我先にとバンへと逃げ戻ろうと背を向けた。
だが、彼らに逃げ場などない。
シャドウの隊員たちが、無慈悲にプラズマ・キャスターの引き金を次々と引いていく。
カァァァァッ! カァァァッ!!
青白い閃光が、夜の闇を幾重にも切り裂く。
光が背中に直撃した工作員たちは、次々と音もなく光に飲み込まれ、悲鳴を上げる間もなく蒸発していく。
バンに乗り込もうとした中国側のリーダーである張も、車体ごとプラズマの直撃を受けた。
「ぎゃあ……ッ!」
悲鳴は途中で途切れた。
装甲を施した商用バンでさえ、プラズマの直撃を受ければ爆発することすら許されず、どろどろの真っ赤な鉄の塊へと溶け落ちていく。その中にいた人間がどうなったかなど、想像するまでもない。
「助けてくれ! 俺たちは本国から命令されただけで――アッ!!」
「いやだ! 死にたくない、神よ!!」
命乞いも、祈りも、悲鳴も、すべてが圧倒的な熱量の中に消えていく。
そこにあるのは戦闘ではない。軍事力の衝突ですらない。
人類の理解を超えた『未来の兵器』による、一方的で、あまりにも静かな大虐殺だった。
わずか一分。
たった一分間で、国家の威信を背負い、極東の島国を我が物顔で歩き回っていた三十名以上の精鋭工作員たちは、この世から完全に『消滅』した。
廃倉庫街には、高熱で溶けたアスファルトの焦げた匂いと、真っ赤に溶け落ちたバンの残骸だけが残されていた。
* * *
「――やったああああああああっ!! サチ、一等賞だ!!」
イージス・ドームのVIPルーム。
私はカメラを掲げたまま、歓喜のあまり飛び跳ねていた。
眼下のグラウンドでは、サチコが誰よりも早くゴールテープを切り、担任の先生に抱きかかえられて満面の笑みを浮かべていた。
「すごい! すごいぞサチ! ぶっちぎりじゃないか! 結衣、見たか! 今の走り、オリンピック選手も顔負けだぞ!!」
「はいはい、おめでとうサチ。宗一くん、本当に嬉しそうね」
結衣も目を細め、拍手を送っている。
私は最高の幸福感に包まれながら、ふと、傍らのタブレットに目をやった。
画面の中の廃倉庫街は、すでに完全な静寂を取り戻している。
赤いマーカーで示されていた三十以上の敵の生体反応は、完全にゼロになっていた。
『――ボス。ゴミの清掃が完了しました』
イヤホン越しに、ヴィクトルの冷徹な声が響く。
「ご苦労だったな。……これで、私の娘の晴れ舞台に湧いた羽虫は、一匹残らず駆除されたというわけだ」
私は、カメラのモニターの中で誇らしげに金メダル(折り紙でできている)を掲げるサチコの姿をズームアップし、心の中で呟いた。
愛する家族との、この温かく平和な世界。
それを一瞬でも脅かそうとする者は、たとえ超大国の軍隊であろうと、世界そのものであろうと、私がすべて焼き尽くしてやる。
私は柔和な父親の笑顔の裏側で、冷酷なる『悪魔』としての勝利の美酒を、静かに味わっていた。




