第25話 深海の怪物と、国家が隷属する瞬間
西暦2016年、初夏。
伊豆諸島沖の太平洋上、地図には存在しない指定海域。
荒れ狂う海風が吹き荒れる中、数機の政府専用ヘリコプターが、巨大な洋上プラットフォームのヘリポートに次々と着艦した。
ローターの爆音が鳴り響く中、降り立ったのは、資源エネルギー庁の長官をはじめとする日本政府の高官たち。そして、海洋工学・地質学の最高権威である権田教授を中心とする学者陣だ。
彼らの顔には強い疲労と、それ以上の『疑心暗鬼』が浮かんでいた。
「……これが、わずか数ヶ月で急造されたというのか。信じられん規模だ」
長官が、見上げるような巨大タンクと複雑に張り巡らされたパイプ群を見渡して呻いた。
彼らはイージス・イノベーションズが主導する国家プロジェクト、『次世代型メタンハイドレート抽出プラント』の初稼働視察のために招かれたのだ。
プラットフォームの周囲には、黒い戦闘服に身を包んだ『シャドウ』の傭兵たちが等間隔で配置され、アサルトライフルを抱えたまま冷酷な視線で視察団を監視している。その異様な光景に、高官たちは萎縮しながら案内された。
向かった先は、プラットフォームの中心部にある、極秘のコントロールルームだ。
重厚な防爆ドアが開き、彼らが足を踏み入れたその空間は、壁一面にずらりと並ぶ巨大なモニター群と、無数のサーバーラックが青白い光を放つ、SF映画のような光景だった。
「よくおいでくださいました、皆様。特等席へようこそ」
部屋の中央、広大なコンソールデスクの前に立ち、私――神盾宗一と、CFOの橘玲奈が彼らを出迎えた。
「神盾社長……。ここが、霞が関の会議で君が豪語していたプラントの中枢かね」
権田教授が、依然として不信感を隠しきれない顔で口を開いた。
「いくら立派な施設を作ろうと、問題は海底だ。水深三千メートルから、君が言ったような『中東の十分の一のコスト』で資源を引き上げることなど、現代の物理法則では絶対に不可能なのだよ。我々は、君の用意した精巧なCG映像やフェイクデータに騙されるほど愚かではないぞ」
権田教授の言葉に、他の学者たちも深く頷く。
彼らは、自分たちが数十年間かけて研究してきた常識を、若造のIT成金がひっくり返せるはずがないと、未だに頑なに信じ込んでいるのだ。
「フェイクかどうか、ご自身の目と頭脳で確かめればよろしい」
私は冷たく笑い、玲奈に合図を送った。
玲奈がキーボードを操作すると、壁面のメインモニターに、深海のカメラが捉えた映像が鮮明に映し出された。
太陽の光など一切届かない、漆黒の深淵。
そこに、全長五十メートルにも及ぶ巨大な深海魚のような流線型の無人機、『クラーケン』が海底の岩盤に張り付いていた。
その先端から、青白いプラズマの閃光が放たれ、岩盤を音もなく溶かし、剥がし落としていく。そして無数のパイプから、泥ごと資源を凄まじい勢いで吸い上げている映像だ。
「馬鹿な……! 深海でプラズマだと!? 海水が瞬時に沸騰して水蒸気爆発を起こすはずだ!」
権田教授がモニターに駆け寄り、血走った目で叫んだ。
「プラズマの周囲を強力な磁場で覆い、海水との直接接触を遮断しています。同時に、深海の超低温海水を機体内部に取り込み、熱量の暴走をコンマ一秒の狂いもなく相殺しているのです」
玲奈が、冷徹な声で解説を加える。
「右側のサブモニターに、現在のリアルタイムのテレメトリーデータを表示しています。機体の温度、周囲の海水温の上昇値、抽出されている資源の成分データ、そして現在の『採掘コスト』の推移です」
学者たちが、一斉にサブモニターの膨大なデータ群に群がった。
彼らは食い入るように数式とグラフの羅列を追い、手元の電卓を叩き、やがて――一人、また一人と、言葉を失ってその場にへたり込んだ。
「ご、誤差がない……。送られてくる成分データと、パイプラインの圧力の数値が完全に一致している。これはCGやフェイクデータなんかで作り出せるものじゃない……! 本物だ。本物のデータだ……ッ!」
権田教授は、震える手で眼鏡を外し、顔を覆った。
「ドリルを使わず……摩擦熱も生じず……半永久的に、海底を掘り進む……。我々が何十年もかけて築き上げてきた海洋工学の常識が……すべて、ただの紙屑だったというのか……」
彼は膝から崩れ落ち、完全なる敗北と絶望に打ちひしがれた。
私が五十数年先の未来から持ち込んだ圧倒的な『オーパーツ』の前に、彼らのちっぽけなプライドなど、文字通りプラズマの熱線で蒸発させられたに等しかった。
「神盾社長!! これは……本当に、海底から上がってきているのか!?」
一方、資源エネルギー庁の長官は、狂喜に満ちた声を上げて私に詰め寄った。
「ええ。第一から第十タンクまで、すでに満杯です」
私は彼らの歓喜を煽るように、静かに答えた。
「ガス純度、99.8パーセント。不純物の精製プロセスをスキップし、そのまま海底パイプラインを通じて国内の火力発電所へ送出可能なレベルです。現在のペースで稼働し続ければ、国内のエネルギー需要の三十パーセントを、このプラント単独で賄うことができます」
「おおお……! なんという……なんということだ!」
長官は歓喜のあまり、両手を天に突き上げて叫んだ。他の高官たちも、互いに抱き合って涙を流して喜んでいる。
日本という国家が、長年のエネルギー輸入の呪縛から完全に解き放たれ、中東を凌駕する『世界最大の資源大国』になる。その歴史的な瞬間を目の当たりにし、誰もが狂乱の渦の中にいた。
「これですぐに総理に報告する! 来月のG8(主要国首脳会議)で、全世界に向けてこの偉業を発表しよう! 日本は世界の中心になるぞ!」
だが、その熱狂の頂点で、私は絶対零度の声で彼らに冷や水を浴びせた。
「長官。一つ、忠告しておきます」
「ん? なんだね、神盾君! 君はこの国の救世主だ、何でも言ってくれたまえ!」
「救世主、ですか。……いいでしょう。では、このプラントの『真実』をお伝えしておきます」
私はゆっくりと彼らに近づき、深淵を覗き込むような冷たい視線で彼らを見下ろした。
「この深海プラントと、海底のクラーケンを動かしている中核の制御システムは、すべて完全にブラックボックス化されています」
「ブラックボックス……? それは、機密保持のために企業秘密にしているということかね?」
「違います。文字通り、誰にも手出しができないということです」
私は手元のリモコンを操作し、モニターに機体の内部構造図を映し出した。
「このプラントは、六本木のイージス本社から発信される、高度に暗号化された制御信号を毎秒受信し続けることで稼働しています。もし、この信号が途絶えれば、プラントは即座に機能を停止し、ただの巨大な鉄屑と化します」
「なっ……!?」
「さらに、他国のスパイや、あるいは日本政府の人間が、我が社の許可なくこの機体を物理的に分解・解析しようとした場合――」
私の言葉に合わせ、モニターの機体深部に赤い警告マークが点灯した。
「機体内部に組み込まれた自爆プロトコルが作動し、コアが熱暴走を起こして海底の泥ごと跡形もなく消滅するように設計されています」
歓喜に沸いていた高官たちの顔から、サァッと血の気が引いた。
彼らはようやく理解したのだ。
日本が資源大国になるということは、同時に『日本という国家の生命線が、イージス・イノベーションズという一民間企業に完全に首根っこを掴まれる』と同義であることに。
「ば、馬鹿な! 国家の根幹を担うエネルギー施設に、自爆装置を仕掛けただと!? 万が一の事故で国が傾くぞ! 今すぐそのプロトコルを解除し、制御コードを国に引き渡しなさい!!」
長官が顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「お断りします」
私は彼を一瞥し、冷酷に言い放った。
「私が技術を提供しなければ、この黄金は永遠に海底の泥のままです。……安心してください、長官。契約通り、資源から得られる莫大な利益は、税収という形で国にもしっかりと還元しますよ。我々の指示通りに、大人しく手足として動いてくれる限りはね」
高官たちは、完全に沈黙した。
イージス社の技術介入を拒める人間など、もはやこの国には存在しない。彼らは、莫大な富とエネルギーという『麻薬』を前に、自ら進んで私の用意した首輪をはめるしか道はないのだ。
「来月のG8での発表、大いに期待していますよ。世界史が変わる瞬間を、派手に演出してください」
私は背を向け、彼らをコントロールルームに残したまま、玲奈と共に部屋を後にした。
* * *
ヘリポートへ向かう通路を歩きながら、玲奈がクスリと笑った。
「見事な手綱捌きでしたね、ボス。これで日本政府は、我々の宇宙開発と『真の目的』を支えるための、完全な隷属機関となりました」
「欲に目の眩んだ化石どもを支配するのは容易いことだ」
私は海風に髪を揺らしながら、暗く波打つ太平洋を見渡した。
「世界中が、この黄金の海に狂うだろうな」
G8で日本の資源大国化が発表されれば、世界のエネルギー市場はパニックに陥る。
そして、エネルギーの覇権を奪われることを何よりも恐れる四大勢力(特に中国とロシア)は、必ずこの極東の島国へ牙を剥く。
表立っての軍事行動ができない彼らは、スパイやマフィアといった裏社会の暴力を使い、イージス社の技術、そして私の家族を標的としてなだれ込んでくるはずだ。
それは、前世で私が無自覚のうちに招いてしまった悲劇。
だが今世では違う。私が意図的に引き起こす『嵐』であり、彼らを強制的に引きずり込むための極上の『罠』だ。
「四大勢力のハイエナども。いつでも来るがいい。お前たちが極東の狩り場に足を踏み入れた時、私の真の復讐が始まるのだから」
深海の底で目を覚ました怪物は、音もなく泥を喰らい、黄金を吐き出し続けている。
歴史の分岐点に向けた、不気味で静かな『嵐の前の静けさ』が、極東の島国を完全に包み込もうとしていた。
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