19.来訪者
とろみのついたカレーは出来上がりを迎えていて、火は既に止めてあった。後はご飯が炊けるのを待つだけだまだかとソワソワして炊飯器の残り時間を覗き込んでいると後ろでガラリとドアが開いた音がした。十二時を過ぎたくらいだった。
「腹減ったー」
「おーすげーいい匂いー」
「もうできてんの?」
練習着姿の野球部員が勝手なことを言いながらドカドカと入りかけた五人を部長は止めに駆け寄る。俺は何が起きたのかさっぱり分からない上に、一年生歓迎会も兼ねていたのではないだろうかと首を傾げる。野球部が来るなんて一言も聞いていない。
近くにいた三年の先輩をちらっと見ると小声で教えてくれた。
「野球部の問題児達。前の部長が押し切れずに何回か食べさせちゃってね。味をしめて来るようになったの。野球部で注意はしてもらってるはずなんだけどね」
他の先輩は慣れた様子で、どこかへ電話している。
「あいつ、必要な時に出ない! なんの為の顧問だっつの!」
先生に電話したようだが出ないらしい。
「今の部長になってから、先生に来てもらって食べさせたことないけど…」
その様子を見て先生が来ないと分かったのか、勢いづいた野球部が靴を脱ごうとしているところで部長が言った。
「まだ時間が掛かるんだ。ご飯も炊けてないし」
その直後、炊飯器の音が鳴った。
嬉しい音のはずなのに、今は絶望の響きしか感じない。
「お、炊けたんじゃねぇ?」
にやっと笑って男は言う。後ろに控えた四人も同じくにやにや笑い合う。
「毎回言ってるけど君らの分はないよ。これはれっきとした部活動なんだ」
部長ははっきりとそう言ったけれど、どう見ても文科系の出で立ちの部長は見た目からして負けていると言っても仕方なかった。
家庭科室の後ろのドアを見ながら先輩が、あたし、野球部主将呼んでくるねと小声で言って駆け出したものの外に出た瞬間に野球部の一人に素早く引き止められてしまった。主将さえ来ればまだなんとかなるのに、と誰かが呟いて、先生まだ出ないと数回目の電話を切って、これからどうなるんだろうと思った時。
「なんの騒ぎすか」
思いがけない声が入口を塞いでいた野球部員の後ろからした。
矢野だった。
そしてその後ろには。
「俺、言ったよな? 迷惑掛けんなって」
「「主将!」」
声が揃う。
主将はもの凄く怒っていた。野球部員達からは絶望の響きが、料理部からは安堵の響きが。全員で揃った『主将』には二つの響きが含まれていた。
「何回言えばわかる? お前ら三年だろ、後輩に示しが付かないようなことすんな」
野球部員は黙って下を向いた。それなりには悪いと本人達も気付いてはいるらしい。ほら、もう行け、と言った主将はただの怒りだけじゃなくて優しい太い声だった。
「すまん。あいつら三年に上がっても二軍のままで、ちょっと荒れてて…。悪い奴らじゃない、許してくれ」
「いい。いいよ、お前がそんな言わなくても」
綺麗に腰を折った主将に部長が困ったように言う。すまん、いやもういい、を交互に繰り返す二人を横目に、実はそれよりもまだ入り口に立っている矢野が俺は気になってしょうがなかった。目が合ったのは最初の数秒くらいで、それからは気まずそうに目を逸らしている。俺はずっと見続けていた。
それは、嫌がらせではない…こともないが本当に驚いたからだ。今日来るなんて欠片も思っていなかった。しかも、その右手に持っているのはスーパーの袋。ボコボコと形を変えている袋の中身は絶対ジャガイモで、うっすらとオレンジ色をしたものも見えた。
「矢野君」
俺は名前を呼んで近づく。主将の声も部長の声も、料理部の先輩達の声も聞こえなかった。矢野しか見えない。
「…持ってきた」
ぼそっと言って、家庭科室の床に袋を置く。そしてくるりと背中を向けると一目散に走り出した。
「ちょっ…矢野! 矢野! …部長、俺ちょっと抜けます!」
家庭科室用のスリッパから上履きに履き替えると、エプロンに三角巾のまま追い掛けた。
「いってらっしゃい」
後ろから部長の返事が聞こえたから、皆にはうまいこと言ってくれるに違いない。部長の言う『仲直り』をしに行ったと思ってくれているだろう。




