18.万能薬カレー
学校に着いたのは集合時間を数分過ぎたくらいで、どうにか許してもらえる程度だったと思う。しかし、俺はジャガイモを持っていなかった。 そして、矢野もきっといるはずだ。いつもは重さなんて感じない家庭科室の扉が重かった。
「お、おは、おはようございます…遅れてすみません…」
「ああ、和田君。おは…」
そこで言葉を切った部長が言ってくれたのは、体調悪いんじゃない?真っ青だよ?だった。こんな俺にも優しくしてくれる部長はきっと神の使いか何かに違いない。ほんの少し軽くなった体で家庭科室を見回す。揃っているはずのメンバーの中に矢野はいなかった。
「あ、あれ、矢野君は…」
「まだ来てないけどどうだろうね。電話してみたけど出ないし。和田君知ってる?」
部長の顔が曇ったのもそのはずで、昨日も料理部に来ていなかった。
「いえ…」
まともに会話もできてない俺は知る由もなかった。よくよく考えれば、矢野の連絡先も知らない。俺は矢野のなんだろう。友達? クラスメイト?
「準備を始めてたんだけど、いいかな」
そんなことを考えている場合じゃなかった。
「すみません! おれ、俺…」
床に膝をついた俺のせいで場が凍結したのは言うまでもない。半泣きの俺に部長がカレーにおけるジャガイモの立ち位置について語ってくれたのは数分後。ようやく俺の顔色は体調のせいではないと誤解が解けたのもまたその数分後だった。
予定時間を大幅に遅らせてしまったのと、俺のせいではないが人参も抜きになってしまったことを謝っておいた。もう一度言っておくが、人参は俺のせいじゃない。
なんで来ないんだと、怒鳴ってやりたかった。連絡先は絶対に今度会った時に聞き出してやる。元はと言えば、矢野がジャガイモを食べたからじゃないか。
真っ青な顔が落ち込んでいる時の仕様なのだと気づいた先輩達には、宣言通り包丁は握らせてもらえなかった。俺はひたすら炒めたり、コンロ前の作業に集中。
熱気はじわじわと俺にダメージを与える。エプロンをしているおかげでその暑さは増し、脇に汗かくほどだった。部長以外男がいないこの中では自分が汗くさくないかが気になる。考えれば、誰もが暑い火の前に立ちたくないから一番下の俺に役目が回ってきたのだろう。
始まる前に覗きに来た顧問の先生は、国語の男の先生だった。三年担当だからまだ見慣れない顔だ。人参とジャガイモは、先生の、あ、ねぇの? 車出すわで解決したのだった。金も、奢りでいいわと懐の広い先生だった。どうやら一人暮らしでコンビニ生活が続いているようで、人参とジャガイモ買ったくらいで腹いっぱい食べられるんなら安いもんだ、らしい。どんな食生活を続けているのか想像もしたくないから、俺はやっぱり男も料理の腕を身に付けるのも必要だと思う。
家庭科室にずっといるかと思っていた先生は材料だけ渡して、なんかあったら電話して、怪我と火事には気をつけろよとだけ告げていなくなってしまった。顧問とは名ばかりで、何か問題があった時の責任者ということらしい。
あいつがいれば、まぁ大丈夫だろうと信頼を得ている部長を俺は尊敬している。
矢野も居たら良かったのに。そしたら、火の前も交代でできた。そしてお前汗くさいなって言いたかった。…いや、矢野の汗にはフェロモンが多分に含まれてそうだから先輩達が離れるどころか逆に吸い寄せられるかもしれないけど。
「矢野君も来れば良かったのにね」
必死で鍋をかき混ぜていた俺の横に立って部長は言った。カレーのいい匂いが漂っている。美味しそうな匂いは少しだけ俺の心を和らげていた。カレーに罪はないのだ。
「…良いんです。あんなやつ」
「喧嘩でもした? …せっかく二人も後輩ができたんだから、欠けるのは寂しいよ」
喧嘩しているのだろうか。俺は一方的に怒っていた。でもいないのは俺も寂しい。エプロン姿も見ていない。つまらなさを感じていた。怒っているというよりも、今は拗ねているといった方が正しいかもしれない。俺とずっといるって言ったくせに。
「喧嘩はしてないつもりです。…でも俺が冷たくしたかも」
そして、冷たくもされた。謝るべきなのは矢野だけど、この状態が続くなら俺が折れてやってもいい。そうも思えた。
「そっか。早く仲直りができるといいね」
仲直り、とも違うだろうが今度会ったら矢野に聞いてみようと思う。キスする理由を。矢野の気持ちを。そしたら、変わる気がする。それが良いことなのか、悪いことなのか俺には分からない。でも現状よりも幾分マシなはず。
「そうですね」
口角を上げたつもりだったけど、やっぱり表情は変わらないままだろう。部長は一瞬驚いて微笑み返してくれた。
「なんだ。和田くん笑えるじゃないか」
部長は有難いことにそう言ってくれたが、気を遣ってくれたのは分かった。やっぱり部長はいい人だ。俺は料理部に入って良かった。




