第八話「若草の葬儀」
【あらすじ】
冒険者アレアと、相棒のレイ。記憶を失った令嬢メモリーを連れて、二人はついにミフガンの門をくぐる。
人であふれる通りに、アレアは目を輝かせる。串焼きを分け合い、「やっと家族に会えるな」と笑いかけた先で、メモリーの顔がふっと曇ったことに、アレアは何も言わなかった。
伯爵邸へ近づくにつれて、通りは黒い服で埋まっていく。門の前で執り行われていたのは、ひとつの葬儀だった ――
列と一緒に進む足がそのまま石の門の下へ入り、そこでこもった靴音は、くぐり抜けたとたんに通りの声へ呑まれた。
通りは、人で埋まっていた。杖を突いた巡礼の一団の脇を、荷を積んだ商隊の車が軋みながら抜けていき、小さな背負い袋を肩に、あてもなくぶらついている者もいる。両側の店からひっきりなしに上がる売り声へ、車輪の音と人の話し声が重なっていく。その騒がしさの真ん中で、アレアはもう目を輝かせている。
「うわっ、すげぇ人だな! なあレイ、見ろよ。この通り、端まで店が並んでるぞ」
声を張り上げるあいだも、列の中を歩きながら首を右へ左へと振って、店先を次々に覗いていく。籠に山と積まれたりんごの隣には、同じりんごを焼き込んだ菓子の台が並び、その先では大人たちが立ったまま、りんご酒の杯を傾けていた。厚い雲の下で、どの色も少しくすんで見えるのに、目は一つところに留まらない。門の手前で言いそびれたことは、とうに頭から抜け落ちていた。
後ろのレイは表情を変えずに、行き交う人の頭をひとわたり見渡した。
「そうだな。人も多い。あまり離れるなよ」
風の無いなか、少し先の店の前にだけ、白い煙が流れもせずに低く溜まっている。何を焼いているのかは見えないのに、脂の焦げる香ばしい匂いが、歩いてくる者の鼻先へまっすぐ寄ってくる。思わず胸いっぱいに吸い込んで、アレアはその場に立ち止まった。
「あっ、あれ何だ? いい匂いすんだけどー!?」
言い終わるより先に列を外れて、人のあいだをすり抜け、煙の手前まで駆け寄ってから振り向くと、追いかけてきたレイが、すぐ後ろに立っている。頭ひとつ高いところにある顔へ目を上げて、アレアは声を一段 落とす。
「……なあ、ちょっとだけ」
レイの顔は、煙のほうへ少しも向かない。
「アレア、後にしろ」
それでもアレアは引かずに、顔の前で両手を合わせる。
「ひと口だけ! なあ、レイ、いいだろ? 絶対うまいって!」
レイの目が一度だけ、拝むアレアの頭越しに通りの流れへ動く。立ち止まった二人の脇をさっきから人が肩をかすめて抜けていき、少し離れたところでは、列がイクネスごと歩みを緩めて、こちらを待っていた。レイは、短く息を吐いた。
「……ったく、世話の焼ける。一個だけだぞ」
最後まで聞き終えもしないで、アレアは半身を店のほうへ返す。
「やりぃ! 早速、買いに行こうぜ」
煙をくぐって店の前へ出ると、炭の上に並んだ鳥の串を、焼き手の手が休みなく返していた。脂が落ちるたびに炭がはぜて、匂いがいっそう濃く立ちのぼる。
自分の串と、もう一本を手にして列へ駆け戻ってきたアレアは、メモリーの右隣へ滑り込むなり、そのもう一本を顔の前へ突き出す。
「メモリーの分も買ってきたぞ! 一緒に食おうぜー!」
鼻先に湯気の立つ串を出されたメモリーは、若草色の瞳を丸くする。列の先では、首だけで振り向いたイクネスが、口の端を上げる。
「はっ。元気なあんちゃんだ」
両手で受け取ったメモリーは、アレアの顔と串とを見比べてから、イクネスの言葉にくすりと笑う。
「そうですね、アレアさん、ありがとうございます」
礼を聞き終わるが早いか、アレアも自分の串へかぶりついた。熱い脂が舌の上に広がって、頬が勝手にゆるむ。メモリーのすぐ後ろには、一緒に引き返してきたレイが付いていて、口を開かないまま、通りを行く人の流れを目で追っていた。
イクネスは笑いを収めると、通りの奥へ片手を向ける。
「さて、まずは領主様の邸へ参ろう。お父上も、奥方も、待っておられる」
頬張っていたひと口を飲み下すと、アレアは隣へ顔を向けて、声を弾ませた。
「あぁ! メモリー、やっと家族に会えるな!」
さっきの笑みを口元に残したきり、メモリーの目だけが手の中の串へ下りていく。
「……」
言いながら口へ運びかけていた串を、アレアはそこで止めた。列の先ではイクネスがもう歩き出していて、鞍馬も荷馬車も、すぐにそのあとへ続く。何も言わないまま串を下ろして、アレアも列と一緒に歩いていく。
串の残りを歩きながら平らげると、アレアは腹をさすって、満足げに息をつく。隣のメモリーも、もう食べ終えている。
満ち足りた気分のまま顔を上げたところで、行く手の人が詰まってきているのが目に入る。次の辻まで来ると、旅人も荷車も左右の脇道へ折れていき、辻を越えてまっすぐ入っていくのは、黒い服を着た者ばかりになった。
通りの突き当たりには門が見えていて、そこまでの道は奥へ行くほど黒で埋まり、人の頭の向こうに屋根がのぞいている。売り声や車輪の音は後ろへ遠のいていくばかりで、行く手からは、これだけの人が立っていながら、声一つ聞こえてこない。
店先に満ちていた匂いも、ここまで来ると薄れて、風の無い空気がじっと淀んでいる。物珍しさが先に立ったアレアは、空いた手で、行く手の黒を指す。
「……なあ、あれ。黒い服装した連中が集まってるけど、何だ?」
メモリーの後ろで、レイは黒の続く先を見つめている。
「……あれは喪服だな」
「喪服?」
前を歩いていたイクネスが、そこで一度 足を止めた。こちらを振り向かないその横顔にアレアが追いついて目をやると、さっきまで口の端を上げていた顔から、血の気が引いている。
「何故だ!? まさか、伯爵家に何かあったのか!?」
その声が消えないうちに歩き出したイクネスの足が、目に見えて速くなる。アレア達も引き離されまいとそれを追い、鞍馬と荷馬車が少し離れて付いてくる。
足を速めて辿り着いたのは、門の前から延びる列のいちばん後ろだった。並んだ者は誰ひとり振り返らず、アレアの目の高さには俯いた背中が連なって、その上に門の上の端がのぞくだけだ。ところどころで、列の中から上がった手が、目元を拭っている。
列の端に立つ、背の曲がった黒い背中へ、イクネスは息を整えもせずに身を屈める。
「そこのご老人、すまないが何があったというのだ!? これはいったい、誰の葬儀かね!?」
呼ばれた背中はこちらへ半ば向きを変えたものの、顔は伏せたままで、かすれた声が返ってくる。
「……ミフガン伯爵家の、ご令嬢様の葬儀じゃよ」
問い返そうとして、イクネスは言葉に詰まる。
「なっ……」
老人は顔を上げずに、先を続ける。
「メモリー様じゃ。四か月前に攫われて、もうお戻りにならんと……今日が、その弔いじゃよ」
言い終えると、また列の前のほうへ体を戻した。
アレア達は、その場から動けなかった。後ろの通りからは、遠くなった売り声が、まだ途切れずに届いてくる。聞いたばかりの名前に、アレアの頭がついていかない。
「……は?」
レイは、列へ戻った老人の背から、視線を外さない。
「…………」
隣のメモリーから、誰に向けるでもない、小さな声がする。
「……私の、お葬式……」
門の前では、参列の者が一人ずつ前へ出ては脇へ退き、そのぶん後ろが詰まっていく。足を擦る音が低く続くなか、こちらは誰の足も、地面に縫い止められたように動かない。
メモリーの肩越しに、レイがこちらへ顔を向ける。
「……アレア?」
門の前に並ぶ黒い背中を、メモリーはじっと見つめている。隣のアレアの目は、その横顔に留まっている。
「…………」
不意に、メモリーの足が、列のほうへ一歩 出る。
「……私……行きます」
その背中へ、後ろのレイが静かに声を掛ける。
「メモリー様。あれは、あなたの弔いの場です」
引き止めようにも、アレアの体は動かず、口だけが先に開く。
「大丈夫か?」
振り向いた顔から、まっすぐな目がアレアを捉える。
「大丈夫です。行かせてください」
丁寧な言葉のまま、声は少しも震えていなかった。逸れないその目を見返しているうちに、もう止められないのだと、アレアは悟った。門の前の黒へ一度だけ目をやってから、メモリーの顔へ視線を戻す。
「……わかった。レイ、おっちゃん。連れてってやろうぜ」
イクネスの手が、顎髭へ行く。その目は、門のほうとメモリーとのあいだを行き来している。
「……あんちゃん、でもよ……」
迷わずに、アレアは続ける。
「メモリーはここに居るんだ。それに元々、家に戻るのが目的なんだろ?」
そこで、顎髭に触れていた指が離れる。
「それはそうだが……」
列へ向かって先頭に立ったのは、メモリーだった。その右隣の半歩後ろにアレアが付き、レイとイクネスがあとに続く。捜索隊の二人は、鞍馬と荷馬車と一緒に、列の外に残った。
近づく足音に気づいた黒い背中が次々に振り返って身を引き、道が割れるように前へ空いていく。
振り返った誰かの口から、声が漏れる。
「……え」
その隣で、別の声が震える。
「……メモリー、様……?」
すぐに、さらに大きな声が重なる。
「メモリー様だ……! メモリー様が、お戻りになった……!」
そこから先は、あっという間だった。名を呼ぶ声が次の声を呼び、ざわめきが波のように門のほうへ押し寄せていく。歩みを進めるたびに、振り返る顔が増える。割れていく黒のあいだを、褪せた生成りの麻が一つ、通っていく。
アレアの目は、振り返る顔から顔へと渡る。口は結んだまま、笑いもしない。割れた道の先、門の前には、まだこちらへ背を向けている喪服の姿があり、その向こうに祭壇が据えられているのが分かる。
目を戻すと、半歩前を行くメモリーの頬を、涙が伝っていた。顔はどこも崩れず、足も止まらない。
「…………」
祭壇の前の喪服の姿が、ざわめきに押されて振り向いた。こちらを見たきり、その女は息をするのも忘れたように固まる。
「メ……メモ……メモリー!?」
次の瞬間には、もうこちらへ駆け出していた。その姿へ向かって、イクネスが大きく呼びかける。
「奥方様! メモリー様は、ご無事でしたぞ! 森で保護され、この者たちが送り届けてくださった!」
割れた道の中ほどで、メモリーの足が止まる。駆け寄った夫人は、両手でその頬を包み込むと、顔を確かめるように覗き込む。
「メモリー……! メモリー……!」
頬を包まれても、メモリーは身を引かなかった。上がっていた肩がゆっくりと下りていき、その目は、間近にある顔をまっすぐ見返している。
「……」
門の前の列が崩れる。喪服のあいだを抜けて、男と少年が駆けてきた。先に着いた男は、驚いた顔のまま足を止める。
「……メモリー」
その脇をすり抜けた少年が、涙でくしゃくしゃになった顔で、メモリーのワンピースの袖を両手で掴む。
「姉様! 姉様……!」
駆け寄ってきた家族に囲まれたメモリーから、アレアは一歩 下がった。隣にはレイが並び、イクネスも同じだけ退く。その外を、道を空けた喪服の人々が、遠巻きに囲んでいた。
メモリーを囲む輪から、泣き声が上がっている。一歩下がったところからそれを眺めているうちに、アレアの胸の奥も、ようやくほどけていく。
夫人が、メモリーを両腕で胸に抱き寄せる。
「よかった……よかった……!」
袖を掴んでいた少年が、しゃくり上げる。
「姉様、生きてた……!」
その腕の中で、メモリーは一度も応えなかった。抱き返すでもなく、されるがままに立っていて、右の斜め後ろから見える頬には、さっきの涙の跡が乾かずに残っている。喪服の男は抱き合う輪の外側に立って、手を出さず、メモリーから目を離さない。アレアの隣で、レイも黙ってそれを見ていた。
しばらくして、夫人が抱きしめていた体を離す。両手でメモリーの両腕を掴んで、その距離から顔をじっと見る。
「……メモリー? どうかしたのですか?」
返ってきたメモリーの声は、もう泣いてはいない。
「……あの。……どなたでしょうか?」
その一言で、音が消えた。泣き声も、周りのざわめきも、いっせいに止む。アレアも、体のどこも動かせない。夫人の顔は安堵を浮かべたところで止まり、両腕を掴んだ手も、そこから離れない。
「……え?」
夫人は、笑みを作り直す。
「メモリー、私です。あなたの母ですよ」
メモリーの目は夫人の顔に据わって、瞬きも忘れている。
「……え? あの、いま……なんと、おっしゃいましたか?」
メモリーの腕を掴んでいた夫人の手が、するりと落ちた。
その横から、少年が袖を引いて身を乗り出す。
「姉様! 僕だよ、弟のレヴだよ!」
メモリーの横顔が夫人へ向き、レヴへ向き、また夫人へ戻る。どちらの顔にも、止まれない。ようやくこぼれた声は、途中から細くなっていく。
「……ごめんなさい。……聞こえて、いるのに……わからない」
(え? ……いま、なんで分かんなかったんだ? 聞こえていたはずだ)
考えるより先に、足が一歩 前へ出ていた。伸ばした手を、メモリーの肩に乗せる。夫人とレヴを見比べていた顔がこちらへ少しだけ向いて、そこで目が止まった。その場から動きもせず、何も言わない。
夫人から目を逸らさずに、アレアは低く、ゆっくりと口を開く。
「メモリーは、記憶を失ってるんだ。名前も、家のことも、何も覚えてない」
いつもの伸びた語尾は、どこにも無い。声を張ったわけでもないのに、遠巻きの輪にまで届いたらしく、止んでいたざわめきが、じわりと戻ってくる。口にしてはみたものの、それだけでは何かが足りない気がした。後ろのレイは、ひと言も挟まずに見ている。
大きく目を見開いて、夫人が息を呑む。
「記憶が無いですって!?」
勢いよく、その顔がイクネスへ振り向く。
「それは本当ですか!?」
イクネスは、夫人の目から逃げるように目を伏せる。
「奥方様……事実です……」
力なく、夫人の目がメモリーへ戻っていく。
「そんな……なんてことなの」
「ハンナ……少し落ち着くんだ」
低く、短い声は、輪の外に立つ喪服の男からだった。立った所を動かずに、声だけで止めている。弾かれたように振り向いたハンナが、男の胸元へ取りすがって、その服を握りしめる。
「でも、貴方! メモリーが!」
伯爵は顔色ひとつ変えずに、その肩へ片手を置く。
「……一先ず、屋敷の中へ。葬儀は、取り止めだ……詳しい話を聞かせてくれ」
短くそう告げると、伯爵は門のほうへ目をやった。門の脇に控えていた喪服の騎士がすぐに進み出て、両手で扉を押し開ける。重い軋みが、まだ残っているざわめきの上に響いた。
それと入れ替わるように、使用人が遠巻きの人々へ向き直り、葬儀は取り止めになったと、伯爵の言葉を伝えて回る。知らせが輪の外へ広がっていくと、胸を撫で下ろして目元を拭う者もいれば、眉を寄せたまま、まだメモリーのほうを振り返る者もいる。そうして人々は、少しずつ門の前を離れていった。
開いた扉を騎士が押さえて道を空けると、アレアは肩に置いていた手でメモリーを軽く促し、並んで歩き出したところで、その手をそっと離した。それを追って、レイとイクネスも動き出す。
門へ向かう途中で祭壇のすぐ脇を抜けると、目の端に映ったのは台の角だけで、その前には、もう誰も立っていない。
門の下をアレア達が抜けると、そのあとからハンナとレヴが続き、脇でそれを見届けていた伯爵が、最後に入る。
門をくぐったのは七人で、そのうちの一人のために、あの祭壇は組まれていた。
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