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世界の観測者とヘイト・ベスキューラ ~記憶を失くした俺が、選んだ答え〜  作者: 風間千弦
第一章【記憶の証明】

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7/10

第七話「街までの道中」

【あらすじ】

 冒険者アレアと、相棒のレイ。記憶を失った令嬢メモリーを連れ、二人は森を抜けて、彼女の帰る街ミフガンへ続く街道を下る。

 初めての街に浮かれるアレアへ、人探しのイクネスは、宿場町のこと、名物のりんご、そして領主のことを機嫌よく語る。話は流れのまま、メモリーの父の名へ。

 だがその名に、メモリーの返事は無い。何が起きたのかは、誰にも分からないまま ―― 街の門が、近づいてくる。

 その街へ向けて手綱が鳴り、イクネスの引く鞍馬が一歩 出ると、止まっていた列がそれに続いて、アレアも馬の後ろから下りの街道へ足を踏み出した。


 街の向こうの西だけがまだ赤く、その色を正面に見ながら降りていく道へ、乾いた秋の風が底から吹き上げてくる。鞍の上の背は揺れもせず、亜麻色の髪だけが風に流れていた。


 下りを降り切って道が平らになったところでイクネスが馬を止め、鐙へ差し出した手に支えられて、メモリーが鞍から街道へ降りる。


 手綱は捜索隊の一人へ渡り、イクネスが先頭へ出る。誰も乗せていない鞍馬がその後ろを行き、メモリーを真ん中に置いて、レイとアレアがそのまた後ろに付き、荷馬車はもう一人と一緒に最後尾へ下がった。


 組み直された列がまた動き出すと、踏み固めた土の道で、森では落ち葉に吸われていた靴音が高く返り、最後尾からは荷馬車の車輪が同じ調子で転がり続けている。


 道の先に見えている街へ、アレアは行ったことがない。それだけで歩幅は列の誰より広くなって、早足でメモリーの脇を抜け、イクネスの斜め後ろまで上がった。


「なぁ、おっちゃん。ミフガンってさ、どんなとこなんだ?」


 イクネスは顔を前へ向けたまま、日に焼けた横顔だけをこちらへ寄せる。問い返す声のほうが、顔より弾んでいた。


「なんだ、気になるかね」


「そりゃ気になるだろ。初めて行く街なんだよなー」


 レイの声が、後ろから追いついた。


「……お前は、どこへ行ってもそれだな」


 肩越しに見た後ろでは、メモリーが顔を上げて続きを待ち、そのさらに後ろのレイは、前だけを見ている。


「いいだろ別に」


 口を尖らせて言い返しながら前へ戻ると、イクネスの横顔にはもう笑いが浮いている。


「はっ。まぁ、悪いことじゃない。―― ミフガンはな」


 空いていた片手を持ち上げて、指を道の先の街へ向ける。


「領主のミフガン伯爵様が治める街で宿場町だ。聖王国へ抜ける奴は、みんなここを通る。巡礼者に商隊、行き先を決めとらん奴もおる。宿も両替も関所も、みんなそのためのもんだ」


「へぇ。人の出入りが多いのか」


「多いなんてもんじゃない。よそ者が珍しくもないのがミフガンよ」


 どちらの返事も、相手の語尾が消える前に重なっている。アレアは口を半分 開けたままその横顔を見上げていて、イクネスのほうは前を向いたきり、空いた片手だけが道の先を指したり開いて振られたりと、声と一緒に動いていた。


「見習い冒険者や行商人、旅する者が最初の街として選ぶ事もあって、交流の場として人で賑わっておるぞ」


「……なんか、いいな。それ」


「そうかい。―― だから、ミフガンは出会いの街とも呼ばれておる」


 指の先の街から、アレアは横顔へ目を戻す。


「うまいもんは? 名物とかあんだろ」


「あるとも。りんごだ。そのまま齧るもよし、焼き菓子にしたのが並ぶ。大人には、りんご酒よ」


 酒、の一語にアレアの足が半歩 出る。まだ街も遠いのに、頭の中ではもう宿の卓に杯が置かれていて、それを追いかけて声まで弾んだ。


「りんご酒!? それ、俺も飲んでみてぇー!!」


 後ろで、レイが鼻で笑う。


「……お前には早い」


「なんでだよ!」


 叫ぶのと同時に体が回り、アレアはメモリーの傍らを逆に抜けて、歩いてくるレイの正面へ詰め寄った。それでもレイの目は、道の先から動かない。


 先頭を行くイクネスは、振り向きもしなかった。


「はっ。宿の卓で一杯やるのは、依頼が終わってからにしな、あんちゃん」


 隣へ回り込んで歩きながら、アレアは上がったままの口の端で、先頭の背へ声を投げる。


「じゃあさ、領主ってのはどんな人なんだ?」


「―― ミフガン伯爵家は古い家柄でな、格式も高い。領主様はそのご当主で厳格なお方だ。おっかないと言う者もおるがな、家族を大事にされ、領民にも慕われとる。……良き領主だ」


「すごい人なんだな」


 相槌を受けて、前で片手がまた上がった。


「それに、騎士としても武勲を立てたお方でな。いまでも騎士訓練の教官として呼ばれることもある。街では見習いの冒険者にまで、手ほどきをなさる程だ。騎士なら、誰でも憧れるお人よ」


 隣の肩の上で、大剣の柄がわずかに揺れた。レイの足が、一歩ぶん遅れている。


「……そうか。それなら俺も一度、御指南を頂きたいものだ」


 先頭の足が緩んで、鞍馬と引き手だけがそのまま進む。列が追いつくと、イクネスは鞍馬の脇を下がり、メモリーの横へ並んで、歩いたまま体をそちらへ向けた。


「―― メモリー様。いまのが、お父上のことです」


 並んだ肩の高さから、イクネスは日に焼けた顔をメモリーへ下げる。


「アダル・ミフガン様。あなた様の、お父上であらせられる」


「…………」


 返事が、来ない。足音と車輪の音はそれまでと同じ速さで続いていて、三つ、四つと重なるあいだも、メモリーの足は列に合わせて動いている。


 首を伸ばし、アレアは後ろから横顔を覗き込んだ。


「……メモリー?」


 顔はイクネスに向いたままなのに、目だけが焦点を失って、誰の顔にも結ばれていない。


「えっと、今、なんて言いましたか?」


 足音は、途切れずに続いている。


「おい、メモリー。父ちゃんの話をしてたんだぞ」


 覗き込んでいるアレアを、振り向いた顔が真っ直ぐに見る。目は伏せずに、眉が下がった。


「あっ……すみません。ぼうっとしていたのかもしれません」


「なんだ、そっか」


 言われてみれば、そういうこともあるとアレアは思い、それきり追わなかった。伸ばしていた首を戻すついでに歩幅を半歩 広げ、メモリーの右へ出て並ぶ。


 先頭のほうへ目をやると、イクネスが鞍馬の脇を上がって引き手の先へ戻り、そのまま鞍馬ごと、声の届く先まで離れていく。後ろの荷馬車は車輪の音が遠くなるところまで遅れて、街道の真ん中には、三人ぶんの足音と声だけになった。


「なぁ、メモリーの記憶ってどこまで覚えているんだ?」


「……どこまでと言われましても」


 前から目を離さずに、返事が出てくる。どこまで、は答えようのない聞き方だったと、言われてからアレアも気づく。


「いや、ごめん。覚えている範囲でもいいから目覚めた時の事を教えてほしいだけなんだ」


「そうでしたか、わかりました。――目覚めた時」


 道の先では、西の赤が薄れ始めている。雲がそちらから広がって、風は無い。メモリーは両手を前で軽く重ねたまま、その空のほうを見て話し始めた。


 森で目を覚まし、魔物に追われ、行き合った冒険者に助けられて、ギルドのある街まで運ばれた。エレナから聞いたとおりである。


「冒険者の方々に名を聞かれた時……そこで初めて自分の名前も過去も思いだせない事に気がつきました」


 名を聞かれた時、のところで一度だけ、目が道の先から隣のアレアへ向いて、また戻った。


「なるほどなぁ……」


「それで、お医者様にも見て頂いたのですが、原因が分からないと言われました。同じく鑑定もしてもらいましたが結果は同じでした」


 重ねた両手が、歩きながら組み直される。


「私の事を知るため、エレナさんの勧めでギルドに依頼する事にしました」


「それが俺達に回ってきたわけか」


「エレナさんが『ちょうど、依頼を快く引き受けてくださる冒険者が居ますよ』と仰っていたので、それがアレアさん達だったんですね」


 頬にえくぼを残した笑顔で、依頼の紙をこちらへ滑らせてきたエレナの顔が浮かぶ。


(エレナさん……もともと俺達にやらせるつもりだったな)


 首の後ろを、指で掻いた。


「それからは、しばらくギルドの方で滞在する事になり、エレナさんにも大変、お世話になっておりました」


 アレアは、息を一つ吐く。


 口を開いたのは、メモリーの後ろのレイだった。


「なら、目が覚めてからのことは、憶えておられるのですね」


「はい。そこからのことは、全部」


 右隣から顔を向け、アレアの声は明るくなる。


「じゃあさ。名前とか昔のことは抜きにして ―― 何か、好きなもんとかないのか?」


「……好きなもの、ですか」


 問い返した目が道の先へ流れて、少し上を向く。いつの間にか、並んだ二人の歩みは揃っていた。


「そういえば。エレナさんが焼いてくださったリンゴパイが、とても美味しくて好きです」


 聞いていて、アレアのほうが嬉しくなった。そう言ってから、メモリーは口をつぐんだ。


「……なぜでしょう。なんだか……懐かしい感じがしたんです」


 口元より先に目が緩んで、頬が上がる。前で重ねた手だけが動かずにいる。


 先頭で、イクネスの足が止まった。


「おお、それは、奥方様がよく焼いておられたものです。お体が、憶えておられたのでしょう」


 声のあとから、体ごとこちらへ振り返ってくる。鞍馬が止まり、メモリーとその右隣のアレアが止まり、後ろでレイの足音が消えて、最後に荷馬車の車輪の音がやんだ。灰色になった空の下に、列が並びのまま立っている。


「そうなのか?」


「メモリー様の資料に書いておったから、確かなはずだ」


「よかったなメモリー!! 思いだすきっかけに……メモリー?」


 言い切る前に右隣の顔が目に入って、言葉がそこで途切れた。笑みは口元から先に消えていて、目だけが、イクネスに留まったまま動かない。さっきまで笑っていた顔が、そこに無い。


「…………」


 返事は来ない。車輪も足音もやんだ道で、沈黙が伸びていく。誰一人、動かない。


「すみません。いま、なんて言いましたか?」


 アレアは、わざと軽い声を出した。


「おいおい、しっかりしろよ」


「……申し訳ありません。よく聞き取れなくて」


「いや、気にせんでください」


 振り返ったイクネスの顔には、笑いが戻っている。片手が一つ、軽く振られる。


「森からここまで、ずっと歩き通しだ。疲れが出てきとるんでしょう」


 言い終えるなり前へ向き直って歩き始め、鞍馬が続き、列が動いて、最後尾から車輪の音が戻ってきた。


「……そうかもしれません」


 動き出した列に、アレアも遅れずに付いていく。


(……さっきといい、今といい……様子が……)


 右隣の横顔を、アレアは黙って見ていた。灰色の日暮れの下で頬に光は当たらず、その輪郭の先に、門の灯の橙が一つ浮いて、口は閉じている。


「なぁ、メモリー。お前さ ――」


 横顔を見ている目の端で、道の先の光が変わる。


 レイが、後ろから短く呼んだ。


「アレア」


 肩越しに振り返ると、レイは目を合わせずに、顎だけを前へ振った。その先を追って前を向く。道が開けて、開いた門が手前にあり、その内側を人影が行き交っている。誰も、こちらを見ない。


 先頭から、イクネスが声を張った。


「―― 見えましたぞ、メモリー様。ミフガンです」


 メモリーは灯のほうへ顔を上げる。足は、列と一緒に進み、言いかけた続きは、口の中に残ったままだった。

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