第二話「冒険者ギルド」
【あらすじ】
冒険者アレアと、相棒のレイ。三か月でDランクに上がった二人は、C級の討伐依頼でワーグの群れに囲まれ、アレアが放った覚えたての魔法で切り抜けた。ただし、その火は森を焼いた。
消火は日が沈むまでかかった。煤の匂いをまとったまま、二人は首都クレオスのギルド本部へ戻る。
広間には「三か月でDは、できすぎだ」という陰口が立つが、アレアは気にも留めない。受付には、いつもの笑顔で二人を迎えるエレナがいた。
討伐の報告を済ませれば、宿へ帰れるはずだった。
燻りを探し終えた足が、いま街道の土を踏んでいる。
森を出てからの道は踏み固められていて、両側には刈り入れの済んだ畑が開けているだけで、人影は一つも無い。空はまだ赤いのに、街道の先のほうから暗くなっていく。
「……はー、疲れた。腕、上がんねぇ」
言いながらアレアが片腕を大きく回すと、回すたびに肩が鳴る。両手の指先と袖口は黒く、髪には灰が残っていて、風の向きが変わるたび、焦げた匂いが袖から上がってきた。
「自業自得だ」
隣を歩くレイは、前を向いたまま返した。煤は一つも付いておらず、代わりにブーツと脛当てに土と草がこびりつき、担いだ大剣の柄には乾いた血が黒く残っている。手を汚したのが火を消した側で、足を汚したのが追った側 ―― 二人の言い分は、口を開く前から体に出ていた。
「ちゃんと最後まで消しただろ! 日が沈むまでかかったんだぞ」
「誰のせいでこんな時間になったと思ってんだ。こっちは逃げた分を、一頭残らず狩る羽目になったんだぞ」
声は低く平らで、アレアを見もしない。森での説教は済んでいて、これはその余熱だから、アレアも本気では引かなかった。悪いとは思っているが、自分一人のせいにされるのは違うと、腹の底では譲っていない。
「……お前だって『一気に片付ける方法があれば』って言ったじゃんか」
「言ったが、森を焼けとは言ってねえ」
即座に押し返された。レイの歩幅は、少しも変わらない。
「じゃあ、最初からそう言えよなー」
「は? お前が人の話を最後まで……」
これ以上 続ければ本気で怒られると、アレアには分かっていた。
「あーはいはい、俺がわるーございましたー」
両手を頭の後ろで組み、語尾だけを伸ばす。謝りきらないまま、話を終わらせる言い方だった。
「……ったく、世話の焼ける」
平らだった声に、初めて息が混じった。怒りが呆れに変わる音である。
口論はそこで切れ、数歩ぶん、足音が続いた。日が落ちて、急に冷える。先に前を見たのはアレアで、その目に、遠い城壁の明かりが入った。
「あ、見えてきた」
赤の残る空を、黒い一線が横に切っている。壁の上には明かりが点々と灯りはじめ、そのうち東門のあたりだけが、四角く明るい。門の前には閉める役の兵が二人、まだ立っていた。アレアとレイは歩幅を変えなかった。
門をくぐると、街はもう夜の始まりだった。東の通りに並ぶ神殿の扉の隙間から、夕の祈りの声が漏れてくる。角を曲がるたび屋根の上に同じ塔が見え、宿の並びまで来ると市は畳まれていて、灯りだけが残っていた。三か月 通っている街で、アレアの頭にあるのは宿の飯のことばかりである。
その先で、王城の壁が途切れずに続き、そのまま冒険者ギルドの館の壁になっていた。人口の七割が冒険者で、王の隣に冒険者の館を建てた国 ―― ギルド公国、その首都クレオスである。
石造りの三階建てで、一階の窓は全部が明るい。扉が開くたび、中の声が通りへこぼれてくる。扉の脇の壁には、名前がびっしりと刻まれていた。アレアは、そこを見なかった。
「ギルドに報告して、宿に戻るぞ」
言うが早いか、レイが先に扉を押した。開いた隙間から、灯りと、声と、酒の匂いが出てくる。
中へ入った瞬間、酒の匂いより先に、二人の匂いのほうが届いていた。
広い一間で、天井が高く、梁から吊った灯りが黄色い。右手の壁には多くの依頼票が貼られた掲示板が並び、その前に人だかりがある。左手には酒場の卓が並び、正面の奥がカウンターで、受付までは二十歩ほどだった。
扉に近い卓の一人が、鼻を動かして振り返った。それが隣へ移り、掲示板の前の顔が一列に、二人のほうへ向く。
「うわ、焦げくせぇ……」
右手の卓からだった。二人組で、年恰好は二人より上、装備は使い込まれている。もう前を向いていて、見えているのは背中と、卓に置いた手だけである。近いぶん、その一言が大きかった。
「ああ、例の二人だ」
もう一人が受ける。ここからは声が落ちて、背中越しに小さく届く。
「三か月でDだろ? ……できすぎだよな」
「どーせ、話を盛って報告してんだろうよ」
アレアは受付へまっすぐ歩いていた。聞こえたほうへ、煤で黒い右手を肩の高さに上げ、指だけを振る。顔は、歩きながらの笑顔のままである。
「よっ」
「……」
卓に置かれていた手が止まり、次の言葉が出てこなかった。
「やめろ」
レイは声のほうを一度も見ず、歩幅も変えないまま、前を向いて低く言った。通りすがりに、上がっていた手首を掴んで下ろす。
「なんで? 挨拶しただけだって」
本当に挨拶のつもりだった。何を止められたのかも、アレアには分かっていない。
「……ったく」
カウンターの手前で、アレアは自分の袖の匂いを一度 嗅いだ。
「アレアさん、レイさん、おかえりなさい」
袖から顔を上げる前に、声のほうが届いていた。背中の声はまだ続いているのに、その中で、この一声だけがまっすぐ通ってくる。
顔を上げると、腰の高さの長いカウンターの向こうに、笑顔があった。右の頬に、いつものえくぼが出ている。焦茶の髪をゆるく結い上げてうなじで留め、濃紺の制服の襟元だけが白い。エレナだった。
カウンターの上だけ灯りが白く、手元には帳面と、依頼票の束が置かれている。立ったまま迎えるので、アレアを少し見上げる形になり、明るい茶の目に、灯りで緑がわずかに浮いていた。外で焼けた冒険者たちの中で、その白い肌は、冒険者の側の人のものではなかった。
三か月 通ってきた窓口である。アレアにとっては、お世話になっている人が笑って立っている。
「エレナさん、ただいま!!」
無邪気な笑顔のまま、声だけが大きくなった。隣で、レイが背筋を伸ばす。
「ワーグの群れの討伐依頼、完了したので報告にきました。想定より数が多かったです」
数は言わなかった。代わりに腰の袋を外してカウンターに置いて口を傾けると、白いものが帳面の脇へ散った。ワーグの牙で、一頭に一本ずつ、上の犬歯を抜いてきたものである。エレナの細い指がそれを数えかけて、途中で止まった。三十を超えていた。
「えっ。待ってください! この数のワーグをお二人だけで討伐したのですか!?」
聞かれた。森では、レイが一度も聞いてくれなかったことである。アレアはカウンターに両手をつき、身を乗り出した。
「聞いて驚くなよ? 俺が一発で、吹き飛ばしたんだぜ! 覚えたての魔法だったんだけどさ」
背中で、声が一つ減った。アレアは振り返らない。乗り出したぶんだけ、隣のレイが一歩 引いて、カウンターについた二人の手の距離が開く。
「おい、アレア」
横目で、低く。だがアレアは、いちばん話したいところへ来ていた。
「思ったより、火力が強すぎてさ、おかげで森がちょっと燃え――」
掲示板の前が、静かになっていた。エレナの手が止まり、今度は、ペンが帳面の上に置かれる。
「バカ、お前! それは……」
レイが初めて体ごとアレアへ向き、その声だけが広間に響いた。名前を呼ばれて、アレアの口がようやく止まる。
「……あ、やべっ」
笑いが顔に残ったまま、乗り出した体だけが固まる。目がレイからエレナへ戻り、ついた両手は、カウンターの上で動かない。
右の頬から、エレナのえくぼが消えた。
「森が燃え? アレアさん?」
張っていない声のまま、エレナの背筋だけがさらに伸びた。乗り出していたアレアの体が、そのぶん戻る。
「は、はい! 違うんだ、これは不慮の事故で、それに、ちゃんと消した! 日が沈むまでかかったけど、ちゃんと消火したから安心して欲しい!」
最初の一言だけ背筋が伸び、あとは早口になった。両手はカウンターの縁を掴んでいる。
「アレアさん!! いつも、言ってますよね!! 被害は最小限にするようにと!! これで何回目ですか!」
声が張った。エレナがカウンター越しに身を乗り出し、言い切りが続く。広間に残っていた声が、その一声でもう一段 静かになった。
「すいません……」
目線だけが、帳面へ落ちる。隣で、長い息が吐かれた。
「はぁ……」
「レイさんもレイさんです! 何で事前に止められなかったんですか!」
引いていた一歩が、戻る。レイはエレナと目を合わせられず、頭だけを下げた。
「うっ、……面目ない……」
掲示板の前で、誰かが笑いを噛み殺す気配がする。
「まったく、二人の実力はギルドとしても認めていますが、これ以上は庇いきれませんよ?」
「いつも、すいません……エレナさん」
頭を上げても、エレナの頬にえくぼはまだ戻っていなかった。
「わかってくれたなら、それでいいです。ところで、そんな二人にお願いしたい依頼があるんですが……」
右の頬にえくぼが戻ったのは「それでいいです」のところで、息一つ分の間も置かずに、「ところで」が続いた。戻った笑顔のまま、細い指が束から一枚を抜く。
「エレナさん? 待ってください。俺達、討伐を終えたばかりなんですが……」
「それが何か?」
笑みは崩れず、えくぼも消えない。ただ、抜いた一枚を持つ手だけが止まっている。レイは口を開きかけて、閉じた。
「いえ、何でもないです」
早かった。言い終わる前に、目がエレナからそれている。アレアはそれを隣で眺めているだけで、自分に来る話だとは、まだ思っていなかった。
「快く引き受けてくださると思いました。ではお願いしたい依頼というのが、こちらでして……」
一枚の厚紙が、カウンターの上を滑ってきた。掌より少し大きく、上には等級の印と受理の判、依頼の欄は一行きりで、その下は空白のままである。紙はアレアの手の手前で止まり、二人は同時にそれを見下ろした。逆さの一行は、まだ読めない。
「数日前、街の外で女性が保護されました。……ですが その方、ご自分の名前も、どこから来たのかも、何も答えられないんです」
叱られたあとの受付は、まだ音が戻っていない。エレナの声だけが、その一角に落ちていた。アレアの目は、逆さの紙に向いたままである。
「記憶が無い? 記憶喪失ということですか」
レイの言葉で、アレアの目が紙からエレナへ上がった。
「はい、そうなんです。街の医師も、ギルドの鑑定士も、原因が分かりませんでした。その方が、たった一つだけ望まれたのが、これです」
止まっていた指が、紙の上の一行を軽く叩く。掲示板の前で噛み殺されていた笑いも、もう無かった。広間の耳が、この依頼へ向いている。
「……で、なんで俺たちなんですか」
「C級として受理はしていますが、手の空いている方がいなくて。それに ―― ちょうど、日頃の行いを取り返したい方が、目の前に二人いらっしゃいますし」
えくぼは、そのままだった。レイは目を閉じる。
「……」
「なあ、エレナさん。その人さ、自分が誰かも分かんないんだよな?」
閉じていたレイの目が開き、アレアを見た。
「……はい。何も」
えくぼは残ったまま、目だけが笑っていなかった。
煤で黒い右手が、紙の端をつまんで持ち上げ、自分のほうへ回す。灯りが厚紙を透かして、一行の影が先に見えた。細く、ためらいの無い字である。レイの目が、アレアの手の紙へ落ちた。
首をわずかに傾け、アレアは字を目で二度なぞった。
「……私を探して?」
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