第3話 仕組まれたバグ
グロウ・グローバル・ゲームズ(GGG)での開発環境は、自宅のデスクトップPCとは比べ物にならないほど快適だった。
「育美ちゃん、ここのスクリプトの組み込み方だけど、こうやって変数を指定するとキャラクターアセットの動きがもっとスムーズになるわよ」
「本当だ……! さすが沙織さん、すごいです!」
私の教育係としてプロジェクトをサポートしてくれたのは、専務の娘である沙織さんだった。
プログラミングの腕はもちろん、右も左も分からない企業での立ち振る舞いや、システムの統合テストのやり方まで、彼女は素人の私に付きっきりで優しく教えてくれた。
親父を亡くして以来、他人に心を閉ざしていた私にとって、沙織さんは本物の『優しいお姉ちゃん』みたいな存在になっていた。
だから、何の疑いも持たなかったのだ。
「育美ちゃん、お疲れ様! ついにマスターアップね!」
「沙織さん……! はい、やりました!」
徹夜明けのボサボサの頭だったが、私の心はこれまでにないほどの達成感で満たされていた。
私がプログラマーとして全権を任された、期待の新規プロジェクト。
少人数のチームで泥臭く作り上げたこのゲームが、ついに完成したのだ。
「専務が、最終データはこの指定のUSBに入れて持ってくるようにって。……さあ、これで本当に最後のお仕事よ」
「はい!」
私は何の疑いも持たず、沙織さんから手渡されたUSBメモリをPCに挿し込み、完成データを転送した。
これでやっと、ゆっくり眠れる。
……しかし、その安息が訪れることはなかった。
翌日の朝。 出社した私と沙織さんを待っていたのは、開発室のモニターにデカデカと映し出された最悪のニュースだった。
『GGG期待の新作、発売前に全データがネット上に流出』
「嘘……なんで……っ」
「育美ちゃん!? これ、一体どういう……」
頭の中が真っ白になった。
社内はハチの巣をつついたような大騒ぎになり、自社の株価がリアルタイムで暴落していくのが見えた。
直後、私は黒服の男たちに両脇を抱えられ、最上階の重役会議室へと引きずり込まれた。
「やってくれたな、育美くん」
革張りの椅子に深く腰掛けた専務が、氷のような冷たい声で私を見下ろしていた。
その傍らには、私と一緒に連行されてきた沙織さんが、不安そうに立っている。
「君のPCから、機密データが外部サーバーに送信されたログが完璧に残っている。小遣い稼ぎのためにデータを売ったんだろうが……おかげで我が社の株価はストップ安だ」
「ち、違います! 私はそんなことしてません!」
「言い逃れは通用せんよ。君の開発チームのサンクコスト、無駄になったプロモーション費用、そして見込んでいた数億円の利益。これらすべての損害額『三億円』は、責任者である君に賠償してもらう」
三億円。
16歳の私に払えるはずのない、天文学的な数字。
「待ってください! 昨日、完成データを触ったのは私と……沙織さんだけです! あのUSB以外に、データは動かしてません!」
私が咄嗟にそう叫んで沙織さんの方を振り返った、その瞬間だった。
「……あっ」
沙織さんの顔から、サァッと血の気が引いていくのが見えた。
彼女の視線が、私ではなく、目の前の専務へと向けられる。
専務は、実の娘である沙織さんに対し、口の端を歪めて『冷酷な脅迫のサイン』を送っていた。
その時、沙織さんはすべてを悟ったのだ。
自分が父親に騙され、ウイルス入りのUSBを私に渡してしまったこと。
そして、この情報の流出が、会社の株価を意図的に暴落させたい専務の『自作自演』であることに。
「……ごめんなさい、育美ちゃん。……お父様、話が違います」
「え……? 沙織、さん……?」
「今回のプロジェクトは本来私が任されるはずのモノでした。でも育美ちゃんがメインとして売り出した方がメディアの注目も集まるし、私も評価されるとのことでしたよね?」
私に背を向けた彼女の両手は、爪が手のひらに食い込むほど、強く、強く握りしめられていた。
「会社的には、それで良かったんだがな」
「どういうことですか?」
「今回のプロジェクトは本来私が指揮を執り、メインプログラマーをお前にさせ、チームは身内で固めることによって、開発資金の一部をボーナスとして支給するつもりだったんだよ」
「っ!? まさか横領?」
「おいおい人聞きの悪いことを言うな。あくまで開発チームへのボーナスだよ、人件費なら開発費用だろ?」
「それが出来なくなったからってこんな……!」
「この株価の変動を利用して、それ以上の利益がでそうだ。そこの娘には感謝するよ」
(一体何が起きてるというの……?)
「そういうことだ。君にはきっちり、三億円分の『仕事』をしてもらうぞ。……連れて行け」
専務の冷酷な合図とともに、私の身体は再び黒服たちに拘束された。
そして私は、あの狂気に満ちた『地下室のゲーム』へと突き落とされたのだった。
(あいつだけは、絶対に許さない)
私は冷たい麻雀卓を睨みつけ、奥歯をギリッと噛み締めた。
私からすべてを奪い、父の遺したゲームを汚したクズ。
「……ま、もらえる点棒はもらっておくけど」
私は四隅のカメラレンズに向かって、毅然とした態度で睨み返した。
この『天和・国士無双』
誰がどんなプログラムを組んで私をハメようとしているのか知らないが。




